1 倒錯する思い 

 男衆三人がグレルカイムにやってきたのはバドゥルを発ってから二十五日目のこと。科学技術研究所まではグロリアを使ったわけだが、そこから先は徒歩で近くの街へ、馬を手に入れてさらに西へと向かい続けた。グレルカイムへの道のりを聞くのは、アクトゥマの息の掛かったゴルガ西部では簡単なことだったが、広大な砂漠を越えなければならず、長い日数を要してしまった。
 その間、バルバロッサとリュキアは姿を見せず、むしろ苦労したのは砂を破って現れる巨大な甲殻ムカデだった。熱砂の中での戦いは激しい疲労を伴うものだったが、これを辛うじて潜り抜け漸く辿り着いたグレルカイム。巨大な岩壁を背に、純白の神殿が築かれ、神殿の入り口へと続く大階段の手前には白い柱が六つ並んで立っている。その周囲に立ち並ぶ石造りの家は、神殿の優美さ、壮大さとは裏腹に、土色でみすぼらしく、もう数年もすれば風と共に崩れてしまうのではと思わせるほどだった。
 「これでお祈りはおしまいか。」
 神殿での祈りの時間を終え、三人は与えられた部屋へと向かっていった。
 三人がアクトゥマに入信することになったのは自然の成り行き。グレルカイムには立派な石像があり、アクトゥマ教はそれを崇めているという話を聞いた。神殿に入るためには入信するしかない___ということである。
 「しかしあれだよね、神殿の中にいる信者はみんな厳つい人たちばっかりだよ。」
 「そりゃそうだ、何しろ強さが全てらしいからな。」
 入信に際して簡単な審査があった。単純に信者の一人と戦わせられただけだったが、そこでの圧勝で彼らは私室を勝ち得たのだ。言うなればこの神殿には強い者たちが集まり、外の石造りの家には脆弱な人々が住む。しかし脆弱な人々は神殿からの配給で生き延びており、またこの過酷な砂漠を越える手段も持たない。ではグレルカイムは何故彼らを飼い殺しにするのか。
 「なんだいこりゃ。」
 私室の入り口に張り紙がしてあった。百鬼はそれをひっぺがして眺める。
 「えーと、今夜鐘が三つなりし時〜、また〜ら〜いず?マタライズか、何だそりゃ?」
 「なに手間どってんだ。」
 サザビーが紙を奪い取った。
 「マタライズを行う___ゴルガンティへの忠誠を誓うのであれば出られたし。マタライズね、縁起の悪い言葉だ。」
 「何なんだいそれ?」
 「ゴルガの原語だ。意味はそうだな___血染めってところかな?」
 サザビーは紙を二つ折りにし、放り投げた。
 「ち、血染めだと___?」
 百鬼がそれを受け取って、ゾッとしたように答えた。
 「行ってみようじゃないの、ここがどういうところか分かる。女神像はないがゴルガンティの話とあっちゃ___俺たちが関わらないわけにもいくまいよ。」

 神殿の奥には風変わりな建築物がある。中央には砂のフィールドが広がり、それを円形の客席が取り囲む。客席の高さはフィールドから二メートルほど上で、階段状に広がる。フィールドには一切の逃げ場が無く、唯一の出入り口は熱い鉄の扉で閉ざされ、外から開けることはできない。
 そこはコロセウム。宗教の総本山には必要のないはずの建築物だ。
 「うおおおっ!」
 だがそこは人で溢れ返り、その誰もがまるで闘牛を楽しむ人々のように血の気を剥き出しにしている。篝火は人々の欲望をも燃え上がらせ、辺りには酒の臭いが充満していた。
 「何なんだよこいつぁ、まるでやさぐれた男たちのたまり場だぜ!」
 鼻を突く酒の匂いに顔をしかめ、百鬼は人混みを避けるようにして少しでも空いている場所へと進んだ。
 「この人たち、みんなマタライズってのを見に来たのかな?」
 「だろうな、宗教儀式と言うよりはショータイムらしい。」
 サザビーは顔をしかめた。闘技場のフィールド、それを囲む壁の所々に乾いた血の跡らしきものが見える。
 「なあ、マタライズってのはなんなんだい?」
 「たっのすぃ〜!」
 百鬼は酒を片手に騒いでいる男に尋ねてみたが、男の答えは的を射ない。臭い息を浴びせられて噎せ返っただけだった。
 「相手にすんな、聞いたって無駄だ。」
 それにしてもなんてむさ苦しいところだろう。客席にごった返す人々は皆、脛に傷持つ者ばかり。その誰もが、犯罪者の匂い、ごろつきの匂いを持っている。まったくこのグレルカイムは一体どういうところかと疑ってしまうほどだ。
 「お、あそこあいてるぜ。」
 人々でごった返す階段状の客席の中で、ぽつんと空いている一角を見つけ、百鬼は人混みをかき分けてそこへ向かった。
 「あ〜、いいねぇ、空いてるじゃん。しかも前の方。」
 ライも喜んでそれを追いかけていく。サザビーはその様子を見送って額に手を当てた。
 「あの馬鹿ども___相変わらず進歩ねえなぁ。」
 これだけ柄の悪い奴等が集まった中でご丁寧に空いている席なんて、大体分かるもんだろう。
 「おーいライ!早く来いよ。おろっ?」
 空いていた場所で大きく手を振っていた百鬼の身体が持ち上がった。
 「なにすんだよ、あんた。」
 振り返るとそこには、回りの男たちと比べても際立って体の大きい男が、百鬼の襟首を捕まえて持ち上げていた。髭面で百鬼を睨み倒す。
 「ここはバックス様の定位置だ!てめえらそれを知っての行いか!」
 髭の大男の影から、小柄で出っ歯の男が飛び出し、唾をまき散らしながら言い放った。
 「何でよ、空いてんだからいいじゃねえのさ、座ったって。」
 百鬼は不服そうに愚痴を言った。
 「うおっ!?いでっ!」
 すると彼の身体がより一層高く持ち上げられ、勢い良く客席の石段に叩き落とされる。尻をしこたま打ち付けて百鬼は声を上げた。
 「バックス様はマタライズで五回も勝ち抜いたんだ!このグレルカイムじゃ強さが全てだってのを忘れたのか!?」
 「勝ち抜いた?マタライズってそういうのか?」
 出っ歯の男の唾に顔をしかめながら百鬼は呟いた。回りではいつまでも尻を押さえている百鬼の姿を見て、男たちが笑っていた。
 「おーい、百鬼どうしたのさ。」
 その人込みをかき分けて、ライが追いついてくる。
 「いや、この髭のオッサンが場所を譲ってくれねえのよ。」
 「え〜、けちぃ。」
 「このがきども!バックス様!脅かしてやって下さいよ!」
 「ふんっ。」
 出っ歯の男に扇動され、バックスはその子供の頭ほどはあろうかという拳を振り上げた。タイミングを合わせて出っ歯の男が、一般男性のこぶし大の石を放り投げた。
 ドガッ!
 バックスが石を空中で殴りつける、その時点で罅入った石は床に激突すると一気に砕け散った。
 「お〜。」
 回りの男たちが歓声を上げ、百鬼も感心したような声を出した。しかし。
 「俺にもやって。」
 「無理はよせ小僧、拳が砕けるぞ。」
 バックスは低すぎて聞き取りづらい声で言った。
 「いいから。」
 「へへ、やらせてやりやしょうよ、バックス様。」
 出っ歯の男は石を投げた。百鬼は周囲の期待を裏切って片手でそれをキャッチする。男たちがブーイングをはじめたのも束の間___
 「ほっ!」
 ゴワッ!百鬼が掌に渾身の力を込めた。その瞬間、石は粉砕し、彼の掌から弾けるように零れ落ちていったのである。
 「!?」
 さしものバックスも目玉が飛び出さんばかりに驚き、罵ろうとしていた出っ歯の男は顎を外した。
 「んで、ここ座っていいかなぁ?」
 「ど、どうぞ___」
 バックスと出っ歯の男はそそくさと人混みの中に姿を消していった。
 「何でい、あいつら。」
 「ま、いいんじゃないの、席が取れたんだし。」
 「アホめ。」
 遅れてサザビーがやってくる。三人の回りだけ、ぽっかりと人がいなくなっていたのは滑稽であった。しかし、そのおかげで三人の姿は遠くからでも目立ち、ある人物の気を引いたのである。その人物は男とも女とも取れない顔立ちをしていて、何しろこの空間の中では異彩を放つ美形。やや緑にも見える黒の長髪で、長いターバンを緩めに巻いて顔の横に垂らしている。体つきも質実剛健にはほど遠く、細身だった。その人物は三人の様子を伺って、小さな笑みを浮かべていた。
 「マタライズって何だろうね。」
 「さっきの奴等が、勝ち残るがどうとか言ってたぜ。」
 「マタライズは、殺し合いの儀式ですよ。」
 「え?」
 突然、聞き慣れない声が会話に割り込んできた。二人はそちらを振り向き、サザビーも一瞥した。が、すぐに惹きつけられて振り向く。
 「こちら___よろしいですか?」
 それは、先程彼らを観察していた人物。長髪、美形、身長もソアラと変わらないほどだし、白いローブ姿もあってまったく男とも女とも取れない。
 「あ、ああ、いいっすよ。」
 百鬼なんて一目見てポッと頬を赤くしたほど。だが彼が近くによるとサザビーは急に伏し目がちになった。
 「なんでぇ、男かよ。」
 「えっ!?まじっ!」
 サザビーの呟きを聞いて百鬼は思わず声を上擦らせた。しかしそう思えてしまうほど、男にしておくには勿体ない美男だった。女装でもされた日には、本気で一目惚れしそう?
 「良く分かりましたね。よく女性に間違われるんですよ。ここではもう男だって知れ渡ってますけど。」
 にこっと微笑まれるとそれこそドキッとしてしまう自分に虫酸が走る。百鬼とライはお互いに顔を見合わせ、互いの頬を一発叩いた。
 「名前は?」
 「棕櫚です。」
 「シュロ、変わった名前だな。」
 それぞれの地方に多少名前の特色があるものだが、それにしてもあまり聞かないニュアンスの名前だった。勿論変わった名前という点では百鬼も変わっている。
 「なあなあ、マタライズが殺し合いだっていったよな。」
 「そうです。殺し合いの儀式ですよ。」
 棕櫚はフィールドに目をやった。
 「見て下さい、あそこに門が見えるでしょう。そしてその向かいにもう一つ。」
 それはフィールドへの唯一の出入り口である鉄の扉のことだ。
 「あそこからそれぞれ一人ずつ、武器を手にした信者が現れ、殺し合いをするんです。そして勝者はその骸をゴルガンティの石像に捧げるというわけですよ。」
 「ひでえな___」
 百鬼はそう呟いたが、それは好んでアクトゥマにやってきた者のセリフではない。
 「そう思います?あなたたちはゴルガンティの信仰できたわけではないようですね。」
 棕櫚は百鬼と視線を交錯させ、尋ねた。しまった!と思った百鬼だが、それ以上に不思議な感覚に襲われる。ミロルグの瞳を最初に見たときに近い。ミロルグの漆黒の瞳を目の当たりにしたその時、一瞬とはいえその無限の暗黒に引きずり込まれるような心地になった。
 (なんだか___こいつ。)
 棕櫚の瞳が緑がかっているように思えた。この男は普通ではないかも知れない。
 「内密にしてもらえるか?」
 「ご心配なく、俺もアクトゥマ信仰じゃありません。旅の途中で立ち寄っただけなんですよ。」
 「へー、そうなんだ。」
 ライはホッとした様子で胸に手を当てた。
 「俺ね。」
 サザビーはにやついた。
 「女性と疑われないための予備工作です。」
 そんなことを言いながら、長髪を一つ掻き上げた棕櫚。その仕草に多少の矛盾を感じる。
 「マタライズはいわば生け贄の儀式ですよ。そして人が死ぬこと、それを喜ぶここの人々の意志はゴルガンティを喜ばせる。そうベルゾフは語ります。」
 「するとだ、ベルゾフはゴルガンティが邪悪なものであると知っているのか。」
 サザビーの問いに棕櫚は頷いた。
 「でしょうね。信者たちはここでは公明正大にアクトゥマを邪教と呼ぶ。そもそもこのグレルカイムは犯罪者の楽園としてそちらの世界では有名なんですよ。ここにいる信者の多くが、追っ手から逃げてきた犯罪者です。」
 「ベルゾフの狙いは何だ?奴は人殺し趣味というわけでもあるまい。」
 「わかりません。」
 はじめて会った男とこうも話が通じるのも___少し気に掛かる。
 「それに___おまえも詳しいな。」
 「詳しいですよ。調べることは趣味です。サザビーさん。」
 はぐらかさないこの姿、こちらが掛けたカマを見抜かれたとサザビーは感じた。そればかりか、名乗ってもいないのに呼びつけにする。だがこれに乗じたところで棕櫚は、先程名前を呼ばれているのを聞きました、と言うだろう。だったら、別の角度から押してみればいい。
 「超龍神を知っているか?」
 「詳しくは知りません。ですが、邪悪な竜ですね。教えていただきたいものです。」
 冷静で、友好的だが腹の底の見えないところがある。サザビーは超龍神さえ知っていると語った棕櫚に対して、警戒を解くことはできないと感じた。
 「旅をしていると言ったな。」
 「そうです。世界中を見て回っています。その上で、面白そうな旅をしている方を見つけて、ご一緒させていただきたいと思っていました。」
 「それでグレルカイムか?」
 「犯罪者でもないのに、こんな所にやってくる数奇な使命を持った旅人を捜していました。」
 言葉の巧い男だ、質問には全て答える。用意しているふうもないが真偽も定かではない___サザビーは棕櫚に後ろ黒い部分を感ぜずにはいられなかった。しかし、彼を嫌いにもならなかった。
 「おー、見ろよすげーな、あいつ。」
 「うわー、全身に文字が書いてある。」
 むしろ、この脳天気馬鹿二人よりは面白味のありそうな男だ。
 「それだけかな?口車は勘弁だぜ。」
 「そんなつもりでは___」
 「こちらとしても警戒しなくちゃならない理由がある。」
 「そうさ、まだ信用はしてないぜ。」
 百鬼が唐突に会話に加わった。聞いていたらしい。
 「え、なにが?」
 聞いていなかったのはこいつだけだ。
 「分かりました。そう言われると余計についていきたくなりましたよ。どうやらあなた方は何か大きな存在と戦っている。だから___私のような奇妙な人間には警戒を解くことができない。」
 この男がどの程度のことを知っているかは別として、洞察力は確かだ。調べることが好きと言ったのは恐らく嘘ではない。
 「無駄に警戒させるつもりはありません。今日は去りますが、是非またお会いしたいものです。」
 「そうだな。」
 「では。」
 棕櫚はその場を離れ、人混みにまみれて消えていった。
 「良かったのか?魔族の仲間かも知れないんだぜ。」
 百鬼がサザビーに耳打ちする。
 「そうとは限らない。本当かも知れないぜ、あいつの言っていたこと。」
 「そうそう、疑うよりは信じる方が楽だしね。」
 「お、たまにはいいこと言うじゃねえの。」
 百鬼は拳骨でライの頭を小突いた。
 「ん?見ろ、ベルゾフだ。始まるらしいぞ。」
 闘技場の一角に、展望型の部屋に仕切られたいわばビップルームがある。
 「信者諸君!今宵もゴルガンティに捧ぐマタライズに、よくぞ結集してくれた!ゴルガンティもお喜びである!」
 肉声にしては重低音で良く響く。
 「勇敢なる戦士は、我らが神にその血に飢えた心を捧げるべく、武器を手に取った!我々は彼らの生への闘争を見守り、そこに生まれゆく血の意識をゴルガンティに捧げるのだ!」
 信者たちが大歓声を上げる。この挨拶はどうやら決まり事のようだ。回りの騒々しさとは裏腹に、三人はベルゾフに視線を送り、彼を観察し続けた。
 「何かあるかも知れないな___あいつ。」
 「臭いぜ。」
 百鬼は腕組みをして、怪訝そうに遠くのベルゾフを睨み付けた。
 「僕じゃないよぉ。」
 「三十年前のギャグだ。誰も笑ってはくれねえぞ。」
 ライの頭を今度はサザビーが小突いた。ますます頭が弱くならないか心配だ。
 「さて信者諸君、今宵の戦士の登場だ!」
 コロセウムの両の門が開いていく。観衆は食い入るようにフィールドに目を移した。
 「今日までゴルガンティに捧げた戦士の数は六人!今、最も神の恩恵を受けるに値する男___アルベルト・ローク!!」
 その瞬間、ライと百鬼が身を乗り出した。
 「な、なにぃぃぃ!?」
 二人は自分たちの前だけがら空きになっている席を最前列まで駆け下りていった。
 「ア、アルベルト___アルベルト・ロークだって!?」
 同姓同名?そう疑いもしたが、開いた扉の向こうから現れた男の顔を見て、二人も認めざるを得なかった。
 「何だ?知り合いか?」
 遅れてゆっくりと、サザビーも最前列へとやってきた。
 「白竜の上官さ、デイルさんが白竜をやめてどっかいっちまったって言ってたろ___」
 「でも、何でこんな所に?」
 考えられること___サラの死に何か関係があるとしか思えない。しかしそれにしたってここでもう六人も人殺しをしているという___
 「しかしまあ___随分と暗い顔だな。」
 サザビーの言うとおりだった。目立つ男ではなかったが、人当たりが良く、明るく優しい性格で回りの信頼を得る人物だった。それが今はどうか、顔つきには悲壮感が溢れ、ただ虚空を見るようにして真っ直ぐフィールドへと進み出るばかり。
 「対するは自らマタライズに志願した、敬虔なる女性信者。ラミア・ムバラク!」
 対面の門からも戦士が登場する。アルベルトは剣を握り、光と力を失いくすみきった瞳で己の刃に掛かるであろう相手を一瞥した。
 「!?」
 だがその瞬間、彼の瞳に僅かな力が戻った。それは驚愕と共にもたらされたものだった。
 「今日の相手は女だとさ。」
 「もったいね〜、俺らに譲って欲しいぜ!」
 「まったくだ!」
 回りでは男たちが騒いでいる。アルベルトの向かいから現れた戦士は小柄な女だった。ショートカットで、気の強そうな精悍な顔立ち。
 「いざ!神に捧げよ!」
 「神に捧げよ!」
 信者たちの合唱に圧倒される中、戦いが始まった。三人は厳しい顔つきでその様子を見守る。
 「うあああっ!」
 威勢のいい声と共に、ラミアが先に仕掛ける。その戦いぶりは決して上手とは言えなかったが、死をも恐れない気迫でアルベルトに突進していく。アルベルトは剣を手にしてこそいるが、動きに精彩を欠き、相手の攻撃をいなすばかりだった。
 「アルベルト___腕が落ちたわけじゃなさそうだが___」
 百鬼が呟く。
 「迷いがあるな。」
 「相手の人の顔だよ。」
 ライが言った。
 「相手?」
 百鬼は対戦相手のラミアに目を移し、その面立ちを一目見るなり気が付いた。
 「サラだ!」
 ラミアの顔はそれこそサラに瓜二つ。それほど似通っていた。違うのは髪の色くらい。
 「うっ!」
 そんなときだ、アルベルトの一振りがラミアの剣を弾き飛ばし、ラミアは勢いのままに尻餅を付いて倒れた。
 「チャンスだ!」
 「殺せーっ!」
 聞くに耐えない怒声が上がる。コロセウム全体の合唱となってフィールドに立つものにまやかしを見せる。そう、最初にアルベルトが対戦相手の首を切り飛ばしたのも、この邪悪な合唱に背を押されてだった。だが今は違う。
 「なにやってるのよ!はやく殺しなさいよ!」
 ラミアは自棄になってアルベルトに怒鳴りつけた。声までよく似ている。
 「おまえは___志願者じゃないな。」
 「だからなにさ!どうせベルゾフに殺される!」
 しかし彼女の力強い姿勢は、生きることを全て諦めた女のありようではない。命を懸けてでも戦いに走る、サラの生き写し___
 チンッ。
 金属音と共に、コロセウムが一瞬静まり返った。
 「生きることに絶望していない人を殺すことはできない___」
 邪悪の合唱にすら耳を向けず、アルベルトが剣を収めたのだ。静まり返ったコロシアムはすぐさま喧噪を取り戻し、罵声が怒号となって響き渡った。
 「なんなの___」
 ラミアは不思議そうに、去りゆく彼の後ろ姿を見つめていた。
 「静まれ諸共!アルベルトの行いはゴルガンティの意志に背くものだ!追って厳罰に処す!」
 ベルゾフの声が会場の喧噪を押さえつけていく。
 「アルベルト___」
 「やれやれ、ややこしくなってきたな。」
 アルベルトが鉄の扉の向こうに消えるのを見送ると、三人もコロセウムを後にした。
 (さて___これからどう出ます?)
 その後ろ姿を遠くで棕櫚が見守っていた。




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