3 好カード

 さて二人の修業も佳境へと入り、二十七日目のこの日、アモンは最後の課題を二人に与えようとしていた。男三人の出番をお待ちの方、もう少しお待ちを。
 「よーし、止まれ。」
 島の外周のランニングを終えて戻ってきた二人をアモンが呼び止めた。二人は息を弾ませながら足を休ませる。
 「さて、いよいよ修業の日々もあと三日になった。はっきりいって俺は驚いたぜ、まさか課題を十四もクリアするとは思っていなかったからな。どうだ?自分たちのパワーアップは感じるか?」
 太陽は既にその三分の一を水平線に沈めている。赤い光が水平線に走り、波の輝きと共に二人の頬を照らした。
 「分からないわ___自分の成長なんて、考える暇もなかったし。」
 ソアラは汗ばんだ額を拭いながら答えた。
 「まあそんなものだろ。」
 アモンは二人に水の入った筒を放り投げた。
 「さて、それでだかな、これからおまえたちに最後の課題を与える。」
 「課題?これから?」
 「そうだ。課題と言ってもいつもの奴じゃない。三十分もあれば終わるさ。そしてこの課題を最後に修業は終了だ。」
 「え?まだ三日もあるのに?」
 「疲れた身体で旅に戻るわけにもいかねえだろ。残りは休養日だ。」
 二人は思わず笑顔になって、珍しいアモンの優しさを素直に喜んだ。
 「それでは最後の課題だ。」
 きっとアモンのこと、最後はこれだと決めていた課題があるのだろう。何が来るのかと緊張が走る。
 「戦え。」
 「へ?」
 ソアラはだらしなく口を開けて聞き返した。
 「戦え。ソアラ対フローラだ。」
 「えぇっ?」
 「そんな___」
 フローラは戸惑いを隠せないでいる。
 「本当にあたしとフローラで戦うの?」
 「やらなかったら無条件でおまえらの下着を全て没収。」
 「それはいやっ!」
 「だったらやれ。」
 アモンはソアラの身体にリヴァイバを施し、彼女の疲労を癒していく。半ば脅迫じみた課題だったが___面白いかも知れないな、とソアラは思いはじめた。
 「でも戦うといっても、どうすればいいんです?」
 フローラも既に覚悟は決めたようだ。アモンのリヴァイバを身に受け、ランニングで弾んだ呼吸を整えていく。
 「相手をノックアウトすればいいのさ。危なくなったら俺が止めにはいるから、相手をぶっ潰すつもりで思いっきりやればいい。場所はここ、時間は日没までだ。」
 アモンは二人の鼻先に、拳を突き出して戦意を煽った。
 「やるしかないね。」
 ソアラは拳をフローラに向けて、ウインクした。
 「しょうがないか。」
 フローラも拳を作ってソアラとぶつけ合った。
 「いい加減なことはすんな。俺の目はごまかせねえからな。もし手を抜いたら二人ともペナルティ。」
 二人は互いに離れ、距離を取った。アモンも数歩後ずさる。戦いの気配が高まっていく。
 「そうだ、フローラ。」
 アモンはフローラに何かを投げつけ、フローラは若干の重みと固さのあるそれを受け取った。
 「手袋?これ___ナックルじゃないですか。」
 黒い革手袋は、関節部分に金属が宛われている一種の武器だ。
 「そいつはハンデだ。なにも呪文だけで戦う訳じゃない。そう考えると格闘技の練度からいって、おまえにはハンデが必要だろう。」
 「でも___」
 第一関節の部分に剥き出しの金属が飛び出している。これがめり込めば、生身の拳より数倍は大きなダメージを与えるだろう。
 「いいのよフローラ。あたしだってそれくらいの方が本気でやれる。今日は楽しもうじゃない、せっかくのチャンスなんだから。」
 ソアラはニッと笑った。戦いを楽しもうという好戦的な顔だったが、むしろソアラの顔はそれくらいの方が生き生きして見えた。そしてフローラも、開放的な戦意を掻き立てられていく。
 「分かったわ。楽しみましょう、戦いを!」
 そして勢いよく革手袋を装着した。
 「さっすが、話が分かる!」
 今日これまでの修業で身体は充分にほぐれている。ソアラは軽く数回飛び跳ねて、すぐさま武闘の構えを取った。一方でフローラは魔力をその手に充填しはじめた。
 「行くぞ、日没までの一本勝負!これで修業が終わるんだ、この砂浜を滅茶苦茶にするくらい、全力を出し切れ!」
 アモンが右手を挙げた。ソアラは足を深く踏み込み、フローラは右手をゆらりと持ち上げ小さくスパークさせた。
 「はじめ!」
 掛け声と共に先に仕掛けたのはフローラだった。後方に残していた左手を輝かせ、最初の課題で見せたウインドビュートの加速で、一気にソアラとの距離を詰める。意外性の奇襲作戦だった。
 「ウインドビュート!」
 次は右手が輝く。様子見を決め込んだソアラは防御姿勢をとるが、こちらに向けられていた右手は瞬間的に照準を移し、ソアラの足下の砂を大量に巻き上げた。
 「くっ!」
 視界を殺されたソアラのガードが上がる。フローラの狙いはがら空きになった横腹にあった。ナックルを利して素早い拳をたたき込む!
 「なんちって___」
 だがソアラは瞬時にガードを下げ、拳を身に受けることなくフローラの手首を押して彼女の拳を逸らした。視界の乏しい中でフローラの攻撃を完全に読み切った防御術だ。
 「狙いとタイミングが素人よ、フローラ。」
 「どうかしら?」
 フローラはまだ加速用のジェットを維持していた。背を向いていた左手をソアラの眼前へと突き出す。
 「ぐっ!」
 ウインドビュートがソアラの顔面を殴打し、彼女は大きく後方へとはじき飛ばされた。フローラは更に追い打ちを駆けるべく、片膝を突いたソアラに飛びかかっていった。
 「ドラゴフレイム!」
 「!?」
 片膝をついたのはダメージが厳しかったわけではなく、手を砂地に着けるためだ。砂を縫って進んだ火炎は、フローラの足下から火炎放射となって吹き上げた。炎に包まれてフローラは砂地を転がりながら海へと滑り込んだ。すぐさま起きあがって、回復呪文リヴリアを施しはじめる。好機と見たソアラは砂を蹴り、一気にフローラに襲いかかった。
 「ディオプラド!」
 ソアラの放った白熱球は海面に激突し、水飛沫を二十メートルは巻き上げる大爆発を巻き起こした。素早く飛び退いて直撃を逃れたフローラだったが、壮絶な爆発に身体を弾き飛ばされ、波打ち際に身体を打ち付けた。しかし砂と水が衝撃を吸収して、傷みには乏しかった。
 「当たらなきゃ効果は薄いか___!うっ!?」
 避ける前にフローラは呪文を放っていたのだ。反応の遅れたソアラは、横から迫るシザースボールを避けきれないと直感した。
 対処は心を静めること!
 パァァァンッ!
 ソアラの左手が白いオーラを纏い、シザースボールを弾き飛ばした。
 「ほぅ___」
 アモンは思わず感心した呟きを漏らす。
 「無色の魔力って奴よ___」
 ソアラは左手のオーラを消し去り、できるだけ平静を装って笑みを浮かべた。だがフローラは知っている、今の彼女が虚脱感に襲われていることを。
 「はあああっ!」
 ここぞとばかりにフローラはシザースボールを放ち、自らもそれを追いかけるように駆け出した。
 「くっ!」
 ソアラは先行のシザースボールを身体を捻ってやり過ごすが、それを囮にして襲い掛かったフローラの拳を回避することはできなかった。
 「うぐ___」
 内蔵に鈍い衝撃が響く。重みはなくとも金属がある。皮膚を抉って内側に響く鈍痛にソアラは顔を歪め、若干の吐き気すら感じた。
 「がっ!」
 それでもソアラはフローラの喉を平手で一押しし、怯んだ所を飛び退いて一度大きな距離を取る。だがその動作にいつもの機敏さがないことを見知ったフローラは、更に追い打ちをかけた。
 「はあああっ!」
 蹲るソアラに向かって突進をかける。
 「プラド!」
 だがソアラは砂に向かってプラドを放ち、己の身を砂の柱に包み込んだ。フローラは果敢に砂の柱に蹴りつけたが感触がない。次に感じた気配は後ろだった。
 「そこ!」
 だがそこにソアラの姿はなく、あったのは砂から吹き上げる小さなドラゴンブレスの炎。
 「違った!」
 「こっちよ。」
 砂の柱を突き破ってソアラが飛び出し、フローラの背中を強引に蹴飛ばした。フローラは波打ち際に顔から倒れ込み、すぐに寄せてきた波が彼女をずぶ濡れにした。
 「ぷはっ!」
 慌てて顔を上げたときには、彼女の背に跨るようにしてソアラがおり、フローラは背後から乱雑に髪を掴まれた。
 「ほらっ!」
 ソアラはフローラの頭を波打ち際に押しつけ、寄せる波で息を詰まらせる虐待のような手法で攻めた。だが肘に走った痛烈な衝撃に、顔を歪めソアラはのたうち回りながら砂浜へと逃れた。フローラのがむしゃらに振り回していた拳が、丁度ナックルの部分でソアラの肘を打ったのである。
 「ゴホッゲホッ!」
 砂と海水を飲まされたフローラは噎びながら身を起こした。一方でだらりと伸ばした左肘を押さえながらソアラも立ち上がる。海にフローラ、砂浜にソアラという形で対峙の時が訪れた。そして二人はまるで示し合わせたかのようにその手に魔力を満たしていく。フローラは両手、ソアラは右手に。
 「勝負が決まるな___」
 戦いを静観し続けていたアモンが呟いた。
 「ウインドランス!!」
 ウインドビュートの上級呪文、ウインドランス。直線的な錐揉み状の風竜巻がソアラを襲う。フローラはこの呪文を勝負に選んだ。
 「ドラゴフレイム!」
 一方でソアラは、得意呪文の一つドラゴフレイムで勝負に出た。だが属性には相性というものがある。特に風の呪文は柔軟性に富み、今もこうして、海水と砂の粒を巻き込むことで炎を蹴散らす力を身につけていた。
 (力比べがしたかった気持ちは分かるが___プラドが打倒だったな。)
 アモンはソアラの選択にけちを付けたが、彼女がこのまま負けるとは思っていない。
 パァァッ!
 ドラゴフレイムの炎は、ウインドランスとぶつかり合った瞬間から、散り散りに引き裂かれてしまう。それでもソアラは一際冷静に、迫り来る風竜巻を睨み付けていた。ドラゴフレイムは全力ではない。むしろ核は死んだふりをしていた左腕にある。
 「ストームブリザード!」
 フリーズブリザードの上を行く氷結呪文。ヘイルストリームには及ばないがその威力は海面の一部をも凍り付かせる。
 「そんな!」
 ウインドランスが弾け飛んだ。竜巻に取り込まれた海水が仇となり、氷結して風の流れを失ったのだ。そればかりか、フローラの足下の海水が凍り付いている。ドラゴフレイムに気を取られている隙に、ソアラはだらりと下ろした左手から氷結呪文を走らせていた。
 勝負あった。ソアラは右手に宿した別の色の魔力を解き放つだけだった。
 「ディオプラド!」
 爆音と共にフローラの身体が高々と舞い上がる。そのまま海中に没した彼女を素早くアモンが引き上げた。
 「勝負有り。」
 アモンは気絶したフローラを抱きかかえて、砂浜へと上がってくる。
 「おまえの勝ちだが、まだまだ甘いな。」
 「ええ___それにしてもフローラ___強くなっていたわ。嬉しかった。」
 フローラの戦いの感覚も研ぎ澄まされつつある。彼女の成長ぶりにソアラは舌を巻いていた。
 「何を偉そうに、大した年の差でもあるめえよ。」
 「そうね___」
 死力を尽くした結果だ。魔力が底を尽きてソアラも意識を失った。アモンは愚痴をこぼしながら二人の治癒に掛かる、だが二人の寝顔に充実感が溢れているのを見て、この三十日の成果というものを確信するのだった。




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