3 ダブル・インパクト

 「とんだ口車に乗せられたが___ご覧の通り、こいつは山を越えるくらい雑作もないだろう?」
 グロリアは快調に飛行し、翌朝にはゴルガの東、切り立った山々が羅列する大山岳地帯へとたどり着いていた。朝霞が美しい山並みを下に見て、目指すはバドゥルの集落なのだが。
 「あ〜、それは凄い。確かに認めるよ。だが、この山ん中から集落を探さなきゃならないんだよ。」
 「んなこた知るか!おまえらで探せ!」
 ジャンルカは荒々しくサザビーに怒鳴りつけた。
 「所長代理、折り返しの燃料を考えると、このまま直進距離であと三十分の飛行がやっとです。」
 計器類をチェックしている乗組員が語気を強めていった。
 「というわけだ、三十分経ったら容赦なく引き返すからな。用があるならそれまでに探せ。」
 そして。
 「というわけだから、みんな目ん玉おっぴろげて探すように。」
 「あんたもね。」
 リーダー気分のサザビーの顔面に、ソアラが投げつけた双眼鏡がぶつかった。皆は笑いながらそれぞれ別々の方角の窓へと取り付く。
 「こう霞がかってちゃ___探すのも大変だな。」
 「均整の女神像は大きいのよ。祀るためのお堂があると考えれば、目立つはずだわ。」
 百鬼の愚痴に、ソアラが窓から顔を引っ込めて答えた。その時、飛行船の船尾の窓に取り付いているライの姿が目に留まった。
 「ライ!あんた飛行船の後方探したってしょうがないでしょ!」
 「あっ、そっかー!」
 「ったくどいつもこいつも___」
 ソアラは呆れた様子で溜息を付いた。
 「サボってないで探せ〜。」
 そこへやってきたサザビーが彼女の尻を触る。
 「うっさい!」
 「みんな!あった!あそこよ!」
 サザビーに殴りかかろうとしたソアラだったが、フローラの爽やかな声を聞きつけてその動きを止めた。皆は一斉に彼女の元へと集まってきた。
 「どこどこ?」
 「ほら、あれじゃないかしら、山の間が少し開けていて___双眼鏡だと建物が見えるわ。」
 フローラが指さしたのは、比較的なだらかな二つの山の向こうだ。確かに、双眼鏡で覗いてみると、建物らしい四角いものが見えた。バドゥルだという確証はないが、人の息が掛かっているのは間違いない。
 「ジャンルカ!右曲がってくれ、右!」
 「簡単に言うな!」
 飛行船が大きくその進路を変えていく。遠心力が皆の体を揺さぶった。
 「うわっとっとっ。」
 突然の進路変更に、船の上の人物たちもバランスを失っていた。
 「ふぁ〜、なんだよ人が寝てるってのにさ、急に向きを変えはじめたよ。」
 リュキアはまだ眠たそうな目を擦りながら、飛行船の上に胡座をかいた。揺れに動じもしないバルバロッサは、ただ船の進路を睨み付けていた。
 「なにさ、なんか言ってよねまったく。」
 リュキアはむくれて彼の横へと四つん這いで進みはじめた。
 「さっきからなに見てんのよ。」
 リュキアはバルバロッサの視線の先を確かめるようにして睨み付けた。よく見れば、山間になにやら建物のようなものが見える。
 「あ〜、あれが目的地ね。ちょっと先回りっと!?」
 飛び出そうとしたリュキアの片足をバルバロッサが掴んだ。勢いを殺された彼女はそのまま飛行船に引き戻される。
 「慌てるな。」
 「もう、あんたってばさ!」
 リュキアは怒った顔になってバルバロッサの頭を平手で叩いた。

 「なんだあれは___?」
 集落の人々は仕事の手を休めて空を見上げた。奇怪な物体がこちらに迫ってくる。その姿を見た誰もが興味以上の不安に駆られていた。
 「災いか___」
 石造りの建物が並ぶ集落、その中で際立って大きい石のドームがある。そこに隣接する石の家から老人が姿を現した。肌は日に焼けて黒く、細身ではあるがその顔つきは、高貴とカリスマを持ち合わせる。まさに、孤高の民族の長に相応しい貫禄を持った男だ。
 「族長、何でしょうかあれは?」
 「災いの種だ___私が出迎える。右の広場に誘導しろ!」
 飛行船からも集落の様子がうかがえる、周囲を山に囲まれた盆地のような場所に、建物がいくつか並んでいる。中でも一際目を引くのがどうやって作ったのか興味深い石造りの巨大円形ドームだ。
 「見ろよ狼煙だ。古風だねぇ。」
 サザビーは下から沸いてくる煙を見て口笛を吹いた。
 「警戒されているみたいね。」
 「言っておくが、俺はトラブルに巻き込まれるのはゴメンだぞ。」
 「穏便にやってみせるって、外に出るのは俺たちだけでいい。あの狼煙の所に着陸してくれ。」
 「交渉はあたしがやるわ。先に一人で出る。」
 「頼むぞ。」
 ソアラは先に外へのハッチへと向かっていった。

 飛行船はゆっくりと着陸していく。狼煙の横には族長と、数人の屈強な男たちがその様子を見守っていた。
 「我慢していろ。暴れるのはものを破壊してからだ。」
 バルバロッサはゆっくりと、飛行船の上を船尾の方へと滑り出していく。
 「あんたがやるわけ?」
 「おまえには向いていない。」
 バルバロッサは些細な笑みを見せ、船尾から集落の影へと飛び降りていった。
 「へぇ、気の利いた笑顔できんじゃないのさ。」
 リュキアは小さく笑いながら、そのまま寝転がった。
 「降りてきた。狼煙を消せ!___ん?なんだあいつは。」
 族長の回りを固める男たちは、縄ばしごを降りてきたソアラの色に目を奪われた。
 「染め物か?」
 「いいや、瞳までは染められんよ。」
 族長は一歩前へと進み出た。
 「私は族長のリンゲだ。おまえたちは何者だ?」
 「怪しい者ではありません。どうか武器をお納め下さい。」
 日射しが強いが空気は涼やかで、下に比べれば希薄だ。いつもより声色を弱めないと、すぐに息が上がりそうだった。
 「俄に信じがたい言葉だ。我々バドゥルは、この土地に長く住み、己の文化を築き上げてきた民族。他人の干渉を受けることは好まない。」
 ソアラが大地に降り立つ。
 「それについてはお詫びを申し上げるほかありません。ですが我々も志を持ってここへと参りました。話を聞いていただけますか?」
 警戒の視線を解くことは難しそうだ。集落に点在する建物には、窓や入り口の隙間からこちらの様子を恐る恐る伺っている人たちが見えた。
 「黙れ黙れ!よそ者は帰れ!」
 ソアラが一人であると知って、物陰で見ていた青年が飛び出し、彼女に石を投げつけた。それがきっかけで、人々が次々と石を投げつけはじめた。
 「っ___」
 それを避けようとしなかったソアラは、幾らかの石を身体に受けた。一つは頭へと直撃し、紫の髪が内側から赤色に染まっていく。
 「あの野郎!」
 「待て、落ち着くんだ!」
 いても立ってもいられず飛び出そうとした百鬼をサザビーが羽交い締めにする。
 「やめろ、皆の者!」
 族長の一喝で、投石は漸く止んだ。ソアラは身体にも幾らかの傷を作りながら、平静と立ちつくした。
 「我々を脅かしに来たのではないという姿勢は感じられた。しかしまだ信じるわけにはいかん。話を聞こうか?」
 ソアラは鼻筋から目元へと流れてきた血を拭い落とす。
 「こちらには、巨大な女神像がありますか?」
 族長は眉をひそめて、こちらを見据えるソアラから目を逸らすことなく頷いた。
 「あるとも。バドゥルの守り神だ。我々一族は、パトゥの女神を守ることを使命としている。」
 「ここではそう呼ばれているのですね?それを私たちに守らせていただきたいのです。」
 「それは我々の使命だ。よそ者の感知することではない。」
 そう、民族と軍隊は己の慣習、大義に抵触されることを嫌う。だからあたしはポポトルで憎まれ役だった。
 「ホルキンスの長、オウルより受け取った結界があります。それを張らせて頂くだけでいい。」
 「ホルキンス___必要か?」
 「必要です。あなた方では邪悪の手から守りきることはできない。」
 ソアラは視線を強くしてリンゲを見つめ続けた。周囲の者は、侮辱だ!と騒ぎ立てているが今はリンゲと二人だけの時間。他の言葉など聞く耳持たない。そして、恐らくは魔道に才が有るであろうリンゲも、ただ無言でソアラを見つめ続けた。
 「良かろう、その色に免じて信じる。」
 「ぞ、族長!」
 周囲はざわめくが、族長はそれを簡単に制した。
 「仲間を呼びたまえ。女神の元へと案内しよう。」
 「ありがとうございます。」
 ソアラは漸く微笑んで、縄ばしごの上の四人に向かって手招きした。その様子を、寡黙な殺し屋が伺っているとも知らずに。

 石のドームの中は、差し込む日射し以外の明かりがなく薄暗い。空気も外に比べて遙かにひんやりしていた。そしてその中央に聳える女神像。高さは雄に人の身の丈五人分にも至り、面立ちは誰とも言えないが、美しい作りだ。女性的な丸み帯びた体型に、羽衣のような優美な衣服を纏った姿。これが人の手によって作られた彫像だというのだから恐れ入る。
 「これが超龍神の封印と知っているから余計かもしれないけど___なかなかいい迫力ね。」
 ソアラは超龍神を封じ続け、世界を見据える女神の姿に気圧される自分を感じた。
 「そうだな。」
 「宝珠は持ってるかい?」
 サザビーはフローラの胸元を覗き込んで尋ねた。
 「こっちよ。」
 フローラは彼の耳を引っ張って腰のポシェットを見せつけた。
 「事は手っ取り早く済ませます。近づいてもよろしい?」
 「結界を施すものだけだ。」
 「フローラ、できるわね。」
 フローラは緊張の面持ちで頷くとポシェットを開けて朧気に輝く宝珠を取りだした。方法はオウルから教授済み。魔法の腕前がそれなりならば大丈夫とのことだったが、やはりここですんなりうまくいくかどうかは大事なことだ。
 「え?」
 彼女が女神像の御前へと歩み出たその時、フローラが違和感に気づいた。
 「どうしたんだ?」
 百鬼が大きな声を掛ける。するとフローラの目にも違和感が何であるかが分かった。
 「砂___」
 光の加減がある。丁度フローラの居場所でなければ、女神像の腰の辺りからこぼれ落ちる砂には気づかなかっただろう。
 「え?」
 「女神像から砂が___!」
 グラッ___
 「あっ!」
 突然だった、女神像の上半身がせり出してきたのだ。腰に真っ二つの断面を残し、一気にフローラの方へと倒れ込んでくる。
 「こ、これは!?」
 族長も目を疑った。バドゥルの象徴、パトゥの女神は既に腰の辺りで両断されているではないか!
 「ディオプラド!!」
 ソアラの掌から目映い輝きが放たれると、フローラを襲う女神像の上半身に激突し、強烈な爆発を巻き起こす。粉塵はドームの外に向かって一挙に吹き出し、咄嗟に伏せたフローラの上には粉々に砕け散った像の欠片が降り注いだ。
 「な、なんたることだ___!」
 もはや残されたのは女神の下半身と、床に散らばる残骸。バドゥルの者たちはただ呆然とし、震えるしかなかった。
 「___バルバロッサ!」
 「え?」
 最初にその男を見つけたのは唯一の顔見知り、サザビーだった。女神像の断面上に立つその寡黙な男は、一つマントを振るうと目の前の粉塵を振り払った。そして何一つ言葉を発することもなく、断面を蹴った。
 「フローラ!立て!こっちに来るんだ!」
 フローラは慌てて立ち上がって走り出す。バルバロッサは既に彼女の背後に迫っていた。しかし彼の剣が幾ら長かろうとまだ射程距離ではない、それでもバルバロッサは躊躇わずに漆黒の刃を振るった。
 ジュバッ!
 誰もが目を疑った。剣は届いていないのに、その軌跡だけでフローラの背中は大きく切り裂かれ、夥しい鮮血が飛び散った。
 「フローラ!」
 「一人じゃ無理だ!」
 ライが剣を振りかざしてバルバロッサに特攻を駆ける。サザビーと百鬼がそれを援護しようと駆け出し、フローラは倒れ込みながらもソアラの側まで滑り込んだ。
 「フローラ!しっかりしてフローラ!私たちじゃあなたの傷は癒せない___!」
 ソアラはフローラの身を抱き、必死に呼びかける。背中の傷から溢れ出す血液は、彼女の意識を奪い、ソアラの衣服をどんどん赤く染めていく。
 「私が診よう。呪文はできる。」
 そこへ跪いたのはリンゲだった。その時のこと、ソアラの背中から目映い輝きと、土煙が吹きつけてきた。つまりドームの外からである。
 「な、なに!?」
 「そ、外に女が!みんなが襲われています!」
 バドゥルの青年が慌てた様子でドームに駆け込んできた。
 「行ってくれソアラ。この娘は私が預かる。」
 「お願いします___!」
 ソアラはドームの外へと駆け出していった。飛行船はいなくなっている。どうやら素早くどこかへと逃げたようだ。
 「タイミングが絶妙すぎる___完璧につけられていたんだ!くそっ!なんて失態!」
 愚痴もそこそこに、彼女は走りながら鋭利な爪のついた手甲を身につけた。
 「あいつか!」
 その視線の先に捕らえた、派手な格好の女。ミロルグとは違う、同じ魔族でこうも違うかと思わせるほどの好対照な女だ。
 「アハハハハ!逃げろ逃げろ!」
 リュキアは僅かに宙に浮遊しながら、バドゥルの人々を呪文で襲う。そして彼らが逃げ惑うと、徐に弓を引き絞った。素早く放たれた矢は、同じ方向へと逃げていた人々の首を三人まとめて跳ね飛ばし、一瞬にしてその命を奪った。
 「キャハハッ!あたしってば上手〜!」
 リュキアは子供のようにはしゃぎ回る。向かってきた屈強な男の攻撃を回避すると、彼の頭に手を触れて一気に炎を燃え上がらせた。
 「む!」
 しかしすぐさま奇異な力に感を擽られ、彼女は真顔になってクルリと身を翻す。たった今まで自分のいた場所をドラゴフレイムの火炎が通り過ぎていった。
 「きたな!」
 「はああっ!」
 リュキアに破壊された家の瓦礫を蹴飛ばして、ソアラが飛び出した。爪の一撃をリュキアは横に流れて回避する。だがソアラはそれに振られはしない。勢いのまま一回転すると、素早く大地を蹴って今度は生身の拳でリュキアに殴りかかる。
 「プラド。」
 「!」
 だがいち早く放たれた爆発呪文はソアラの懐深くに入り込み、彼女の身体を後方へと吹っ飛ばした。
 「甘いさ、魔族もどき。」
 「そう呼ばれるのは___気に入らないね!」
 ソアラは瓦礫に肘を張って身を起こす。リュキアは余裕の顔で彼女を見ていた。どう料理してやろうか?そんな面持ちで。
 「うおりゃああ!」
 百鬼は片刃の剣を振りかざして、ライの剣を受け止めているバルバロッサに斬りかかった。
 「ふ。」
 「げげ!」
 だがバルバロッサは力任せに剣を振り切ってライをはじき飛ばすと、そのまま百鬼に向かって横凪の一撃を振るう。
 ガギッ!
 百鬼は振りかざしていた剣を身体に引きつけ、素早く漆黒の剣から身を守る。しかしその剣が生み出す衝撃波もまた鋭利。軌跡上の百鬼の腕には裂傷が走り血が弾け飛んだ。
 「抑えてろよ!百鬼!」
 示し合わせたように、ライとサザビーが同時にバルバロッサを襲う。だがバルバロッサは一向に顔色一つ変えず、踏ん張りをきかせる百鬼の身体を蹴飛ばし、素早く振り向いて長剣を寝かせるとまるでフルーレのように構えた。照準は___
 「やばい!ライ!身を守れ!」
 バルバロッサの剣がどす黒い輝くと、暗黒の光線が弾丸のように放たれた。
 「!?」
 避けるには自分に勢いがありすぎた。ライは心臓目がけて放たれた光線を、少しでも逸らして右胸の上に喰らうのがやっとだった。
 「ちっ!」
 サザビーはバルバロッサに槍で突いて掛かる。だがバルバロッサは素早く飛び上がると、剣を真下に向けて、空を突いた槍の上へと飛び降りた。
 「うそ。」
 金属の槍は真っ二つにきり飛ばされた。驚いているのも束の間、次の一太刀をサザビーは必死に首をすくめて回避した。そのままバルバロッサは後ろを振り返りもせず身を屈めると、彼の頭上を百鬼の剣が過ぎ去った。百鬼はバルバロッサに足を払われて転倒する。
 「ウインドビュート!」
 「!?」
 百鬼に斬りつけようとしたバルバロッサの身体が風の鞭に食い止められる。フローラだ。彼女は百鬼とサザビーがバルバロッサから離れたのを確認するとすぐさまライに駆け寄って治療を施しはじめた。
 「フローラ!族長は?」
 「ソアラを手伝うって___」
 ここで一つの間が生じる。ドームの入り口付近に四人。奥にバルバロッサ。
 「強すぎるぜ___こいつ___」
 百鬼は肩で息をしながらバルバロッサを睨み付けた。バルバロッサは相変わらずの無言で、ただこちらを見据えていた。
 「うおおっ!」
 バドゥルの男たちがリュキアに食ってかかった。だがリュキアはそれを飛び上がって回避する。そこに、物陰からの投石が炸裂した。
 「なにさ!そんなもの!」
 「こっちよ!」
 「!?」
 石に気を取られていたリュキアはソアラの接近に気が付かなかった。ソアラは健在だった家の天井からリュキアに飛びかかり、既にその足の裏は彼女の鼻っ面を捕らえていた。リュキアは唾液を弾け飛ばしながら瓦礫だらけの大地に身体を打ち付ける。ソアラもバランスを失って尻餅を付いた。
 「いまだ!かかれ!」
 男たちが付け焼き刃の武器を持ってリュキアに襲い掛かる。だがリュキアは笑みを消し、きつくその目を見開いた。
 「アイスゲート!」
 「!」
 ソアラは息が詰まるのを感じた。飛び散った血液は彼女の元にも弾けたほどだった。リュキアの回りの大地から、槍のように鋭い氷の刃が吹き上がり、彼女を袋叩きにしようとした男たちの身体をことごとく貫いていた。
 「なんてこと___これで何人目よ!」
 「さあ、数えていないからね。」
 「女神像は壊れたのよ!もう目的は済んだでしょ!?」
 「何言ってるんだい、あたしは全滅させるつもりで来たんだよ?」
 リュキアは血の滲んでいる鼻を擦って、目の前で串刺しになっている男を蹴飛ばし、道を開いた。
 「でもあたしは徹底的にあんたを殺したくなったわ。だから、雑魚はこいつに相手をして貰いましょ。」
 リュキアは首にぶら下げた巨大な数珠から、一つ玉を抜き取った。
 「なにをする気だ___」
 ソアラは身構えて様子を伺う。
 「魔封じの玉ってやつ。カーツウェルが作ったのよ。この中にモンスターを封じ込めておく!」
 リュキアが玉を地面に叩きつけると、それは砕けて目映く輝く。目を背けたソアラが次に見たものは___
 「う___嘘でしょ!?」
 さすがに慄然とするしかない。リュキアにとっては使い魔なのかも知れないが、ソアラにとってはこれの方がリュキアよりもよっぽど恐ろしく見える。
 「グォォオオオオッ!」
 突如現れた化け物。その雄叫びは山間の集落中を震え上がらせる。鋼の肉体は固い表皮で覆われ、その腹部はきめの細かい鱗が覆う。両の手足は鋭い爪と共に大地を捉え、大木以上に太い尾は一振りで岩を砕く。大きく裂けた長い口を開けば、綺麗に並んだ鋭い歯。そして舌の奥底には炎の燻りがちらつく。黄金の鋭い眼、固く伸びた角、背鰭は頸椎のはじめから尾椎のおわりまで続く。それはまさしく___!
 「ドラゴン___!」
 「グァオオオォ!」
 再び上げた雄叫び。ソアラは全身に震えを走らせた。超龍神のような空を舞うタイプではなく四つん這いで歩くタイプだが、これを相手にするというのはなかなか覚悟がいる。
 「きちゃうの?___本物のドラゴンブレス!」
 ドラゴンがこちらに向けて大口を開け、その奥では火炎の輝きが揺らめいている。そして一気に!
 「きたぁっ!」
 火炎が吹き荒れた。ソアラは必死に横に飛ぶが、ドラゴンは尚も首を捻って炎で彼女を追い立てる。
 「長いよっ!息が続くまでってわけ!?」
 ソアラは必死にドラゴンの後方へ回ろうと駆けた。しかしその瞬間今度は目前から丸太のような尾が撓って彼女を襲う。
 「くっ!」
 ソアラは必死に飛び上がり、尾は彼女の足下を過ぎ去っていく。だが行ったからには逆もある、降り立った彼女を背後からまた尾が襲った。しかし巧みに後方に宙返りするとすると、靡いた鰭に手を突いて巧みに後方へと飛んだ。
 「そう簡単に___っ!?」
 だが敵はドラゴンだけではない。彼女を殺すと言っていた張本人の手から放たれた矢は、ソアラの片足を深々と貫いていた。
 「うくぁっ!」
 そのまま大地に倒れ込んだソアラは、その際に突き刺さった矢を打ち付け、足には尋常でない痛みが走った。それでも起きあがろうとした彼女の顔面を、乱雑に小さな足が踏みつけた。
 「寝てなさいよ、あんた。」
 リュキアはソアラを見下ろしてニッコリと微笑む。既に弓は目一杯に引き絞られ、鏃はソアラの心臓を向いていた。
 「___は。」
 「ん?なんか言ったかしら?」
 ソアラがなにやら呟いたのを聞きつけ、リュキアは尖った耳を小さく動かしながら尋ねた。
 「あんたの名前は___」
 「あたしの?聞いてどうするのさ___」
 「知っておきたいだけさ。女に踏まれるっての___嫌なもんだからね___」
 「!?」
 突如横から風の球体がリュキアを襲う。リュキアは前屈みになってそれをやり過ごし、彼女の束ねた髪が少しだけ風の刃に食われた。
 「うわっ!?」
 その隙にソアラはリュキアの足を払い、素早く起きあがると足に刺さった矢を抜きさって、リュキア目がけて投げつけた。
 「このっ!」
 矢はリュキアの頬を掠め、リュキアは怒りを込めてソアラに向かって矢を放った。しかし間合いを読んだソアラは、右手のクローで巧みにそれを払いのけた。
 「はあっ!」
 ソアラはプラドをリュキアの頭上に放って牽制を駆け一気に間合いを詰めると、呆気にとられてがら空きになった彼女の腹部に左の拳をたたき込んだ。矢を払い落とした衝撃で右腕が痺れ、クローを使えなかったのは誤算だったが手応えのある一撃。
 「うがっ!」
 リュキアは苦痛に顔を歪めながらもソアラの脛を蹴飛ばし、それが貫かれた腿の傷を刺激して彼女を退かせる。
 「畜生!どこのどいつだ!邪魔したのは!」
 リュキアはシザースボールが飛んできた方向を睨み付ける。そこには手に魔力を満たした族長と、生き残ったバドゥルの猛者たちがドラゴン相手に苦闘していた。
 「族長!逃げて下さい!」
 「我々に構うな!女神を脅かす者と戦うのが我々の使命だ!」
 そんなもののために!大体女神はもうここにはいないじゃないか!
 屈強な男たちがドラゴンに殴りつけても、ドラゴンの皮膚はビクともしない。見かねたソアラはドラゴンに向かって一気に駆けだした。
 「まちなよ!あんたの相手は___!」
 リュキアは声を張り上げたが、ソアラが無視してドラゴンにクローで斬りかかったのを見て、大きな舌打ちをした。
 「このっ!」
 渾身の力を込めて、ソアラはドラゴンの横腹にクローを振るった。だがクローは鈍い音を立て、ドラゴンの皮膚に食い込みもしない。そればかりか、衝撃がそのまま腕に返ってきて、手首に押しつぶされるような痛みが走った。
 「くぅぅ!」
 ソアラは右腕を抱えて呻きを上げる。
 (駄目だ___別の方法を考えないと、あたしの腕が先に壊れる___!)
 そんな思索も束の間。
 「ぐああっ!」
 バドゥルの猛者が悲鳴を上げて倒れた。彼の左胸にはリュキアの矢が突き刺さっている。
 「こいつらが気になるならあたしが殺してやるわ。」
 リュキアは小悪魔的な笑みを浮かべながら、次の矢を矢筒から抜き取る。
 「この!」
 「シザースボール!」
 リンゲがリュキアに向かって風の刃を放った。だがその時、まとわりつく猛者たちを振り切ったドラゴンが、彼に食い掛かろうと大口を開けて迫った。
 助けなければ!ソアラは両手をドラゴンの横腹に宛うと、あらん限りの魔力を賭すつもりで叫んだ。髪がフワリ舞い上がる。
 「ディオプラド!!」
 ドゴォォォッ!!
 どの呪文でもそう。弾丸と同じで発射口に近いほどその威力は増大する。今のソアラにできる最高の呪文は、ドラゴンの脇腹に深く抉り混み、ドラゴンは仰け反るように天を仰いで悲鳴を上げた。
 「効いてる!う___」
 ドラゴンは腹から緑色の血液をぶちまけながら喘ぎ回った。ソアラは確信の笑みを見せたが、魔力の浪費で一瞬意識が遠のいて片膝を突いてしまう。
 「いただき!」
 その隙を見計らってリュキアが矢を放つ。
 「あら?」
 だが暴れるドラゴンがソアラを突き飛ばし、矢はドラゴンの傷口に深く突き刺さってしまった。
 「あちゃーっ。」
 リュキアは額に手を当てて顔をしかめた。
 「く___このままじゃドラゴンが暴れ狂う___」
 ソアラは身体を突っ張って立ち上がるが、リュキアに射抜かれた足ががくがくと震えて力が入らない。
 「リンゲさん___!」
 そんな中、リンゲが一人悠然とドラゴンの前に立ちつくしている。まったく微動だにしない彼の考えがソアラには理解できなかった。
 「なにしているんです族長!逃げて!」
 「逃げられん!族長たる者、どんなときも背は向けられぬ!そして民のために先頭に立って戦い、死すら恐れぬ者だ!」
 ガズッ!!
 リンゲはドラゴンに向かって真っ正面から両手を突き出し、ドラゴンは狂ったようにその両腕に食らいついた。手は、竜の口の中に。腕は一本は千切れたが、もう一本は歯の隙間をかいくぐって繋がっていた。
 「ディオプラド!!」
 リンゲが叫んだ。そして同時にドラゴンの口が破裂した。凄まじい爆発はドラゴンの身体を内側から引き破り、皮膚が裂けて大量の血と肉が弾け飛んだ。そして同時に、己が巻き起こした爆発にリンゲも吹き飛ばされ、両腕のない彼の身体は瓦礫にめり込むほど強く激突した。
 「___なんてこと___!」
 ドラゴンの体はまるで酸でも浴びたかのように溶けはじめ、やがて蒸気のようになって消えていく。
 「自分を犠牲にして___!」
 「チッ___やられちゃったか、役立たず。」
 「リュキア!」
 ドラゴンの骸の横におり立って、剥き出しになった骨をカツンと蹴飛ばすリュキア。生き物の死になにも感ずるものがないこの女を見ていると、ソアラの感情は異常なほどに高ぶった。
 「このおぉぉっ!」
 「ふんっ。」
 真っ直ぐ向かってきたソアラを迎撃しようとリュキアは矢筒に手を伸ばす。
 「あら?」
 だが筒の中身はすっかり空っぽ。矢は使い切ってしまっていた。
 「しまった___!」
 足の痛みも忘れ、全速力で迫るソアラは既にリュキアの懐に入り込んでいた。
 ズバシュッ!
 リュキアの顔が苦痛に歪み、その口元から大量の血が弾く。目を酷く見開いたリュキアの腹にはソアラのクローが食い込んでいた。
 「く___!」
 リュキアは必死の形相でソアラを突き飛ばした。爪が腹から抜けると血が溢れ出す。リュキアは腹を押さえてよろめいた。
 「よくも___」
 そして血に濡れた顔でソアラを睨み付けた。その形相にソアラはゾッとした。
 「おまえは絶対にあたしが殺してやる___!」
 リュキアは大地に向かって爆発呪文を放った。大量の粉塵が巻き上がり、ソアラは目を覆った。
 「気配が消えた___」
 粉塵が消えないうちに、ソアラにはリュキアがいなくなったことが分かった。
 そして同時に___
 「ぐあああ___!」
 片手で百鬼の首を掴んで持ち上げているバルバロッサ。既に回りには、ライが、サザビーが、フローラが血塗れで倒れていた。だが息はある。理由はバルバロッサが残りの均整の場所を聞き出そうとしていたからだ。
 「ちっ___」
 バルバロッサは外の異変に感づき、舌打ちした。
 「リュキアめ、しくじったか。」
 そして百鬼を乱雑に投げ捨てると、侵入に使用した女神像裏手の窓へと駆けていった。
 「行ったか___」
 床に突っ伏したままのサザビーは、掠れきった声で呟いた。
 バドゥルで遭遇した二人の殺人鬼。その圧倒的な悪魔がもたらした結果は、あまりにもに凄惨であった。




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