2 その名はホルキンス

 カーウェンを去り、幌馬車を走らせること十数日。カルラーンはもはや目と鼻の先までに近づいていた。
 「あ、ほらほら、カルラーンが見えてきた!」
 相変わらず御者役のライは、カルラーンの姿が目に入るとはしゃいで手綱を弾ませた。混乱した馬の歩調が乱れ、馬車の速度が少し上がる。
 「おいおい、落ち着けよ。」
 サザビーが幌から顔を出した。正面にカルラーン城が見える。相変わらず平原の真ん中に立つ、城壁以外は無防備な都市だ。
 「あん?」
 サザビーが眉間に皺を寄せ、目を凝らし、カルラーンを睨み付けた。
 「どうしたのさ。」
 「ありゃ何だ___?」
 サザビーは御者席から馬の尻に手を掛けて身を乗り出した。
 「カルラーンじゃん。」
 「違うその先だ。城壁の向こう___待てよ、あの色と形、大きさ___」
 カルラーンの城壁の端から、赤く尖ったものが飛び出して見えた。これだけ遠くから確認できるのだ、相当の大きさ。もう暫く近づくとそれがなんなのか、はっきりと確認できた。
 「間違いない、あれはベルグランだ!」
 「ベ、ベルグラン!?」
 馬車は時折、街道沿いを進む旅人を追い越す。丁度この時も、一人の旅人を追い越していった。
 「ん?」
 旅人は不意に、自分を追い越していった馬車の後ろ姿に目をやった。その時、幌の縁にいたフローラが立ち上がって、御者席の方へ向かおうとしていた。旅人は彼女の顔を一目見て、顔色を変えた。
 「フ、フローラ!」
 そして慌てて走り出し、馬車を追いかけはじめた。風を受けて、日射しから頭部を守るために被っていたフードが捲れ上がり、茶色い髪と、額に巻いたバンダナの端が靡いた。
 「ま、待ってくれ〜!」
 百鬼は、もはや必死の形相だった。
 「本当にベルグランだ___でもどうしてカルラーンに?」
 ライは不思議そうに呟いた。はやる気持ちで自然と馬車の速度が早まる。
 「いても不思議じゃない。ケルベロスも各国の友好国の一つだからな。怪しい化け物が増ている世の中だ。船でグルッと回るくらいなら、空を一直線に来た方が早いし安全だろ。」
 「すると___誰か要人がカルラーンを訪れているということ?」
 「だろうな。」
 フローラは口を結び、一つ唾を飲み込んだ。
 フュミレイかも知れない。そう思ったことで走った緊張のためだった。
 次に会ったときには問いたださなければ。アレックスとソアラを殺めた事実を。
 「ぉ〜ぃ___」
 「?」
 騒々しい蹄の音と車輪の音に紛れる中、男の呼び声に最初に気が付いたのはフローラだった。
 「フローラ!待ってくれ!フローラぁっ!」
 百鬼は猛ダッシュのせいで息苦しい中、必死に叫んだ。声を張り上げるとその分、足の回転が鈍って馬車から離されそうになる。
 「あっ!」
 フローラは馬車の後方に顔を覗かせて辺りを見回し、必死になって追いかけてくる大柄な男を見つけて思わず大口を開けた。
 「と、止まって止まって!百鬼よ!」
 「何だって?ライ!馬を止めろ!」
 ライは慌てて手綱を引いた。馬たちは突然のことに驚いて、暴れながら急停止し馬車が激しく揺れた。百鬼も、こちらに気づいてくれていたフローラが、突然姿を消したので驚いたことだろう。いや、単に転倒しただけだが。
 「いやぁ、追い抜かれた馬車になんだか見たことある顔がいると思ってさ___はひぃ〜、必死に追いかけてきたって訳よ。」
 走りっぱなしで息も絶え絶え。百鬼は馬車に乗り込むなり上半身裸になって、汗の染み込んだ服を幌の支柱に引っかけた。
 「しかし運が良かったな、こうしてたまたまで会えるなんて。」
 「だよな。それにしてもあんたも一緒だとは思わなかったなあ。」
 百鬼はサザビーを物珍しそうに見て、ニコニコ笑っていた。
 「うー、あちぃ!」
 確かに日が照っていて気温もそれなりに高い。しかし百鬼がいるとそれだけで辺りの気温が上昇しそうだ。
 「水浴びでもしたいくらいだ!」
 バンダナを外して髪をかきむしる。
 「うわっ!汗が飛ぶ!」
 「あっ、わ、わりい。」
 「相変わらずみたいね。」
 フローラは百鬼にタオルを手渡した。
 「デリカシーがないって怒られるな。」
 「それにしても、おまえはどの辺に飛ばされたんだ?」
 「俺が飛ばされたのはカーウェンの西。ザルツァ山脈の麓さ。親切な木こりが介抱してくれてたんだ。それからはずっと足を使って旅していた。みんなは?」
 足で一歩一歩進む辺りが彼らしいといえばらしい。策を弄して乗り物を手に入れる暇があったら、今できることをやる、という気持ちの表れだ。
 「俺とライはマールオーロだ。フローラとはクーザーで合流した。」
 「色々と大変なことがあったのよね。」
 「大変なこと?」
 「まあ色々とな。」
 サザビーは己の指にある風のリングを示してみせた。
 「あ、それ新しいリングか!」
 「それにしてもカルラーンに向かって良かったわ。こうしてまた、みんなが集まることができたんだもの。」
 フローラは久しぶりにかつてのメンバーが揃ったことが嬉しくて、笑顔が絶えない。
 「大したもんだな。おまえら揃いも揃ってカルラーンだ。」
 「いや、俺はカルラーンを目指していたわけじゃないんだ。」
 「え?」
 フローラはキョトンとして聞き返した。
 「勿論カルラーンにも寄るつもりではいた。ただ、それはデイルさんと話がしたかったんだ。あの人、物知りだからさ。」
 「何か___突き動かされる謎があるんだな?」
 そう、彼には何となくカルラーンに行くのではなく、別の、もっと明確な目的地があるのだ。
 「こいつさ。」
 百鬼は外したバンダナをほどくと、その中から朱に燃えるリングが転がった。
 「炎のリング___?」
 百鬼はリングをつまみ上げ、今までの緩んだ眼差しを一転させて、真剣に語りだした。
 「俺は前々からこいつをバンダナの中に入れていた。だから、こいつも俺と一緒にすっ飛ばされた。俺も最初は、カルラーンに行こうと思っていた。この炎のリングの発する熱に気が付くまではな。」
 「熱?」
 「日射しの下だと分かりにくいが、こいつは時々ぼんやり輝く。俺の意志に関係なくな。そして輝いているときは、結構な熱を持っているんだ。ある日のことさ、宿で休んでいるとき、時々妙な反応をするこいつが気になって、俺はベッドの上でこいつを覗き込んでいたんだ。ただそうしているうちに眠くなって寝ちまった。リングはシーツの上。」
 百鬼はさっきまで自分が使っていたタオルを広げると、リングをその上に転がした。
 「目が覚めたら驚いたぜ。シーツが焦げ付いていたんだから。」
 「寝煙草同然か。」
 「ただ、その焦げ方が普通じゃなかった。」
 「あっ!」
 フローラは炎のリングを指さした。タオルの上に置かれた炎のリングが急に輝きだしたのだ。そして、その赤き宝玉から、光の筋を幾重にも伸ばすと、白いタオルに焦げ跡を作り、何かの形を焼き付けていく。
 「地図___か!」
 「そうさ。」
 リングの輝きが失せていく。百鬼は素早くそれを拾い上げると、再び広げたバンダナの中央に放り込んだ。残された白いタオルには、焦げ跡で、大陸の形らしきものが浮かび上がり、丁度炎のリングがあった場所の真下に、ばつ印が刻まれていた。
 「凄い___これってこの辺りの地図じゃないかしら?」
 「そう。俺もそれに気づいたんだ。印の位置は、この大陸の東南端さ。」
 「東南端___ホルキンスか。」
 サザビーの簡単な答えを聞いて、百鬼はしばし呆然としてしまった。
 「はい?」
 「ホルキンスだよそこは。」
 「知ってんのか!?凄いな!」
 「結構有名だぜ。それよりもだ___」
 サザビーは地図が浮き上がったタオルを取り上げて、まじまじと眺めた。
 「こいつは念写だぞ。」
 「念写?」
 「アモンに聞いたことがある。強い魔道の伝達性のある物体を通じて、離れた場所から魔力に念を載せて送るんだ。勿論簡単じゃない。強い伝達性のある物質、しかも似た性質のものが二つ必要なんだ。送る側に一つ、受ける側に一つ。」
 サザビーは指を二本立てて、百鬼に視線を送った。百鬼は把握し切れていないようで、口をぽかんと開けている。
 「どういうことだ?なんだか良く分からない。」
 「つまりこういうことさ。炎のリングに念を送るのであれば、幾ら優れた魔力の持ち主でも、炎のリングに似たものが必要。つまり、別の六つのリングさ。」
 百鬼はハッとする。
 「それじゃあ___ホルキンスって言うところにリングがある!」
 「そう。しかもそれは魔法を操れる人間が握っていて、炎のリングの持ち主に自分のことを教えようとしている。」
 「呼んでいる___」
 百鬼の呟きにサザビーは頷いた。
 「ねえ、みんなぁ。」
 実はつい先程から馬車が止まっている。すでに馬車はカルラーン城下への入り口がある、大門の前まで辿り着いていた。外で幾らか話し声も聞こえたが、三人は百鬼の持ち込んだ話題に夢中だった。そんな中、不意にライが御者席から幌の方へと顔を覗かせる。
 「ケルベロスの王様が来ているから、カルラーンに入るのには厳しい審査が必要なんだって。僕らじゃちょっと見込み薄いらしいよ。」
 ライは浮かない顔で首をすくめながら言った。
 「それならカルラーンはすっ飛ばして、一気にホルキンスだ!」
 百鬼は立ち上がって、力瘤を作りながら言った。
 「ただホルキンスは人跡未踏の土地だ。簡単じゃないぜ。」
 「そうはいっても魔法使いがいるんだろ?誰かが住んでるんなら、俺たちにだって行けるはずさ!」
 謹厳実直な答えに、サザビーは失笑を浮かべて煙草に火を灯した。
 「ちげえねえや。ライ変われ。俺が手綱を取る。」
 四人になった彼らに、一つ明確な目的地ができた。
 その名はホルキンス!




前へ / 次へ