1 カーウェン再び!あいつも再び?

 ライ、サザビー、フローラがクーザーを発ったのはあの戦いから八日後のこと。夕べはゼルナスの即位式が行われ、再び女王を取り戻したクーザーは活気に満ちあふれた。ゼルナスは現在の立場、そして今後への戸惑いも口にしていたがそれは彼女のこと、すぐにクーザーのキャプテンとなることだろう。
 「いやぁ、裕福な旅っていいねぇ。」
 幌馬車に揺られて進む道。二頭引きの手綱を取るライはニコニコ顔だった。
 「それもこれも、ゼルナスがクーザーの女王だからだぜ。まあ元はと言えば、俺がマールオーロであいつに目を付けたんだがなぁ。」
 幌から顔を出してサザビーはカラカラと笑った。
 「はいはい。それはいいから、フローラに変なことしないでよ。」
 「ああ、しないしない。」
 そう言ってサザビーはまた幌の中へと戻った。
 「さぁ、フローラちゃん、お兄さんといいことして遊ぼうねぇ。」
 「きゃ〜。」
 まったく、言ったそばから___徐にライは手綱を引き締めた。途端に馬はピタッと足踏みをやめ、馬車は急停止した。
 ゴンッ!
 幌の向こうで鈍い音がした。
 「いって〜!」
 「きゃっ!ちょっとどさくさに紛れてなにするの!」
 ポカッ。今度は頭でも叩かれたらしい音。
 どうやらかえって逆効果だったらしい。
 「ねえ、今度は手綱を変わってあげたほうがいいんじゃないの?」
 フローラは苦笑いで御者席の方を見た。
 「いいのいいの、任しておけばさ。」
 サザビーはフローラの肩を抱きながら煙草を吹かし、笑った。実は先程からライばかりが手綱を取っている。御者役を誰にするのか、とあるゲームを使って決めているのだが、サザビーが必勝法を知っているためにいつも決まってライが負けてしまうというわけだ。
 「ところでフローラ。」
 フローラはナイフを使って手早く林檎の皮を剥いていく。
 「はい、林檎。」
 「おうサンキュ。」
 サザビーは林檎を一切れ口の中に放りこんでもらった。
 「フローラ、僕も僕も。」
 「はいはい、あーん。」
 幌の中に顔を突っ込んできてだらしなく口を開けたライに、フローラはニコニコ顔で林檎を食べさせた。
 「って、おまえ手綱は?」
 「あ、いけねっ。」
 ガゴッ!
 車輪が石に乗り上げて馬車が上下に激しく揺れた。ライが舌を噛んだのは言うまでもない。
 「林檎が血の味しかしな〜い。」
 「黙って食ってろ。」
 「ところで、さっき何を話そうとしていたの?」
 林檎を囓りながらフローラが尋ねた。
 「ああ、そうだ。」
 サザビーはフローラの手から、林檎をもう一切れ受け取る。
 「ミスティ・リジェートって誰なんだ?」
 フローラの動作が止まった。
 「ああ___それね。」
 浮かない顔になってまた林檎を囓る。
 「おまえが一時的に記憶を失っていたのは確かだ。でもその時におまえが名乗っていたミスティという名前。ただ思いつきの名前じゃないだろ?」
 「あまり___話したくないわ。」
 フローラは俯き加減になって答えた。
 「少しもか___?」
 「___」
 フローラは黙り込んでしまう。
 「分かったよ、無理には聞かない。」
 「ごめんね___自分でも整理がつかない状態だから___」
 フローラはサザビーにペコリと頭を下げた。
 「フローラ、ライのところに行ってやれよ。俺はちょっと一眠りするわ。」
 「え?そう。それなら___」
 フローラは幌を潜って御者席の方へ。
 「ライ、替わるよ。」
 「いいよ、僕がやるから。」
 「なら隣いい?」
 「うんっ。」
 気のいい会話を聞いて、サザビーは小さな笑みを見せた。煙草の火を消すと、一人になって広々とした馬車に寝ころんだ。
 「ハイラルドにリジェートか___どこかで聞いたことがあるような気がするんだが___」
 暫くの間はフローラのことを考えていたが、揺れに身を任せているうちに、すっかりと眠ってしまっていた。結局その日以来、二人は特にフローラにミスティのことを問うことはせず、三日目には、馬車はカーウェンへと辿り着いていた。
 「またここに帰ってきたのね。」
 「本当、スタートラインって感じだね。」
 今となっては懐かしいカーウェンの外壁を眺めて、ライとフローラはにこやかに語った。
 「馬を休ませなきゃならないからな、今日はここで一泊していこう。」
 と、サザビー。
 「あっ、それならさ、僕ちょっと行ってきたいところがあるんだけど。」
 「あ、もしかして。」
 「そう、白竜軍のカーウェン小隊さ。」
 ライは素早く馬車から飛び降りた。
 「そこの先に見える宿をとっておくから、用が済んだらあそこに帰って来いよ。」
 「オッケー。」
 ライは二人に手を振って、足取りも軽く走り去っていった。
 「大丈夫かしら___」
 「さあ、わからん。」
 それは勿論、彼がこの宿を覚えていられるか、そして迷わずに辿り着けるのかということ。
 「さて、宿も取れたし、馬も預けた。俺たちは消耗品の買い出しにでも行って来るか。」 「そうね。」
 そしてサザビーとフローラもカーウェンの街に繰り出していった。
 「あのー、これって白竜軍ですか?」
 かつて白竜軍のカーウェン小隊が駐屯していた場所にやってきて、入り口に立つ門番にライは尋ねた。門に掲げられた看板を指さしながら。
 そこに書かれていた文字は___
 「いや、今は白竜自警団だ。白竜軍は解散されたのだ、知らないのか?」
 「解散!?」
 ライは驚いて声を裏返していた。
 「あ、あの、僕もと白竜軍の兵士で、ここに所属していたことがあるんです。ギュッター・マイア大隊長とお話がしたいなぁと思ってきたんですけど___」
 「団長か?う〜む、戦場ではぐれた口だな___おまえ、名前は何という?」
 「ライデルアベリア・フレイザーです。」
 ライは躊躇い無く本名を告げた。

 「いや、また君と会うことができて嬉しく思いますぞ。ライ。いや、ライデルアベリアと呼ぶべきかな?」
 白い髭を蓄えた紳士、ギュター・マイアはライを笑顔で出迎えてくれた。
 「いえ、ライのほうが良いです。」
 「しかしお父上は残念でしたな___まだ亡くなるには若すぎる。私のような老いぼれが先に行くべきなのに。おお、そう言えば、あの二人はどうしましたかな?ソアラとそれにフローラは。」
 「ああ、フローラは今この街に一緒にいます___でもソアラは___」
 ライはソアラがアレックスと共に朽ち果てたことをマイアに伝えた。ソアラ・バイオレットの死についてはその情報は白竜に伝わっていなかったようである。
 「なんとまことか___あの娘が___」
 マイアも耳を疑っている。
 「遺体は___?」
 「わけあって___消えてしまいました。」
 「消えた?」
 マイアは眉間に皺を寄せた。そして思い立ったように机の引き出しを開けると、中から細長い木箱を取りだした。
 「?」
 マイアが蓋を開けた箱は、ライには空っぽに見えた。だが彼は確かに糸のようなものを取り上げていた。
 「ご覧なさい。これはソアラ・バイオレットの髪の毛。」
 淡い紫色に見える彼女の髪も、こうして一本だけになると白っぽく見える。窓から射し込む日の光を受けると、それは眩しいほどにキラキラと輝いていた。
 「髪は人の歩んできた道筋を映し出すという。失恋した娘が髪を切り落とすのも、髪に刻まれた愛した男との過去を消すため。かつて存在した元服の儀式も、幼少に別れを告げ、大人に生まれ変わるために髪を切った。」
 マイアはソアラの髪の毛の両端を取って、少し強く引いてみた。
 「そして髪は、抜け落ちようとも人と命の繋がったもの。ソアラの命あるうちは、この髪もまた生き続ける。ご覧なさい、この強さを。」
 「大隊長___」
 マイアは細い目を更に細くして微笑んだ。
 「信じることも大事ではないのかな?遺体がないのであれば、まだ彼女が死んだと決まったわけではあるまい___消える瞬間を見たわけではないのだろう?」
 「それは___そうです。」
 「なら信じるのですな。私はソアラが死んだなど、到底信じませんぞ。ホッホッホッ。」
 数多くの経験を積んできた老師の言葉はライを勇気づけた。単純な性格のライだからこそ、余計にソアラの生に対して希望を抱けた。
 「ありがとうございます大隊長。僕もなんだか信じてみる気になってきました!」
 そう、ソアラは死んだのだろう。でも、生きていると思ってみるのもいいかも知れない。そう思うのは勝手なことだから。
 「ああ、ライ。もう私は大隊長ではないのです。白竜自警団カーウェン支部団長。」
 「ああ、そうでした。そのなんなんです?白竜自警団って。」
 世界はここ暫くのうちに、随分とその状況を変えたようなのである。
 「これこれ、これが欲しかったんだよ、軍事新聞。」
 「軍事新聞?」
 買い物の途中にカフェに入り、サザビーは買ってきた新聞を広げはじめた。
 「知らないのか?世界の軍部の事情について、公表されている限りについてまとめた新聞さ。なぁに、一般紙でもいいんだが、こっちの方が一ヶ月に一回の発行だからな。一月分の情報をまとめて仕入れられる。まさに今の俺たちにはうってつけだろ?」
 さて、世界はどう変わったのか、ここで少し説明をしておきましょう。
 まず、ポポトルが滅亡し、これが世界に伝播されてから三日後、ケルベロスと白竜軍の間で首脳会談が行われ、一つの条約が締結された。
 「世界恒久平和条約?」
 「つまりもう戦争はしません。侵略行為は致しませんということですな。」
 マイアはわかりやすくかみ砕いて話した。
 この条約はすなわち、ケルベロスが侵略行為の一切を放棄すると言うことであり、結果として白竜軍は存在意義を失う。
 「アイザック・グロースタークはアレックスの葬儀の席で、自らの退陣と、白竜軍の解散を宣言したそうだ。」
 「ケルベロスが不可侵に賛同した、それに対する誠意というところね。」
 「そうだが___果たしてどうかな。葬儀の後にインタビューに応じたハウンゼンの言葉がある。」
 ハウンゼンはアレックス殺しの計画に関わっていたであろう男だ。
 「アレックス氏はポポトルの凶弾に倒れたが、彼は命を賭して、ケルベロスと白竜軍の友好を築いてくれた。今この条約が締結されたのは、まさに彼の尽力の賜であり、我々もこれに答えることこそが人道なのであります。だとさ。」
 「よく言うわ___」
 人道を外れた策略を巡らせながら、人道を口にするハウンゼンに、フローラはあからさまな嫌悪を示した。彼女にしては珍しいことだ。
 「本当に。反吐が出るな。」
 「真実は違うのに___」
 だが暴露するわけにもいかない。せっかくの条約が破綻してしまうだろう。ケルベロス側のみならず、白竜側も、条約を守るために正義を犠牲にする。
 「ベルグランの武装解除はまだだそうだ。」
 「___いつまで我慢しているかしら?」
 つまりケルベロスがいつ頃まで条約を守り続けるか?ということ。
 「さあ、そう遠い未来じゃないだろう。白竜の弱体化がはっきりして、内部の事情が整ったらだ。」
 白竜軍は解散した。しかし、世界各地では、戦争の名残ともいえる小さな紛争があり、ポポトル本土を離れていた残党兵たちの存在も見逃せない。そこで、白竜軍の息の掛かった各都市では、白竜自警団と名称を変更し、武装も簡略化された元白竜兵が在駐することとなった。いわば警察組織である。
 「最近になって、凶暴化した動物、或いは化け物じみた変態を遂げた動物の姿が各地で確認されている。我々はその対応も行っているのですよ。」
 それは超龍神の影響だ。だがライはそのことはマイアには話さなかった。超龍神のことをあまり軽々しく話すのは、方々に悪い影響を与える可能性がある。そうサザビーに諭されていたから。
 「うぅ〜。」
 関わりを持つべきでない人が、超龍神を悪戯に詮索するのは、魔族たちのターゲットを増やすことになりかねない。伝えるならば、せめて魔族と戦える人々だけに留めるべきである。
 「おそいぃ、いつになったら出てきやがるんだぁ?」
 そう例えば、物陰から自警団の入り口を見つめる輩。この語尾に癖のある輩とまともに戦えるくらいの人でなければ。
 「そう言えば、ワットはいますか?もう懲罰期間も解けたでしょう?」
 「ああ、彼は白竜軍の解散と同時に除隊してしまったよ。ただ、まだこのカーウェンにいるという話を聞いたことがありますぞ。」
 「そうですか___あ、今日は色々とありがとうございました。」
 「私が生きているうちに、もう一度会えると良いですな。」
 マイアは立ち上がり、ライと握手を交わした。マイアの大きくて固い掌はとても暖かく、ライは心が穏やかになると同時に、希望の息吹の忠魂を感じていた。

 「おぉ、出てきやがったなぁ!」
 全身に布を纏った巨大な男は、満を持して物陰から飛び出した。
 「待ちやがれぇ!」
 大男は両手を広げライの前に立ちはだかった。
 「あぁ、あれぇ?うおっ!」
 ところがライは、彼が立ちはだかったとのとは逆の方向に、少し小走りで駆けていってしまっていた。
 「ま、まてぇ!まってくれぇ!」
 大男は慌ててそれを追いかけていった。
 「え〜っと、どこだったっけなぁ?」
 後ろから追いかけてくる男がいるなどつゆ知らず、ライは市街地を歩き回りはじめた。宿屋に帰ってくるように言われていたはずだが___確か街の入り口に近かったような気がする。
 「ま、いいや、適当に歩いてたらサザビーたちと会えるかも知れないし。」
 相変わらず気楽な男だ。
 「ん?」
 そんなライが過ぎ去っていくのを、一人の男が目に留めていた。
 「あいつは___」
 目深にに被っていた帽子の鍔を少し上げ、去っていくライの後ろ姿を暫く眺め続けていた。
 「ま、待てってばぁ___」
 そのライを追いかけて奇妙な大男も走り去っていく。
 「な、なんなんだありゃ___?」
 男は帽子の鍔に手を掛けた。
 「しかしあれは___ライだった。」
 男もまたライを追いかけはじめた。彼が肩から掛けているバックの口からは紙の束が覗いていた。
 「なあフローラ___」
 サザビーは聞くか聞くまいか迷っていた。だが宿に戻ってきて、する事もなく部屋で二人でいるうちに、思い切ってみるかと考えはじめていた。
 「なあに?」
 フローラはコーヒーを入れてサザビーの元へと運んできた。
 「アラン・ハイラルドを知っているか?」
 「!」
 ガタッ!
 一瞬の震えが、テーブルに置かれようとしていたカップを揺らした。フローラは硬直して一点を見つめていた。
 「気が付いたの?」
 「さっきの新聞を見ていて気が付いた。武器商人、アラン・ハイラルド。北方、ケルベロスとソードルセイドの国境付近に自分の所轄領さえも持つ大商人だ。」
 サザビーはフローラの手を取って、向かいの椅子へと促した。
 「俺も詳しい話は知らないが、そこは権力者の邸宅がある閑静な街で、このハイラルド家と、同じく武器商人のリジェート家がその中心だったらしい。」
 フローラは暫く俯いていて、サザビーと目を合わせようとはしなかった。
 「フローラ・ハイラルドとミスティ・リジェート。訳ありだな、おまえ。」
 「私も___知らないのよ。」
 フローラは一つ溜息を付き、暗い面持ちで語りだした。
 「私は両親の顔は見たことないもの。そして私の両親が誰かだって___分からないわ。」
 「分からないって?おまえはハイラルドだろ?アラン・ハイラルドの娘じゃないのか?」
 「確かに私の名前はフローラ・ハイラルドよ。でも、フローラ・ハイラルドがハイラルドの娘だとは限らないのよ。」
 フローラは顔色を変えようとはしない。サザビーも冗談を言うなどとは考えなかった。これから彼女が語ろうとしていることは、彼女にとって重い告白だ。
 「私の名前はポポトルの教会の神父様によって決められたわ。私の名前は二つあった、フローラ・ハイラルド、それに、ミスティ・リジェートよ。」
 「例のミスティか。」
 「そう。私が神父様にそれを告げられたのは、フローラとして十二年間過ごしてきた後、ポポトル軍に入る前の日のことだったわ。」
 ___
 その日も、私は日課にしていた礼拝のため、教会を訪れていた。私はそこの神父様や、シスターたちとも親しくて、よく一緒にお茶を飲んだりもしたわ。そう、サザビーも知っているでしょう?あの紳士的な神父様。
 「フローラ、あなたのご両親のことで、話があります。」
 「両親___?神父様は___知っておられるのですか?」
 「左様。」
 その時、私は色めきだった。なんと表現して良いか分からなかった。だって___ずっと両親の顔も名前も知らず、それでも彼らを恋しく思わない日はなかったのだから。
 「フローラ、あなたに今まで隠していたことがあるのです。これは___あなたの『ご両親を名乗る方々』の指示でもありました。」
 その言い回しは奇妙だったけど、私はうれしさで胸がいっぱいだったから、まるで気にならなかったわ。
 「そして、あなたがフローラ・ハイラルドであるからこそ、あなたが父であると信じるべき方の意志に従い、まず、あなたがポポトルで孤児となった理由を伝えなければなりません。」
 紳士的で温厚で、人を安らかにしてくれる優しい神父。その穏やかな顔が、苦渋に満ちていた。それだけで私の心は不安に駆られた。
 「あなたは、商売上の取引で、いわば担保としてポポトルに献上されたのです。」
 「!」
 絶句するしかなかった。
 「私も詳しいことは存じません、ただ、あなたは、ハイラルド家とリジェート家、二つの武器商人の諍いの中で生まれた子なのです。非常に、スキャンダラスであると。」
 私は努めて冷静に、神父様の言葉を耳に刻みつけようとした。でも、それを整理するには、丸一日の猶予が必要だった。
 「あなたの出生には秘密があるのです。ただ一つ分かっているのは、あなたの母がマーガレット・リジェートであると言うこと。しかし父は、リジェート家のトーマス・リジェート、そしてハイラルド家のアラン・ハイラルド、どちらか分からないのです。」
 それには複雑な事情があるのだろうが___想像は容易かった。すなわち、マーガレット・リジェートは商売敵のハイラルド家主、アラン・ハイラルドと恋に落ちたのであろう。
 「いや、事実はそうではないかも知れない。私ならばあなたはアランの娘であると考えます。そうでなければ、幾ら父のはっきりせぬ子であろうと、我が娘を取引の担保にするでしょうか?あなたはトーマスの手によってポポトルに献上されたのです。」
 「___」
 私には沈黙することしかできなかった。言葉は浮かんできたけれど___声にも、ううん、文章にさえならなかったわ。
 「赤子のあなたは海を越え、このポポトルへと渡りました。最初に、あなたを受け取ったのはこの私です。そして、一通の手紙が添えてありました。差出人はあなたの母、マーガレット・リジェートでした。」
 神父様は懐から一通の封書を取りだしたわ。そしてその中から、更に小さな紙の包みを二つ取りだして、私に示した。
 「フローラ、どちらか一つを選んでご覧なさい。」
 私はその時なにも考えず、ただ無心に一つを手に取っていた。考える余裕もなかったし___それ以上に手紙の内容を早く知りたかった。
 「開けてご覧なさい。」
 「___」
 古びた紙の包みを開けると、中から一枚のカードが出てきた。そこには私の名前が書いてあった。
 「フローラ・ハイラルド___」
 「___そちらを選びましたか。やはり、あなたはフローラ・ハイラルドとして生きる定めにあるようですね。」
 神父はもう一つの包みを開き、中のカードを私に示して見せた。
 「ミスティ___リジェート?」
 「あなたの名前です。もう一つの。」
 「!」
 「マーガレット・リジェートは、私にあなたのことを委ねました。あなたが名乗るべき名を、私に決めるよう求めたのです。このカードを使って。」
 「それじゃあ___」
 「私もフローラ・ハイラルドを引きました。だから、あなたは今そう名乗っているのです。」
 その時は本当に混乱した。ますます、自分がなんなのか分からなくなっていく思いだった。そしてミスティ・リジェートという一つのカテゴリーが、わたしの中に生まれたわ。
 「フローラ、あなたは、本来であればミスティ・リジェートなのです。あなたを生んだのは、マーガレット・リジェートですから。例えそれが不倫によって生まれたとしても___です。」
 そう、確かにそう。
 「ただ私もあなたも、フローラ・ハイラルドを選びました。そしてあなたは紛れもなくフローラ・ハイラルドなのです。お分かりですか?フローラ。マーガレットがこの名に込めた思いを。」
 「___分かります。母上は___アラン・ハイラルドを愛しています。」
 「そしてあなたも愛しているのです。あなたは堂々とハイラルドを名乗りなさい。アランを父と認めなさい。そうすることであなたは、大いなる加護を受けることもできましょう。」
 「___父はどこに?」
 ___
 「なるほどな___マーガレットはおまえにリジェートを名乗らせたくなかったというわけか。恐らく___その手紙は彼女が極秘に宛てたものだ。」
 サザビーは蓄えた煙草の灰を灰皿に落とした。
 「それから暫くの間は両親のことばかり考えていた。でも短い間だけだったわ。まして___ミスティ・リジェートという名前を、私は記憶から消去しようとしていた。」
 「ただ、実際にフローラの記憶を失ったときに、おまえはミスティを名乗っていた。」
 「そう___」
 フローラは立ち上がった。
 「この話はライには言わないで。私はフローラ・ハイラルドでいたいから、ミスティのことは触れて欲しくないの。」
 「___分かったよ。すまなかったな、無理に聞き出しちまって。」
 「ううん___」
 フローラはやっと笑顔を見せた。寂しげな笑顔だったが。彼女は宿の窓から、夕日が差しはじめた通りの様子を眺めた。
 「ライ、遅いね。」
 「おおかたまた迷ってるんだろ?何か目印になるものでもぶら下げておいてやるか。」
 そのころのライ。
 「あれぇ?なんだかこの辺の宿屋は違うような。」
 歓楽街へとたどり着き、戸惑って立ち止まっていた。
 「ふひぃぃ___おいぃ、いい加減に気づけよぉっ!」
 漸く彼に追いついた大男。いつのまにやら顔を覆っていた布がはだけていたりする。そんなことにまるで気づかず、彼はライの肩に手を掛けた。
 「お?なんですか?」
 ライはにこやかに振り返る。
 「よぉっ。」
 大男は、そのウシとサイを掛け合わせたような顔で、にこやかに、且つ不気味に微笑んだ。
 「あ。」
 ライは真顔になってそいつの顔を指さす。暫く間があった。
 「あーっ!!お、おまえは!」
 「遅えよぉっ!」
 ライはようやく驚いて素早く後ずさり、剣に手を掛けた。
 「おまえは___えっと___」
 ライは眉間に皺を寄せ、暫くすると指をスナップした。
 「マイマイカブリ!」
 マイマイカブリとは、カタツムリを食べる昆虫です。湿り気のある黒色をしていて、図鑑で見るよりも実物は小さいような気がします。
 「ノーゥッ!俺の名前はエイブリアノスぅ!エイエイブリブリエイブリアノスだぁ!名前くらい覚えろぅ!」
 「あ、そうそう!」
 そしてエイブリアノスは一気に全身に纏っていた布をはぎ取った。明らかに化け物じみた彼を見て、歓楽街の至る所で悲鳴が上がった。ライは彼のパフォーマンスに手を叩いて喜んでいるが。
 「ガタガタうるせえぞぉっ!」
 エイブリアノスは大きく口を開くと、喉奥に赤い光をちらつかせる。そして一気に炎の塊を辺りにぶちまけた。そのいくつかが建物に燃え移り、人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、辺りは混乱に包まれた。
 「なんてことするんだ!火事になるだろ!」
 「ぐははははぁっ!俺だって遊びに来たわけじゃねぇんだよぉ、ライちゃんよぉ!この前の決着をつけてやるぁ!」
 「えー、僕は遊びのほうが良いなあ。」
 「しぇからしか!」
 エイブリアノスは突如表した段平を両手で高々と振り上げた。
 「ずおりゃあっ!」
 振り下ろされた段平が大地に食い込むと、軌跡に沿って波動が土を捲り上げていく。地走りだ。
 「ふん!」
 後ろには歓楽街の建物がある。逃げ惑う人もある。ライは飛び退こうともせず、剣を縦にして大地に突き刺した。自らも跪いて剣の背後で力を込めた。
 ズガガガガッ!
 地走りの波動が剣に激突する。剣に凄まじい衝撃が伝導し、ライの身体にも弾けるような痛みが広がっていく。しかし地走りはそこで食い止められた。
 「と、とめやがったぁ!」
 「今日は武器がある___この前とはひと味違うよっ!」
 ライは手の痺れを振り払うようにして立ち上がり、地に刺さった剣を抜いた。が___
 「あら?」
 妙に手応えの軽かった剣を見てみると、刃は罅入って、しかも根元でポッキリと折れてしまっているではないか。ライの持つ剣の柄には、ほんの小さな刃の名残がくっついているだけだった。
 「ギャハッハッハッ!やっぱり俺のパワーにゃかなわなぁいぃ!食らえぇぃ!」
 エイブリアノスは大口を開け、その喉の奥が赤く輝く!
 「てめえでくらえっ!」
 ボガッ!
 ちょうど火炎を放ち出そうとした瞬間、背後から飛びかかってきた一人の男が、肩掛けにしていたバックでエイブリアノスの頭を痛打した。遠心力を目一杯に利用した強烈な一撃に、思わず彼の口も閉じてしまった。
 スピーッ!
 エイブリアノスの鼻から炎が飛び出し、彼の目には星が飛び散った。
 「うあっちぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
 エイブリアノスは真っ赤になった口を開けて、天を仰いだ。口から大量の蒸気が沸き上がる。
 「隙ありぃっ!」
 その隙にエイブリアノスの懐に潜り込んだライは、柄に残った僅かな刃で力一杯斬りつけた。
 スパッ。
 僅かといえど剣の刃。エイブリアノスの鎧は綺麗に裂けて、浅い傷ながら、彼の青い血が飛び散った。
 「いってえええええっ!」
 エイブリアノスは叫んだ。
 (うわっ、やべぇ、このままじゃ確実に泣かされるぅ!)
 このままではまずいと思った彼は、またまた懐から玉を取りだし、叩き割った。
 「きょ、今日はこれくらいで勘弁してやるぜぇ!はっはっはっ!」
 ヘブンズドアの光に包まれるとエイブリアノスはあっという間に姿をくらませてしまった。
 「相変わらず、勢いだけは凄いなあ___」
 うんうんとライは一人で納得して頷いていた。
 「ライ、やっぱりライだ!」
 「え?」
 親しげにそう言ったのは、エイブリアノスを後ろから殴りつけた男。彼はバックの中に詰まった紙束の様子を気にしながら、ライを見てニッコリと笑った。
 「あーっ!」
 いつもなら誰だっけとなりそうなところだが、さすがに長いつきあいの友人は間違えられない。
 「ワット!」
 彼はワット・トラザルディ。かつてカーウェン小隊で一緒だったライの仲間。ドラルの陰謀に加担したとして懲罰を受けていた。
 「うわっ!久しぶり!今何やってんの?」
 「ハハッ、世界各地を見て回る仕事がしたくてね。手紙の配達員をやっているのさ。」
 「そうだったんだ!」
 「まさかまた会えるとは思わなかったよ、ソアラさんたちは元気にしているのかい?」
 その質問には心苦しい思いをさせられるが___
 「___うん元気、みんなピンピンしてるよ!」
 ライはそう答えた。
 「そりゃよかった。どうだい、その辺で一杯。昔話でもしようじゃないか。」
 「そうだね!」
 思わぬ旧友との再会。やはりライにとってこのカーウェンは、縁ある思い出深い土地なのだ。
 「おっせーなぁ、ライの奴。」
 「そうねぇ。」
 サザビーとフローラはすっかり日の落ちた通りを眺めて呟いた。
 「飯でも食いに行くか。どうだ一杯、俺のポケットマネーで。」
 「本当?」
 「そしたらその後は___」
 「それはだめ。」
 相変わらずなサザビー。
 「それにしても___いいのかなぁ、この旗。」
 フローラは苦笑いして、ライへの目印にと窓辺にかがけた旗を見やった。
 「いいのいいの。これならあいつも間違わないだろ?」
 宿屋の窓ではためいているのは一枚のパンツ。ライ愛用のシマシマパンツでも翳しておけば、さすがに気づくだろうというサザビーのアイデアだった。
 カーウェンの夜は更けていく。ライはワットと昔話で盛り上がり、サザビーはフローラの酒豪ぶりに舌を巻いていた。




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