3 突撃クーザー城!
「いよいよ今日決行だな。」
「まずは戦うための武器を買いに行かないと。」
日中、装備品を手に入れるために市街地を歩く三人。前にライとサザビー。一歩遅れて、二人の会話、行動を観察するようにしてゼルナス、いやキュリバーナ。
「しかしなんだか悪いなぁ、ゼルナスの髪を売った金で武器を買うっていうのも___」
「気にしないで。戦うために売ったものだから。」
キュリバーナは慣れている。多少淡泊な受け答えにはなるが、不自然さは与えない。今日は少し機嫌か体調が悪いのかなと思われる程度、彼女の言動はその程度の違和感しか与えない。
「あ、こんにちわ、皆さん。」
今日は非番だろうか?食材を買い込んだ紙袋を抱えたミスティが、通りの向こうからやってきた。
「ようミスティさん。今日もお綺麗でなにより。」
「お世辞ですわね。お買い物ですか?」
「武器を買いに行くんだ。」
ライはどうもミスティには話し言葉で接してしまう。
「武器___ですか?」
ミスティは訝しげに尋ねた。
「ここだけの話、城に盗みに入るのさ。」
サザビーは彼女にこっそりと耳打ちする。当然ミスティは驚いた。
「盗み!?」
「こ、声がでかいよ!」
「あ、す、すみません___」
ミスティは最初は驚いたものの、浜辺で倒れていた彼らとの出会いを考えると、そう驚くほどでもないと思えるようになった。
「あなたたちって___何か変わったことをしてらっしゃる___?」
「してるよ。大いにね。一緒にやってみるかい?」
「そんな、とんでもない!」
ミスティはしきりに拒否した。
「そりゃそうだ。何せミスティさんはテンペスト医院の院長先生だから。」
「私は止めませんけど___お城はとにかく危険なところと聞きます。充分に気をつけて下さい。もし何かありましたら、匿ってさしあげますから。」
親切な申し出にサザビーは面食らったように黙ったが、すぐに笑顔を見せる。
「そいつは有り難い。頼りにさせてもらうよ。」
「御武運を。」
そして三人はミスティと別れた。
「あー、いっちゃった。」
ライが名残惜しそうにいつまでも彼女を見送る。
「やっぱり彼女はフローラだな。」
「なんで?」
「幾らお人好しでも、病院の院長ってのは患者のことを第一に考えるものさ。自分から罪人を匿おうなんて、優しすぎるぜ。手伝いたいんだよ、心の奥底では。どこかにいっちまったフローラ・ハイラルドの本能は、きっとな___」
それは推測に過ぎない。しかし推測であろうと、ライにとってはミスティがフローラであるという仮説が一つでも多く立つことで、希望がわいてくる気がしていた。それほど彼にとってフローラは大きな存在なのだ。本人は気づいていないようだが___
夕刻。
「ふう。」
ミスティはカルテの整理を終えて一つ息を付いた。今日は急患もなく、問診時間もつい先程終了。リラックスした夜を迎えられそうだった。
「院長先生!温泉行きましょうよ。」
年上の看護婦たちが数人、タオルなどを手に彼女の元へとやってきた。
「まだ急患があるかも知れませんよ。」
「先生働き過ぎなんだから、たまにはリフレッシュしないと。」
自分より年齢も経験も豊富な看護婦たちに敬語を使われるというのも少しぎこちない。ここで働き始めてからおよそ一月、テンペストにも劣らない実力で次期院長に指名された彼女だが、暖かい先輩たちがいたからという感謝の念は忘れない。
「急患は私たちで診ますよ。行ってらしたらどうです?」
男性医師たちの勧めもあってミスティは笑顔を見せる。
「分かりました、行きましょうか。」
かくしてミスティは温泉地へ。
「先生っていつも靴下はいてらっしゃいますね。冷え性ですか?」
脱衣場でミスティの特徴に気が付いた一人の看護婦がそう尋ねてきた。
「いえ、火傷の傷があるんです。」
「あ___それじゃあ___」
看護婦は無理に誘ってしまったことを気に病むような顔になる。
「あ、気にしないで、これはただ患者さんに見られないようにしているだけですから。自分の傷も治せない医者じゃ、患者さんも安心できないでしょう?」
ミスティは微笑んで答えたが、靴下の下から現れた彼女の右足に、正直看護婦たちは絶句した。
右足全体が酷くむくみ、全体的に紫に変色している。爪は酷く変形して歪曲し、指先は互いが邪魔になるほど腫れ上がっていた。触れただけで痛みを伴いそうな足だが、彼女は平然としていた。
「痛みとか無いんですか?」
「感覚がほとんどないんです。」
温泉の気持ちよさは特筆もの。体中の疲れが一気に抜けていくようだった。ただ、浴場の外れにある蒸気の吹き上げ口から沸き上がる匂いは気になるが。
「それにしても一体どこで火傷なさったんです?」
「それが分からないんです___」
ミスティは首を傾げて考え込んだ。
「傷の感じでは最近ですよね。」
「ええ、私もそう思います___でも、分からないんです___そのころのことがまるで___」
ミスティにも不可解だった。だが記憶に空白があるなど、見知らぬ人に語っても困らせるだけだと思い、しまい込んでいた。自分の名前、素性、知識はあるのに、自分にはこれといった思い出がない。それが不可思議で不気味だった。
「忘れてしまったんですか?火傷のショックで___?」
「分かりません___空白ばかりで___」
ミスティはただ首を横に振った。話はそこで終わったが、ミスティは失った空白を追いかけて見ようと考えた。
「院長、あたしたちもう限界___先に上がってますね。」
すっかり茹で上がったように赤くなった看護婦たちは、先に湯から上がった。ミスティは彼女たちに手を振って、もう暫く湯の中で考え続けた。
「___駄目だ。」
だが思い出そうとすると頭痛が警鐘のように脳に響き、気が付くと思い浮かんでくるのはライとサザビーの顔。さすがに湯辺りがしてきたか、思考もおぼつかなくなってくる。
「もう上がろう___」
立ち上がり、全身を湯から脱した途端、強烈な虚脱感がミスティを襲った。視界が一気に真っ白になってなにも見えなくなる。強烈な立ち眩みだ。
「___」
彼女はふらつきながら、あらぬ方向へと進んだ。立っていられなくなり前のめりに倒れた先には「危険」の立て札が。
ジュッ!!
「!」
左手をついた先には蒸気の吹き溜まりがあった。左手に衝撃的な痛みが走る。熱い云々ではない、強烈な蒸気の熱は彼女の左手を瞬間に焼き付け、肉を引きちぎるかのようだった。
だがこの痛みがきっかけだった。
「うう___!」
彼女は手を抱えてのたうち回り、震えた。
痛い、なんて酷い痛みだ___だが___はじめてではない___
「___そうだ___マグマ___前は___マグマだった___!」
様々な情景が走馬燈となって彼女の脳裏を駆けめぐる。眠っていた数々の記憶を引き連れて___
「超龍神___水のリング___ライ!」
全部思い出した。
「リヴリア!」
ミスティは健常な右手を左手に宛い、輝かせた。清く穏やかな光は瞬く間に火傷の痛みを取り除き、赤くなった手を元の状態へと戻していった。
鮮やかな、回復呪文だった。
「私の名前はフローラ・ハイラルド___またの名をミスティ・リジェート。あたしは二つの名を持つ孤児だった___そしてあたしは自らの選んだ名を、フローラを名乗っていたんだ___忘れていた___顔を見たこともない両親の事なんて___アラン・ハイラルドやマーガレット・リジェートの事なんて___」
フローラは立ち上がった。
「ライ___クーザーに盗みに入るって、一体何を___?」
とにかく一度医院に戻ろう。足を治療して、それから___水のリングを身につけてみよう。
一方そのころ。
「しっかしまぁ___実にお見事。こんなに簡単な侵入口とはね。」
ライとサザビーは、ゼルナス(実際はキュリバーナ)の先導で、古い用水路を進んでいた。クーザーの街にはこの手の用水路が編み目のように張り巡らされていて、随所で水を感じることのできる作りになっている。小川ほどの幅のものもあれば、ほんの一またぎできるようなものまで様々だ。三人は古い用水路の側壁に沿って進む。今は温泉の排水に使われているようで、足下には濁ったお湯が弱い流れを作っていた。三人はこれを逆流するように進んだ。
「この先、ああ、あのトンネルだ。あれを抜けると城の古い庭園に出る。」
「楽勝ムードだね。」
「城に入ってからが大変なんだ、気ぃ引き締めていくぞ。」
どんなに気張ったところで、おまえらに明日はないさ___キュリバーナは悟られないように、不適な笑みを浮かべていた。
「う___」
蝋燭の光が瞼を越えて目を刺激する。
「___」
暗がりの中に、背徳的な炎の光。無味な石壁は小さな炎に照らされ、その所々に施された血化粧を示していた。
「ここは___!あ、あたしは!」
動こうとしたが、つり上げられた手を壁に拘束されている。足にも鎖が結わえ付けてあった。漸く目を覚ましたゼルナスは、脱衣場で襲われた下着姿のまま、完全に拘束されていたのである。
「漸くお目覚めですか。」
「!」
こいつの顔だけは絶対に忘れない!その中年男の顔を一目見た途端、ゼルナスの瞳に血の気が溢れ、鬼の形相になっていく。そいつの嫌らしい口ひげ、禿げ上がった頭、小さな鼻、悪趣味な服装、低い身長、短い足、飛び出た腹!全てに虫酸が走る思いだった。
「ボンド!」
名前を呼ぶのにも反吐が出る思いだった。
「いや、それにしても良かった。まさか生きておられたとは思いませんでしたよ___本当に、クーザーの王家はしぶとい。ナターシャ・ミゲルも、あれだけの毒を盛られたにしては随分と生きましたからなぁ。」
「黙れ!このブタ野郎!」
ゼルナスはボンドを殺してやりたかった。必死に暴れるが、手枷が手首を、鎖が足を酷く痛めつけるだけだった。
「その執念には感服いたしますぞ。しかし王女ともあろうお方がそのような霰もないお姿で、かのような汚れたお言葉を発せられるとは___」
ボンドは不気味に笑い、ゼルナスは背筋に寒気を感じて怯んだ。今の自分には抵抗の術がないことが、彼女に恐怖を感じさせた。
「さてフィラ王女。クーザーに伝わる契りの指輪はいずこでしょうか?」
「何故契りの指輪が必要なんだ!?」
「答える必要など御座いましょうか___?」
ゼルナスはボンドを睨み付け、一つ息を飲んだ。
「超龍神とかいう奴のためか___?」
「ほう、そこまで知っているのなら実に話が早い。」
別の声。脱衣場で最後に聞いたあの憎い声。
「ブレイナー!」
紳士ぶった男の登場に、ゼルナスは最高の嫌悪を以て答える。
「おまえが___おまえが来てからというものクーザーは!」
「フフフ___超龍神を知っているのであれば、私の正体にもおおよその察しが付いているだろう?」
ブレイナーはニヤリと笑って、牙を示して見せた。ゼルナスはゾッとする。
「超龍神様が目覚める前に、手柄の用意をしておきたかったのだ。私もいつまでも下っ端では納得がいかんからな。風のリングは我々にとって必要なもの、そしてクーザー王家の証でもある契りの指輪はボンドにとって不要なもの。利害一致というわけだ。」
悪魔だったんだ___ブレイナーはまさしく!
「王女、契りの指輪は我々がどれほど探しても見つけることができなかった。まったくあなたが生きていたというのは、これ以上ない朗報でしたぞ。さあフィラ王女、言っておしまいなさい。契りの指輪がなければあなたが王女であることを証明する術はなくなる。生かしてあげてもよろしいのですぞ。」
ボンドは誘いの言葉を掛けるが、ゼルナスははじめから彼の言葉を一つも信用していない。そして自分にもクーザー王家の生き残りとして、確固たるプライドがあった。
「貴様らの言葉なんか信用すると思うのか?貴様らのために指輪のことを吐露するくらいなら、死んだほうがましだ!」
ゼルナスは血気盛んに言い放った。
「そんなことを言ってしまってよろしいのですか?王女。死ぬより辛いことだって幾らでもありますぞ。」
ボンドはゼルナスに近づくと、彼女の首筋に指を立て、身体のラインを確かめるように、その指を肩から胸、腹、腰へとなぞっていく。寒気がしたが身震いしてはこいつを面白がらせるだけ。ゼルナスは充分な憎しみを込めて、彼の禿げ上がった頭に向かって唾を吐きかけた。
「便器みたいな汚い手で触ってんじゃねえ!このハゲ!」
ゼルナスは激しくボンドを罵る。ボンドは唾をそのままに、ゼルナスを正面から見てニヤッと笑う。
ドボッ!
「うがっ___」
ゼルナスの引き締まってはいるが細い下腹部に、ボンドの力任せの拳骨がめり込んだ。
「がはっ___あが___」
迸る嗚咽を必死に押さえたが、苦しみの怒濤に押し出され、彼女の口元から涎がこぼれた。
「あまり生意気な口をお聞きなされるな。王女。」
ボンドはハンケチで額に突いたゼルナスの唾をぬぐい取る。そして今度は、己の武骨な人差し指を、何かをこびりつかせるように舌で人なめした。
「あなたは便器の汁さえ拒むことはできんのですから。」
「う___」
ボンドは粘り気のある涎のついた人差し指で、ゼルナスの鼻筋をなぞっていく。そのまま唇にまでそれを塗りたくった。屈辱と、悪臭にゼルナスは涙しそうになるが、それでも彼女は強気を崩さず、油断しているボンドの指に思い切り噛み付いた!
「ぐぎぇ!」
ゼルナスの口元で血飛沫が弾けた。彼女の渾身の一噛みはボンドの人差し指を食いちぎらんばかりに深く食い込んでいた。
「ハハハ、とんだじゃじゃ馬だな、ボンド。」
「この小娘が!」
ボンドは血みどろの指を自ら引きちぎってゼルナスから逃れた。ゼルナスは人差し指の先を忌々しそうに吐き捨てる。切り飛ばされた人差し指の断面では、緑色の何かが蠢いていた。
「貴様も化け物か___」
「私の体内には魔物が宿っているのです___あまり私を怒らせぬことですな。」
「ボンド、そろそろキュリバーナが来る。」
ブレイナーはそう言うが早く、踵を返した。
「出迎えの用意だ。」
「では___フィラ王女も参りましょうか。」
ボンドはニヤリと笑い、ゼルナスに向けて切り飛ばされた人差し指の断面を示した。
「うっ!」
そしてその切り口から突如強烈な勢いで植物のツタが吹き出し、ゼルナスの身体を拘束していった。
「傭兵が見張ってはいるが___」
夜のクーザー城。警備の目は甘く、かいくぐることは容易だった。勿論、気づかれていたとしても結果は同じかも知れないが。
「こっちよ。」
ゼルナスに化けたキュリバーナを先頭に、三人は最短距離で玉座に向かう。廊下の篝火の下を駆け抜け、慎重に見せかけてクーザー城を奥へ奥へと足早に進む。玉座到着はあっという間のことだった。
「ここが謁見の間___」
広々とした謁見の間に明かりはなかったが、廊下から差し込む薄明かりで、玉座の存在、豪勢に飾り付けられたカーテン、踏み心地の良い赤絨毯などは分かった。
「あの玉座の後ろだったな。」
サザビーはゼルナスを一瞥して尋ねた。
「そうよ。」
キュリバーナは頷く。
「お待ちしておりましたよ。」
「!」
突然謁見の間に嫌味たらしい声が響いた。すぐにカーテンの裏から、ボンドが姿を現した。その顔は自信に満ちていた。
「貴様は___」
サザビーは腰の剣に手を掛け、ライは躊躇いもなく背の剣を抜いた。
「私はボンド。この城の大臣です、いやいや物騒なものをお持ちで。この仕打ちはどういうことですかな?フィラ王女。」
ボンドはキュリバーナを見て嘲笑を浮かべ、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。キュリバーナは見事なまでに絶句の芝居をして、サザビーたちを慌てさせた。
「気づいていたか!」
「ゼルナス、下がって!」
二人はキュリバーナの盾になろうと、彼女の前に立つ。サザビーも剣を抜き、キュリバーナも戦う素振りを見せてナイフを抜いた。段取りがうまくいきすぎる。その瞬間、キュリバーナは笑いを堪えるので精一杯だった。
ズバッ!
「え?」
彼女が最初に切り裂いたのはサザビーだった。ライが隣で突然崩れたサザビーに気づいたときには、キュリバーナはナイフの切っ先を彼に向けていた。
「う___」
ライの脇腹にナイフは深々と食い込んだ。背中を大きく切り裂かれたサザビー同様、痛恨の一撃に成す術なく膝から崩れ落ちる。
「どうして___」
ゼルナスを見て、小さな言葉を絞り出しながら、ライは蹲るように倒れた。血が、彼の膝元に溢れ出し、血だまりを作っていく。
「まんまと騙されていたのさ、あんたたちは。」
キュリバーナの声が変わる。彼女は迫真の演技を終えた女優のように、生々とした表情で己の面の皮を一枚剥ぎ取った。
「バカな___変装___」
俯せに倒れたまま、首だけを捻ってキュリバーナの正体を睨み、サザビーは驚愕した。服が背中からどんどん血で染まっていく。
「サザビー、ライ!」
ゼルナスの声。涙声になっている必死の呼びかけに、ライとサザビーは必死に顔を上げた。そこでは、ボンドの隣に、草に体中を縛り付けられた薄着のゼルナスがいた。
「ゼルナス___」
「ブレイナーに浚われたんだ___全てこいつらの計算通りに___」
少しでも二人に近づこうと足を踏み出せば、喉元の草が強く締め付け、息が詰まる。
「そう言うわけだ。残念だったな、超龍神を知る者たちよ。」
カーテンの裏から紳士風の男が姿を現す。ライとサザビーは、傷の激痛に耐えながら、その男の姿を目に焼き付けた。
「く___ざまあねえな___」
「動くんじゃないよ。」
体を起こそうとしたサザビーは、後頭部をキュリバーナに踏みつけられて床に突っ伏した。
「サザビー!」
「フィラ王女、あなたの心懸け次第では二人を助けてあげることもできる。」
ブレイナーの言葉にフィラは青ざめた。その言葉は嘘に決まっている、しかしこのままでは___!
「契りの指輪。」
ボンドがニヤニヤと笑いながら呟く。
「駄目だ___」
「言うなゼルナス!ぐあっ!」
ライの呻きにも似た訴え、そして頭を強く踏まれて喘ぐサザビー。大海の上で多くの命を失ったゼルナスは、決意を固めた。
「分かった___リングを渡す!だから二人は助けろ!」
「駄目だ!」
ライは声を張り上げ、噎び、血を吐き出す。
「うるさいよ。」
キュリバーナは彼の頭を蹴飛ばした。
「リングとおまえたちの命だ___天秤に掛けなくたってどっちが大事かなんて分かるだろ!?」
そう、例え嘘と分かっていても。仲間の死の悲しみほど辛辣なものはないのだから。
「素直でよろしい。ボンド、拘束を解いてやれ。」
ブレイナーの指示で、ボンドはゼルナスを縛り付ける草を緩め、自分の掌へと吸い込んでいった。ゼルナスは体中に虚脱を感じ、よろめきそうになって姿勢を正す。
「あたしだってそれそのものを見たわけじゃあないが___ボンド、そこをどけ。」
ゼルナスは体中に赤い跡を残し、動いただけで身体に痛みが走るようだった。
「どいてやれ、ボンド。」
ボンドは玉座から立ち上がる。ゼルナスは玉座を慎重に調べはじめ裏側に小さなフックを見つけてそれを引っ張った。少し遅れて、カーテンの裏でちょっとしたからくりの音がする。ボンドはカーテンを乱雑に引き破り、ブレイナーが指に炎を灯してそちらへと歩み寄った。
「壁が隠し扉になっていたのか___これは引き出しか?」
「その中に指輪のケースがある。ただケースは王家でなければ開くことができない。」
ゼルナスは厳しい視線でブレイナーを睨み付け、言った。ブレイナーは引き出しを引いてみる。確かに小さな指輪のケースがあった。手を伸ばしてみるが、引き出しの口には特殊な結界が張り巡らせているようで、指先に強烈な熱が走った。
「なるほど、結界か。」
ブレイナーは赤く爛れた己の指先を見て呟いた。
「取ってくれるな?フィラ王女。」
「その前に二人の治療が先だ!」
これは駆け引きだ。ゼルナスはまずはサザビーとライの治療を優先させたかった。とにかく今は二人の無事が優先。リングや自分の身体のことは___どうにでも切り抜けられる!
「やらせろ。」
だがブレイナーは容赦なかった。
「き、貴様ら!」
「我々の言葉は嘘ばかりだ。そう言ったのは誰だったかな?」
ブレイナーの嘲笑。ボンドは強引にゼルナスの腕を掴んで引き出しの中へと突っ込ませようとする。
「ま、まて!やめろ!分かった、取るから!」
「やらせてやれ。」
ゼルナスが必死にこの状況を打開しようとしている様が面白いらしく、ブレイナーはゼルナスを自由にさせた。彼女はボンドが自分から離れたことを確認し、ゆっくりと引き出しの中へと手を差し伸べていく。
「___」
正直、この結界を自分の手がすり抜けたときは驚いた。そしてその途端に、指輪のケースが静かに開いた。
「これが___」
契りの指輪。別名、風のリング。ケースの中で淡い緑色の宝玉を宿した古風なリングが輝いていた。ゼルナスはこれが平常の、契りの指輪の姿だと考えていた。しかしリングはただ輝いていたわけではなかった。
「きゃっ!」
突然だ。リングに夢中になっていたゼルナス、そしてボンド、ブレイナーの背後で、キュリバーナが悲鳴を上げた。
「ウインドビュート!」
「くああっ!」
突如襲い掛かった風の鞭に、キュリバーナは身体をはじき飛ばされ、謁見の間の壁に叩きつけられた。
「何事だ!?」
振り返ったブレイナーとボンド。その時、現れた助っ人は、ライに手を宛い呪文を唱えていた。
「フローラ___」
傷の治癒と共に意識を失い欠けていたライにはっきりとした景色が戻る。現れた女性の名をぽつりと呟き、ライはその名を間違えたと感じた。服装が白衣を脱いだミスティ・リジェートのままだったから。
「ミスティ___いや、フローラ!」
だが呪文の力で傷を癒してくれるのは、ミスティではなくフローラでなければできない。
「遅くなって御免なさい。全部思い出したわ。ライ。」
「フローラ!」
傷が癒えた瞬間、ライは満面の笑みになってフローラに抱きついた。
「ちょっと___ライ!」
フローラは照れくさそうな笑顔を見せた。
「あの___俺の方も早く___」
実はサザビーの治癒がまだだったりして。
「何者だ貴様___キュリバーナ!」
ブレイナーが声を荒らげる。
「申し訳御座いません___突如床から水柱が拭きだし___その女が___」
キュリバーナは顔をしかめながら、壁に擡げていた体を起こして答えた。
「水のリングが私をここに導いてくれた。風のリングの危機を、このリングが教えてくれたのよ。」
フローラはテンペスト医院の自室で、水のリングを身につけて状況を見守っていた。しかし、突如として水のリングが輝くと、宝玉から噴き出した水柱が彼女の身体を包み、気づいたときにはこの場所にいた。まさに二つのリングが呼応し、守護者を呼び合ったと言うところか___
「ほほう。」
フローラが水のリングを示すとブレイナーの顔色が変わった。
「やああっ!」
「うごっ!」
絶好機だった。風のリングをその手に握っていたゼルナスは、渾身の力でボンドの背中に体当たりをかまし、よろめいた彼の脇を滑り込むように潜り抜け、一気にサザビーたちの側まで転がり込んだ。
「ゼルナス!」
「してやったりさ、へへっ!」
ゼルナスは右手の風のリングを示してニヤッと笑った。
「いや、いい眺め。」
そのゼルナスの肩越しから、リングではなく彼女の肢体を眺めているサザビー。
バギッ!
ゼルナスは見事な拳を顎にたたき込む。
「あんたってば本当に見境ないな!」
「これを。」
フローラは上着をゼルナスに渡し、ゼルナスは礼を言ってそれを纏った。そんなこんなでごちゃごちゃしているうちに___
バタン!
謁見の間の扉が閉じられた。
「しめたものだ、まさか一度に二つのリングが手にはいるとは。」
玉座の前に立ち、ブレイナーは牙を覗かせてニヤリと笑う。彼は指先に炎を灯すと、それを謁見の間の天井に向かって投げ出した。炎は天井で四散し、壁に掲げられた松明へと燃え移り、部屋は一気に明るくなった。
「風のリングを取りだしてくれたこと、感謝いたしますぞ、フィラ王女。」
ボンドも腹を揺らして笑った。
「ここで死になさいな___」
ドアの前に立つのはキュリバーナ。
「これからが本当の戦いだな___!」
傷が癒えたサザビー、そしてライ、二人に守られるようにしてフローラ、ゼルナス。彼らを挟撃にするブレイナー、ボンド、キュリバーナ。謁見の間で、リングを、クーザーを巡る戦いが始まる。
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