2 ゼルナス失踪
入院から十日後、三人は晴れて退院することができた。ミスティを詰問したあの日以来、ライやサザビーも彼女をフローラと呼ばないように心懸け、彼女のとの関係も幾分穏やかになった。
「う〜ん、快調!」
その甲斐もあってか、ライの腕の様子を案じたミスティが治療を施してくれた。
「いやぁ、腕が動くっていいねぇ!」
ライは腕をブンブンと振り回して高らかに笑った。
「さて、退院はしたがまだここにもミスティにも用があるな。どうだ?どこか落ち着ける場所でこれからのことでも___」
そう言ってサザビーとライは歩き出そうとする。
「まった!」
しかしゼルナスが二人の肩を掴み、それを止めた。二人が振り返ると彼女は代わる代わる睨み付けてきた。
「契りの指輪の件はどうしてくれるんだい?」
「あ、忘れてた。」
と、ライ。
「忘れてた!?あたしがどういう条件であんたたちをここまで運んだと思ってんの!?こっちは約束を守ったんだ、今度はそっちが守る番だろ!」
ゼルナスは激昂してライを指さし、詰め寄る。戸惑うライの前にサザビーが割って入った。
「ゼルナス、契りの指輪を盗んでどうするんだ?」
「フィラに渡す!」
「無茶を言うなよ___」
「無茶なものか!マールオーロに帰るのは定期便を使えばいい!」
ゼルナスはまるで子供のように片意地を張る。シーホークの仲間を、愛船ブラックホークを失った、彼らに報いるためにも彼女は遮二無二なっている。サザビーにはそう思えた。
「ゼルナス、ミスティも言ってただろ、今のクーザーは普通じゃないんだ。」
入院中、ミスティから最近のクーザーについて聞くことができた。今のクーザーは大臣のボンドとその執事ブレイナーが取り仕切っている。ナターシャ時代の国の要人たちはそのほとんどが排斥され、ボンドに忠実な、いわば子飼いの家臣たちが集められているという。一切の有事に関わらないとして鎖国し、他国との貿易は海路だけでなく陸路までも一切禁止。そればかりか、永世中立国であるにもかかわらず傭兵買いを始め、反抗分子は傭兵師団が力ずくで押さえ込む。街には悪い噂がたちこめ、クーザー城には秘密裏な暗い影が蔓延っているという。何はともあれボンドとブレイナー。この二人がクーザー腐敗の一因であることには間違いないようだ。
「城には悪魔が住んでいる。こいつは噂だけじゃすまないかも知れないんだぜ?」
「だからってこのまま引き下がれるものか!おまえだって___フィラ王女がどうなってもいいって言うのかよ!」
ゼルナスはサザビーの胸ぐらを掴んで揺さぶり、怒鳴りつける。通行人も何事かと彼らに目をやっていた。
「そうとは言ってない、今はそういうタイミングじゃないって言ってるんだ。例え契りの指輪を手に入れられたとしても、クーザーの腫瘍を取り払うまではどうにもならないだろ?」
「フィラがクーザーの腐敗を取り払う先頭に立てばいい!とにかく今は契りの指輪だ!約束したじゃないか!」
サザビーはゼルナスの両肩を捕らえ、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「落ち着け。騒いだって、無くなったものは戻らねえんだ___」
ゼルナスの鼻腔が開くのが分かった。彼女は顔を紅潮させ、サザビーの手を振り払い、そして一切加減もなく、思い切り彼の頬を張った。
「そんなんじゃない___おまえに___おまえなんかに何が分かるって言うんだ!もう頼むものか___あたし一人でもやってやる!」
ゼルナスは目に涙を一杯にため、決死の形相で走り去っていった。
「びっくりしたぁ___もっと大雑把な人かと思ったのに。」
「いや、実際大雑把な奴だよ。いててて___」
サザビーは真っ赤に掌の跡が付いた頬をさすった。
「ただ、この問題に関しては尋常じゃない執着があるみたいだ___」
「で、僕らはどうしようか?」
「ゼルナスを探すぞ。フローラのことはそれからでも遅くないだろ?」
「だったら手分けをしよう。」
「そうだな。」
その時、街全体に荘重な鐘の音が響き渡った。
「時報か___よし、あれが三回鳴ったらまたここに戻ってこよう。」
「わかった。」
それから二人はバラバラになってゼルナスを捜し始めた。果たして、天然方向音痴のライが再びこの場所に戻ってこれるかどうかは分からない。
「___」
彼らの動向を、ミスティは医院の三階の窓から見下ろしていた。いや、彼らと言うよりはライを見ているようだった。
「うっ___」
頭に差し込むような痛みが走る。彼女は額に手を当て、苦悶の表情で窓から離れた。
「ったく___どこに雲隠れしたんだ?」
あっという間に二つの鐘が鳴り、サザビーの顔にも少し疲労の色が出ていた。
「お。」
サザビーの目に飛び込んできたバーの文字。ゼルナスのこと、やけ酒の一つも考えられる。
「行ってみるか___」
酒場のドアを潜るサザビー。傭兵お断りの文字が目に付いた。落ち着いた雰囲気で、過ごしやすそうなバーだった。
「いらっしゃい。」
サザビーはカウンターに腰掛ける。
「グトローザ、水割りで。」
クーザー発祥のウイスキー・グトローザ。安価で庶民にも親しまれている。
「旦那、弱気だな。」
「今人捜しの途中でね。」
サザビーはあらかじめ一杯分の料金にのしをつけて差し出す。
「黒に近い茶髪、腰丈までの長髪のいい女だ。格好は___ああ、あの人みたいな感じだな。」
サザビーは丁度酒場から出ていった人を指さした。
「そう言う人なら髪の長さ以外は今の人がよく似ていたね。」
「___そうだな。」
サザビーは立ち上がる。
「ありがとう、ここは良い店だ。また来るぜ。」
差し出された水割りを一気に飲み干し、サザビーはバーを飛び出していった。
「あいつは___」
後ろ姿が見える。服装はまさにゼルナス。ただ、髪の長さは肩に掛からないほどに短くなっていた。彼女も追いかけてくる気配に気づいたか、走り出す。
「ゼルナス!」
追いついたのは二つ三つの路地を曲がった先。狭い路地でのことだった。サザビーは強引に彼女の腕を掴み、無理矢理振り向かせた。
案の定、その顔はゼルナスだった。
「放してよ!」
ゼルナスはサザビーの手を振りほどこうと暴れ、その時に腰に結わえ付けていた袋が外れ、転げ落ちた。中からはプライム硬貨が何枚もこぼれだし、路地を転がった。かなりの量。それを見てサザビーはピンときた。
「おまえ___髪を売ったのか。」
「___」
ゼルナスは答えようとしない。ただ硬貨を拾い集めていく。
「無理するな、ゼルナス。」
「やめろよ!」
硬貨を拾うのを手伝おうとしたサザビーにゼルナスが食ってかかる。
「手伝ってやるぜ。契りの指輪もな。」
彼女の必死さに根負けした。だからサザビーは手伝うと言った。しかしゼルナスは手を止め、小さく首を横に振った。
「違う。」
「?」
サザビーには彼女の呟きの意味が分からなかった。
「違うよサザビー___」
ゼルナスは立ち上がり、サザビーに向き直った。その瞳に怒りはなく、むしろ力無い様子だった。
「あたしはゼルナスじゃないんだ___サザビー。」
彼女は譫言のように言った。まるで精神分裂を起こしているかのように。
「どうした___?ゼルナス。」
「違う!」
ゼルナスという名に拒否を示し、彼女は突然サザビーに抱きついた。彼の胸に縋り付くようにして、顔を上げた。
「あたしはゼルナスじゃない___分かるはず___あんたなら分かるはず___あんたの話を聞いてから______私にはあんたが他人には思えなかった___」
絞り出すように語るゼルナス。あの男勝りはどこにいったのか、感情的で、弱々しくサザビーに訴えかける。
そしてそれはサザビーに通じた。
「まさか______」
サザビーも言葉を失う。
「おまえ___」
改めて彼女の顔を見て、考えた。何故、女好きだが決して惚れっぽくはない俺が、ゼルナスに対しては一目見て好感を抱いたのか?輪郭、唇、鼻、眉、瞳。確かに端麗な顔立ちではあるが、彼女にそれ以上の何を擽られたのか。
そして気が付いた。
「ナターシャ様に似ている___おまえは___!」
サザビーはゼルナスを思い切り抱きしめた。
「フィラ・ミゲル!」
「そう___」
ゼルナスも彼の胸の中で、グッと彼の衣服を握りしめた。
「あたしはフィラ・ミゲル___あなたのことは母さんから聞いていた___マールオーロで出会った人がサザビーだと知って、私は運命を感じた___ずっと、ゼルナスとして待っていた___この時が来るのを待っていたんだ___」
サザビーは胸元に湿り気を感じる。ゼルナスの涙。サザビーはそれを心に染み付け、ただ無言で彼女を抱きしめ続けた。今だけはふざけた感情などまるでない。ただこうして抱きしめ会っていたかった。そしてフィラも、それで嬉しかった。
三回目の鐘の音が、クーザーの街並みに広がっていった。
「今まで黙っていてすまなかった。でも、できれば最後まで黙っていたかったんだ。あたしは自分の手で戦ってクーザーを取り戻したかったから___あたしのことを知ったら、サザビーが黙っていないと思ったからね。」
ゼルナスというのはクーザーの女帝を表す言葉。つまり女傑の意である。クーザーの祖がゼルナスという名であったという説もある。
「いやぁ、しかしゼルナスがお姫様だったなんてねぇ。」
ライは驚いているが、それでもにこにこ顔だった。
「当分は伏せておけ。どこで誰が聞き耳立てているか分からないからな。」
「彼はミミダニ常時の目やにって奴だね。」
壁に耳あり障子に目あり。障子!?ありあり。
「でだな___」
あっさり無視。まあそれも当然か。
「これからのことだ。」
「はい、お待ちどう。」
三人はサザビーがゼルナスを見つけるきっかけとなったバーにやってきていた。酒よりも今は腹ごしらえ。ゼルナスの髪を売った金というのが忍びないが、料理がテーブルに運ばれてきた。
「契りの指輪は定位置にあるのだったら、玉座の後ろ、そこの壁に小さな小引き出しがあって、そこで丁重に保管されているわ。城への忍び込みかたも___勿論あたしの場合は五年前の話だけど、当時のままなら抜け道がある。」
「なぁんだ、思ったよりも簡単そうじゃない。」
ゼルナスの説明を聞いてライは楽観的に笑い、鳥の唐揚げをぱくついた。
「そうでもないぜ。クーザー城の玉座って言ったら城の大奥だ。王家の寝室をボンドが使っていたら、それこそ謁見の間のすぐ隣だしな。」
「お、さすがに詳しい。」
ライははっきり言ってまともに作戦を考えるつもりはなさそうだ。
「今のクーザーは病んでいる。それの元凶がボンド、そしてブレイナーだ。あいつらは、実際どうかは別として、性根は人間じゃない。悪魔だ。」
ゼルナスの思いの深さが伺える言葉だった。
「どういうことだ。」
「サザビー、母は___ナターシャ・ミゲルの死因は病死じゃないのよ。」
「!?」
「順を追って話すわ___」
ゼルナスは煮えたぎるものを押し殺すように、努めて冷静に話しだした。だからサザビーもライも、黙ってそれに耳を傾けた。
「今の大臣、ボンドがやってきたのは私の父が他界して間もなくのこと。母を補佐するために、父との繋がりがあった良家の切れ者として、北のローレンディーニから招聘された。あたしがまだこんなに小さい頃の話さ。」
___
「ボンドは自己中心的な男で、影ではいつも母の悪口を言っていた。それでも外面は良くって、母に諂っては立場を利用することばかり考えているどうしようもない男だった。私はボンドが大嫌いだったけど、一応国の運営の一端は担っていたし、母もあいつを信頼していたから何も言わなかった。」
___
「それが変わったのはあたしが六つの時。ブレイナーという男をボンドが呼びつけてからのことだった。最初、ブレイナーは士官だったんだ、でもすぐに士官職を降りて大臣の秘書になった。そして、母が倒れたのもそのころだ。」
___
「母は病床に伏し、クーザーの政治はほとんどボンドが掌握するようになりはじめた。そして秘書のブレイナーも大きな権力を与えられ、執事となって方々を指導した。兵役や、厨房までね。」
___
「八歳の時、あたしは見た。ブレイナーの指示で、メイドが食事に薬を溶かすのを。私は不審に思ってメイドから薬を一つ調達し、密かに街の薬屋に持ち込んだ。我ながら良くやったと思うよ。確証なんてなにもなかったんだ、とにかく子供の勘だけだった。」
___
「薬は毒薬だった。だが効果は小さい。それでも、排出されることなく蓄積し、まるで病気に冒されていくかのように弱り、死んでいく恐ろしい毒だった。症状は___血管を腐らせる。ただ威力が弱いから、肺の脆く、きめ細かい血管に症状が集中するんだそうよ。ピッタリでしょ?サザビー。」
___
「メイドはそれをブレイナーに良薬と言い聞かされて、食事に溶かしていた。そして彼女は、薬をあたしに一つ渡したこともブレイナーに話してしまった。それが運の尽きだった。母はボンドに諭されて転地療養へ。私はブレイナーに捕らえられ、監禁された。そしてクーザーは完全に大臣のものとなった。」
___
「それでもあいつは、母が生きているうちは動かなかった。そしてあたしは母が死ぬまで拘束され続け、時に表舞台に出され、時に母への手紙を書かされ___私は何とかしてこの事実を母に、或いは誰かに伝えたいと願った。でもそれは叶わなかった。母が亡くなる前の最後の手紙の一文、『もしあなたが困難の渦中にたたき落とされ、進むべき道を見失ったのなら、サザビー・シルバという男を頼りなさい。』私はこれに頼るしかなかった。」
___
「母が亡くなるとすぐに、ボンドとブレイナーは私の抹殺を画策した。母の死のショックに耐えきれず失踪した。そう理由が付けられるこのタイミングはあいつらにとって絶好だった。私は包帯で全身を固く、まるでミイラのように巻かれた。一切動けない、口さえも。耳は聞こえたが視界は遮られ、呼吸すら不自由になるほどの切迫感があった。」
___
「そしてあたしは何かに乗せられた。円を描くような揺れで、私はすぐにそれが船だと分かった。私は海の上にいると。そしてボンドの嫌な声がこう言ったんだ。『フィラ王女、ボートの乗り心地はいかがですかな?クーザーのことは一切我々にお任せになって、王女は海上の遊覧をお楽しみ下さいませ。』ってね。」
___
「どれくらい眠っていたのかは分からない___とにかく何もできなかったから、下手に体を動かしてボートが転覆することだけは避けたかった。太陽が照りつけるとそれはまさに地獄のようだった。自然に意識はなくなっていた。あたしを生かしていたのは執念だけだったんだ。ボンドとブレイナーをこの手で!それだけだった。」
___
「気が付くとあたしは船の上にいた。マールオーロの海賊、シーホークがあたしを見つけたんだ。あたしは酷い脱水症状を起こしていたらしいけど、海賊たちの懸命な介抱のおかげで助かったんだ。当時のシーホークの頭はエリベウトンと言って、年老いた片足の男だった。彼は短い余生を海賊として全うし、海の上で死ぬことを望んでいた。そして同時に子供のできなかった彼は私をまるで我が子のように可愛がり、そればかりか、あたしの、勿論あたしは全てを話しはしなかったが、強い怨恨の情を察して、海賊として強い女に育ててくれた。そして彼が亡くなると、私は彼の後を継いでシーホークの頭になった。私は海賊稼業を続けながら待っていた。力を蓄え、クーザーに帰るチャンスを___」
___
ゼルナスは自分のあらましを話し終え、少し黙った。ライはただ溜息をもらし、サザビーは彼女の辛苦に同情した。そして、今まで彼女に何もしてやれなかったことを口惜しく思った。
「奴等がクーザーを狙う理由は分かるか?」
「契りの指輪かも知れない。あいつらは城を自分のものにしてから、ゆっくりと何かを探すようなことを言っていた。」
とすると___サザビーとライが顔を見合わせる。
「ブレイナーという名前は聞いたことがないが、超龍神に関わっている可能性があるな。契りの指輪、いや風のリングが目的ならばだ。」
ライも真剣な顔で頷いた。
「指輪の場所は王家しか知らない。そして王家が他人に漏らすこともない。まあ、あんたたちには教えちゃったけどね。」
「そんな大事なことを酒場でぺらぺらと喋るんじゃねえっつーの。」
「気にしなさんな、ガードはこれだけじゃない。」
ゼルナスはウインクしながら答えた。丁度そこまで聞きつけて、一人の男が店を出たことなど知る由もなく。
クーザーの名物の一つに温泉がある。クーザーの多くの宿が温泉の共同浴場を所有している。それだけでなく、公衆の浴場も町中にいくつかある。数多くの人が一つの風呂に入るという文化は、ここクーザー、そして北国ソードルセイド特有のものだ。
「はぁ〜。」
鎖国状態なため極端に客の少ない宿。広々とした露天風呂、その女湯を独占しているゼルナスは、悠々自適に楽しんでいた。
「あー気持ちい〜。」
実に久方ぶりの極楽。仲間を失った悲しみは簡単には消えないが、それでもフィラであることをサザビーたちに明かしたことで、彼女の心は少し軽くなった。
「おーい、ゼ〜ルナ〜ス。」
きっちりと隙間無く組まれた木の柵の向こうから声が聞こえた。サザビーだ。
「な〜に〜?」
「こっちはガラガラだけどそっちは〜。」
「誰もいないよ。」
「んじゃ、俺もそっち行っていいかな?」
「バカ言ってんじゃないよ、ハゲ!」
「禿げてない禿げてない。」
ライとサザビーの声が揃って響いた。
「あー、きもちいい。」
隣から騒々しい水の音がする。
「風呂で泳ぐな!」
相変わらずアホやってるなと思いつつ、少し楽しくなってゼルナスは笑顔だった。愉快な仲間とこういう風情を楽しむのも良いものだ。
「うわっ、ライ、でけえなおまえ。」
ズルッ。少し身体を冷まそうかと立ち上がったゼルナスは、風情をぶちこわすような会話に足を滑らせた。
「えー、そうでもないよ。」
「いやでかいって。」
「サザビーには負けるよ。」
そんなことをいって笑いあう二人。
「なんちゅー会話だ___」
ゼルナスは思わず赤面して、また湯の中に戻った。伏し目がちになって顎先まで湯に浸かる。
「ほらだってサザビーのなんてこんなにゴツゴツしててさぁ、すんごい、黒っぽくなってんじゃん。」
ブクブク。徐々に湯の中に沈んでいくゼルナス。
「いんや、おまえのだってほら、つやつやしてんじゃん。」
ブクブク。ああ、もう聞いていられない。
「ちょっとくっつけて比べてみようか。」
「ひーっ!」
ゼルナスは思わず悲鳴を上げる。
「ほら、やっぱりおまえの方が大きいじゃん。」
「でもサザビーの方が固いよ。」
駄目だ、もう上がろう。
「しっかし___なにも風呂の中で「手のタコ」の大きさなんて、比べなくても良かったんじゃねえのか?」
ズルッ!ゴヂッ!
「ん?なんだ?」
隣から妙な音が聞こえてサザビーが首を傾げる。
「ゼルナスが転んだんじゃないの?」
とライ。
「紛らわしい会話してんじゃないわよ、まったく!!」
本当にこけていた。しかも頭を打っていた。ゼルナスは頭を抱えながら罵声を上げる。
「紛らわしいってなにと勘違いしたんだい?ベイベー。」
「どさくさに紛れて覗いてんじゃねえ!」
「うごっ!」
柵に登って女風呂に顔を出していたサザビーに、洗面器がクリーンヒット。彼は敢えなく撃沈した。
「大丈夫?サザビー。」
「破廉恥娘にやられた___」
「誰が破廉恥娘だ!!」
っと、すっかりギャグ一色。そろそろ元に戻りましょうか。
「ったく、馬鹿馬鹿しいっ。」
勘違いだったとはいえ、ゼルナスはまだ気恥ずかしくて苛ついていた。脱衣場で濡れた身体を拭いていく。
「おいゼルナス。」
ガラッと女風呂の扉が開いてサザビーが顔を出した。
「うわっ!平然と入ってくんなよ!何なんだよてめえ!」
ゼルナスは慌ててタオルで身体を隠して怒鳴りつけた。
「いや、こういうのってやったもん勝ちだから。」
「このっ!」
何か投げつけてやりたいがタオルから手も放せない。
「んじゃ、俺たちは先に部屋に戻ってるぜ。」
「さっさと消えろ!」
サザビーがいなくなってからも、また覗きにきやしないかとおちおちしていられない。 ガラガラッ。
また!?不意に扉が開いたので、ゼルナスは睨むようにしてそちらを見た。今度は下着をつけている、ものを投げつけるくらいはできるぞ!と意気込んではみたものの、何のことない女性の宿泊客が入ってきただけ。目があって、向こうを驚かせたようだ。ゼルナスは慌てて笑顔を作る。
「また恥かいた___」
ゼルナスは悔しくなって脱衣場の壁を叩いた。
「こんにちはフィラ王女。」
「こんにち___」
普通に答えそうになっていた。
「!?」
だが答えて良いはずがない。そんな挨拶、あるはずもないのだ。
「おまえは!?」
何者!と言う前に、振り返ったところを後ろから伸びてきた手がゼルナスの口を塞いだ。男の手___布が宛われていて、頭に抜けていく刺激臭がある。
「お待ちしておりましたよ、フィラ王女。」
意識の末端で聞きつけた声___この声は___憎きあの男___
「手間はとらせるな、キュリバーナ。」
「心得ております。」
ゼルナスを背後から襲った男はそのまま彼女の身体を支え、先に入って来た女が懐からなにやら小さな白い玉を取りだした。玉を一嘗めして、指で引っ張り始める。するとそれは柔軟に、まるで粘土のように伸びた。
「愉快なものだな、精霊の技巧というのは。」
「愉快なだけではありませんわ。実用的ですの。」
キュリバーナはまるでピッツァの生地のように玉を大きく広げて行くと、それを一気にゼルナスの顔へと被せた。
「_______」
そしてなにやら呪文を呟く。すると生地はゼルナスの顔にピタリと密着し、彼女の顔かたちをくっきりと浮かび上がらせた。
「完了です。」
そしてキュリバーナは生地を剥がす。次は徐に自分がゼルナスにしたのと同じように生地を被ってみせた。そして呪文を呟く。
「ほう___」
「いかがです?」
彼女は簡単にゼルナスに化けてみせた。容姿、声、そっくりだ。顔かたちだけでなく、髪型とその色合いまでゼルナスに変わってしまっていた。
「記憶までは奪えませんが、これでも充分に騙せます。」
「期待しているぞ。邪魔な輩を城へと誘導するのだ。フィラが生きていると世間に広まっては厄介だからな。」
その男、中年の紳士。紳士風の容姿と言うべきか。背が高く、整髪剤は欠かさず、正装を普段着とする。それは執事たる者の姿である。
「ではブレイナー様、また城でお会いしましょう。」
「巧くやるのだぞ、キュリバーナ。」
「私はフィラです。またの名をゼルナス。」
そしてキュリバーナは笑った。ゼルナスの顔で。一方でブレイナーはゼルナスを抱きかかえ、その背中に巨大な翼を表すと、露天風呂からクーザー城の方へと高らかに飛び去っていった。ニヤリと歪んだその口元に、鋭い牙を覗かせて。
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