3 生き延びるために 

 出航から三日が過ぎた。小麦粉の片づけには腐心させられたが、航海は順調さを取り戻し、クーザーへの到着は明後日になると推察できた。
 「___」
 その日の夜、ゼルナスは何をするでもなく、甲板で一人海を見つめていた。夜の海に明かりはない。月が漆黒のうねりの存在を報せてくれるだけ。夜の海は黒く、冷たく、深い。昼と夜で海はまったくもって姿を変えている。それはゼルナスも同じ。彼女は時折、一人で深い夜の海を眺める。冷たさを増した潮風に髪を靡かせ、ただ物思いに耽るのだ。
 「ナターシャ・ミゲルは病死した___か。」
 船は静かに前進し、車輪が水をかく涼やかな音に彼女の呟きはかき消された。
 海賊のキャプテンであるとき、彼女の瞳は酷く男じみている。だが夜の甲板に一人立つその時は、女性的な視線に変わるという。そしてその横顔は常に寂しげだという。だが彼女は仲間たちにこの姿を見せようとはしない。仲間たちも、年頃のキャプテンが一人でいられる時間を遮ろうとはしない。無粋な男たちにできる精一杯の配慮だった。
 「風邪ひくぞ。」
 フワリと優しく、ゼルナスの肩にコートが被さる感触。
 「サザビーか___」
 ゼルナスは煙草の火に照らされたサザビーの顔を一瞥し、また海を見つめた。
 「変わるもんだな。まるで海そのものだ。昼のおまえと夜のおまえじゃ大違いだ。」
 「ほっといてよ___」
 「何を考えていたんだ?」
 「あんたになんか教えない___」
 ゼルナスは素っ気ない態度で答えた。サザビーはそのまま彼女の隣に立ち、同じようにして海を見つめた。
 「ライは?」
 「寝てるよ。あいつは早寝遅起の男だ。」
 「たち悪いな___」
 ゼルナスは失笑した。
 「で、あんたはなにしに来たの?あたしを口説きにでも来たわけ?」
 「気障なのは嫌いだろ?」
 ゼルナスはただ海を見たまま頷く。
 「だから今はやめておく。」
 「気障な奴。」
 ゼルナスは吐き捨てるように言った。しかし、尻に不愉快な感触を覚えて表情が変わる。
 「これでも気障か?」
 バゴッ!
 「気安く触るんじゃないよ!このスケベ野郎!」
 今回はアッパーでした。
 「いてて___」
 「ったく。」
 ゼルナスはサザビーを一睨みして、また海を眺め見た。
 「あんたって、どう見てもプレイボーイだよ。そうやって平気で女の身体触ってさ、下心見え見えじゃないか!」
 「まあな。それもある。やれるものなら世界中の女とやってみたい。」
 サザビーはゼルナスの横顔を覗き込むようにしてニヤッと笑った。
 「呆れた___あんたあんなにナターシャ王妃が好きだって言ってるくせに、良く平気でそんなこと言えるね。良心ってもんが疼かないの?」
 「許してくれると思っているよ。」
 「なによその身勝手な言い分。エゴイストもいいとこじゃない。」
 「かもな___そうじゃなけりゃ、ただの調子のいい男だろ。」
 それを聞いて、ゼルナスはあからさまな舌打ちをした。
 「これ返す。」
 そして肩に掛けられたコートをはぎ取ると、叩きつけるようにサザビーに投げ返し、足早に船室の方へと立ち去っていった。
 「___可愛い奴。」
 サザビーはコートを肩に掛け、一つ煙を吐いて船室へと向かった。
 「?」
 だがその時のこと、彼は妙な気配を感じて立ち止まった。
 「なんだ___こいつは?」
 不思議な感覚だった。海から切迫感を感じる。それも不愉快なもの、何というか___邪悪な、殺戮の意志に似たもの。ただそれさえも複雑。そして強烈。とにかくその気配が海に広がっている。不気味な___それこそ超龍神に似た感覚かも知れない。
 「いやな汗だ___」
 脂汗。本能が危険を感じ取っているのだろうか?とにかくブラックホークは、恐ろしい海域に足を踏み入れた。そんな気がしてならない。
 そしてそれを感じたのは彼だけではなかった。
 「あれ?サザビー。」
 「おう。」
 船室の方からライがやってきた。煙草の光とシルエットでサザビーの存在を知る。
 「なんだか眠れなくってさ、風に当たりに来たんだ。」
 「眠れない理由はこの海にある。」
 「え?」
 「なんかいるぜここには___この前の化け物たちとは比べ者にならないような何かがな。」
 ライにも彼のいわんとしている意味が分かった。
 「超龍神___?」
 「に、関わる何かだろう。超龍神が自由になった影響で、数々の魔物たちが暗躍を始めた。滅びた伝説の化け物さえ、あいつが蘇らせちまうかもしれねえぜ。」
 超龍神に精通しているサザビーが言うのだから信憑性が高い。ライは生唾を飲み込んで、北の海を見やった。
 「何だ、サザビーまだいたの?」
 遅れてゼルナスもやってきた。
 「ライもいたのか。」
 「どうしたんだいゼルナス?」
 「眠れないんだ___胸騒ぎがしてね。」
 「なにそれはいけない、私に胸を見せてご覧な___」
 バキッ!
 「くぉぉぉ___」
 股間を蹴り上げられて呻くサザビー。
 「胸騒ぎの原因はこの辺にとんでもない化け物がいるかも知れないからなんだ。」
 「危機感って奴?でも何でそんなことが分かるのさ。」
 「僕たちの敵だし、ちょっとこういう気配になれてきたってところかな。」
 その言葉はゼルナスを悩ませた。
 「___ライ、そう言えばおまえのことを話してなかったな___」
 サザビーは股間を押さえながら言った。
 「話してやれよ。どのみち、風のリングがらみじゃいずれ話さなくちゃならないことだ。」
 そしてライは、ゼルナスにこれまでの経緯を語った。ソアラ、フローラ、百鬼、アレックス、フュミレイ、アモン___ミロルグ、そして超龍神。
 「___」
 ゼルナスはしばし無言でその話に耳を傾けていた。そしてライが一頻り話し終わると、ことを整理するかのように一つ二つ長い瞬きをした。
 「するってーと、あんたたちは___その超龍神とかいうやつに立ち向かっているってわけ?」
 「うん、そう。」
 ライは爽やかに答えるが、ゼルナスの面持ちは沈んでいた。
 「あ、そう。」
 そして一つ大きな溜息を付いた。
 「やっちゃったなぁ___とんだ貧乏クジじゃない。あんたたちを運んでたらあたしたちまでその超龍神とか言うのに狙われるかも知れないんでしょ?」
 「超龍神はリングのことを気にしている。なんでもあれが何かの封印を解く鍵らしくってな。風のリングを手に入れるつもりなら、知っておいたほうがいいことさ。」
 「つまり、あたしたちは必然に狙われると。」
 「___まあ、そうとも言えるか。」
 サザビーは沈んでいるゼルナスに煙草を差し出した。
 「吸うか?」
 「もらっとく。」
 「この嫌な感触からいって、比較的近くに何かがいる。もしくはある。」
 「まあいいさ、こうなったら一蓮托生よ。」
 そう言ってゼルナスは煙で輪を作った。二人が煙草の香りに浸っている間、ライは沖合の海を眺めていた。するとなにやら海とは違う出っ張りが見えた。
 「ねー、あそこに何かあるよ!」
 ___
 「洞窟___みたいだ。」
 船首に明かりが灯り、黒い海を照らす。双眼鏡で必死に目を凝らしてみると、ライが見つけた海の疣はどうやら海上に顔を出した海底洞窟への入り口らしかった。
 「洞窟?おかしいぜ、あんな海のど真ん中にか?」
 「地殻変動で沈んでいた古代洞窟が浮上したのかも知れない。とにかく岩が大口を開けているんだよ。」
 ゼルナスから遠眼鏡を渡され、サザビーもその様子の観察を始めた。
 「今まで何度かここの海域を通ったけど、あんなのははじめて見た。進路だって逸れていないし___」
 「気になるね。」
 「そうね。」
 確かに気になる。洞窟も___この海域を覆う邪な気配も。
 「進路向けますかい?キャプテン!」
 「頼む!」
 「うおっ!」
 船が突如進路を切り返し、勢いに振られたサザビーを慌てさせた。
 ガズガズガッッ!
 突如船が大きく揺れると、船首が少し持ち上がり、船体そのものが左へ傾いた。
 「どうした!?」
 車輪の回転が緩やかになっていく。
 「浅瀬でさ!このへん岩礁地帯になってる!ブラックホークで行くのは危険ですぜ!」
 船首で見張りをしていた海賊が声を張り上げた。
 「仕方ないか___ボートを出せ!あたしとこいつらで調べに行って来る!」
 海賊たちが数人ほど海に入り、船の左舷に縛り付けられていた木のボートを下ろし始める。
 「装備は万全にな。何があるか分からない。」
 サザビーは胸の傷を少し気にしながらも、槍を数回素振りして手応えを確かめる。
 「いいぞ、二人とも!」
 先に縄ばしごでボートに降りたゼルナス。
 「お先。」
 サザビーがそれに続く。
 「腕がなぁ___」
 ライは片手で苦労しながら縄ばしごを降りていく。
 「ゼルナス、少し船を進めておけ。」
 「は?なんで。」
 「いいから。」
 そして。
 「うわっ!」
 案の定、はしごを踏み外したライはそのまま海へ急転直下。はしごの真下から離れていたボートは被害を受けずにすんだというわけ。
 「な。」
 「なるほどね。」
 
 松明を片手に洞窟の縁へと横付けする。近づくと想像以上に大きな入り口だ。
 「ほら___」
 サザビーはゼルナスに手を貸して、二人は先に洞窟の入り口付近へ。
 「ライ、おまえは残れ。ボートを見張っているんだ。」
 「ちょっと!あんたと二人で行くの?」
 「ま、たまにはいいじゃねえの。」
 サザビーはゼルナスの肩を抱いてニヤリと笑い、彼女は嫌悪感たっぷりの顔になる。
 「本当に僕は行かないでいいんだね?」
 「ああ。」
 サザビーは振り返ってライに横顔を見せる。暗い中、松明の光で彼のしっとりと濡れた額が光った。
 「帰る場所を確保していてくれ。」
 だからライもその気になった。ボートに腰を据え、片手に剣を持つ。
 「行くぞ、ゼルナス。俺から離れるな。」
 「___」
 サザビーはゼルナスの身体を自分に密着させ、洞窟の中へと足を踏み入れた。文句を言おうかと思ったが、彼の真剣な顔つきを目の当たりにし、ゼルナスはなにも言えなくなった。
 「見ろ、ここは自然洞窟じゃないぜ。」
 苔で満たされた滑らかな岩盤。入り口を潜ると急に通路が縮む。下へと向かって、まるで巨獣の内蔵のような細く曲がりくねった道が続いた。だがそれも一瞬。
 「階段!」
 平坦な場に出たかと思うと、一気に景色が広がる。巨大な空洞。しかも光苔の類か、微かに明るい。二人が降り立ったのは空洞の上部の平坦な床。そこを踊り場に、空洞の壁面を螺旋状に、底へと階段が続いていた。底には___
 「何かある。台座?」
 「みたいだな。いこう。」
 二人でくっついて階段を下るのは少し厳しい。サザビーは彼女の肩から手を離した。ただゼルナスが自然とその手を握ってきたので、二人は手を繋いで慎重且つ迅速に階段を下り始めた。
 (感じているな___この切迫感___)
 彼女の手の湿り気をサザビーも感じていた。
 「なんだか嫌な夜だな___今日は。」
 ライの心も落ち着くことは無かった。まるで海のように、明鏡止水には成り得なかった。
 「何だこれ___壊れている。」
 二人は階段を下りきって、台座と同等の高さへとやってきた。台座の回りには特に光り苔が密集していて明かりには事欠かない。そして台座の上には砕けた石のかけらが散らばっていた。
 「ここに何かが飾ってあった、いや、祀ってあったみたいだな。」
 サザビーは台座に近寄り、崩れた石のかけらを一つ手に取った。
 「サザビーこれ___」
 ゼルナスも同じようにして石のかけらを観察している。そしてほぼ同時にあることに気が付いた。
 「ああ、彫刻だな。」
 断面の他に、滑らかに加工された面がある。つまりこの洞窟はどうやら、この彫像のために作り上げられたらしい。
 「組み立ててみよう。」
 「そうだね。」
 破片があまり飛び散っていない。単純に横倒しにでもなって壊れたのか、ただそれにしては破片が細かい気もする。大体、彫刻の中が空洞でもないのに、そう簡単に砕けはしないだろう。二人は台座にしゃがみ込み、形を保っている破片を集め、落っこちていた場所を参考に並べてみる。
 「蛇か?___いや、違うな。」
 形がそれなりにできあがった。どうやら長細いものがうねっている形。蛇のように見えたがどうやらヒレがある。
 「海竜___」
 「海竜?」
 ゼルナスの呟きを聞き取って、サザビーが尋ねる。ゼルナスは彫刻の、おそらく顔であろう部分を指さした。サザビーは超龍神がどんなものか、シルエットは知っているわけだが、この彫刻の龍は超龍神に比べて口先が細く、スマートな印象を受ける。
 「港がある街の子供なら誰もが聞いたことのある昔話さ、海には渦潮や嵐を起こす海の守り龍がいるっていうね___この彫刻は本で見た海竜ジュライナギアによく似ている。」
 「ジュライナギア___!」
 サザビーは絶句し、勢い良く立ち上がった。
 「なにそんなに驚いてるの?」
 「驚きもするさ___超龍神が前に自慢げに言っていた___いや、ピーンときたぜ!」
 彼の悪い予感がゼルナスにも伝わったか、それとも海で揉まれてきた女の勘が危機を悟ったか、彼女も立ち上がる。
 「超龍神には信頼できる部下が三人いた。それこそ超龍神に肉薄するくらい強い奴等だ。奴がこの世界を支配するために、深い眠りに落ちていた三人の魔獣を蘇らせたんだ!」
 「そんなまさか___」
 嘘ではない。現に超龍神は存在する。部下たちがいても何一つおかしいことはない。
 「名前だけは知っている___一人はゴルガンティ、一人はフェイロウ、そして一人はジュライナギア!!」
 その瞬間、洞窟が激しく揺れた。噴火前のポポトルを思わせるほど激しく。
 「な、なに!?」
 ゼルナスはよろめき、サザビーがそれを支えた。
 「崩れるな___急いで外へ出るぞ!」
 「ああ!」
 そのころ外では、大きな異変が起こりはじめていた。
 「な、なんだあの光は!」
 「海の底が光ってるぞ!」
 ブラックホークから見て一海里ほど先の海が、空に向かって光を放っていた。幻想的ではあるが異常な光景に海賊たちは騒ぎ始めていた。
 「何だ___?」
 ライも当惑気味に光の出所を睨んだ。
 そして事実とも虚実とも取れないことが起こった。
 その瞬間、己が目の当たりにした事実に海賊たちは言葉を失い、これは虚実かと己を疑った。
 ライは、あり得る話だと思っていた。
 この海域を覆っていた邪な気配が、あの光の出現で一気に増幅したから。
 「う、うう、海が割れたぁぁ!?」
 最初に悲鳴を上げたのは、船首で見張りをしていた海賊だった。
 ブラックホークの目前で、海はまるで二つの滝が向かい会うように真っ二つに切り裂かれ、そして光の元締めは悠然と海上への浮上を始める。
 「でかい___」
 ライは息を飲んだ。剣を握る手に力がこもる。
 ゆっくりと、その巨大な体を幾重にもくねらせながら、海の王者はその神々しい肢体を露わにしていく。だが神懸かり的に美しい龍の姿とは裏腹に、その存在はいるだけで人に大いなる恐怖をもたらす。威圧と敵意の塊だった。
 龍が完全に浮上すると徐々に海が元へと戻っていく。
 「ライ!」
 サザビーとゼルナスが息を弾ませて戻ってきた。二人も瞬時にしてジュライナギアを目の当たりにする。ブラックホークから一海里離れているのに、船と変わらない大きさにみえる邪悪の龍。
 「サザビーあれは!?」
 「超龍神の仲間、ジュライナギアだ!」
 「仲間!?」
 ライは息を飲む。
 「恐らく自由になった超龍神が、退治されたか封じられたかしていたジュライナギアを蘇らせたんだ!」
 「ブラックホークが!」
 ゼルナスが悲鳴を上げた。サザビーがライにジュライナギアの説明をしていたその短い時間のうちに、ジュライナギアはブラックホークのすぐ目の前まで接近していた。
 「小さき者よ___」
 海域に低い声が轟いた。風のように、自然と耳を通り過ぎていく。
 「我が目覚めの祝福とは殊勝な心懸け___我は嬉しいぞ小さき者よ___」
 ジュライナギアはまさに彫刻の龍そのものだった。超龍神よりも細く長く、そして肌は鮫のように一律で、青魚のような光沢を持つ。手足はないが鰭を持ち、異形の魚のような細長い口と、そこから伸びたナマズの如き長い髭が印象的だった。
 「目覚めたての我が身には丁度よい余興だ。」
 ジュライナギアの髭が鋭く揺らめいた。海賊の悲鳴。ゼルナスは背筋に寒気が走るのを感じた。次々と、悲鳴や、気合いの声が洞窟まで届く。ジュライナギアは容赦なく海賊を仕留めはじめていた。
 その髭は鋼の如き鋭さで、海を切り削り、海溝を生むという。
 ゼルナスは昔話の言葉を思い出した。一瞬サーッと血の気が引いて、すぐに燃えるような決意の炎へと変わる。
 ダッ!
 「ゼルナス!」
 ゼルナスはボートに飛び乗ってライからオールを奪い取った。
 「よせ、無茶だ!」
 サザビーもすぐにボートに飛び乗って、ゼルナスを後ろから羽交い締めにする。
 「このままじゃみんなが殺される!ブラックホークも!」
 「俺たちも死ぬぞ!」
 「だからってここで見ていろっていうのか!?」
 ゼルナスは羽交い締めを振りほどいてサザビーを睨み付け、怒鳴った。
 「___」
 なぜだかは分からない。だが女のゼルナスに怒鳴られて、どういう訳か返す言葉を失った。彼女の目に威圧されたようだった。
 「まってろ、今助ける!」
 ゼルナスは必死にオールで漕ぎ始めた。ジュライナギアの巨体に恐怖を抱くこともなく、とにかく仲間の危機を救うために必死だった。しかし___
 ドゴァ!!
 ブラックホークの機関部から炎が上がった。ジュライナギアの髭は船さえも砕き、貫き、叩き壊していく。まるで人が蟻塚を砕き壊すように、簡単に。
 もうどうすることもできない。
 黒い船はその剛健な船体を折り曲げ、海へと沈み始める。
 「駄目だ、これ以上近づくな!」
 ボートは洞窟とブラックホークの中間あたり。背後では洞窟が崩れ始めていた。これ以上近づいてもジュライナギアの攻撃と、ブラックホークの爆破に巻き込まれるだけ。そう思ったサザビーはゼルナスからオールを奪い取った。
 「なにするんだ!」
 いきり立ったゼルナスはサザビーの顔面に平手を放つ、しかしサザビーはそれを片手で受け止め、そのまま彼女の手を握った。
 「落ち着けゼルナス___今大事なのは俺たちが生き残ることだ!」
 そして強くそう言い放った。
 その瞬間、ゼルナスの背後で巨大な炎が黒煙と共に吹き上がった。
 「!」
 彼女は振り返り、その瞬間を見た。
 ブラックホークの機関部が弾け飛び、破片や人が空へと飛び散るのも見えた。ボートの側にも燃えさかった塊が幾つも飛んでくる。
 「う___」
 そして彼女の堰が切れた。
 「うあああああ!」
 嗚咽と共にその場に崩れ落ちた。
 「ジュライナギア___!」
 サザビーは口惜しい顔でジュライナギアを睨み付け、ライはゼルナスを慰めようとする。そしてジュライナギアは、目覚めの一仕事を終えると、霧に解けるようにしてその姿を消していった。
 「う?」
 突然、波が変わった。
 「こ、こいつは___」
 気が付けば、周辺一帯の海が一つの流れを持ちはじめていた。中心は、ジュライナギアがいた辺り。外から内へ、その地点目がけて急激に潮が動き出す。
 「渦潮!」
 サザビーが叫んだのとボートが転覆したのはほぼ同時のことだった。三人は激しい海の流れに飲み込まれる。しかしサザビーはゼルナスの手を握り、ライはサザビーの手を握っていた。激しい流れの中ライは必死に水をかいてゼルナスの手を取った。三人は輪を作り、潮に飲み込まれていく。
 息が苦しい。しかし耐えなければならない。生きるために。
 それぞれを繋ぐそれぞれの手がただ一つの命綱だった。
 「これだけは絶対に放さない!」
 そう、生き延びるために。




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