1 サザビーの思い出
 
 「こいつぁ___契りの指輪じゃねえか!クーザーの王位継承の品だろ?」
 「そう。説明ありがと。こいつをどうしても欲しいって言う人がいるんだ。」
 国際情勢に詳しいサザビーが不思議そうな顔をする。
 「欲しい?妙な話だな。クーザーは四年前にフィラ王女が失踪して以来、王家不在の国だ。契りの指輪は王家以外の奴にとってはどうでもいい品物じゃないのか?」
 「依頼人が王家だったら?」
 ゼルナスは頬杖を突いてニヤッと笑った。
 「なに!?」
 「依頼人はフィラ・ミゲル王女。彼女は王位を取り戻し、クーザーに戻りたがっているのさ。」
 サザビーはゼルナスの言葉を聞いて息をのんだ。その顔に疑心暗鬼の色が浮かぶ。
 「何で急に王位を?」
 「さあ、あたしの知るところじゃないが___推測では今のクーザーの状況にあるんじゃないかと思うんだ。」
 「状況?」
 ライは首を傾げた。
 「王女がいなくなってから、クーザーは大臣と腹心が取り仕切っている。だがこいつらがどんどん悪政に走ってね、永世中立国であるのをいいことにやりたい放題なんだ。」
 ゼルナスは神妙な面持ちで語り、葡萄酒を傾けた。
 「先代のナターシャ様の時はいい国だったんだがな。今は評判が落ちている。カルラーンが隣国じゃなかったら、荒廃はさらに進んだかもしれない。」
 「ナターシャ様って王妃だろ?知ってるみなたいに言うけどさ。」
 「知ってるよ。」
 ライの簡単な言葉に、サザビーは酷く神妙な面持ちで応えた。ライを少し不安にさせるほどに。
 「ナターシャ・ミゲルは俺の憧れの人だったからな。美しく、強く、そして時に優しく可憐な人だった。だが若くして亡くなられたんだ。原因はたちの悪い病。当時まだ十になったばかりのフィラ王女を残して、静養先でひっそりと息を引き取ったのさ。」
 サザビーは酒を口にし、一つ息を付いた。
 「なんだか悪いこと聞いちゃったかな。」
 ライはばつが悪そうに頭を掻いた。
 「きにすんな。彼女はアレックスの同胞だ。おまえにだって関わりがないわけじゃない。」
 サザビーは更にナターシャの昔話を続けた。
 「ナターシャ様は戦時中に、側近として共に戦っていたエリツィオ・ソーマレーズと結ばれ、フィラ王女が生まれた。だがエリツィオはナターシャ様よりもさらに若くしてこの世を去った。そういう意味でもフィラ王女は悲劇的な人物だ。彼女は十二の時に失踪した。悲劇に耐えられなくなって精神的に不安定になっていると噂になっていたからな、世間は彼女がいずこかで自ら命を絶ったのでは?という根も葉もない吹聴を信じ続け、今に至っている。俺は信じたくなかったね。あのナターシャ様の娘だ、女傑の一族クーザーの末裔が悲劇に耐えかねて自殺するなんて。」
 「やけにナターシャ・ミゲルのことに詳しいじゃない。あんた何者?」
 ゼルナスは口の端っこにだけで笑みを作り、サザビーに尋ねた。しかしそれに答えたのは、昔の記憶に頭を支配されていたサザビーではなく、ライだった。
 「サザビーはポポトルの総帥だったんだ。」
 「!?」
 ゼルナスは驚いて目を大きく見開いた。
 「いや、そんなものになる前から俺はナターシャ様を知っていた。もっと小さい頃からな。ちょくちょく可愛がって貰ったもんさ。」
 サザビーはフッと懐古的な笑みを浮かべる。
 「どういうこと?」
 ゼルナスは真摯に尋ねた。頬杖をやめて、サザビーを真っ直ぐに見つめる。
 「この際だ、俺の昔話をしよう。ゼルナス、おまえにもな。」
 サザビーは葡萄酒の瓶を傾け、コップを酒で満たした。揺れる波紋を眺める一呼吸の後、彼は語りだした。
 「俺の名前はサザビー・シルバ。親父の名前はポロ・シルバ。つまり、俺はゴルガの王子だ。」
 ライとゼルナスは目を丸くする。だが声を上げることは憚られた。今は黙ってサザビーの話を聞かなければならない。
 「俺が生まれたのは今から二十四年前。ちょうど全世界を恐怖させたレサと白竜との戦いが始まった頃だ。公にまだ戦争が始まったわけではなかったが、ゴルガとレサの仲は特に険悪でな、親父は愛息がケルベロスの標的になることを恐れ、俺の誕生を一切公表しなかった。徹底ぶりは凄まじいものだったぜ。後から聞いた話だが、妊娠が発覚してすぐに、俺の母親、つまり妃は親父が信頼していた有力な家臣、セバスチャン・ブロンズの領地へ転地し、そこで数ヶ月過ごしたそうだ。まあそのストレスかどうかしらねえが、お袋は出産のショックで逝っちまったらしい。」
 「そうだったのか___ゴルガの王家は滅亡したって聞いていたけど、嘘だったんだね。」
 「そういうことだ。俺はサザビー・シルバという名前の他に、デュレン・ブロンズという名前を手に入れた。そしてセバスチャンの手で育てられた。公で親父と会うときは常にセバスチャンの子息としてだった。つまり、俺が本当はサザビー・シルバであると言うことを知っていたのは親父、セバスチャン、数名の老家臣、そして親父の親友であるアレックス、ライオネル、ナターシャ、アモンだけだったのさ。」
 サザビーは更に続けた。
 「戦争が激しくなってくれば、当然ゴルガ国内に領地を持つブロンズだって危ない。ケルベロスが世界に手を伸ばすようになってくると、親父の薦めでセバスチャンは俺を連れて新しい土地へと越すことにした。当時、新しい世界を求める人々の象徴的存在だったポポトルは、引っ越すには申し分ない場所だ。何しろケルベロスから遠いからな。だが結果として、名のある領主の子息で、一通りの教育を受けてきた俺はギャロップらの目に留まり、総帥に担ぎ上げられることになった。」
 ゼルナスは黙って話を聞いている。時折葡萄酒を口にして。
 「さて、俺がナターシャ様と初めて出会ったのは、ああ、出会ったという記憶があるのは確か五歳の時だ。その時から女好きだったのか、母親と思って接していたのか、とにかく俺はナターシャ様に酷く懐いたものだった。だがポポトルに来てからというもの、ぱったりと会うことはできなくなった。ナターシャ様は結婚し、フィラ王女も生まれていたがそれでも俺の気持ちはかわらなかった。周囲の目を盗んで手紙を出してみたりもした。あの人は俺の憧れの女性としていつも心の中にあった。いろんな女を抱いてきても___俺の中で特殊な感情を要する女性はナターシャ様だけだった。」
 ライは考えていた。サザビーはナターシャの鮮明な映像を思い浮かべていることだろう。しかしライにはナターシャの姿は想像も付かない。果たして、自分が知っているフローラやソアラやフュミレイのような女性なのだろうか?そんなことを考えていた。
 「だが薄幸の美女とはこのことだ。戦いに青春を注いだナターシャ様は、結婚して一年とせずに戦争でエリツィオを失った。そして自身も、エリツィオの忘れ形見、フィラ王女を出産し、数年後に体調を崩された。倒れられたのは恐らくフィラ王女が六つの時。それ以来王妃は転地で療養することとなった。それを聞いて、俺はどうしても彼女に会いたくなった。外交という名目でそれが叶ったのが今から五年前。俺はまだ十九だった。」
 ______
 「久しぶりだなサザビー___こんなに大きくなって___いや、もうそんなことを言うのは失礼な年だな。おまえは立派な紳士だ。」
 静養先の湖畔。サザビーを出迎えたナターシャは微笑んでいた。ログチェアにゆったりと腰を掛けた姿勢で。
 「私もこんなに変わってしまった。天下の女傑も、すっかり衰えてしまっただろう?」
 ナターシャは彼の知っているナターシャよりも、痩せ、衰えていた。それは確かだ。だがそんなことは関係ない。
 「そんなことはありません。ナターシャ様はたとえ幾ら時が経とうとも、お美しく、強く、優しいナターシャ様で御座います。」
 「サザビー___」
 ナターシャは少し寂しそうな顔をする。
 「ありがとうサザビー、でも時の流れには逆らえない。おまえだから言うが___私の体はもう___」
 「おっしゃらないでください。」
 サザビーはナターシャのすぐ側へと跪き、その手を取った。
 「それ以上は___おっしゃらないでください!」
 ナターシャの目に、必死に涙を堪えるサザビーの形相が焼き付いた。
 「摂理には逆らえぬもの。」
 「私はあなたを愛しております。」
 認めさせようとするナターシャの言葉を、サザビーは強くはっきりした言葉、そして真っ直ぐな視線でかき消した。
 「幼い時分からあなたに抱いていた憧憬の感情は、我が心身の成長と共に恋慕へと姿を変えていきました。私はあなたを世界中の誰よりも愛おしく思っております。」
 「サザビー___やめてくれ。死期を感じている人間に___その告白は残酷だ。」
 ナターシャは冷静でいようと努めた。心に蟠る感情はあった。それを押し殺そうと必死だった。これ以上、サザビーの愛を聞きたくなかった。
 グッ。
 サザビーは一度俯き、彼女の壊れそうなほどにか細い手を少し強く握った。
 そして徐に。
 「ん___」
 彼女の唇を奪った。
 病がうつることを危惧したナターシャは彼を突き放そうとする。だがサザビーは構わずに唇を重ね続けた。肩を抱かれたその時に、ナターシャの中で何かが溢れた。
 ぐ___
 ナターシャが双眼を閉じると、涙が止めどなくこぼれ落ち、彼女もまた両手を伸ばして縋り付くようにサザビーの背を抱いた。二人は真に求めあい、唇を重ね続けた。サザビーは気丈に、涙をこぼすことはしなかった。
 「___申し訳ありません。」
 ログチェアから半身を起こして涙を拭っているナターシャにサザビーは呟いた。
 「何を謝ることがあるものか___ゴホッゴホッ!」
 ナターシャは激しく咳き込み、口元から血の塊が弾け飛んだ。
 「お体に触ります、横になられた方が___」
 「構わないよ。こんなことはしょっちゅうだ。」
 ナターシャはゆっくりとログチェアに寄りかかった。
 「嬉しかったよ___」
 「え?」
 「おまえが来てくれて本当に嬉しかった___あの人が亡くなり、病に倒れてからというもの私は常に一人だった___誰一人愛することもなく、私を愛する者も誰一人いなかった___」
 ナターシャの心に染み付いた寂しさが、彼女から強い炎を消そうとしていた。
 「だがおまえは___おまえだけは違った___」
 ナターシャは微笑んだ。本当に素敵な、心からの微笑みだった。また、目尻から一筋の涙が伝う。だがそれはサザビーのやりきれない思いを掻き立てる。
 「ありがとう___本当に、ありがとう。」
 サザビーはナターシャに背を向け、空を見上げた。
 「エレ サムナ リブレスタ ノウ!」
 叫びたくても聞かれたくはないその言葉を、サザビーは母国の古代語で叫んだ。
 神よ、あなたはなんと残酷なことを!
 と。
 「サザビー___?」
 「ナターシャ様!」
 不思議そうに問いかけるナターシャを振り返り、サザビーは縋るように言った。
 「ポポトルにはテンペストという優秀な医者がおります!数々の難解な手術様式を確立させた、外科手術の天才です!彼の診察をお受けになって下さい!」
 「それはできない相談だ___」
 「なぜ!?」
 「私には手術に耐えられるだけの体力が残っていない。」
 「そんな___」
 辛辣な言葉。だがナターシャはサザビーに現実を教えるために、さらに手を尽くすつもりだった。
 「ご覧、この胸を。」
 「ナターシャ様___!?」
 ナターシャは身を起こし、服の胸前の紐を解き、一気にはだけた。サザビーは突然の行動に焦り、戸惑ったが、ナターシャの胸を目の当たりにしてすぐに真顔を取り戻した。
 酷い有様だった。内出血か、はたまた別の何かか。肋骨が浮き上がりそうな乳房の辺りから、首筋の近くまで、爛れたような青黒い紫色に変わっていた。
 「肺をやられているわ。」
 ナターシャは服を整え、ログチェアに深く腰掛ける。だが、サザビーに戦慄の現実を見せつけた彼女の顔からは、先程までの寂しさが失せているようだった。
 「もう帰りなさい___いつまでもここにいては辛くなる___おまえも、私も___」
 「はい___」
 サザビーはナターシャの手を取って、精一杯の敬意を込めて口づけした。
 「たとえこの身が果てようとも、我は汝を忘るることはない。」
 そのときナターシャは、囁くほどの小さな声でそう言った。
 「失礼します!」
 サザビーは深々と一礼し、潔く踵を返した。
 「サザビー、フィラを頼む。私の恋人として。」
 サザビーは背を向けたまま。
 「はいっ!」
 答えた。しかしその返答には逡巡があった。胸の奥底からこみ上げる何かで言葉が詰まって出てこなかった。
 そして思い余って走り出した。涙が、涙が流れる。止まらない。父の訃報を耳にしても、ポポトルで厳しい現実に直面しても、決して流れ出ることの無かった涙が。
 今だけはどんなに止めようとしても止まらなかった。
 「エレ サムナ リブレスタ ノウ___言ってくれるよ。」
 その日からナターシャが変わった。おつきの者がそう言ったものだった。
 _______
 「俺が戻ってから二十日もした頃、ポポトルに一通の手紙が届いた。それはナターシャ様の崩御の知らせだった。」
 ライは眉間に息苦しさを感じ、思わず考えた。
 今、サザビーの瞳は潤みもしない。僕にこんな悲しい思い出があったとしたら、ここまで平静に語れるだろうか?
 「なんだか湿っぽくなっちまったな。えっと、どういう話しだったっけ?確か契りの指輪のことだったよな。」
 「えっと___そうね、どこまで話したっけ?あ、そうそう。」
 ゼルナスは努めて明るく振る舞おうとしているようだった。彼女の目尻にキラリと光るものが見えたが、それを指摘するのは野暮なことだ。
 「とにかく、フィラ王女は今の荒廃したクーザーを何とかしたいから王位を取り戻したがっている。でも、王女はもう四年も姿を消していた。いきなり現れたって突っぱねられるのが落ちだろ?だから契りの指輪が欲しいんだ。」
 「でもそんな指輪だけで証明になるのかな?」
 ライの言うことも尤もだ。指輪が盗まれたとあっては、結局それがフィラの手に渡ったとしても王家の証明にはならないだろうに。
 「あたしもそう思ったよ。でもこの指輪がただの指輪じゃない。契りの指輪には風のリングっていう別名があるんだ。」
 「風のリング!?」
 ライは驚くと声が裏返る。この時も素っ頓狂な声を出してゼルナスを驚かせた。
 「なんなのよあんた、びっくりするじゃないのさ。」
 「あ、いや別に、何でもないよ。続けて。」
 落ち着いて考えてみればアモンが風のリングはクーザーにあると言っていたような気がする。ただ、いずれは必要になってくるかも知れない。何しろあのリングには超龍神も狙いを付けているのだから。
 「変な奴だな。まあいいや、でその風のリングって言うのは、クーザーの王家が身につけると特殊な反応を示すんだって。だから王家であるという証になるんだ。」
 「なるほどな、リングの守護者の一族か。先天的にちょっとした才能のある一族なのかもな。」
 「なにさそれ。」
 「あ、いやこっちの話だよ。」
 ゼルナスに超龍神に関する複雑な経緯まで話すことはないだろう。そう考えたサザビーは適当にはぐらかした。どちらかと言えば大雑把にも見える彼女のこと、それ以上掘り下げるでもなく話は移っていく。
 「ま、こんなところかな、とりあえずこれが仕事。クーザー城に忍び込んで、風のリングを盗み、あたしたちはそれをフィラ王女に届ける。あわよくばクーザーまで送るってところか。あんたたちに手伝って欲しいのは盗むところまでよ。それから先はあんたたちに任せる。どう?」
 「俺はやるぜ。フィラ王女には幸せになってもらわなけりゃ、ナターシャ様に顔向けできねえからな。」
 「僕も勿論やるよ。」
 ゼルナスはニッコリと笑ってコップに残った酒を一気に飲み干した。ほんのりと頬も赤み帯びている。
 「よ〜し決まった!それじゃあ早速出航するとしますか!」
 「おいおい、そんな酒気帯びで大丈夫なのか?」
 「こんなの飲んだうちに入らないよ!」
 「あ、そうだ、一つ教えてくれ。」
 出発に向けて動き出そうとしていたゼルナスをサザビーが止めた。
 「フィラ王女は今どこにいるんだ?」
 「ここから西に行ったところ、ゴルガとソードルセイドの国境付近の海岸に屋敷があって、そこで暮らしているよ。あたしたちも西へ向かったときに偶然出会ったんだ。」
 サザビーはそうかと呟いて満足げに頷いた。何故失踪したのかなど、色々聞きたいこともある。できればリングを渡しに行くところまで連れ立っていたいものだ。
 「さ、もう質問はないね?」
 聞いてみたいことはあったが、今でなくてもいいだろう。例えば、彼女が海賊になった経緯など、サザビーは非常に興味を感じていた。あと彼女の年齢。芯は座っているが、想像以上に若いのではないだろうか?
 「ねえゼルナスって年幾つ〜?」
 「十六。」
 「えっ!年下なの!?」
 ほれみろ。必要以上に驚いているライを後目にサザビーは納得。
 「なあゼルナス、煙草もらえねえかなあ。もう何日も吸ってないから口寂しくって。」
 「あ、あと武器がほし〜。」
 「ああもう分かったから、後でまとめて渡すよ!とにかく、さっさと船に乗り込む!」
 生粋の姉御肌ゼルナスに尻を叩かれて、ライとサザビーは部屋を飛び出した。二人の後ろ姿。特にサザビーの背中を見る彼女の目には若干の憂いが差し込んでいるようでもあった___
 「あんたの話___胸に響いたよ。」
 そして誰にも聞こえないほど小さな声で呟いていた。




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