4 胎動
「そうなんだ___百鬼は来てないのか___」
ソアラは寂しそうに言った。皆と笑顔の再会を果たしたソアラだったが、肝心の百鬼がいないと知って喜びも半減してしまったようだ。
「ここには来ていないと思うの。」
「まったく、彼女をほったらかしで暢気な奴だ。」
「自分だってそうじゃない。」
ソアラは平気な顔に戻ってサザビーに突っ込みを入れるが、気丈を装っているのは明白だった。
「少しお疲れのようですね。」
棕櫚が気遣いを見せる。
「そりゃね。昨日は明け方まで馬鹿騒ぎだったから。」
「でも驚いたなぁ。ソアラの歌、上手だったよ。」
「うまくはないって。」
フローラとソアラは微笑みあって楽しそう。だがフローラと話していると決まって顔を出すあいつがいないことに、ソアラは気が付いた。
「そういえばライは?」
「ああ、あいつなら人物画の結果発表に行ったよ。」
「人物画!?」
「おーい!」
噂をすれば何とやら、ライがこちらに向かって走ってきた。
「ライ〜!」
ソアラは笑顔で彼に向かって手を振った。
「あ!ソアラ久しぶり〜!あうっ!」
ライは手を振り返した途端に、足がもつれて転倒してしまった。いつものことだが、今日はいつも以上に慌ただしく見えた。
「どうしたの慌てて?はいハンカチ。」
鼻血を迸らせてやってきたライに、フローラはニコニコしながらハンカチを差し出した。
「優秀賞、貰っちゃった!」
「___なにぃっ!?」
サザビーはくわえかけた煙草を吹きだしてしまった。
「あのフローラさんを描いた絵ですね。いや、良い出来でしたからね。」
「へぇ、凄いじゃないライ!」
棕櫚とソアラも口々に祝福する。
「でかしたでかした!」
ソアラとサザビーがライの頭を両側から平手で叩きまくった。棕櫚はその様子を見て笑い、フローラはまだ信じられないような顔をしている。
「いててて、いやなんでもさぁ、今年は有力な人たちが他の部門に行っちゃって、人物画部門は層が薄かったんだって。運が良かったんだよ。」
相変わらずの幸運ぶり。
「いやいや、運だけで優秀賞は取れませんよ。これもライさんの実力あってのことです。」
「あはは、そうかなぁ?きっとモデルが良かったんだよ。もしサザビーだったら取れてないね。」
ライはそう言って自然とフローラの手を取った。
「なにぃ?」
サザビーは彼の後頭部を肘でつつき、ソアラがそれを宥める。
「ありがとう!フローラ!」
ライは満面の笑みでフローラに向き合い、そんな彼を見ているとフローラも同じような笑顔になった。
「良かったね!」
そこに男女の意識はなかったが、それでも回りから見れば二人のこういう光景は、実にほのぼのとしていてお似合いである。
「あ、そうだ、それでこれから女神の微笑みを見に行くんだ。」
そう、もう芸術祭は全ての部門で優秀賞が決定した。これから優秀賞の獲得者は、全員集合して女神の微笑みを見に行くのである。
「それなら宝珠を渡すね。」
「でもおまえ宝珠の使い方知ってんの?魔法使えないだろ?」
「うーん、良くわかんない。」
ライはフローラから受け取った宝珠を眺め、首を傾げた。
「潜在的な魔力があればできるはずよ。でも、もし自信なければ女神像が本物かを確かめてくるだけでもいいんじゃない?」
「そうですね。魔族が芸術祭で優秀賞を取るとは思えませんし、スクレイザさんも操られていただけですから、彼女に女神像を破壊する方法はないでしょう。その後彼女に魔族がなにかをした様子はないんですよね?」
「ああ。」
スクレイザの話題にもサザビーは顔色一つ変えなかった。サザビーが監視役を買って出て、その後も彼女の動向は逐次気にかけていた___ことになっている。
「防護壁もブローチも、アモンさんが作ったんでしょ?だったらあのエロじじいに掛け合えば何とかなるわよ。どう?あたしのヘヴンズドアで___」
「駄目!」
皆の声が揃った。また散り散りになるのはまっぴらだ。
「それではこれよりブローチを渡します。女神の微笑みの鑑賞を終え次第、回収いたしますのでよろしくお願いします。」
神殿の門を抜け、防護壁の扉の前に今回の受賞者たちが勢揃いしていた。ライは勿論、アメヤコフスキーやスクレイザことリュキアの姿も見える。
「こんちわ。」
「?ああ、こんにちわ。あなたも受賞者だったの?」
「そう!」
リュキアはライの姿を見てぎょっとしたが、彼がまるで疑う様子がないので安心した。同時にサザビーに感謝してポッと赤くなる。
「これを押すのか。」
ブローチを受け取ったライはそれを胸元に着け、真ん中にある赤いボタンを押した。するとブローチが輝きはじめ、その光が全身を嘗めるように駆け抜ける。
「へぇ〜。」
これをアモンが作ったというのが少し信じられないライ。
(うう、気色悪い波動だな___)
ブローチの光に嫌悪感を覚え、リュキアは顔をしかめた。やがて十数人の受賞者たちは、係員を先頭に開かれた扉を進んだ。扉の向こうは地下に続く階段になっていて、その時々にまた別の扉がある。そして五つ目の扉を開いたその時、一気に景色が開けた。
「うわぁ。」
そこが半ば地中に埋もれた神殿の内部だ。幻想的に篝火が並べられ、祭壇に鎮座した女神像を美しく照らしている。
「おっと、感動してる場合じゃなかった。」
ライは気を引き締めて、他の受賞者たちと一緒に女神像に近づいていった。あくまで見た目でしかないが、他の女神像と同じもののようだった。
「うむ、何度見ても素晴らしい。」
アメヤコフスキーも羨望の眼差しで女神の微笑みを見上げている。リュキアはと言うと、他の受賞者たちからは少し離れた場所に立ち、何かを呟いていた。
「どうしました?もっと近づいてご覧になったらいかがです?」
係員がリュキアに語りかけた。リュキアは彼に小さな笑みを見せたかと思うと、すぐさまキッと女神像を睨み付けた!
「ディオプラド!!」
「えっ!?」
ライは己の耳を疑った。振り返ったときにはもう遅い、既に白熱球は彼の頭上を駆け抜け、女神像に食らいついていた。
ドゴォォォォッ!
爆音が幾重にもなって響く。沸き上がる粉塵に受賞者たちは混乱し、耳を押さえた。残響漂う中、ライが目の当たりにしたのは顔を吹っ飛ばされた女神像の姿だった。やがて像は全身に罅を走らせ、砕けていく。
「ああああ!な、なんてことを!」
係員が慌てて像に駆け寄る。ライは呪文の発生源を睨み付け、目を丸くした。
「スクレイザ!」
「スクレイザ?違うよ、ライだったっけ?あたしを見忘れた?」
リュキアは髪を掻き上げ、尖った耳をライに見せつけた。
「リュキア!」
「そう。あんたたちの大っ嫌いなリュキア様さ。この前騙された仕返しってね。」
リュキアは笑顔でライを指さし、すぐに踵を返して神殿の外へと走り出した。
「待て!」
ライも彼女を追いかけたが、神殿の外へ出たときにはなぎ倒された門番がいただけ。リュキアは既に消えてしまっていた。
ピーン___
その瞬間、超龍神の居城である黒鳥城に、耳鳴りかと思うような甲高い音が響いた。
「む___」
たった一人で謁見の間にいた超龍神は、玉座に凭れたまま顔を上げた。謁見の間の闇に白い煌めきが散らばってゆく。
「来たか。でかしたぞリュキア。」
そしてその煌めきを蹴散らして、闇の波動が超龍神に向かって勢いよく伸びてきた。黒い息吹は彼の身体にめり込み、食いつくように入り込んでいく。一見痛みを伴いそうな状況に、超龍神は心地の良い笑みを浮かべていた。
「ククク___」
超龍神の身体に暗黒の炎が灯った。黒い揺らめきは彼の身体で燃え上がり、そしてやがて吸い込まれていく。闇の中から走る波動が全て彼の身体に食い込んだとき、超龍神は白い歯を見せて笑った。そして一言だけ呟いた。
「完璧だ。」
クーザーマウンテンの上空で停滞していた黒鳥城に大きな震動が走った。それは稼働の合図だった。
「良くやった___リュキア。」
その震動でリュキアの任務完了を知ったミロルグは、ホッとした様子で呟いた。
「いやすまん、俺が浅はかだった。まさかリュキアだったとはな___」
サザビーは沈んだ様子で語った。当然、彼はこうなることを予測していたわけだが。
「あなたのせいじゃないわ。」
彼の落胆が芝居とも知らず、ソアラが慰める。
「そう、全員の責任ですよ。高をくくりすぎましたね。」
「守れるチャンスはあったのに___」
棕櫚とライも反省しきり。フローラはライの側に寄って彼の肩を抱いた。
「それよりもこれからどうします?四つの均整は全て破壊されてしまいました。次に彼らが狙うのは___」
「六つのリング。」
「そうです。」
棕櫚は頷いた。
「俺たちの手元にあるリングは四つ。まあ、百鬼のも含めてだが。」
「百鬼が心配ね___」
フローラが呟く。
「残りのリングは二つですか。」
「あ!」
ライが突然声を上げた。
「どうしたの?」
「命のリングはケルベロスにあるって!フュミレイが言ってたよ。」
だが皆が驚いた顔をしているのを見て、ライは首を傾げた。
「フュミレイが言ってたってどういうこと!?」
「あっ!そうか言ってなかったね。僕フィツマナックに飛ばされたんだ。」
ドガッ!
ソアラとサザビーが彼の頭を拳骨で殴った。
「何でそういう大事なことを言わないのよ!」
蹲ってしまったライをフローラが気遣う。
「大丈夫だったのか?おまえとフュミレイは因縁浅からぬ関係だろ?」
「うん。彼女も大変な目にあったみたいだし、仲直りしたよ。」
そう簡単に言ってみせるライは、面白いほどあっけらかんとしていた。
「それよりも、これからどうするの?最後のリングでも探す?」
「無理に探すことはないわ。これからはリングを守る戦いが始まるのよ。」
フローラの問いに、ソアラが真剣な顔つきで言った。
「そのためには百鬼と合流しないといけない。みんなはソードルセイドに向かってくれる?」
それは皆にとっては不思議な提案だった。
「ソードルセイド?」
「あたしはフィツマナックに行って来るわ。フュミレイなら百鬼のことを知っているかもしれない。」
「どうしてフュミレイなんだ?」
ソアラは構わずに語り始めた。
「彼とフュミレイは幼なじみなのよ。彼の本名はニック・ホープ。ソードルセイドの王子なの。」
驚きの発言。皆は言葉を失った。
「ソアラ、それ___知ってたの?」
フローラがたどたどしく尋ねた。
「ジャムニで教えてもらったの。彼は両親の仇討ちのチャンスを狙っている。そして同時に、彼が生きていることが知れれば狙われる立場になるわ。だから偽名を使っていた。」
「その仇がソードルセイドにいると言うことですか?」
棕櫚の問いにソアラは頷いた。
「だからみんなは先にソードルセイドに向かって。一人で仇討ちに走ってたりしたら大変だからね。あたしは、もしかしたらだけど___あいつ、フュミレイのところに行ってそうな気がするのよ。女の勘ってやつ。」
皆もソアラの意見に賛同することにした。ただサザビーだけは___
「んじゃ、俺は法王堂に行ってくるかな。」
「えっ?」
それも驚きの発言だ。サザビーは煙草に火を灯してくわえる。
「四つの均整の中心は法王堂だぜ?様子を見に行かないわけにもいかない。幸い俺はゴルガの王子だし、お膝元のゼルナスにも口がきくからな。」
「そうね、それは必要だわ。クーザーマウンテンに何らかの異常があるんなら、その原因を知っている私たちが対応しなきゃいけない。」
こうして各々の行き先が決定した。だがソアラにはまだ大事な告白が残っていたのだ。
「あとね、あたし暫く本気の戦いってできないと思う。」
「なんで?」
ソアラは俯いて口ごもる。しかし意を決したように赤くなった顔を上げた。
「赤ちゃんができたのよ。」
唖然。
「本当ですか?」
棕櫚も呆気にとられた様子で聞き返した。
「本当よ。百鬼の子供。」
「ははは、嘘___」
サザビーは落としてしまった煙草を拾い上げた。
「嘘じゃないわ。あれも止まってるし。」
「あれ?」
「おまえは知らないでいい。」
ライは首を傾げ、サザビーが彼の肩を叩いた。
「おめでとうソアラ!」
フローラはソアラの手を取り、彼女を祝福した。
「ありがと。」
ソアラも微笑み返す。数少ない嬉しいニュースに自然と顔がほころんだ。ただ、このことを一番報告したかった百鬼がいないのは、本当に残念なことだ。
そう、百鬼だって、それを知っていれば一目散にソアラの居場所へ向かっただろう。ただ彼は、たまたまフィツマナックへ向かう船が出る港町に辿り着いてしまったのだ。そして、ローレンディーニではなくフィツマナックを選んでしまった。
「フュミレイ___」
彼は船に揺られていた。もう一人の恋人に会うために。
そして、六つのリングを巡る争いに、超龍神はさらなる波紋を投じる。それを提案したのは三魔獣の一人、ものまね上手の悪女だった。
「あたしが権力者の一人に成り代わって世界征服をするの。リングの回収にも役立つかも知れないし、おもしろそうじゃない?」
フェイロウの微笑みは波乱を呼ぶ。それが悪女のなせる技なのだ。
後編へ続く
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