1 不肖の誓い

 「けしからんな!」
 闇に支配された部屋。超龍神の怒声が響く。残響がいつまでもリュキアの耳を痛めつけた。
 「人間風情に手こずり、欺かれ、均整一つを破壊するのに負傷をしなければできないのか?」
 「___でも想像以上の手練れで___」
 リュキアは超龍神の前に跪き、いつもの喧しい声色の半分も出せずに怯えていた。
 「言い訳はいらぬ!ミロルグが機転を効かせたから良いようなものを___大した力も持たぬ分際で、粋がるからそう言うことになるのだ。」
 「は___」
 超龍神の側にはミロルグが立っている。リュキアは一つ歯を食いしばり、心の中で彼女を憎悪した。
 「所詮貴様は出来損ないということだ。」
 「___」
 リュキアにはその言葉の真意が分からなかったが、酷い侮蔑であるには違いなかった。
 「不要だな。」
 ビクッ!最期通告にも似た言葉に、リュキアは震えを隠すことができなかった。
 「超龍神様、リュキアを苦しめた人間たちは、確かに我々も驚くほどの力を身につけているのです。ご存じでありましょう?あのデュレン・ブロンズの一党で御座います。」
 「分かっているから気にいらんのだ。あれしきの輩に___!」
 「ですが確実に力を付けているのです。現にあのゴルガンティ、ぐっ!?」
 ミロルグの服、胸元の生地が渦を巻くように歪み、酷く内側へと食い込んでいった。そしてミロルグは血反吐を散らして闇の中の壁まで吹っ飛んだ。リュキアは驚いて、俯いていた顔を上げる。
 「勘違いも程々にするのだなミロルグ。ゴルガンティはおおよそ復活することができず、脆弱な魂であったからこそ葬り去られたのだ。奴が肉体を取り戻し、本来の一割の力でも発揮すれば人間如きに負けるはずがない。」
 「___」
 ミロルグは口元を拭い、壁から身を起こした。言葉が口をついて出そうになったが、これ以上言っては胸に穴を開けられると思い、慎んだ。
 「貴様らは三魔獣の下であることを忘れるな。雑兵は雑兵らしくしろ。」
 「は___」
 愚かな男め。過去の力が全てではあるまい___
 「ミロルグ、最後の均整を破壊してこい。」
 「ちょ、超龍神様!」
 それに慌てたのはリュキアだ。任務から外されるなんて、生きた心地がしない。
 「リュキアにやらせて下さい。」
 「なに?」
 だがリュキアの不安を見透かしたように、ミロルグが提案した。
 「彼女はこれまでは油断していたのです。リュキアはまだ若い。その素質の多くはまだ眠っているのです。ご期待なされているのであればこそ、今一度彼女に機会を与えるべきです。」
 ミロルグは実直な眼で超龍神に言い放った。超龍神はニヤリと笑う。
 「さすがに、リュキアには甘いな。」
 「悪いですか?」
 その一言は強気で、反抗的だった。超龍神は嘲るような目つきでミロルグを見ていた。
 (なんなの___この二人___?)
 リュキアはそんな光景に違和感を覚えた。やがて超龍神がこちらを向き、リュキアはハッとして首をすくめる。
 「リュキア、もう一度だけチャンスをやろう。」
 「あ、ありがとうございます!」
 リュキアはひれ伏して答えた。
 「ただし一人でだ。いいな。」
 「はいっ!必ず最後の均整を破壊してみせます!」
 それから、謁見の間を出たリュキアにミロルグが追いついてきた。
 「次はしっかりやってくれ。超龍神を苛立たせないようにな。」
 「どういうつもりか知らないけど___こんな事で恩を売った気になるんじゃないよ。」
 リュキアはミロルグに敵意を持って接した。彼女の態度をミロルグは鼻で笑う。リュキアにはそれが気にくわなかった。
 「私はおまえにチャンスを与えただけだ。生かすも殺すもおまえしだいさ。」
 「偉そうに___!」
 リュキアは走り去った。やってやる!絶対に超龍神も、ミロルグも、見返してやる!
 強い思いが彼女を冷静にさせた。
 それが十数日前の話である。
 「ここに最後の均整がある___」
 今、リュキアはローレンディーニにいた。彼女が忌み嫌う人間たちの臭気に囲まれ、自分も人間になりきって街に溶け込んでいた。それは冷静になったからできたこと。今までではあり得ないことだった。
 「あいつらよりも先に、均整を見つけて叩き壊す。今必要なのは人を殺す事じゃない。確実に、均整を壊すこと。」
 目先の欲には囚われない。髪も黒く染め、ストレートにして耳を隠した。服装だって紺色のローブだ。名前も部下の妖精から拝借し、ここではスクレイザ・ビットフォールと名乗ることにした。
 「もう失敗は許されない。この任務にあたしは命を懸けた!」
 リュキアの覚悟は確かだった。

 「おう爺さん、俺たちの男前しっかりと飾ってくれよな。」
 「わかっちょるわかっちょる。」
 サザビーと棕櫚は似顔絵師の老人に金を渡した。老人は二人の似顔絵をイーゼルに立て、露天の前へと飾った。
 「よし、この調子であと三軒ぐらい回っておくか。」
 「そうですね。」
 ただでさえ人が多いローレンディーニ。一ヶ月にも及ぶ芸術祭はまだ始まったばかりで、賑わいが増すのはこれからだという。そんな中で他のメンバーを捜して歩くというのは骨が折れること。だから棕櫚のアイディアで、町中にごろごろいる似顔絵自慢の絵描きを利用させてもらうことにしたのだ。
 「しかし俺のポケットマネーも大した額があるわけじゃないしな___これからは金が大変だぜ。」
 「それならいい方法がありますよ。この種を売るんです。」
 棕櫚はバンダナから珍しい形の種を取りだした。
 「珍種ですからね、マニアがいれば高く売れます。」
 「ハァ〜、大した奴だよおまえは。」
 そのころリュキアは均整の在処を探して、とある場所にたどり着いていた。
 「ここか、女神の微笑みがあるというドーム。」
 情報を手に入れやってきたのは街の外れにある白いドームだった。しかしあの女神像が収まるにしては天井が低い。そればかりかドームの周囲は高い鉄柵が覆い、その先端は槍が並んでいるかと思わせるほど鋭く尖っていた。柵の隙間からドームの様子は伺えたが、どうにも入り口が見あたらない。
 「あそこか___」
 柵の内側への入り口がある場所へ、リュキアは向かった。そこは鉄柵で閉じられた白い門で、二人の番兵が立っていた。扉に近づくといざこざが起きそうだったので、彼女は少し離れた場所から、門の向こうを睨み付けた。
 (あ、ドームの手前にもう一つ建物___扉か?)
 ドームの手前に、荘重な扉のついた建物があった。何故かしら、理由は分からないが扉を見つめたその時、背筋に悪寒が走った。意識はしていなかったが、少し気分が悪いかも知れない。
 (確実な情報が欲しい。)
 人との接触は極力避けたかったが、リュキアは番兵へと近づいていった。
 「何だ貴様、芸術家か?」
 番兵の一人がぶっきらぼうに言った。リュキアは下世話な人間の態度に苛立ったが、それでも我慢を忘れなかった。
 「その___この先ってどうなってるんです?」
 「そんなことを聞いても、芸術祭で賞を取らなければここには入れないんだ。さあ、さっさと帰れ。」
 「待てよ。」
 もう一人の番兵が、リュキアを追い払おうとした番兵を止めた。
 「この人はきっとこの街は初めてなんだ。何も知らない人かもしれないだろ?辛く当たるのはやめろよ。」
 番兵はリュキアを擁護し、そして素朴な笑顔で彼女に一礼した。
 「この奥には世界最高の芸術品と呼ばれる、女神の微笑みがあるんです。古代より守られてきた伝説の女神。ここはそれを守るいわば神殿ですね。あそこに扉が見えるでしょう。あの先には幾つも扉があって、それぞれにアモン・ダグ氏によって施された防護壁が張られているのです。侵入者から女神を守るために。」
 男は優しく語ってくれた。リュキアはそんな些細な優しさが新鮮で、話よりも彼の笑顔に気取られた。
 「ここに入れるのは毎年十数名。芸術賞の各部門で優秀賞を取られた方だけが、防護壁の影響を消してくれるブローチを身につけ、女神の微笑みを拝めるというわけです。そのブローチもアモンさんが作ってくれたんですよ。最初の芸術祭で、ローレンディーニが彼を招聘して作っていただいたのです。」
 「___」
 「ご理解いただけましたか?」
 「あ、はい。とっても勉強になりました。ありがとうございます。」
 ありがとうだって?あたしが人間に?
 でも自然に出た言葉だった。
 (さて、どんな話だっけ。)
 彼の話を反芻したのはドームを離れてからだった。
 「ああ、そうだ。」
 そう、厄介なのはアモンとかいう奴が作った防護壁だ。気持ち悪かったのは、それが発している聖なる波動の影響だろう。
 「気持ち悪くなるほどの波動だ___破るのは難しい___」
 となると芸術祭に出なければならないかも知れない。しかしどんな芸能がある?リュキアは民家の壁に貼られていた芸術祭のチラシをはぎ取った。これには芸術祭で競われる部門が紹介されていた。絵画や音楽、ダンス、演劇などはもちろん手品や利き酒といった風変わりなものまである。
 「あ、これ。」
 その中でリュキアをときめかせた部門があった。それは様々な部門の中でも特に異彩を放つ、「弓道」である。

 サザビーたちがローレンディーニに辿り着いてから四日後。
 「___」
 馬車に揺られてローレンディーニの街に入ってきたフローラは、窓から賑やかな町の様子を見ていた。たまたま通りがかりのリュキアが彼女の視界に入ったが、フローラは気にも留めなかった。
 「あっ。」
 それよりも、通りの似顔絵屋に飾られていた見覚えのある顔を見つけて目を奪われる。
 「良かった、二人とももうここにいるんだ。」
 「お客さん!混んじゃってこれ以上進むのは難しいよ、悪いんだけどここでいいかな?」
 「あ、はい、ありがとうございます。」
 フローラは御者に金を払い、颯爽と馬車から降りた。人の往来が激しく、街はとても活気に満ちあふれていた。とりあえずあの似顔絵屋に二人のことを聞いてみようと、フローラは脚を進めた。
 ドンッ。
 歩み出た拍子に、往来の人とぶつかってしまった。
 「あ、ごめんなさい。」
 「こちらこそ。」
 倒れるほどの衝撃はなく、それぞれ自分の行き先へと歩みだしたが___
 「あれ?」
 ぶつかった男が声を上げて振り返った。フローラもハッとしてそちらを向いた。
 「あーっ!」
 二人は声を上げてお互いを指さした。ぶつかった男はライだったのだ。
 「きゃー、偶然!」
 「うわーフローラだー!」
 二人は抱き合わんばかりの勢いで接近したが、回りが見えていなかったせいで往来の人とぶつかってしまった。
 さてこんな調子だったので、サザビーと棕櫚に出くわすのもそう時間は掛からなかった。
 「いや、とりあえず四人になってよかった。」
 棕櫚とサザビーは町外れにテントを張って過ごしていた。ちなみにこれは貸しテント。旅の芸術家たちもねぐらに使うことがある簡素で安価なものだ。
 「ソアラと百鬼はまだ来てないのかな?」
 「来てないみたいだな。あいつら目立つから、街にいれば分かるだろ。」
 大所帯になることを考え、テントも大きなものを借用した。サザビーが寝転がっても窮屈な感じはない。
 「ところで、例の宝珠は無事ですか?」
 「ええ。」
 棕櫚の問い掛けに、フローラは道具入れを叩いて答えた。
 「それにしても御免なさいね、みんなの旅費を馬車代に使ってしまって。」
 「いいってことよ、棕櫚がいれば金には困らない。」
 「そういうことです。」
 意味が分からなかったライとフローラは互いに顔を見合わせた。
 「そういえば、均整はあった?フローラがいるんだし、早速結界を張りに行こうよ。」
 「ところが、そういうわけにもいかなくてな。」
 サザビーはポケットに手を突っ込んだ。煙草が出てくるのかと思わせて、取りだしたのは一枚の紙切れだった。
 「なにこれ?芸術祭部門案内?」
 ライは首を傾げた。
 「実は___」
 サザビーは二人に女神像のドームのことを説明する。彼らもリュキアと同じ情報を得ていたのだ。
 「へぇ、あのアモンさんもまともなことやってるんだね。」
 「おまえに言われたくはないな。」
 ライの一言にサザビーは思わず苦笑い。
 「でも、その防護壁があれば魔族は近づけないんじゃ___」
 「しかし本当に均整の女神像かどうかは、俺たちが見なけりゃ分からないだろ?」
 「ここは芸術の都ですよ。もしかしたら似たような女神像かもしれませんよ。」
 「でもどうやって確認するのさ。優秀賞ってのを取らなくちゃいけないんでしょ?」
 「だからさ。」
 サザビーはライから紙を奪い取り、フローラに見せつけた。
 「これ頼むわ。」
 サザビーが指さしていた部門とは。
 「弓道?」
 「な、おまえの弓矢の腕前はポポトル一だぜ。」
 フローラは紙を受け取り、困った顔をする。
 「でも私はソードルセイドの古式弓は使ったことが無いわ。」
 「フローラなら大丈夫だって。な、いいだろ?何事にもチャレンジさ。」
 「ねえねえ!僕もこれに出ていい?」
 そう言ってライが指さした項目はなんと人物画だ。サザビーは怪訝な顔でライを見る。
 「___冗談ならよせよ。登録にも金が掛かるんだ。」
 「冗談じゃないって!こう見えて、ちょっと自信あるんだから。」
 「いいじゃないですか。俺も生け花に出たいんですよ。せっかくだからみんなで何かに出ましょうよ。」
 結局フローラが弓道、ライが人物画、棕櫚が生け花、サザビーは利き酒に出場することになった。
 芸術祭の期間は一ヶ月。エントリーは中日までに行われ、その後、各部門ごとに審査、或いは競技が進行されるわけだ。
 「よーし、登録はすんだぞ!」
 「ギリギリだったね。」
 「なぁに、毎年この調子よ。」
 ローレンディーニに陽気な男と紫の女を乗せたキャラバンが到着したのは、芸術祭中日のことだった。
 「あっ。」
 棕櫚とサザビーの作戦はここでも大成功。キャラバンの幌の隙間から顔を覗かせていたソアラは、露天に飾られていたサザビーと棕櫚を見つけた。
 (みんなも来てるんだ。でもごめんね、芸術祭が終わるまで、あたしはラバンナよ。)
 楽団や劇団の多くは、大所帯のキャラバンでやってくる。それを受け入れるためのいわば駐車場がローレンディーニには用意されており、ラバンナもそこへと向かった。
 「団長、どこに止めます〜?今年もギリギリだから止める場所無いですよ〜?」
 手綱を取っていたドリンが馬鹿にするような声で尋ねた。ザペルは真っ白い歯をむき出しにして笑顔を作る。
 「あそこだあそこだ!あれの隣が空いてるだろ?」
 ザペルは御者席に乗り出して、あるキャラバンの隣を指さした。
 「またですか〜?」
 「またって?」
 ドリンの隣に座っていたソアラが尋ねる。
 「うちの団長、とんでもない人と張り合っててさ。もう何年も前から毎回あのキャラバンの隣なんだよ。」
 「とんでもない人?」
 「出てこい!アメヤコフスキー!」
 例のキャラバンに近づくなり、ザペルが暑苦しい怒鳴り声を上げた。
 「アメヤコフスキー!?あの三大頭脳の?」
 ソアラは驚いて目を丸くする。ドリンは苦笑いして頷いた。
 「ほっほっほっ。ザペル、相変わらずラバンナは暑苦しいの。」
 隣のキャラバンから小太りの老人が出てきた。背丈の小さい小男といった容姿だが、落ち着きと高貴な雰囲気は充分に伝わった。彼がモーリス・アメヤコフスキー。三大頭脳の一人で、世界一の作曲家、そしてバイオリン奏者であることはあまりにも有名だ。
 「今年こそ北の音楽に目にもの見せてやるぞ!」
 「ほっほっ。期待しておるよ。」
 二人のやり取りに嫌みはなく、互いが互いを認めている良きライバルという様子だった。いやそれにしても、ザペルとアメヤコフスキーの実に正反対なこと。
 「団長さ、いっつもここに来ると張り切りだしちゃってさぁ。毎年これからの練習の厳しいこと。」
 「そうなの?怖いわね。」
 ドリンとソアラはクスクスと笑いあった。
 「おーし!練習だ!やるぞー!」
 キャラバンの中からザペルの声がする。二人も顔を見合わせて、御者席から幌の中へと移っていった。
 かくして芸術祭の幕は、本格的に切って落とされようとしていた。




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