1 嫉妬
「おっそいわね、あたし探しに行ってこようかしら。」
なかなか帰ってこない百鬼。ソアラは貧乏揺すりをやめてベッドから起きあがった。
「行きたけりゃ行って来い。どうせ暇なんだ。」
「俺も行きますよ、ソアラさん。」
「そうね、一緒に行きましょ。」
ソアラは自ら棕櫚の腕を取り、笑顔になって彼と腕を組みながら部屋を出ていった。
「なんだか落ちつかないわね、ソアラ。」
「色々あるんじゃねえの?百鬼に関してさ。」
「ねえ、つまんないからカードでもやろうよ。」
「そだな。」
ジャムニの街は南国とは思えないほど涼しい。それこそ砂漠から来た彼らにとっては、自らの身体を抱きたくはなるほど大気が肌寒かった。
「あ〜、寒いな〜。」
ソアラは寒さを紛らわせるかのように、棕櫚に縋り付き、ピッタリくっついて歩いた。
「いいんですか?ソアラさん。」
「あ?いいのよ、あたしはこういうたちなの。」
棕櫚は困り顔になっていた。ソアラの体温が腕全体から伝わってくる。
「いえ、そうではなく。百鬼さんに悪いじゃないですか。」
「いいのいいの。離れたら寒いじゃない。」
棕櫚の困惑をよそに、ソアラはなんだか浮かれている様子。
「それにしても気になるんだけどさ、棕櫚くんの能力ってどういうところから身に付いたものなの?あ、なんて言うかさ、どういうところから気付いたって言うのかな。」
「んー、そうですねぇ。」
棕櫚はまるで手品のように鮮やかな色の花をその手に現した。そしてソアラの紫色の髪に挿してやる。ソアラははにかんで花に手を触れた。
そう、この棕櫚について少し話さねばならない。彼がこうして旅に同行するまでにはちょっとした問題があった。それは彼の能力に起因する。
___
「植物を操る能力!?」
「そうなんです。」
「なんなんだ?そりゃ。」
均整を破壊された後、呆然とする彼らの元へ近づいてきた棕櫚。警戒心で迎えた皆の興味は、彼の意思によりミロルグを襲ったのであろうツタ植物に集中した。
「早い話が特異な能力。こういうものですよ。」
棕櫚はバンダナの隙間から親指ほどの植物の種を取りだした。それを砂の上に落とすと、種はまるで意志を持ったように砂に滑り込んでいく。そして棕櫚が一念を送ると瞬く間に砂から芽が飛び出し、急速に成長して大きな一葉の草になった。突然のことに驚いた皆は、身構えたり尻餅を付いたり。しかし葉っぱが作り出した日陰は実に心地の良いものだった。
「意味は分かったけどさ___」
「どうやって身につけたんだ?それ。」
「生まれつきです。」
棕櫚は笑みを見せた。半信半疑の視線を楽しむかのように、嘘とも本当とも取れないことを言う棕櫚。そんな彼をソアラはただ黙って見つめていた。何故だろうか、彼の瞳は黒というよりも深い緑に思えて、ソアラは酷く心がときめくのを感じた。あたしは面食いか?と一瞬疑いもしたが、恐らく彼の持つ不思議な部分に惹かれているのだろうと納得した。それはある種、同類の共感だ。
「今ひとつ納得できねえな___」
百鬼が疑いの言葉をかける。棕櫚は己の謎を包み隠そうともせず、抜群の人当たりの良さを見せつけた。それがむしろ常識的でなく、疑わしい。それは共通の思考だった。
「そんな希有な能力って___」
「魔族を連想しちまうな、俺たちは。」
言葉尻の弱くなったフローラをサザビーが代弁した。ライと百鬼も頷いている。棕櫚は特別弁解しようとはしなかった。それはソアラが彼の元へと歩み寄ったからだ。
「でもミロルグは彼に対して敵意を持った顔をしていたわ。あれは芝居じゃない。それにもし魔族だったとしても、私たちに好意を抱いてくれる人は仲間よ。第一、私だって魔族かも知れない。」
「ソアラ___」
それはソアラの精一杯の言葉だ。むしろ彼女が自身と魔族を重ねると、卑屈にさえ聞こえる。彼女の無理を感じた百鬼は顔色を曇らせた。
「彼が世界を放浪しているという言葉、私は信じるわ。なんて言うかさ、集団にいると浮いちゃうのよ、特殊なのって。あたしだから分かる事よ。」
ソアラはそう言って自分とほとんど身の丈の変わらない棕櫚の肩に手を掛けた。
「あたしは棕櫚くん大歓迎。彼は頭も良さそうだし、なによりこの能力はこの先の助けになるわ。超龍神に立ち向かうためには、形振り構っていられないんじゃない?」
ソアラは少しでも彼と一緒にいる時間が欲しいと感じた。話をして、彼を知ってみたいと感じた。棕櫚の特殊性はソアラとは少し毛色が違うが、それでも彼に垣間見た神秘は彼女の探求心を存分に掻き立てるものだった。
「俺も拒まないぞ。いて困るとは思えない。現にミロルグを嫌がらせた男だ。」
次に彼を受け入れたのはサザビーだった。
「あんたは?百鬼。」
「分かったよ。確かに悪い奴じゃなさそうだしな。ただ、おかしい素振りがあったら叩き切るぜ!」
百鬼はニカッと白い歯を見せて笑った。
「少しずつ理解することは必要ね。」
「来る者は拒まずって、白竜の思想さ!」
フローラとライも同意した。
「よーしきまった。棕櫚くん。今後あなたは私たちの仲間よ。よろしくね。」
ソアラは棕櫚と肩を組んだまま手を差しだし、彼もそれを優しく握り返した。か細いが、確かに男の手のようだ。
こうして棕櫚は何となく仲間に加わったのである。
___
「前にも言ったように生まれつきですから、物心ついたときにはもう自由に自分の能力を見いだし、使用していましたよ。」
「そうなの?あたしなんて何でこんな色なのかさっぱり分からないよ。」
ソアラは小さな溜息を付いた。棕櫚は振り向くと鼻先を擽るソアラの髪に、不意に顔を埋めてみた。柔らかい、紫色の羽の中に眠るようだった。
「やだ、なにやってるのよ___」
ソアラは照れながらも拒みはしなかった。
「失礼、綺麗な色ですね。」
棕櫚は顔を上げ、照れの一つもない素直な微笑みを見せた。ソアラは思わず頬を赤らめてしまう。
「あ、ありがと___」
そしてギュッと、彼の腕に少し強く寄り添った。
「百鬼さんを捜しましょう。そのために出てきたんですよ。」
「そうね。」
ソアラは漸く彼から身体を放し、それでも手だけは繋いだままでいた。
棕櫚は出身地と両親については語ってくれなかったが、それは彼が閉鎖的な民族の生まれであり、彼らが人々との交流を嫌う民族だからだと弁解した。これについては百鬼がそれ以上追求させなかった。
能力については、自らの身体から植物を生み出すのではなく、既成の植物を利用する能力なのだと説明した。ただそれは種や、樹皮であっても効力を示すという。急速に成長させたり、増殖させたり___すなわち既成の植物から花を生み出し、種を得ることで、彼はその植物を自分のものにできるわけだ。彼は種をターバンにたくさん潜ませてるという。
ちなみに年齢は十七。それにしては達観した態度を見せるのは、やはり異端のなせる技か。
「あ、いましたよ、ソアラさん。」
人気の少ない通りに立ちつくす百鬼を発見するのは簡単だった。棕櫚が彼を見つけて、ソアラもそちらを振り返った。
「ありゃ、なにやってるんだあいつ。」
ソアラは首を傾げた。読み物にほとんど興味を示さない百鬼が、奇妙なことに宿に戻るのも忘れて新聞を読み耽っている。
「おーい、百鬼〜。」
ソアラは手を繋いだまま、棕櫚を引っ張るようにして百鬼に小走りで近づいていった。
「百鬼っ!」
呼び声に気付かない百鬼に向かって語気を強くする。漸く気が付いたらしい彼は、まるでトイレでも我慢しているような切羽詰まった顔をしていた。
「ソアラ!」
「?___どうしたの?」
「これを見てくれ!」
百鬼は新聞の一面をソアラに見せつけた。ソアラは顔をしかめて、デカデカと書かれた見だしに目を向ける。
「劇的幕切れ___フュミレイ・リドンに流刑判決!?」
ソアラも顔色を変えた。棕櫚から手を離し、半ば強引に百鬼から新聞を奪い取った。
「他の新聞も買い占めてくる、できればその前の奴も___」
「あたしも行くよ。棕櫚くん、悪いけど先に戻っていてくれる?」
「はい。」
それから。
「フィツマナックか。かなり恩情かけてもらってるな、ケルベロスで流刑って言ったら北海の地獄、シェルベゼイリ島が定番だ。フィツマナックは住みやすい島だって話だぜ。」
新聞に目を通したサザビーが言った。
「それはいいけど、彼女が逮捕されたってことが問題でしょ?しかもこの結末。将軍の遺言によって救われたなんて___これは一大事よ。」
ソアラは気持ちの高ぶりを押さえきれないでいる。一刻も早くフュミレイの顔を見たい、話を聞きたいと感じた。アレックスに救われたという事実が、彼女の心を抉ったに違いないと思ったから。
「でも無事だったんだから良かったじゃないか。」
ライが言うと皮肉に聞こえてしまう。彼はそんなつもりなど無いだろうが。
「ねえ、これ気にならない?古い新聞だけど、フュミレイが逮捕されたきっかけは北の祠で密使と接触していたからだって書いてある。祠の場所は希望の祠、取材班が訪れたときには既に倒壊した後___!」
フローラはそこまで読んで、思わず息をのんだ。
「つまり均整はもうローレンディーニだけ。」
「一刻の猶予もないって事ね。フュミレイのことは気にはなるけど___あたしたちはまずローレンディーニに行かなくちゃ。」
その過酷な事実がソアラを落ち着かせた。知り合いの窮地は重要なことだが、今は現実を理解することが急務だ。
「この方は皆さんとどういったご関係で?」
棕櫚が尋ねた。
「切っても切れない関係よ。色々な意味で因縁。ま、あたしの場合は仲間意識もあるんだけどね。」
そう言ってソアラは髪に手を触れ、棕櫚も面白そうな顔をして頷いた。
「何色なんです?」
「銀よ。」
バンッ。
漸く驚きも癒えてきたかというとき、百鬼がテーブルを叩いて椅子から立ち上がった。畳んだ新聞をベッドに放り捨てる。沈黙が流れた。
「散歩してくる。」
「あたしも行くよ。」
その後ろ姿に哀愁を感じたソアラは、慰めるつもりで進み出た。
「いや、一人がいい。」
しかし百鬼は振り返りもせずに素っ気ない返事をした。
「そ___」
ソアラもそのまま彼を見送った。百鬼の心がフュミレイで一杯だと思うと、ソアラは切なさに胸を締め付けられた。
「なんなんだ、あいつ。」
「そんなにショックだったのかしら___」
サザビーとフローラが口々に呟いた。それを聞いてソアラもふと我に返る。
(あれ?でも何であいつがフュミレイと?)
ソアラには接点が思い浮かばなかった。
それからというもの百鬼はどこか沈みがちで、心ここにあらずだった。いつもそわそわしていて何かというと遠い目をしている。特に会話をする機会が減り、物思いに耽る時間が多かった。それはソアラに対しても例外ではない。
「百鬼、どうしたのよ、最近元気ないなぁ。」
理由は分かっている。でも少しでも彼を明るくさせたいと思うから、馬鹿を装ってみたりもする。ソアラはこんな沈んだ百鬼を好きになったわけじゃない。
「ほらほらっ、少しはしゃきっとしてさ、たまには運動しないと身体がなまるよ。」
ソアラはベッドに突っ伏して動こうとしない百鬼の肩を揺さぶった。だが百鬼は煩わしそうにその手を払う。
「うるせえよ___」
その一言がソアラをカッとさせる。百鬼の不甲斐ない態度には前から苛立っていた彼女だ、持ち前の喧嘩っ早さを久しぶりに発揮した。
「ふざけんじゃないわよ!ウジウジしてさっ!」
ソアラは力任せに百鬼の背中に平手を打ち付けた。百鬼は傷みに仰け反り、顔を上げた。
「あんたが思い詰めて、ふてくされれば何かが変わるわけ!?あたしたちはどうなんのよ!」
だが繊細になっている心に踏み込まれて気持ちよく思う人間がいるはずがない。それは百鬼だって同じこと。二人が恋人だとしてもだ。
「どうしようもならないことがある___それが分からないなら俺に話しかけるな!」
百鬼はソアラに向き直り、血眼になって怒鳴りつけた。ソアラはその気迫に後込みし、思わず身じろぎした。
「___馬鹿!」
そして捨て台詞を吐いて部屋を飛び出していった。百鬼は胸くその悪さを感じ、舌打ちしてまたベッドに突っ伏した。
「なによ___なによなによなによ!」
ソアラは宿屋の廊下の壁を一つ拳で叩いた。悔しくて涙が出てきそうだった。
「荒れていますね。」
「___」
たまたま通りかかった棕櫚が後ろから声を掛けた。ソアラは乱れた吐息を整えると、強引に彼の手を取った。
「___ソアラさん?」
そのまま彼の身体を引きつけ、勢いに任せるかのように唇を合わせた。縋るように彼の背中に手を回し、乞うように、決して放しはしなかった。棕櫚はどうしてよいか分からなかったが、せめて嗜みとして彼女の身体を優しく抱いてみた。
「___」
ソアラはやけくそだった。棕櫚でなくても良かった。とにかく百鬼への当てつけのつもりで、衝動的に誰でもいいからキスがしたくなった。
それはフュミレイへの当てつけでもあった。
「っ___」
運が悪かったのは、彼女に謝ろうかと部屋から顔を覗かせた百鬼がその姿を見てしまったことだった。百鬼は面食らいながらも気付かれないように身を隠し、二人を見ていた。なんだかやるせない気持ちはあったが、それならそれでいいと虚勢を張る自分の方が勝っていた。駆けつけて棕櫚を殴る気にはとてもなれなかった。
そのまま踵を返してまた部屋へと戻る。一方でソアラは___
「出かけよう。」
「外ですか?」
「そう。」
その時、ぎこちなさが生まれた。
「___」
夕食の間も全体がちぐはぐだった。ソアラと百鬼が喧嘩をしているというのは雰囲気からすぐに伝わったが、ソアラがこれ見よがしに棕櫚にばかり話しかけるのは妙だった。百鬼はただ黙々と、フローラがなけなしの材料で作ったスープを口にする。
三人の関係を我関せずで見ているサザビーはともかく、ぎこちなさの波に飲まれてしまっているライとフローラはいたたまれなかった。
「ふ、フローラこのスープとっても美味しい。」
「ありがとう。」
「百鬼もそう思うだろ?」
「ああそうだな。やっぱり料理はフローラじゃなきゃ。」
ピキーン。
緊張が走る。ライは笑顔で冷や汗を浮かべた。
「棕櫚くん、今度あたしの手料理食べてみる?結構いけるわよ。」
「機会があればご馳走してください。」
「まかしてよ。あなたのために作っちゃうから。」
ソアラと百鬼の間で一瞬、視線の交錯があった。火花が散るかと思いきや、二人ともすぐに目をそらしてしまう。
(あ〜あ、アホらし。若いってのはいいねぇ。)
食事を終えたサザビーは煙草片手に部屋を出ていってしまう。
「ごちそうさま。」
暫くして百鬼も席を立った。
「散歩?」
「ああ。ここは息苦しくてな。」
フローラの問いに百鬼は嫌みを込めて部屋を出ていった。
「ソアラ、どうにかならないの?」
彼がいなくなるとフローラは溜息を付いてソアラに願い出た。思いは切実だ。二ヶ月動けない苛々もあってか、全員の雰囲気が悪いことに彼女は耐えかねていた。
「どうにもならないよ。うるさいなんて___そんなこと言われたら、離れるしかないじゃない。放っておけばいいのよ、あんな奴。」
そりゃ、いきなり様子の変わった百鬼に否があるのは分かる。でもだからと言って恋人の目の前で他の男とべたつくなんて___それは意地悪だとフローラは思った。
「棕櫚さんも少し自重してください。」
「棕櫚くんは関係ないわ。あたしが媚びてるだけなの。ねえ、外行こう。」
「___ええ。」
棕櫚はソアラに手を引かれるようにして、二人は部屋を出ていってしまった。
「フローラ、お皿片づけよ。」
「もうっ!なんなのよ、みんな!」
ついに怒ってしまったフローラを目の当たりにし、ライは少しビクつきながら食器の片づけをはじめた。
「なんなんだよあいつ___」
百鬼は道に転がっていた石ころを蹴飛ばした。口をついて出るのはソアラへの愚痴ばかり。このうやむやの正体がなんなのか百鬼には分からなかったが、とにかく自分が苛立っている原因がソアラにあることだけは間違いなかった。
「___」
ふと見た新聞屋のウィンドウに目が止まる。張り出されていたのはフュミレイの記事だった。
「フュミレイ___俺はどうすればいい___」
そんなことをポツリと呟き、もの悲しい気持ちを胸に百鬼は歩いた。少し行った先に洋服屋があった。店は開いていないが、薄暗いガラスの向こうにドレスが掛かっているのが見えた。
「そうか___そうだよな。」
ドレスはソアラとの思い出を触発し、呼び覚ました。百鬼はあの新聞を見てからというもの、自分の気持ちがフュミレイにばかり向いていたことを思い知る。
「俺がソアラを突っぱねた。だからあいつが棕櫚と何をしようと俺が怒ることじゃないはずだ。でも___」
通りを棕櫚とソアラが陽気に語り合いながら過ぎ去っていくのが見えた。
「なんだこの蟠りは___」
「そりゃおまえ、嫉妬だよ。」
「!?」
振り向くとそこにはサザビーがいた。
「い、いたのかよ___!」
「いたよ〜。」
サザビーはニヤッと笑って白い煙を吐き出す。
「可愛いもんだよおまえらは。お互いがお互いに嫉妬してやがる。」
「ソアラも___?」
「あいつはおまえがフュミレイのことばかり見ているのが気に入らなかったのさ。だからおまえの気を引こうとして棕櫚と連んでる。」
「そうなのか___?」
「そうさ。そしておまえはそんなソアラを見て、苛ついてるんだよ。」
サザビーは百鬼に煙草を差し出した。百鬼もそれを受け取って口にくわえる。火はサザビーがつけてくれた。
「リラックスしな。そして、おまえが本当に大事な女はどっちか決めるんだ。ただ、どちらにしてもソアラにはしっかり伝えてやれ。」
「俺はどっちなんだろう___?」
「俺に聞かれても困るぜ。第一、俺はおまえとフュミレイの関係を知らない。」
その言葉に百鬼はピンときた。そうとも、自分とフュミレイの関係は誰にも語っていない。なのに、一人で彼女のことを案じてばかりいても、回りにとっては不可解なことだ。ましてソアラが苛つくのも無理はない___
「ただ、今のソアラはおまえしか本気になれる男がいないんだ。別に惚れているわけでもない棕櫚と連んでいるあいつのことも考えてやれよ。だから、おまえがフュミレイを選ぶならソアラにその訳を話せ。あいつなら納得する。そして、おまえがソアラを選ぶなら、しっかり謝ってこい。」
サザビーは力を抜いて百鬼の尻を蹴った。
「棕櫚は俺が連れ戻す。さっさとやれよ、みんなおまえらのいざこざで気分を悪くしてるんだからな。」
「ああ、分かった___ありがとな、サザビー。」
「男に感謝されても嬉かね〜よ。」
サザビーは一足先にソアラと棕櫚を追いかけていった。
「おーい棕櫚!」
サザビーは小走りで二人を追いかけながら、呼び止めた。
「あれ?サザビーだ。」
「ソアラ、棕櫚借りて行くぞ。」
「えっ?ちょっと___」
サザビーはまるでひったくるかのように棕櫚の腕を掴み、強引にソアラから引き離した。そしてそのまま肩を組んで走り去る。棕櫚もそれに併せて走った。
「なんですか?もしかして。」
「そのもしかしてだ。仲直り大作戦ってやつだぜ。」
それを聞いて棕櫚は走りながらソアラの方を振り返る。
「俺は先に宿に帰りますね〜。」
「棕櫚〜!」
何がなんだか訳の分からないソアラは、彼の名を呼んで頬を膨らました。
「おい。」
「!」
武骨な声。そのぶっきらぼうな呼び方。あいつしかいない。謀ったな、サザビーめ。
「なによ___」
ソアラは睨むような目つきで振り返った。
「ちょっと散歩でもしようぜ。」
「___」
百鬼は笑みを見せたりはしなかったが、固くなっている様子でもなかった。落ち着いていて、ソアラにはいつもに比べてどこか大人びて見えた。ただ、そういう態度をとられると、牙を剥いて刃向かう気も失せる。こっちも大人にならなくてはいけないと感じた。
結局二人は隣り合って歩き出す。しかし会話はなかった。手も繋がなかった。
「あ、わりい。」
最初の会話は、百鬼がくわえていた煙草を取り、地面にこすりつけたときの一言だった。
「あれ___あんた煙草なんて吸ったっけ?」
「たまにな。気分転換って奴よ。」
「ふ〜ん。」
そんなことに気付かなかった自分が不思議だった。煙草があるかないかなんて、些細なことではないはずなのに。落ち着いているつもりだったが、気持ちが浮ついているのかも知れない。
「おまえは吸うなよ。」
「わ、分かってるよ。」
「おまえのふ〜んは興味があるって証拠だ。」
「___良く分かってらっしゃる。」
ソアラは小さく口元を歪めた。
そう、本当に良く分かっている。分かっているからこそ、気持ちを察してほしかった。
「あ、ねえ、渦っていうの見に行こうよ。」
「渦?もう暗いぜ、見えねえよ。」
「いいじゃん。」
ソアラは先に走りだし、百鬼も慌ててそれを追いかけた。
暫くして、大河イドーリを東に望む岸辺までやってきた。黒い流れは実に壮大で、まるで湖が動いているかのよう。とても河とは思えないほどだ。向こう岸は遙か彼方の黒い塊だろう。
「凄い___」
その広大な流れの果てに、強い揺らめきが輝いて見える。あれが渦だろう。
「いきなり走るなよな___」
少し遅れて百鬼が息を切らせながら到着。
「ねえ、見てよ、凄い。」
「ん?うわ___」
百鬼も大河の流れに身を引き込まれる気がした。雄壮な黒い流れは、全てのうやむやを飲み込んで、解きほぐしていく。
二人はただ、自然の偉大さ、広さに魅せられた。自分たちのいざこざなどなんと小さいことだろう。
「ごめんな、ソアラ。」
「今更よ。すっごくショックだったのよ___」
二人は河を見つめたまま語りだした。水気を帯びた風が二人の頬を撫でる。
「俺な、ソードルセイドの王子なんだよ。」
ソアラは固まった。
「へ?」
眉を波形にして振り返る。
「本名はニック・ホープっていうんだ。黙ってて悪かったな。」
バキッ!
突然、百鬼の顎を下から拳がかち上げた。
「いってぇ〜!なにしやがんだ!」
「いや、何となく殴りたくなっただけ。」
ソアラはそう言ってクスクスと笑った。
「いってぇなぁ。」
「驚いたなぁ、そうか、王子ね___なんだかそんなのばっかりねえ、あたしたち。」
「偶然じゃねえかもな。親父たちの絆が惹きつけたのかも知れない。」
百鬼はバンダナを外した。
「こいつが唯一の形見さ。」
「お父さんは___ライオネル・ホープね。」
「殺された。」
「えっ___」
グッ。バンダナを握る手に力が込められた。
「親父だけじゃないさ、お袋も、爺さんも婆さんもだ。ソードルセイドの因縁にな。」
「どういうこと?暗殺されたという話は聞いたことあるけど___」
「俺が名前を隠していた理由もそこにあるんだ。」
百鬼は昔を懐かしむように語りだした。だがソアラが見たその横顔は、述懐と言うよりは私怨を語ろうとしている人間の顔だった。
「ソードルセイドは二つの民族が一緒に暮らしている街だ。それだけだったら世界のどこにでもある。ただソードルセイドが違うのは、きっぱり二つの民族だけが突っぱね合って暮らしてるってことさ。」
「民族紛争ってこと___?」
「そんなに激しくない。街こそ真っ二つに別れちゃいるが、住民同士の交流がないわけじゃない。ただ、問題なのは鬼援隊さ。」
「き・え・ん・た・い___?」
「そう。」
百鬼は改めてバンダナを額に巻き直した。
「鬼援隊との因縁は昔っからだ。それこそソードルセイドがまだ剣ヶ岬と呼ばれていた頃からさ。俺の爺さんのエリック・ホープはケルベロスの重鎮だったが、運悪くレサを敵に回してしまった。そこで思い切って、自分が王になって剣ヶ岬にソードルセイドを興したんだ。最初のうちは良かった。だが、剣ヶ岬には次々とケルベロスの移民と文化が流れ込んで、昔からあった『和』という伝統を浸食した。それが発端だったんだ。」
ソアラは黙って百鬼の話に耳を傾けた。今日ほど彼が高貴に見えた日はないと感じながら。
「剣ヶ岬の活動家、四条隆光(しじょうたかみつ)が俺の爺さん、エリック・ホープを討ったんだ。剣ヶ岬の住民たちは四条を支持し、剣ヶ岬の伝統を守れという志で徒党を組んだ。それが鬼援隊だ。鬼援隊は王家を覆したが、彼らには国を統制するだけの力がなかった。結局長続きせず、成長した俺の親父、ライオネル・ホープによって四条が討たれた。鬼援隊は解散し、それでことは収まったはずだったんだ。鬼援隊の政治はソードルセイドを荒廃させていた、だから剣ヶ岬の人たちも親父を支持するようになり、親父は彼らの伝統を尊重してソードルセイドに伝統の長屋街と、移民の煉瓦街を作った。これでソードルセイドには平和が戻った。俺も生まれた。国はこれから始まるところだった。」
「でもそれではすまなかった。」
百鬼は頷く。
「四条隆光の息子、四条寸之佑(しじょうときのすけ)が鬼援隊を復活させた。四条隆光はできた人間だった。彼は歴とした思いがあって、住民たちの代表としてエリックに挑んだ。だが、息子は違う___あいつはとんでもない男だ!」
「卑劣な男___」
「そう、あいつは直接親父を狙うのではなく、その周囲から狙っていったんだ。そしてついにはお袋を浚い、それをだしに親父を挑発した。決闘を申し込んできた。親父は律儀で、くそ真面目で、正義感の強い男だった。だからこれで全てが収まるのならと決闘に望んだんだ。俺はこっそり後を付けた。そして見た。四条はお袋の首を持って現れ、親父はあっというまに十数人の黒装束、忍びっていうんだがな、それに囲まれた。酷かった。俺にはどうしていいか分からなかった。俺は当時まだ八つだったからな___」
「それで___あなたはどうしたの?」
「がむしゃらになって飛び出し、四条に食ってかかった。馬鹿だろ?」
「いいんじゃない。あなたらしくて。」
「んであっさり返り討ちにされた。でも俺は死ななかった。四条は俺を斬り殺さなかったんだ。ソードルセイドは深い雪の国、あいつは俺を雪の中に埋めたんだ。発見されないように、親父を殺した場所から離れたところに。」
「良く無事で___」
「色々暖かいものってあるだろ。身体から出るのでさ。」
それを聞いてソアラは顔をしかめた。
「とにかくおかげで俺は助かったんだ。黄色くなった雪を通りかかった馬車が見つけてくれた。そしてその馬車に乗っていたのが、アレックス・フレイザーだった。」
「!!」
「将軍は親父に会いに行く予定だった。でも俺の言葉を聞いて取りやめた。俺は将軍の側で仇討ちまで雌伏の時を過ごすことにした。そしてカルラーンへと移り、白竜軍へと加わった。今まで身分を隠していたのは、俺が生きていると知ったら鬼援隊が黙っちゃいないからさ。あいつらはまず俺本人よりも、回りを狙ってくる。」
「なるほど___過酷な人生だったわね。」
「そうでもねえよ。」
百鬼はソアラに小さな笑みを見せた。
「ねえ、フュミレイとの接点は?」
「ああ、あいつとは幼なじみさ。六つまではしょっちゅう一緒に遊んでいた。俺がリドン家にお邪魔してな。最初に将軍と知り合ったのもそこでさ。」
「幼なじみ___手強いわね。」
ソアラは腕組みして顔つきを引き締めた。
「ソアラ、愛してるよ。」
「え?」
「でも俺はフュミレイのことも好きなんだ。それが今回のことでよく分かった。俺には、おまえとフュミレイを天秤には掛けられない。それくらいどちらも大事なんだ___」
ソアラは苦笑いを浮かべて、百鬼の頭を小突いた。
「良くあたしの前でそういうこと言えるわねぇ。」
「おまえを信じているからな。」
「___嬉しいこと言ってくれちゃって。ま、早く決めてね。あたしは待ってるから。」
ソアラは背伸びをして百鬼に唇を重ねた。少し煙草の刺激があった。それ以来、二人から妙な嫉妬はなくなり、蔓延していた苛々も消えていった。
そんななか、一番ホッとしていたのは棕櫚だという話もあったりして。
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