3 キャプテン・ゼルナス

 「やれやれ、困ったもんだな。」
 エイブリアノスとの戦いですっかり腕を痛めてしまったライを、親切で泊めてもらっている宿屋に残し、サザビーは今日も出航意志のある船を探し回っていた。実にあの戦いから五日が経過している。結局この間に出航した船はなく、この島にたどり着いた船もない。潮の流れに乗って時折残骸が流れ着くばかりだ。船乗りたちだってそのうち食糧が底をつくだろうに。
 「この島で飢え死にするよりかは、一か八か航海に出りゃいいのになぁ。」
 他人事のように言うサザビー。彼にとって問題なのは煙草を切らしていること。品物として持っている商人は幾らかいたが、煙草を買う金がないので大いに困る。口寂しいことこの上なかった。そうそう、あの槍は持ち主に返した。盗人と睨まれてはますます船に乗せて貰えなくなるだろうから。
 「それにしても___」
 気になるのはあいつだ。サザビーは後ろを振り返りはしないが、いるのは分かっていた。さりげない誤魔化しかたは、小さい頃の友達から教わったテクニック。彼は見てないふりをしながら自分をつけてくる青年を観察していた。
 「どういうつもりだ?」
 青年はいかにも背景と同化するような、茶色や灰色を中心とした地味な身なりだった。ズボンにコートにハンチング帽。物陰からサザビーのことを見ている。ついて歩いている。向こうもこちらを観察しているようだった。
 「かまかけてみるか。俺の想像が正しければ、結構楽しめるかもしれん。」
 サザビーはニヤリと笑って少し小走りに歩き始めた。それを見ていた青年は、物陰から飛び出して彼を追った。サザビーはできるだけ素早く、手頃な細い路地へとはいる。青年もそれを追って路地に飛び込んできたところで!
 「よっ。」
 「!」
 待ちかまえていたサザビーは青年の腕を掴み、路地へと引っ張り込んだ。そして素早く青年の腕をたぐって壁に押さえつけ、逆の手を取ると万歳の状態にさせ、片手で両腕を押さえ込む。そして空いた手でいきなり。
 むんず。
 「やっぱり。」
 コートの中に腕を突っ込んで胸をまさぐった。ビクッと青年が震えるのが分かった。サザビーは青年のふくよかな胸を揉んで納得した様子で頷いた。
 「女だと思ったんだよ、絶対。」
 勢いのまま、彼はハンチング帽を口で奪い取る。束ねていたのであろう髪が一気に広がり、彼女の背中を覆った。現れたのは男装の麗人という言葉がよく似合う、凛々しい女性だった。頬を赤らめている彼女は声一つ上げずにサザビーを睨んだ。
 「お、好み。」
 サザビーは調子に乗って、そのまま彼女の首筋に唇をあてがおうとする。
 「調子にのってんじゃ___」
 「お?」
 彼女の足先が軽くサザビーの脛に触れ、また離れた。
 「ねえぞこのウンコ野郎!!」
 「っ!!」
 女は汚い言葉を吐き捨て、革靴のつま先でサザビーの脛を痛打した。
 「ぉぉぉぉ___」
 サザビーは蹲って足を抱える。
 「この!」
 怒りが収まらないのだろうか、彼女は今度はサザビーの顔目がけて蹴りを放った。
 バシッ。
 しかし今度は彼の掌にあっさり受け止められてしまった。
 「よせよせ荒っぽい真似は___ずっと人のことつけ回していたおまえが悪いんだぜ、ちょっと脅してみようと思っただけだ。」
 サザビーは手を離して立ち上がる。改めて彼女の顔を眺め見た。気の強そうな、凛々しくて力強い顔をしている。少し日に焼けていて、活動的で、黒目勝ちの大きな瞳には強い情熱を秘めていそうな女性だった。顔立ちは細く整っている美人だったが、格好もあってか紅顔の美少年に近い魅力を持っている。
 「何が!」
 女も漸く落ち着きを取り戻しはじめ、とりあえず帽子を拾い上げた。
 「もしかして俺のことを好きでずっと見てたのかなぁと思って、アタックしてみたわけさ。はっはっはっ。」
 「良くあたしが女だって気づいたな___」
 「気づくさ。服を着ていても身体のラインくらい分かる。特にズボンは、足の線がはっきり出るからな。すぐに分かった。おまえは健康的な肉付きのいい締まった脚をしている。さしずめ冒険家の女ってところだ。」
 女は拾い上げた帽子を二度三度叩いて目深にかぶった。そうすると、大きな瞳が強調されるようだった。
 「なかなかいい線いってる。」
 「つけていた訳を教えろ。そうしないと無理矢理チューしちゃうぞ。」
 サザビーの生き甲斐は酒と煙草と女。今は金欠で酒と煙草に縁がないぶん、女に対する執着はかなりのもの。
 「したらどうなるかわかってんだろうな。」
 だが彼女もさるもの、コートの内側に手を入れてニヤリと笑った。なかなか度胸がある。気質とは思えないほどに。
 「おーけーおーけー、とにかく訳ありだろう。言ってみな。」
 「腕のいい戦士を捜している。海の上の化け物と戦う気持ちのある強い男をね。」
 女はサザビーの胸を一つ小突いて言った。
 「おまえ船乗りか!」
 サザビーは驚いた顔をする。
 「まあそんなものだ。町外れで化け物と戦った男はあんたの仲間だろ?あんたたちはクーザーに渡りたがっているようだし、あたしたちもそうだ。だけれどあたしたちには、船のことを考えずに戦える奴がいない。用心棒が欲しいってわけさ。」
 「取引ってことだな。ただじゃないんだろ?」
 載せてもらえる見返りがあるはず。こいつは親切なだけの女じゃない。
 「クーザーで仕事を手伝ってもらう。とにかく詳しいことは追々話そう。おまえたちにその気があるなら___」
 女は紙に持っていたペンで何かを殴り書きにした。高級なペン。サザビーは一目でそれが盗品だと見抜いた。良家の領主の紋章が掘られていたからだ。
 「明日の早朝、ここに来てくれ。」
 「___倉庫の番号か?」
 「いいな。あ、名前を聞いておこう。あたしはゼルナス、おまえは?」
 女はゼルナスと名乗った。なかなか印象的な名だとサザビーは感じた。
 「サザビー・シルバだ。」
 ただ不可解だったのが、サザビーの名を聞いて彼女が少し真顔になったこと。
 「サザビーだな、わかった。」
 だがそれは一瞬のことで、決して不自然な間ではなかった。ゼルナスはサザビーの腕をすり抜けて路地から飛び出す。
 「それじゃあ、互いの利益を期待しているよ。」
 「ああ。」
 とにかく船足は手に入れた。無風でことがすむ気配ではなかったが___

 「本当にその人信用できるの?」
 両腕を包帯でぐるぐる巻きにされたライが訝しげに尋ねた。こんなに余裕でいられるほど簡単な傷ではないのだが、鈍感なのか我慢強いのか、元気に動き回っている。
 「信用するしないじゃない。船に乗れるチャンスがあるなら最大限に利用する。そうだろ?お、ここだ。」
 港の外れも外れ、街の外壁に沿うような位置に立ち並ぶ倉庫群。そのうちの一つに目を付けてサザビーが足を止めた。重そうな木製の扉が少しだけ開いている。腕を使えないライを一瞥し、サザビーは力を込めて扉を開いた。
 「誰もいないよ。」
 中は天窓から日の光が射し込んで明るかった。倉庫の中には食糧だろうか?木の箱が幾つも並んでいた。
 「だが人の気配はありそうだな。あの辺、埃がかなり激しく舞ってるぜ。」
 床の一角。日の光が射し込んでいる場所に埃がキラキラと揺らめいているのが見える。サザビーはそちらへと歩き出し、ライも黙ってついていった。
 「見ろ、床に切れ目がある。」
 「ほんとだ。」
 そこの床には切れ目があった。一メートル四方ほどだろうか?溝ができていて、手を触れてみれば空気の流動を感じる。
 「取っ手か。」
 どうやら何かの蓋だ。溝の側にまた不自然な溝があり、指をこじ入れてみると金属の取っ手が飛び出した。
 「頑張れサザビー!」
 「やれやれ___あんまりこういう力任せのって得意じゃねえんだけど___なっ!」
 サザビーは取っ手に手を掛け、膝を曲げて渾身の力で引っ張り上げた。一メートル四方のずっしりと重い金属板が持ち上がる。
 「あの女もこれを持ち上げたのか!?」
 顔を少し紅潮させて、サザビーは信じられないと言う面持ちだった。蓋には蝶番がついていて、床と垂直の位置からは動かなくなった。内側にはがっしりとしたロープがついている。
 「階段だ!」
 蓋の下には倉庫の地下への石段が続いていた。
 「おまえ先行け。蓋を閉めなきゃならねえからな。」
 「えー、転びそうだなぁ。なんだかつやつやしてるし。」
 そう言いながらもライは石段を下っていった。サザビーはその後に続き、ロープを力任せに引っ張ると、けたたましい音を立てて金属の蓋が閉じた。
 「明かりがあるよ。洋燈がくべてある。」
 「それだけじゃねえ、湿気もかなりのもんだ。潮の匂いもする。」
 「転びそうだなぁ___」
 「俺は助けねえぞ。」
 石段はおおよそ百段以上も続いていた。そして、ライが相変わらずなところを見せたのはもう光の広がりが見え始めた、あと二十段ほどの所でだった。
 「そろそろ終点みたいだぁあっ!?」
 石段を踏み外してまるでスライディングでもするように転んでしまう。
 「うわあああ!」
 腕で踏みとどまれないライはゴツゴツした石段を尻で滑り降りていく。終点が近かったのは幸いだったといえよう。
 「いってぇ〜。」
 「大丈夫か?ライ。」
 サザビーが小走りで階段を下りてくる。だがライよりもむしろ、そこに広がった景色に彼は目を奪われた。
 「こいつぁ___」
 階段の先に広がるのは大きな空洞。目を引くのはその中央に停泊する巨大な黒船だった。しかし驚くのは水の気配がないこと。洞窟の中には機械音や、太い男の声が響いている。
 「おいなんだてめえら!よそ者がなにしにきやがった!」
 屈強な男が肩を怒らせて二人の元へと駆けてくる。筋骨隆々とした身体。肩の刺青に頬の傷。もしかして___ライとサザビーは同じことを想像して顔を見合わせた。
 「ここが俺たちシーホークのアジトと知っての狼藉か!?」
 「やめろジャック!」
 男のだみ声をかき消すように、精悍な声が響き渡った。彼女は怒ったような顔で黒船のタラップを駆け下りてくる。
 「そいつらはあたしが呼んだんだ!」
 「本当ですかい!キャプテンのお客さん!?」
 「キャプテン?」
 屈強な男は確かに彼女のことをキャプテンと言った。気性が強くて、内面に気品を感じさせるが決して屈強と言うほどでもないこのゼルナスを。
 「よう、やっぱり来てくれると思っていたよ。」
 「うすうす想像はしていたが___」
 サザビーは掌を上に向けて、してやられたというようなジェスチャーをして見せた。
 「驚いたかい?ここは海賊シーホークのアジト。そしてあたしが、キャプテン・ゼルナスさ。」
 そう言うとゼルナスは胸を張って拳を作って見せた。
 「おい兄弟!客人を出迎えだ!聞かせてやりなあたいたちの心意気!」
 ゼルナスは船の方を振り返って驚くほど大きく、良く通る声を轟かせた。
 「おおおおおっ!」
 黒船の縁から男たちが乗り出し、一挙の掛け声と共に歌い始めた。
 「俺たちゃ黒鷹シーホーク〜!しけも嵐も恐れ〜ない〜!強きを挫〜き弱気を助〜く!だけどお金も欲しいのよ!あほ〜れほ〜れ!」
 男たちは野太い声で歌い上げ、歓声を上げた。
 「凄い凄い!」
 ライは無邪気に手を叩いて喜んでいる。サザビーも最初は圧倒されたが最後のふざけた歌詞でがっくり来ているようだ。
 「サザビー、こいつは?」
 ゼルナスはやけにはしゃいでいるライを指さして尋ねた。
 「ライっていうんだ。旅の仲間さ。例の化け物とやり合ったのはこいつだよ。」
 「ふ〜ん、顔の割にパッとしなそうだね。」
 ごもっとも。
 「そうだろ、やっぱりいい男は俺のようでなくちゃ___」
 「まあそれはいいとして、歓迎するよ。奥で一杯やりながら話しでもしようじゃない。」
 あっさりと流されて虚しいサザビー。何はともあれキャプテン・ゼルナスとその仲間たち。謎の荒海を越えるのにこれほど頼もしい連中はそうはいないだろう。




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