2 エイブリアノス
「ダメダメ!商売なんてやってる余裕はないよ!」
ライは頑張って交渉を試みるがどうにもこういうのは得意ではない。もとより正直すぎる彼は、口が達者なわけでもなく、むしろだまし取られないかと心配されるべきだ。
「旦那旦那ぁ。」
そして悪い虫というのは、カモの空気を感じ取って捕まえにやってくるものなのだ。ただ、本人の意思に関係なく、ただでは転ばないのもライである。
「え?」
「旦那、ちょっとこっちいらして下さいなぁ。」
それなりに広いマールオーロ。今のこの空気に侵されてか、市街を外れれば路頭に迷い、堕落した男たちが蔓延るスラムがある。そちらへと続く路地で、茶色のローブを身に纏い、フードを深くかぶってしっかりと顔を隠した人物がライを手招きで呼んでいた。
「なんですか?」
勿論彼だって疑いの気持ちは持っている。ただそれにしたって、これしきのことでは無警戒を貫き通すのがライだ。飄々とローブの男の方へと近づいていった。男と言ったのは声が太かったから。
「旦那その品をお金に換えたいんでぇ?」
本来背の高そうなその男は、無理矢理背中をねじ曲げて俯き、ライに顔を見せないようにしている風だった。路地が暗いこともあって、顔はまったく見えない。
「そうなんだ。でも商人の人たちはみんな駄目だって言うんだよ。」
「良かったらあっしが取り次ぎますぜぇ。」
男は誘うような声で言った。ライは訝しく思うこともなく、笑顔になる。
「本当に!?あ、できたら武器と変えて欲しいな!」
「ええ、お望みどうりにしましょうぅ。まあ、とりあえずあっしに付いてきておくんなせぇ。」
ローブの男はライに背を向けて歩き出し、ライは小さく飛び跳ねながら彼を追った。ここにサザビーがいたらこうはならない。フローラや百鬼がいたとしてもだ。彼が図らずとも悪の存在に対峙するのは、彼自身が悪に好まれやすい、罠を罠とも思わずに自分から引っかかる男だからに他ならない。
「そうか、分かった。いや、無理はいわねえよ。」
「どこ当たったって同じだぜ。この謎めいた海に好き好んで出航しようなんて奴はもうマールオーロにはいないさ。」
「ああ、そうかもな。」
サザビーの交渉も難航していた。正直船乗り相手の交渉では先が見えない。できればそれなりに大きくて頑丈な船に乗りたいものだ。海に何らかの「獣」がいるなら余計に。だがオーナーに取り合って貰えるのは小型船ばかり。力のある商人に取り次いでくれる船乗りなどいはしない。
「商人は___宿か酒場か___」
直接、船のオーナーたちに掛け合ってみるしかない。
「ん?」
なんだ?どこからか視線を感じてサザビーは振り返った。後ろには誰もいる様子はなかったが___見られていた気がする。
「悪意はないな。」
超龍神やミロルグといった邪気を臭わせるものたちに囲まれてきた身。サザビーの邪悪の気配に対する嗅覚は鋭い。そして彼は自信家だ。だから今さっき、どこからか感じた視線に恐怖はなかった。
「___」
ただつけられてはいた。サザビーはさほど気にしていないが、ハンチング帽を目深にかぶった青年は、サザビーが動き出すと静かにその後を追った。
どこの街にもスラムはあるもの。特に、腐敗した空気がたちこめ、憔悴感に満ちた街ならなおさらだ。ライはローブの男に導かれるまま、町外れのスラムへとやってきていた。人気はなく、スラムと言うよりは廃墟に近いかも知れない。
「こんな所に商人がいるの?」
さすがのライも少し疑問に思ったのか、ローブの男に尋ねた。するとローブの男はライに背を向けたまま急に立ち止まった。
「死体でよければ十やそこら、あの辺の建物に放り込んでありますぜぇ。」
男の声は酷く嗄れているように思えた。そして死体という言葉。
「なんだって?」
「フヒヒヒ。」
突然だった。男の身体が膨れ上がり、内側からローブがバラバラに破れ、契れ飛んでいく。青い肉が盛り上がり、破れた背中からは皮で作られた鎧も姿を現した。
「!」
尻からは太い尻尾が顔を出し、巨大な頭部には二本の角が天を向いている。耳は大きく、人型ではあるが人ではない。図体の大きさも、ライの倍に満たないかというほどまでに大きくなった。
「モンスター!」
さしものライも厳しい顔つきになり、身構えた。だが風呂敷に包まれた防具はあっても武器がない。
「イエェェェェイぃ!」
奇声を発してそのモンスターは振り返った。身体は人型。しかし顔はサイとウシを会わせたようなモンスター。全身を空色に近い青い皮膚が覆い、黄色くて大きな目でぎょろりとライを見下ろしてきた。
「俺の名前はぁ!」
モンスターはビシッと天を指さし、クルリと大きな体に似合わない軽やかなターンをしてポーズを決める。
「エイブリアノォォォォォスぅ!!」
そのモンスター、エイブリアノスは一人で豪快に笑った。
「超龍神の手下か!」
「おぉっ!?超龍神様を知っているのかぁ!」
「あ、しまった。」
この世界で超龍神を知っているのはごく僅か。そして知っている人々は彼にとって邪魔な存在と言える。
「ダァハッハッ!間抜け間抜けぇ!ミロルグ様ぁ!エイブリアノスは偶然にも獲物に巡り会いましたぁ!」
「ミロルグの手下か!」
「む、何故それを知っているぅ!」
エイブリアノスは大きな口を窄めて尋ねた。
「今自分で言ったんだろ!」
「うごっ!」
隙を見てライは前蹴り一閃!エイブリアノスの大きな腹に踵をたたき込んだ。だが攻勢に出ようとはせず、すぐに背を向けて走り出した。
「さすがに武器無しで戦うのは分が悪い!」
まずは市街地に戻る。騒ぎになるかも知れないが、借りるだけでもいいから武器になるものを手に入れなければならない。それにサザビーとも合流したい。彼も戦いを知っている風だった。
ゴオオ!
「えっ!?」
しかしいったん逃げるというライの思惑は外れに終わる。
「うわっ!!」
彼の横を巨大な炎の塊が過ぎていったかと思うと、すぐ前の大地に激突して激しく破裂したのだ。炎が飛び散り、ライは熱風に飛ばされて尻餅を付いた。
「くっ___はっ!」
ライは顔をしかめて、まだ燻っている炎を睨んだ。しかし背後に気配を感じて慌てて横っ飛びする。今までいた場所に勢い良く、斧のような巨大な剣が振り下ろされ、大地に深々とめり込んだ。
「くー、惜しいねぇ。」
エイブリアノスはクッと目を閉じたあと拳を握り、すぐに横目でライを見やった。ライは今の状況にゾッとする。エイブリアノスの口元からは小さな炎がこぼれ、彼はライの身の丈ほどもあろうかという巨大な片刃の剣を、軽々と片手で振り上げた。
「こいつは段平ぁ。俺様の愛用の武器ぃ。」
エイブリアノスは歌うような口調でライに向き直った。ライは立ち上がり、とりあえず戦いに邪魔な風呂敷を放り投げた。
「へぇいぃ。戦うつもりかいぃ?」
それしかあるまい。格闘は得意ではないが___ソアラのしなやかな戦いぶりを思い出して奮起するしかない!
「無駄無駄無駄無駄無駄無ダム!あれぇ?ダムぅ?」
エイブリアノスは頭上で段平を振り回し、一人で首を傾げている。厳つい顔つき身体つきとは裏腹に飄々としてつかみ所のない奴だ。
「訳わかんないこと言ってるんじゃないよ!」
ライは大地を蹴って勢いよく飛び出した。
「おほっ!」
エイブリアノスはタイミングを計るようにして段平を振り下ろす。だがライはそれを見透かしてテンポを一つ遅らせた。段平は空を切って大地に激突。ライはその峰を踏み台にして飛び上がると、勢いに任せて膝からエイブリアノスの顔へと突っ込んだ。
「ふご!」
エイブリアノスの長い鼻にライの膝がめり込む。しかしエイブリアノスはよろけなかった。
「なっ!」
エイブリアノスは左手でライの襟首を掴み、軽々と顔から引き剥がした。
「いてぇなあぁ。」
ニヤリと笑った。
ブンッ!!
そして力任せに、通りを挟んで向こう側にある無人アパートに向け、ライを放り投げた。
「がはっ!!」
ライは一直線に壁へと激突した。一瞬息が詰まり、全身が鈍く軋んだ。自分の身体が大地に滑り落ちると同時に、壁が崩れ、エイブリアノスの剛力を物語る。
「せえのぉ。」
「!!」
距離は離れている。しかしエイブリアノスは一際大きく段平を振りかざしていた。しかも両手。よからぬ気配を感じ、ライは全身の痛みを振り払って必死に肘を張り、体を起こそうとする。
「どらあぁっ!!」
エイブリアノスは壮絶なスピードで段平を振り下ろし、大地に向かって叩きつけた。その瞬間、刃の軌跡の石畳が勢い良く跳ね上がる。
「!」
ライは必死に身体を捻って横に転がった。今まで彼がいた場所からエイブリアノスまで一直線に石畳が捲れ上がっていた。壮絶な剣の破壊力がなせる荒業、地走りだ。
「すげぇ、避けるたぁ。」
エイブリアノスは余裕だ。先程見せた火炎の息もまだ出していない。
「武器無しで勝てる相手じゃないぞ___」
とにかく立ち上がらなければ。ふらつきながらも何とか立ち上がったその時、ライの視線にあるものが飛び込んだ。
「___あった___」
武器だ。ライは思わず笑みをこぼした。普段は低調な彼の頭脳だが、極限ではベアリングでも仕込まれたかのように閃く。
「笑っていられる余裕があるのかぁ!?」
エイブリアノスが段平を振りかざして猛然と突っ込んでくる。縦にばかり剣を振るうエイブリアノス。今回もそれを予想するのは容易い。あれだけ刃渡りの大きな武器だ。さしもの怪力エイブリアノスであっても、横凪では照準がぶれるのだろう。
ゴッ!
背後にアパート。避けるには左右しかない。まずは猶予を作るためにライは精一杯の力を込めて転げ落ちている瓦礫を蹴り上げた。
「がぁっ!」
だがエイブリアノスは火炎を吐き出し、あっさりと瓦礫を蹴散らした。ライはエイブリアノスに向かって右側へと走りだしていた。エイブリアノスの動きはスピード感もあるが、小回りは駄目。ここで右手に剣を持つエイブリアノスが、剣を横に振るうのは当然のことだった。
ゴワッ!!
ライは素早く身を屈め、剣は彼の頭上を過ぎ、アパートの壁をぶちこわしていった。そしてそこには大きな戸板でふさがれた窓があった。戸板が砕けると同時にガラスが割れる音がする。
「これだ!」
ライは壊れた戸板を引き剥がし、再び剣を振りかざそうとしているエイブリアノスの顔に向かって投げつけた。
「けぇっ!」
戸板はエイブリアノスの顔にブチ当たり、彼は煩わしそうに顔をしかめた。
「食らえ!」
次の瞬間、ライは片手に武器を手にしてエイブリアノスに襲い掛かった。それは窓枠。勿論ただの枠ではない。枠の一辺には砕かれて鋭利になったガラスが大量に残っていた。
「ぐへぇっ!」
ライは窓枠でエイブリアノスの肩口に斬りつけた。鎧の肩紐が簡単に切れ、ガラスがエイブリアノスの肩に食い込む。
「こいつぅ!」
エイブリアノスは左手でライの頭を掴んで抱え上げた。そしてライはこれを待っていた。
逃げなければこうすることは想像がついた。懐に飛び込んできた敵にエイブリアノスが対処するには?段平では不可能、火炎では自分にも被害が及ぶ。空いている左手で掴んで来るのが当然だった。
「!」
ガラスも確かに武器にはなる。だがライが求めていた武器はこれではなかった。もっと鋭く食い込まなければいけない。それにはガラスよりも強い硬度が必要。ヒントは崩れたアパートの壁にあった。海域の街では壁の風化が早い。そこで鉄筋を仕込むことが少なくないのだ。ライが激突して崩れた壁からは鉄棒が覗き、エイブリアノスの横凪の一撃は都合良く鉄棒だけを壁から切り離してくれた。
「やああっ!」
ライはガラスのフェイクを見せつけ、逆の手には鉄棒を握っていた。先端はエイブリアノスの一撃で鋭い切り口になっている。そして照準は一撃必殺。頭しかない!
ガッ!!
一撃は当たりはした。しかしエイブリアノスも最たるもの。咄嗟に首をすくめて鉄棒は彼の角を一本だけへし折るに止まった。
「いってえええぇぇぇっ!!」
エイブリアノスは街中に轟くような叫び声を上げ、力任せにライを投げ捨てた。
「うがっ!」
ライは肩から通りの石畳に叩きつけられた。一瞬感覚が無くなる。
「だあああっ!この俺っちの角がぁ!?おのれぇぇぃぃ!」
エイブリアノスは少し泣きそうになりながらも口を開くと、ライに向かって火炎球を吐き出した。
「うわああっ!」
避けられない。ライは痺れる両腕を顔の前で交差させ、火炎球を受け止めた。壮絶な爆発が彼の身体に引き裂くようなダメージを与え、腕の皮膚が熱と衝撃で弾けるように破れた。
「ぬううう、丸腰のくせに俺の角を折るとはなかなかやるなぁ。」
エイブリアノスは折れた角を拾い上げると力を込めた。角は簡単に砕け散り、彼は大きな口で笑みを作った。視線の先には、通りの向こうから欠けてくる一人の男を捕らえていた。
「ライ!!」
サザビーが走ってくる。その後ろから船乗りらしき数人の男も一緒だ。サザビーは片手に槍を持っていたが、どうやらどこかから盗んできてたらしい。追いかけてくる男の血相がそれを物語っていた。
「けーっ、余計な奴等が一杯きやがったなぁ。」
エイブリアノスは舌を出して嫌悪の顔をする。
「おまえの名前はライだなぁ!?」
「それがどうした___!」
ライは血みどろになっている腕の痛みに苦しみながらも、声を張り上げた。
「覚えておいてやるぜぇ!おまえはこのエイブリアノスのライバルにふさわしいぃ!」
そう言うとエイブリアノスは駆けてくるサザビーの方を向いて口を開き、火炎球を吐き出した。
「うおっと!」
「うぎゃ!」
サザビーは軽やかに火炎をやり過ごしたが、幸か不幸か後ろからやってきた追っ手に命中した。
「さぁらばぁぁ!」
エイブリアノスは懐から球を取り出すと大地に向かって叩きつけた。ヘヴンズドアだろう、すぐにこの化け物の身体は光に包まれて消えた。
「生きてるか?ライ。」
「うーん。」
すぐにサザビーがやってきた。ホッとしてしまったのか、ライの意識はそこで消えた。
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