1 魔物の暗躍
「よう、目が覚めたのか。」
「!」
人の気配にはまるで気が付かなかった。だが突然声を掛けられた驚きで、ライの感覚は随分と目を覚ました。魚が焼ける匂いもするし、焚き火の熱も分かる。そして自分の近くにいる男は紛れもない。
「サザビー。」
サザビー・シルバは自分のマントをライに被せ、大仰な装飾は全て外して薄汚れたシャツとズボン姿だった。髪もぼさぼさで髭面になっている。
「やっと起きてくれたか。やれやれ、待ってた甲斐があったぜ。」
「ここは___」
サザビーは焼き上がった魚をライに突き出した。
「食え、少なくとも十日はなにも食ってねえんだ。腹が減ってるはずだぜ。」
「と、十日!?」
ライは驚いて素っ頓狂な声を上げた。
「ああそうだ。俺が気が付いてから暫くこの森を慎重に彷徨っていた。」
確かに周囲は木々で溢れている。ここは森なのだ。どの樹木も背丈が高く、視界は決して悪くないが、湿気が多くあまり居心地のいい場所ではない。
「俺がおまえを見つけたのは二日前。俺がこの森を彷徨いだして八日目のことだ。つまり今は、俺が目を覚ましてから十日目って訳だ。」
サザビーはズボンのポケットから紙の袋を取り出すと、その中から煙草をつまみ出した。
「吸うか?」
「いや、僕は___」
サザビーの問い掛けにライは首を振った。そしてサザビーのことを珍しいものを見るような目で見ていた。
「なんだ、おかしいか?」
「いや、何というか___らしくないと思って。」
「はっはっはっ!」
サザビーは大口を開けて煙りもろとも笑い出した。
「確かにそうだな。俺の好物は酒と煙草と女。この三つがあれば充分だ。確かにポポトルの総帥の趣味とは思えねえよな。でも俺は紛れもなくもとデュレン・ブロンズ、現在はサザビー・シルバ。まさに花真っ盛りの24歳だぜ。」
何とも砕けた男。
「おまえはアレックスの息子だったな。」
「ライって呼んで下さい。」
ライは魚を貪りながら答えた。さすがに空腹が一気に襲ってきたようだ。
「俺のことはサザビーって呼んでくれ。それから敬語はいらないぜ。これからはおまえと一緒に過ごさなきゃならねえからな。」
「えーなんでー。」
サザビーと二人きりで過ごすというところが不満なのだろうか。
「俺は八日間、この森を探し回ったが見つけたのはおまえだけだった。意味、分かるな?あの玉を叩き割ってヘブンズドアが作動したとき、噴火の衝撃で俺たちの手が放れた。たまたま俺とおまえだけは少しだけ指が絡んでいたからな、こうして近い場所に飛ばされたわけだ。」
ライにも言わんとしてとしていることがよく分かった。
「それじゃあみんなは___」
「この世界のどこかに飛ばされた。しかも相当の衝撃を受けているはずだ。おまえはかなりの日数眠り続けていたわけだし、俺も目覚めてから数日は頭と身体が痛くてどうしょうもなかった。おまえ頭痛とか無いのか?」
「うーん、特には。」
鈍い奴め。サザビーもライの雰囲気というものを感じ取ってきたようだ。
「さて、いつまでもこの森にいるわけにもいかねえしな。おまえが目覚めたんだからそろそろ動き出そうと思う。お互い超龍神を敵に回したわけだから、一蓮托生な。」
サザビーは近くに脱ぎ捨てて置いた装備品に手を掛けた。
「これからどうする?俺にはこれといった目的はないからおまえについていくことにするよ。」
「僕は___みんなを捜すよ。」
「探すと言っても、そう簡単にはいかないぜ。当てはあるのか?」
「カルラーンさ。」
ライは自信を持って答えた。
「カルラーンは僕らの家みたいなものだから、行く場所に困ったらみんなもカルラーンを目指すと思う。」
「なるほど、当てになる勘だな。」
目的地は決まった。
「どうだ!何か見えるか!?」
サザビーは顔を上げて声を張り上げた。
「木が見えるー!」
サザビーの肩を借りて何とか高い木によじ登ったライ。だがサザビーの問いに対する答えはバカ丸出しだった。
「その先は!」
「えーその先ー?あ、でっかい虫がいる!」
「___」
ライが木を降りてきた後、サザビーにどつかれたのは言うまでもない。
「海が見えたなら最初っからそう言え!」
「いや、そんな平凡なものが見えてもなぁと思って。」
「はぁ、おまえには痛くなる頭なんてねえらしいな。」
サザビーは呆れた様子で言った。ライが言うには、先に見える景色はどちらを向いても海ばかりだったそうだ。だとするとここは島になる。
「おまえさ、人が住んでそうな場所とか無かったわけ?」
「ああ、街ならあっちの方角に。」
「___」
聞いてみて良かった。サザビーは舌打ちして少し痒くなっている頭をかきむしった。
とにもかくにも、有人の島で助かった。無人島から筏を作ってこいつと二人で大陸を目指すなんて___いくら俺でも無理だ。とサザビーは思っていた。
「見ろライ、ここはどうやらマウルオーロだ。」
街の全貌が見える場所までやってくると、サザビーが言った。
「マウルオーロって?あまり聞いたこと無いなあ。」
「クーザーの南、資源の街マウルオーロさ。小さな島だが、この土地は鉱物資源と海産資源に溢れている。クーザー国の一端だから侵略も許されていない。まさに商人たちの憩いの地だな。」
「へぇ〜、詳しいね。」
「建前でもポポトルのトップにいるにはそれなりの知識が必要だからな。さあ行くぞ、まずは俺のこの邪魔臭い武装を売り払って銭を手に入れなけりゃ。」
二人は足取り軽く、新しい出発点となる街へと向かっていった。
「何だこりゃ___どうしたって言うんだ?」
サザビーは己の目を疑った。マウルオーロは失われぬ活気を持つ島と聞いていたから余計にだった。
「なんだか___暗いね。」
ライも感じていた。街全体がどんよりと、重い空気を持っている。
「異常だなこれは___まあとにかくだ、土地の商人に掛け合ってこよう。おまえも丸腰だしな。」
ライの剣はポポトルに落としてきてしまった。突然のマグマに見舞われたのだから仕方がない。フローラを助けるために剣なんて放り捨てていた。
「冗談はよして下さいよ___そんな商売したってこっちには何の儲けにもなりゃしない。武器を買って下さるって言うんなら歓迎しますけどね。」
マウルオーロ一の武器屋と看板を掲げる店で、サザビーはマントやら、肩当てやら、飾りだけの余計な品々を売りさばこうとしていた。しかし店の主人は気怠そうに、まともに取り合ってくれない。
「マウルオーロは商人の街だろ?このざまは一体どうしたって言うんだ?」
「なに言ってんだい。あんただってここから動けなくなった旅人だろ?」
「なに?動けなくなった?」
サザビーは訝しげに聞き返した。
「やれやれ、脳天気な奴等だな。港に行って来な、この街の様が良く分かる。」
港。
港には停泊している船が幾つもあった。大きいもの、小さいもの、様々だ。ただ共通して言えたのが、出航の用意をしている船が一隻もないこと。荷の積み下ろしはなく、停泊している船の数と港の静けさはあまりにも不釣り合いだった。
「凄いね、随分たくさんの船がいるよ。」
「いたくているわけじゃねえと思うがな___あそこにいる奴に聞いてみよう。」
自分の乗っている船だろうか?艀の前にボーっと立ちつくしてなにするわけでもなく船を見ている男がいる。
「なあ、ちょっといいか?」
「___」
男は反応を示さない。ただサザビーの方をちらりと振り返っただけだった。
「ほれ。」
サザビーは煙草を差し出してやる。
「___ありがてえ。」
男は煙草をくわえ、サザビーはマッチで火をつけてやった。少しだけだが男に生気が戻った。
「暫く島の奥を調べていてな、久しぶりにここに戻ってきたんだが___こいつはどうしたって言うんだ?」
「そいつは運が悪かったな___」
男は煙と共に溜息を吐き捨てる。
「突然だったぜ。もう十日ぐらい前かな、見たこともない変な天気になってな。雨が降ってるわけでもないのに空は黒雲に覆われて一日中まるで夜みたいに暗かったんだ。あの日以来カラッと晴れた日ってねえような気がするくらいだよ。」
それは超龍神の影響だろうが、そんなことが分かるのはこの世界でも数人だけ。
「それからだ、船が一隻もやってこなくなった。クーザーからの定期便もだぜ。それどころか、ぶちこわされた船の残骸が大量に流れ着いてくるようになったのさ。ほら、見てみろよ。」
男に促され、二人は顔を乗り出して港湾の海面を覗き込んだ。確かに、木屑やらなにやらが幾つも浮いている。
「こっちから出ていった船もどうやら沈んでいる。ここは商人たちが集まって直接交渉したりすることが多い町だからな、奴等は船乗りじゃねえし、怖がって出航しないんだよ。この時期は嵐になるはずなんて無いんだがなぁ。」
船乗りであろう男はまた溜息を付いた。船乗りの中には謎の荒海越えに挑戦したいと考えているものも多いようだ。
「なるほどな___そう言うことか。分かったよ、ありがとう。」
サザビーは男の肩をポンと叩いて踵を返し、ライは慌てて彼を追いかけた。
「サザビー、超龍神かな?」
「だろうな。超龍神は化け物のボスだ。あいつが魂だけとはいえ蘇ったことで、眠っていた化け物たちが目を覚ましたのかも知れない。ここ数日間に、化け物たちは確実に暗躍してきたってわけさ。」
サザビーはぶらぶらと、港から離れる方向へと進んでいく。
「これからどうするのさ。」
「考えてるよ。とりあえずこの格好を何とかしたいんだけどなぁ。それに、海を渡るには武器もいるだろ。」
「やっぱり渡るんだ。」
「勿論。とりあえずクーザーを目指す。」
ライはニヤリと笑い、サザビーも笑みで答えた。
「手分けをするか。俺は出航する船がねえか探ってみる。おまえはこいつと手頃な武器を交換してくれる商人を捜してくれ。」
そう言ってサザビーは、マントで包んだ装飾品をライに渡した。
「サザビーはどんな武器がいいのさ。」
「なんでもいいよ。俺はどんな武器だろうと一通り扱えるからな。」
まだまだ短いつきあいなのだが、サザビーに関して一つだけ確かに言えることがある。彼はとても器用だ。自分が不器用だからこそ、ライは余計にそう感じた。とにかく、今後頼もしい存在になってくれる。そんな予感があった。
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