2 死

 ソアラは一直線にフュミレイに突進した。フュミレイはそれを見透かすように指先か火炎を放つ。だが呪文には発動までの大きなモーションと間がある。ソアラがこれを予測するのは簡単なことだった。
 「なっ!」
 避けるなら横しかない。ソアラの横への動きに注意をしていたフュミレイの当ては外れた。
 「はああ!」
 ソアラは炎の下をスライディングしながら滑り込み、そのままフュミレイの足を跳ね飛ばしたのだ。身体を弾かれたフュミレイはソアラの方へと倒れ込み、ソアラは彼女の首を左手で掴むとクルリと身体を反転させ、フュミレイを床に押さえつけた。戦いの、肉弾戦の熟練度ではソアラが遙かに上。
 「どうして!?どうして将軍を!」
 ソアラはフュミレイの首を押さえ、右手ではナイフを振りかざしている。それでも目に涙をためて必死に問いかけてきた。
 「___どうして?」
 首の締め付け方にも加減がある。息苦しいとは感じなかった。
 「戦争で人が死ぬのに理由はいるか?」
 だからフュミレイは笑って見せた。
 「フュミレイ!!」
 その瞬間、一気に呼吸が詰まった。ソアラの左手に力が加わり、ナイフを一際大きく振りかぶる。
 「___!」
 だが呪文の熟練者フュミレイは、初歩的な魔法の発動に言葉を要さない。
 ボッ!!
 「うああっ!」
 左肘に走った激しい衝撃にソアラは顔を歪めた。肘に当てられたフュミレイの手から、密着状態で爆発性の魔法が放たれたのだ。肘の肉が焼かれたように赤く爛れ、敗れた皮膚から血が弾け飛んだ。ソアラは左肘を押さえて床を転がった。
 「___」
 フュミレイは喉元に手を当ててゆっくりと身を起こした。
 「くっ___」
 ソアラは痛みに慣れてくるとすぐさま立ち上がった。
 「聞かせてフュミレイ、全てはこのためだったとでもいうの___?」
 「そう考えてもらっても構わない。ただ、こうもその時が早まったのは、白竜内の問題でもある。」
 「はぐらかさないではっきり言いなさいよ!!」
 フュミレイのじれったい答えに、ソアラは怒りをぶちまけた。もう彼女の右手は左肘を押さえていない。さしものフュミレイも笑みを消す。だがそうすると、殺気が際立って恐ろしいほどに鋭利だ。
 「ケルベロスとダビリスの間で取引があった。ダビリスをケルベロスが引き込む条件がアレックス殺害だ。」
 「そんな___そんなことでアレックスを殺してしまうの!?お金のため!?国のため!?あなたは___どうしてアレックスを殺せるの!?好きだったんでしょ!?」
 「___」
 フュミレイは無表情のままでいた。
 「いいえ___あなたには聞いても無駄ね___どうせ答えてはくれない。答えたとしても、だいたい想像がつくわ!」
 戦争に個人の感情はいらない。そんな答えに決まってる!
 「そんなに口惜しいなら私を殺せ。」
 ソアラは拳をわなわなと震わせた。
 「そんな問題じゃないって___あんただって分かってるくせに!!」
 激昂したソアラのスピードは速かった。あっという間にフュミレイに接近すると、彼女の腹部に素早く拳をたたき込んだ。フュミレイは苦痛に顔を歪め、後ずさった。ソアラは更に追い打ちと言わんばかりに飛び上がり、フュミレイの顔面に強烈な回し蹴り。
 「くっ!!」
 フュミレイは成す術なく吹っ飛ばされ、側の柱に身体を打ち付けた。
 「ドラゴンブレス!!」
 炎のリングが煌めいた。フュミレイに向かって突き出されたソアラの両手が輝き、巨大な炎が吹き出すと、痛みで動けないでいるフュミレイを一気に飲み込んだ!
 「あんたが___あんたが悪いのよ___」
 ソアラは双眼からボロボロと涙を流しながら呟いた。フュミレイを殺してしまったと思った。 
 「ううっ!?」
 突然。胸に剣で切り裂かれたような痛みが走った。一気に呼吸が苦しくなって、喉の奥に焼けるような感覚。立っていられなくなり、胸をかきむしるようにして膝から崩れ落ちるソアラ。
 「病持ちか?貴様。」
 「!?」
 銀薔薇の声がする。炎の中から、至って平静に、健常な声が聞こえた。
 「フリーズブリザード!!」
 パァァァァンッ!!と、まるで風船が破裂したような音と共に、炎が散り散りになった。火傷の一つもないフュミレイの回りを、氷の粒がキラキラと輝きながら舞っている。
 「そ___んな___」
 ソアラは絶句した。
 「おまえのちんけな魔法など通用しない。魔法とはこうするものだ!」
 フュミレイの掌から発光する球体が放たれた。それは弾丸のように鋭くソアラに迫ると、動けないでいる彼女の胸元に着弾した。
 ドゥッ!!
 胸の回りで爆発が起こり、強烈な衝撃はソアラの身体をかち上げた。だがこの一撃はそれ以上の意味を持つ。
 「___」
 ソアラの瞳孔が収縮した。宙に飛ばされている間に既に血の気が消え、口から大量の血が弾け飛んだ。
 ドサッ。
 「がはっ!!げほっ!げほっ!」
 背中から床に身体を打ち付け、ソアラはすぐさま身体を翻して俯せになると大量の血を吐き続けた。もはや生気はなく___漸く喀血が落ち着いた彼女の顔つきは幾らか年老いて見えた。
 「肺病だな。」
 「___」
 フュミレイはソアラに近づくと、軽く足先で蹴飛ばし、彼女を仰向けにさせた。もはやその目は虚ろだった。
 「哀れだな。勘が鋭いばかりに、こうして朽ち果てる。」
 フュミレイの微笑はまさに悪魔のよう。そしてソアラはこの期に及んでも正気を保っていた。悪魔に意地の鉄槌を喰らわせるために。
 ドスッ!!
 「な___」
 ソアラ最後の一撃は、いつもの彼女のスピードで放たれた。ただ全身全霊を傾けた、まさに命を費やしての一撃だった。上半身を起こした時点で彼女の口元からは血が溢れていたのだから。
 「馬鹿な___」
 偶然ではあった。しかしこれも運だ。ソアラは左肘を砕かれた時点でナイフを放り出していた。しかし今、たまたまナイフの側に倒れ、彼女はそれを右手で掴むことができた。
 そしてナイフは、フュミレイ・リドンの脆弱な腹を易々と抉っていた。
 だが先に尽き果てたのはソアラだった。
 ナイフから手がずるりと滑り落ち、彼女は倒れ、意識を失った。それだけではない、呼吸も止まっていた。
 一方でフュミレイはよろめくように後ずさり、先程追いつめられた柱に身体を擡げて荒い息を付いていた。
 そのとき。
 ギャウンッ!!
 決闘の場に一筋の光が舞い込んできた。
 「___なんてこった!」
 大魔導師アモン・ダグは、魔法使い特有の冷静な判断力で現場の状況をすぐ様に察知した。
 「伝えたいことがあって来てみりゃ、遅すぎたな。」
 「そうだな___」
 アモンはアレックスの骸と、もはや骸に等しいソアラの姿をしっかりと目に焼き付けた。
 「こいつらは貰って行くぞ!」
 「好きにしろ。」
 光がアレックスとソアラを飲み込み、一瞬でアモンは戦場から姿を消した。
 「遅すぎたか___」
 フュミレイは顔をしかめながら、ナイフに手を掛けると勢い良く抜き取った。血は夥しく吹き出したが、右手の輝きでみるみるうちに傷は塞がっていった。
 「確かにその通りだ。」
 フュミレイは俯いて___笑みを浮かべた。
 だが、頬を伝った一筋の滴の意味は___彼女にしか分からなかった。

 ゴオオオオオ!!
 「え!?」
 轟音と共にベルグランが浮上をはじめた。ソアラを見失って困り果てていたフローラは、ライ、百鬼と合流して、街を彷徨っていた。
 「ど、どういうことだ!?」
 「置いてかれちゃったよ!」
 「全て作戦のうちだ。」
 いきなり背後からかけられた声に、三人は肝を潰した。武器に手を掛けて振り返ればそこには、スケベなあの老人がいた。
 「何だアモンさんじゃん___驚かさねえでくれよ。」
 だがいつにないアモンの神妙な面持ちは、彼らにもことの重大さを自然と感じ取らせた。
 「アレックスとソアラが死んだ。」
 だから冗談には聞こえなかった。
 「フュミレイに殺された。」
 爆音轟くゴルガの街。しかし彼らには、なにも聞こえなかった。衝撃と、混乱が、頭の中で飛び交うばかりだった。




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