4 青い純愛 

 「これはどういうことだね将軍!?約束が違うではないか!」
 戦争の間は姿をくらましていた分際で、戻ってきてからのダビリスの剣幕は凄まじいものだった。ただ特徴的だったのが、その矛先が徹底的にアレックスに向けられていること。総帥アイザックまでもが彼に責任をなすりつけようとしていることだった。
 「アンデイロ港の現状調査を行ったところ、港湾の大部分に沈没した鉄機船の残骸が蓄積し、これを取り除かない限りはアンデイロ港の機能は大幅の減少が予測されます。」
 ダビリスの隣に座っているのは万能の働きを見せる彼の秘書。このたびは調査員として素早くアンデイロ港の様子を調査し、商業に与えるダメージを弾きだして資料にしてきた。
 「アンデイロから商業船を退避させたのは良かったが、これでは船は再びアンデイロに入ることはできん!」
 「アンデイロそのものは無事です。確かに大型船は入れなくなりましたが、沖合からボーとなりなんなりで輸送することはできるでしょう。」
 アレックスもすんなり引き下がるつもりは無かった。会談場でアレックス側の席に位置しているアイザックは、不満げに彼を見つめた。
 「停泊はどうするというのだ!?船はいつも動いているわけではない!港に入れなければ時化で転覆する!どうしてくれるのだ?将軍。ケルベロスの奴らに任せたのは君の一存と言うことになっているのだぞ。」
 「アレックス。」
 アイザックが厳しい視線をアレックスに送った。これ以上ダビリスを怒らせるな。アイザックは権力で彼を抑圧しようとしていた。アレックスは覚悟を決めたように、一度だけ眼鏡のずれを直し、語りだした。
 「___確かにケルベロスに監督を怠ったと言われても仕方はないことです。また、戦術面でこちらの読みが甘かったと言うことでもありましょう。これはケルベロスの強かさを甘く見ていた私の責任です。」
 「ほう___認めるのか。」
 ダビリスはニヤリと笑って髭を撫でた。
 「認めましょう。しかし、ケルベロスの実力も認めなければなりません。今は彼らを敵に回してはいけない、だから、港湾のことを責め立てるのは控えなければなりません。これは彼らの誘いでもあるのです。」
 「誘いだと?」
 「ポポトルとの戦いの終了後に確執を残すためです。遺恨を残して我々の反発を買い、戦争に持ち込みたいのですよ。その上で世界中にあのベル・グランを飛ばして制する手はずなのでしょう。」
 アレックスも予想は立てていた。ケルベロスの筋書きはまさにその通りだろう。だが、ポポトルを覆すのに彼らの力は不可欠なのだ。
 「我々は極力ケルベロスと友好的に接しなければなりません。例え向こうが優位であってもです。耐えなければならないんですよ。ですから___あなた様にも妥協をしていただきたい。」
 「妥協だと?」
 ダビリスの眉間に皺が寄る。片方の眉をつり上げて彼は声までねじらせた。
 「アンデイロのことは目をつぶっていただきたいのです。商業活動の円滑化には我々も最大限尽力いたします。」
 「アンデイロは諦めて、それでも白竜を支援しろと言うのか!?」
 ダビリスが激昂した。立ち上がって顔を真っ赤にする。血圧が心配だ。
 「アレックス、いい加減にしたまえ!」
 アイザックも気が気でない。だが、これが現実か、アレックスは彼がなんと言おうと軽く片手で制するだけだった。
 「お願いいたします。今は我慢するしかないのです。」
 アレックスは立ち上がって眼鏡を取り、ダビリスに深々と頭を下げた。その落ち着き払った行動を見てか、ダビリスの血の気も平静さを取り戻していく。彼は一度咳払いをして再び席に着いた。
 「フフ___大した男だな貴様は!」
 ダビリスはフンと一つ大きな鼻息を噴いた。  
 「まあいい、将軍の面に免じて今回は目をつぶってやる。」
 「ありがとう御座います。」
 アレックスに笑顔はなかったが、多少険しさが和らいだ。
 「三日後には祝賀会だったな!」
 「はい。御出席をお待ちしております。」
 「うむ、盛大に祝おうではないか。大陸を守り通したこと、白竜とケルベロスの友好、ポポトルに対して攻勢に出られることを!」
 そしてダビリスは高笑いをしながら、調査員と共に部屋を後にした。ダビリスが珍しく寛容なところを見せた。アイザックはそう思ってホッと胸を撫で下ろしていた。
 だが___
 会見場の扉が閉じられ、廊下に出る也、酷く冷め切った顔に豹変したダビリス。
 「パーティーを利用してケルベロスに接触する。根回しを急げ。」
 「はっ。」
 思考は冷酷そのものだった。
 
 「ねえフローラ。百鬼見なかった?」
 フローラの部屋へとやってきたソアラは早々に尋ねた。
 「百鬼?またデート?」
 フローラは茶化すようにしていった。
 「違うわよ、今のあたしに男は不要。」
 漸く明るさの戻ってきたソアラ。冗談で返せるくらいの余裕が彼女には必要だ。
 「なんだかさ、最近百鬼の様子が変なのよ。問いつめてやろうかと思って。」
 「そう言えば最近あまり見かけないわね。自由な時間はいつもいなくなってるかも。」
 改めて思い返してみると確かにそんな節はある。
 「でしょ?なにしてんのかしらね。近頃なんだかあいつに避けられてるような気もするし___」
 「気になるならあたしよりもデイルさんに聞いてみたら?お茶飲んでいく?」
 「あ、うん。ありがとう。そうねぇ、デイルさんなら知ってるかもね。」
 こんなやり取りを交わしながらもフローラは、「なぁんだ、結局気になる存在なんじゃない___」と思い、こみ上げてくる笑みを抑えきれずにいた。彼女でもできたのか?って、それが気になっているんじゃないか?なんて野暮なことは聞けないが。
 「あ、そう言えば最近体調どう?」
 ソアラの軽い咳払いを聞いて、フローラが尋ねた。
 「体調?すこぶる順調よ。元気バリバリ。」
 ソアラはそう言って力瘤を作ってみる。さして太いわけでもないこの腕で、よくもまあ戦えるものだ。
 「テンペスト先生の診察が受けられない身なんだから、無理しないでね。何かあったらちゃんとあたしに言ってよ。」
 「分かってるって。あたしだって爆弾抱えてるって、それくらいの認識は有るんだから。」
 ソアラは気丈に笑った。軽く胸に手を当てながら。
 「百鬼?」
 デイルは煙草の煙をプハーッと天井に吹き出して言った。ソアラは少し煙たい顔をする。
 「そうです、見ませんでした?エホッエホッ!」
 「おっ、わりいわりい、煙草は苦手だったっけな。」
 ソアラが咳き込んだのを見て、デイルは灰皿に煙草をこすりつけた。
 「すみません。」
 「んで百鬼か、確かにこのところ毎日のように出かけてるみたいだな。でもあいつにも何か人に言えない用があるんだろ、あんまり詮索するんじゃねえぞ。極秘に任務を貰ってる可能性だってあるからな。」
 期待したような明確な答えは返ってこなかった。だが彼の言うとおり、あまり深入りしないほうがいいのかも知れない。ただ、気にはなる。
 「遊び相手がいなくて、つまんねえのか?」
 「まあそんなところかしら。」
 ソアラは笑顔で答えた。
 「それよりもおまえさ、今度のパーティーの服装ってもう決まってるの?」
 「ああ、普段着ですよ。」
 今度のパーティーは、白竜軍の要人だけでなく、末端に至るまで出席を認めた大祝賀会だ。当然、ソアラやこのデイル、フローラやライや百鬼も出ることになっている。
 「普段着っておまえなぁ、目立つぞ。」
 「でもそういう服持ってませんから___」
 「あ、そうか、おまえとフローラは新入りだから軍服つくってねえもんな。」
 デイルはポンッと手を叩いて言った。そして自室の洋服タンスを開いて中にぶら下げてあった服の一つを取りだした。格好のいい軍服。白竜軍らしい、白を基調としたもので、細部まで装飾が施されている。
 「これが白竜の制服なんだよ。女ものも当然ある。軍に入った奴は、公式行事のためにこいつを一人一着拵えることになってるんだ。」
 「そうだったんですか___」
 ソアラがっかり。白竜軍に来てからと言うもの、自分も回りも慌ただしく、そんな話を聞く機会がなかった。そもそも兵士たちは、普段はこんな堅苦しい服を着ていない。戦争の時だって、これに何か武装をするのではうまくいかないだろう。
 「まあそうがっかりすんなよ、俺が将軍にでも掛け合って、街の衣装屋で貸衣装を手配して貰えるようにするから。」
 コンコン。
 デイルの部屋を優しい音がノックする。ノックの音一つにも性格は出るもので、これは恐らくフローラ辺りか。
 「開いてるよ。」
 「あ、ソアラいた。」
 フローラはドアから顔を出すなり、ソアラを見つけてニッコリと笑った。
 「なに、どうしたの?」
 「デイルさんこんにちわ。」
 「おう。」 
 デイルは手を挙げて答える。どうやらフローラは部屋の中まで入るつもりではないようだ。
 「ねえ、フュミレイさんが今度のパーティーのためにドレスを貸してくれるって。良かったら見に来てって!」
 「本当に?」
 ソアラは晴れやかな笑顔になった。
 「本当よ。ほら、あたしたちってたまたま体型が似てるじゃない?だからもし良かったらって。」
 「うわぁ、フュミレイってば本当に気が利く!グッドタイミング!」
 「良かったな、ソアラ。」
 「はいっ!」
 そして若い二人は賑やかに喋りながらデイルの部屋を後にした。デイルは先程の煙草の先端を少し切り落として、またマッチで火をつけた。
 「百鬼のやつ面倒なことさせやがって。なに企んでんだ?」
 実は数日前に百鬼はデイルの元を訪れていた。そして。
 「7000プライム稼げる仕事ってないっすか?」
 と、ぬかしたのだ。結局デイルは、丁度先達てのラドのテロ行為で被害を受けた、ダビリス邸の補修工事を斡旋してやった。たまたまそこの親方が白竜軍でもご用聞きの縁深い人物だったため、無理を言って頼み込んだのだ。一週間朝から晩まで働いて、外壁の修繕を完了させたならばと言う条件付きで、親方も引き受けてくれた。百鬼は理由を言わなかったが、それでもここまでしてくれた二人は人情深い。百鬼はとにかく両者に感謝した。
 「おい、あまり根を詰めないでたまには休めよ!」
 親方が百鬼にだみ声で怒鳴った。
 「予定の日まであとちょっとだから、休んでたら終わらなくなっちまいますよ!」
 百鬼は足場を組んで、四メートルはあろうかという外壁の真ん中辺りに、煉瓦を組んでいった。広いダビリス邸を囲む四方の壁のうち、一辺が大幅に倒壊したもので、彼はこの修復作業を一人で頑張っている。他の職人たちも、壁の別の場所や、この際にと依頼された改築工事にあくせくと働いているが、とにかく百鬼の仕事ぶりは凄まじいものがあった。
 「お疲れさんです!」
 日が完全に落ち込むと、彼は一番最後に現場を離れることになる。事務所に道具類を返して今日も城へと帰る。そしてまた明日、朝食を済ませたらば出勤だ。近頃は毎日この繰り返し。
 「この時間ならもう部屋にいるはずね___」
 夜。頃合いを見計らってソアラは百鬼の部屋へと向かった。
 コンコン。
 ノックをするが返事はない。
 「いないの?」
 だがドアは簡単に開いた。
 「不用心、鍵も掛けないで___」
 部屋は暗かった。だが豪快な寝息が聞こえたので、百鬼がいることは分かった。ソアラは息を潜めて彼のベッドへと近づいていった。開いたままの扉から、廊下にくべられた洋燈の明かりが差し込み、百鬼の顔かたちを見ることができた。
 「___」
 やはり気になって、直接聞いてみようかと思い立ったソアラだが、彼の無防備な寝顔を見るとそんな気持ちがスゥッと消えていってしまった。そして自然と微笑んだ。
 「いい顔しちゃって___」
 黙っていよう。彼には彼なりの理由があるんだ。
 「でも、あたしはちょっとつまらないんだよ。」
 ソアラは悪戯っぽく呟いて、髪が邪魔にならないように、背中へとまとめ上げ、そっと上半身を倒した。そして仰向けになって眠る彼の口にそっと___
 「う〜ん。」
 ビクッ!
 人の気配を感じたのか、百鬼が突然寝返りをうった。ソアラは肩をすくめて後ずさり、彼が目覚めてはいないと知って一つ胸を撫で下ろした。
 「まだ早いって事かな?」
 ソアラはクスリと笑って、百鬼の部屋を出た。
 「おやすみ〜。」
 そして小さく声を掛け、静かにドアを閉じた。

 それから三日後。パーティーはカルラーン城の演舞場で行われる。聖堂のように、広く、一際細工の混んだ彫像が柱となった、カルラーン城で最も優美な場所。外に出れば石畳のテラスに大きな噴水もある。夜になると、会場には正装した人々が次々とやってきた。白竜軍の要人たち、ケルベロスの主要な人物たち、それに白竜軍の一般兵。ただ、一部の兵士はケルベロスとのパーティーを嫌って参加していない。勿論、こういう雰囲気が馴染まないと言って参加しない人もいる。
 「我々はポポトル軍の金獅子作戦の阻止に成功し、見事、カルラーン、アンデイロ、エンドイロの三大都市の死守に成功しました。これは偏に諸君ら白竜軍兵士の奮闘と、ケルベロス軍の協力によるものであります。」
 アイザックは手にしたメモに時折目を向けながら、それでも努めて威厳を崩さないように語った。会場からは俄に拍手が起こり、アイザックが笑顔で制すると波が引くようにまた静けさを取り戻す。
 「この戦いで我々は自信を深め、ケルベロスとの共同作戦がいかに現実的であるかを示しました。あえて言いましょう、白竜軍とケルベロスの共同軍であれば、ポポトルを倒せる!」
 会場がざわめき、そしてまた拍手が起こった。
 「静粛に!」
 アイザックは観衆を制し、更に続けた。
 「これを機に我々は、ポポトル侵攻作戦の推進を宣言します!」
 会場が一気に盛り上がる。自分で考えたのかどうなのか、とにかくアイザックは演説好者ぶりを発揮していた。
 「我々の未来に!」
 「未来に!」
 希望を込めた一言で乾杯が行われ、パーティーが始まった。
 「それでは皆様、ゆっくりとお楽しみください。」
 アイザックの声に重なるようにして、音楽隊がムード音楽を演奏しはじめた。会場は人々の談笑の声で一気に賑やかになった。
 まず、いきなり注目を集めたのがフュミレイ・リドン。黒に近い紫を基調としたロングドレスに身を包み、肩ほどまでの髪をまとめ上げ、いつになく高貴な印象で人々の目を引いた。そして魅力的なのは大きく開いたドレスの背中。ただ、彼女であれば妖艶というよりはむしろ神秘的なのだから面白い。男たちは逐一その姿に息をのむ。だがとうのフュミレイは、白竜の要人の相手でパーティーを楽しむ余裕などなさそうだ。
 「はぁ〜。」
 ソアラも注目の的であることには違いない。もはやカルラーンの白竜軍兵士で彼女を知らない者などいないというほど、知名度の高いソアラ。陽気な性格と抜群の容姿もあってか、若い兵士たちが寄ってくる。
 「ソアラさん。もし良かったら次の曲で一緒に踊りませんか?」
 「御免なさい、そんな気分じゃないの___」
 だがソアラの表情は冴えなかった。彼女が「一人」であることを知ってか知らぬか、意気揚々とやってきた青年兵士をあっさりと不意にした。
 (___何で一人なのよ。折角楽しめそうなときに___何で今日まであんたはいないのよ___!)
 暫くはフローラと幾らか食べ物を口にしていたが、フローラは格の高い親父連中に人気があり、いつの間にかソアラは一人になっていた。少し会場を見渡せば、偉いさんをにこやかに「接待」しているフローラの姿があった。ベージュのドレスが彼女の控えめな部分を表しているようにも思えるが、とてもセンスのいい服装だった。グラスの酒を口にしているが、彼女の酒豪はソアラも知っているので心配はなかった。一方でライはマイペースで食事に夢中。側には一通り挨拶を終えたアレックスもいた。アルベルトとサラは会場の外れで二人の世界に入っているし、空いているのは一人酒のデイルくらい。百鬼はここにはいなかった。
 「もう___本当になんなのよ。」
 ソアラはダンスが始まっている会場の中心を、恨めしそうに時折顧みながら、会場の外れ、なるだけ人気がない場所へと向かった。フュミレイから借りた白いドレスで久しぶりのお洒落。ほんの少しだが、化粧だってしてみたというのに。こういうときだから一緒にいたい百鬼はここにはいない。
 「おい、ソアラ。」
 「?」
 人型の柱に凭れて浮かない顔をしていたソアラに、男の声が呼びかけた。また誘いかとも思ったが、聞き慣れない声の割に馴れ馴れしい呼び方に彼女は振り返った。
 「あ、君は___えっと、訓練の時に戦った人よね、えっと___」
 「クァン・ツィエニィだよ。」
 クァンはがっかりした様子で苦笑した。
 「あ、そうそう。ごめんね、思い出せなくって。」
 「折角気を利かせて様子を見に来たってのに、ちょっと残念だったなあ。」
 「ごめんってば。謝るよ。今度からはちゃんと覚えるから。」
 ソアラは苦笑いで手を合わせた。
 「パーティーは一人でしょんぼりしてたって楽しくないぜ。どうだ?軽く一杯。」
 「ごめん、お酒飲めないんだ。」
 これは嘘でも何でもない。ソアラは酒があまり得意ではない。どう得意でないのかは触れずにおこう。
 「ダンスはどうだ?戦いだけが取り柄じゃないだろ?」
 「そりゃそうだけど___」
 クァンは煮え切らないソアラの手を取って跪いた。
 「なあソアラ。男だってただ女を誘っているわけじゃない。こういうときだからできること、言えることだってあるんだ。みんなチャンスをものにしたいって思うから、おまえを誘ってるんだぜ。」
 ソアラは長い逡巡。それでもクァンの手を振り払いはしなかった。
 「分かった。踊ろう。」
 「ありがとう。」
 クァンは立ち上がって一礼し、ソアラの手を取って演舞の輪へとエスコートしていった。ムードの良い、悠長なリズムの曲に促されるように、二人は回りの人たちに倣い、身体を近づけあってゆったりとステップを踏んだ。クァンの気心に自分も会わせてみようと思い切ってみたソアラだったが、やっぱりどこか物足りなかった。ただ、暫くはこうしていよう。せめてお洒落の甲斐が生まれるくらいは。
 「あ〜あ、百鬼の野郎なにやってんだか。ソアラってばあんな男と踊っちゃってやんの。」
 デイルも一向に姿を現す気配がない百鬼のことを気に掛けているようだ。だが彼にとっては他人事。
 「お、フローラ!こっちこいよ。」
 デイルに呼ばれると、フローラは微笑みながら少し小走りになってやってきた。
 「ああ、助かった。」
 「大変だねえ人気者は。」
 「気疲れしちゃいます、あんな偉い人たちばかりじゃ。」
 フローラはデイルに促されるまま彼の隣に腰を下ろした。
 「ま、一杯。」
 「頂きま〜す。」
 どうやらフローラは暫くここに落ち着く構えだ。
 「ライくん、美味しいですね。」
 「はい。でも太陽の下で食べられたらもっと美味しいかも知れませんよ。」
 ライはアレックスにそう返事をした。アレックスは感慨深げに暫く彼の様子を見ていた。
 「そうですね、私もそう思います。」
 二人は笑顔を見せあって、またがつがつと食事に貪りついた。
 「ライくん、私たちは似てるところがあるかも知れませんね。」
 「そうですか?なんだか照れるなぁ。」
 アレックスは無邪気なライの反応を素直に喜んでいるようだった。
 「フュミレイ様。」
 正装しても髭が目立つバンディモがフュミレイに近づいて密かに耳打ちした。
 「分かった、衣装替えと称して席を外そう。」
 そして短いやり取りを経て、しずしずと、何ら不可解を感じさせない淑やかな動作で一度会場から姿を消した。
 会場を後にした彼女は、そのまますぐ近くの部屋へと入っていった。中は明かりがともされており、そこには吐息の臭そうな老人が数人待っていた。
 「待ち侘びたぞ、フュミレイ。」
 ハウンゼンの叱責には特に答えず、彼女は素早く彼の隣の席へと座った。
 「そろったな、早速交渉をはじめよう。」
 テーブルを挟んだ向かいにはドノヴァン・ダビリス。そして彼の秘書。
 「手っ取り早く済ませよう。貴公が白竜軍に対して行っている財政投資、及び武装援助をそっくりケルベロスへと移し替えたいというのは、まことか?」
 ハウンゼンは皺の根付いた目元を更に厳しく引き締めて、詰問のように強く問うた。
 「白竜軍に味方していたのは商売を円滑にするためでして、正直白竜の名前があるだけで、商売がしやすいのですよ。だがあなた方のあのベル・グランを見せつけられては、鞍替えしたくもなるものです。背に腹は代えられないという奴ですな。」
 ダビリスはニヤニヤと笑っている。下手に出てはいるが、奴の全てを小馬鹿にしたような態度、顔つきは隠しきれない。フュミレイは思った。
 こいつは白竜の癌だ。
 「そこまでするのには条件があるのだろう?聞かせていただきたい。」
 フュミレイの問いにダビリスは大きく頷いた。
 「まず、ケルベロスの本国に私の商業基盤となる邸宅の建設、市場の開業を許していただきたい。それと___ある極秘任務をそちらの手で請け負っていただきたいのですよ。なぁに、これはあなた方にとっても大変にプラスだ。」
 ダビリスは悪鬼のように口元を不気味に歪めて微笑んだ。フュミレイは、毒虫にも等しいこの男に嫌気を感じながらも、ポーカーフェイスをひとたびとて崩しはしなかった。
 「おお、ハイラルドよ!このトルストイと共に踊らぬか!?」
 「しょ、将軍、酔っぱらってらっしゃいますね?」
 と、トルストイが羽目を外してフローラなど誘っている頃。
 「なるほど、そちらの意図は分かった。」
 ハウンゼンは少し顔つきを強ばらせながらも納得の表情をしていた。
 「これはアイザックの承認を得ている。なぁに、そう難しいことではない。目撃さえされなければ我々の力で幾らでも結果を作り替えられますからな。」
 ダビリスは肩を揺さぶって笑った。重みに耐えかねて椅子が軋む。
 「この任務はフュミレイ・リドンに直々にやらせる。失敗はあり得ないと、総帥殿にも伝えることだ。」
 ハウンゼンは、隣でただテーブルの一点を見据えているフュミレイを一瞥し、ダビリスに答えた。
 「それはなにより、期待しておりますぞ。フュミレイ殿。」
 フュミレイは我を取り戻したかのようにゆっくりと顔を上げてダビリスを直視した。
 「期待に添うことを誓おう。」
 ただそれでもポーカーフェイスは崩さなかった。
 ___
 衣装替えを終えたフュミレイが、本来予定していたはずの赤を基調とした鮮やかなドレスではなく、まるで葬式のように、先程の紫よりも更に黒い、漆黒とも言えるようなドレスで登場し、会場が沸いた。
 「ソアラ、何か飲むかい?」
 フュミレイを見ていると、ソアラの心はさらに冷めたものになっていく。
 「ごめん、もういいわ。少し一人でいさせてくれる?」
 これ以上クァンと馴れ合う気にはなれなかった。
 「ソアラ___」
 「気を使ってくれたのは嬉しかった。ありがとう。でも、今はやっぱり気分が悪いの。」
 ソアラはこの空気から抜け出したかった。ドレスの裾が乱れるのも気に留めず、彼女は小走りで、演舞場から庭の方へと飛び出して行った。
 石畳の庭には誰一人としておらず、大きな噴水が澄んだ水を吹き上げ、篝火を受けてキラキラと煌めいている。
 「つまらないなぁ___」
 ソアラはとぼとぼと噴水の側まで歩み寄り、その縁に腰を下ろした。もう暖かい季節だが、それでも中の熱気に当てられたせいか、夜の澄んだ空気は少し肌寒く感じた。
 「何やってんのよ百鬼___」
 なんだか寂しくなってきた。急にシュンと胸が締め付けられる気がして、なんだか悲しくなってきた。
 「ほったらかしにされてがっくり来てるなんて、これじゃああたしが馬鹿みたいじゃない___」
 ソアラは顔を伏せるように俯いて、ただ水の打つ音だけを聞いていた。
 タッタッタッタッ___
 すると、どこからともなく人の駆ける音が聞こえてきた。強い、男の足音だ。それも演舞場とは逆の方、庭の奥手から聞こえてくる。
 「うわっとと!」
 バランスを崩しながら藪を突き抜けて、兵服姿の男がテラスに飛び出してきた。
 「あぶねぇ。」
 自分の兵服が藪に引っかかって破けていないか確かめて、男は呟いた。最初は誰かと思ったが、今の声と、篝火に照らされたシルエットで分かった。だからソアラは彼の名を呼んだ。
 「百鬼。」
 「ん?」
 彼も気が付いたのだろう。噴水の縁に腰掛ける彼女の髪は、夜の暗闇と篝火の輝きで煌めくように変化し、時に銀色にまで輝いて見えるほどだった。
 「ようソアラ、こんな所で何やってんだ?」
 「何やってんだじゃないわよ___」
 ソアラは俯いた。舌打ちでもしたような、そんな唇の動き方だった。
 「自分の兵服を探すのに手間取ってさ___来るのが遅くなっちまったんだ。ごめんな。」
 百鬼も彼女の心中を察したのか、優しい口調でそばに近づいていった。今日の百鬼は少しいつもと雰囲気が違う。バンダナを外して髪型を整え、こうして兵服で正装すると___少しばかり高貴に思えるから不思議だ。
 「待ってなんてないわよ___あんたなんか___」
 「ごめんな、俺だってつまらなかったさ。ここしばらくおまえと喧嘩してなかったしな。」
 ドサ。
 ソアラは自分の膝の上に掛かった重みに顔を上げ、目をキョトンとさせた。
 「なにこれ?」
 ソアラの膝の上には、紙に包まれた何かが無造作に置かれていた。かなりの大きさだが重みには乏しい。
 「開けてみな。おまえには色々世話になってるからな。男から、感謝の贈り物さ。」
 ソアラは不可思議に思いながら丁寧に包装紙を剥がしていく。やがて、贈り物が顔を出し、篝火の元、それが青い生地であると知ったその時、ソアラは息が詰まるような気分になった。声にならない___
 「約束は守るぜ。」
 百鬼は照れくさそうに鼻先を擦りながら言った。
 「___」
 ソアラの膝の上には、真っ青のドレスがあった。二人がはじめてデートらしきことをしたときに、ル・シャルデという店の前で彼女が羨望の眼差しで見つめていた青いドレス。安月給の私にはとても買えない。彼だって、その値段を見て仰天していた。
 「どうしたんだ?」
 百鬼はソアラがあまりに反応に乏しいので少し心配になった。
 「ん___何でもない。ちょっと___嬉くってなにも言えなかった。」
 ソアラは漸く百鬼に顔を上げてくれた。
 「でも___これどうやって___」
 「デイルさんに頼んで、金になる仕事を斡旋して貰ったんだ。ダビリスっているだろ?あいつの家の修理の手伝いだったんだけど___」
 「それで___いつもいなかったんだ。」
 「なんとかこのパーティーに間に合わせたくてさ。でも、気にはなってたんだぜ。おまえがブーたれていないか。」
 百鬼は悪戯っぽく笑った。
 「フフ___本当、ちょっと寂しかった。」
 だがソアラがあまりにも女なので___逐一ドキリとさせられる。こうしていても、彼女の微笑みに、ふざけることもできなくなってしまいそうだ。
 「着てみるよ。」
 ソアラは立ち上がった。
 「それじゃあ中に行くか。」
 だが彼女は首を横に振る。
 「ここがいいわ。あたしたちしかいない場所のほうがいい。」
 「で、でもよお。」
 「後ろを向いていて。」
 いつも男っぽくって、ざっくばらんで、攻撃的なソアラが今日はまるで別人に見える。彼女の繊細で、優美で、妙に女性を感じさせる姿に、百鬼はどぎまぎしてしょうがなかった。
 「振り向かないでね。」
 「わ、わかってら。」
 噴水が水を打つ音とは別に、布地が肌を滑り落ちていく音が聞こえた。百鬼は、今のソアラの姿を思い描いて顔を赤くする。
 「あ!そうだ、そのドレス___サイズがおまえに会ってるかどうか___」
 「あなたが決めたなら大丈夫よ。」
 それから暫くして。
 「いいよ、百鬼。」
 振り向いた百鬼は、思わず言葉を失った。
 青い淑やかなロングドレスに身を包み、いつもはまとめ上げている紫の髪を背中まで真っ直ぐに伸ばした彼女の姿。それは感銘に等しかった。ソアラが普段忌み嫌っている紫色の髪も、この時ばかりは、彼女の美しさをより一層際立たせるものでしかない。
 「綺麗だ___」
 月並みだが、やっと出た一言がそれだった。
 「ありがとう。」
 二人は示し合わせるまでもなくゆっくりと歩み寄り、そして互いの肌が触れ合うことを確かめるように、抱き合った。
 それから二人は無言になり___ソアラは顔を上げて目を閉じ、百鬼もそれに答えた。
二人の柔らかい唇は___互いの初々しい愛の感情を高め合い、確かめ合うかのように、静かに触れた。
 自然な接吻の後、二人は暫く無言で見つめ合っていた。だが演舞場からムード音楽が聞こえてきたことに気づいてソアラがニコリと笑う。
 「踊ろっか?」
 「そうだな。」
 噴水の回りで、二人だけのダンスパーティーが始まった。篝火が、スポットライトのように二人だけを照らしている___そんな気がした。




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