3 調和の力
「久方ぶりだな、アレックス将軍よ。」
ベルグランのタラップを降りきって、出迎えにやってきたアレックスを前にハウンゼンは回りに聞こえるほどの声で言った。
「お久しぶりです、摂政殿。」
アレックスは冷静なままに答えた。フュミレイとの縁を考慮して、出迎えのメンバーに入っていたソアラたちは、アレックスの顔色を少しだけ気に掛けた。
「フュミレイからこのたびの共同作戦の主旨は聞き及んでいる。そして我々はこのベル・グランを用い、アンデイロの再奪還に成功した。この功績を我らの答えと受け取っていただきたい。」
「聞き及んでおります。ケルベロスの誠意と受け止めましょう。」
二人は握手を交わした。ハウンゼンは笑顔だったが、アレックスは笑ってはいなかった。
「今後についてはこれから双方歩み寄りながら話を詰めていきたい。」
「ポポトルの打倒という一念に向かって。」
「うむ。その通り。」
「まずはカルラーン城へ。」
「私とフュミレイだけで行く。ケルベロス兵はベル・グランに残し、ベル・グランには白竜兵を近づけないことが条件だ。」
矛盾している。協力すると言っても、ベル・グランまで共に使わせるつもりは毛頭ないらしい。そうとも、これが空から火を落とせばカルラーンなどあっという間なのだから。
カルラーン城壁外に着陸しているベルグランだが、その存在はそれだけで街の人の興味を引き、やがてあれが空から爆弾を落としてポポトルを倒したという噂が広まると、住民たちは不安に苛まれるようになった。
「ねえ、気にならない?」
「なにが?」
今日の仕事を終えた仲良し四人組。唐突にソアラが訝しげな顔をし、ライは首を捻った。
「アレックス将軍の素性よ。みんなあの人を詰るとき決まってケルベロスを持ち出してくる。」
「それは将軍がケルベロスの出身だからじゃないの?」
フローラの答えにライもうんうんと頷く。相変わらずフローラのイエスマン。
「出身だけじゃ因縁までにはならない。そう言うことだろ?」
「そうよ。思想の違いはどこにだってあるわ。将軍はケルベロス人であるハンデを克服して白竜で地位を築き上げたのよ。」
「ソアラやフローラだって今じゃ白竜の出世頭じゃない。」
二人は白竜軍で確実な信用を築き上げた。もう彼女たちを重大な任務に起用することを誰も躊躇ったりはしない。先達ての防衛戦で類い希な成果を上げたソアラとフローラ、うちフローラは表彰されることが決まっている。ソアラは___金獅子作戦に利用され、ラドウィンの策を防げなかったこととがマイナスとなった。
「あたしなんかとは訳が違うわ。現にあたしは、白竜の裏ボスって言われるダビリスって男を見たことさえないのよ。あ〜、気になる。さっきのハウンゼンって奴や、フュミレイとだって簡単な関係じゃないわよ将軍は。ケルベロスでは何者だったのかしら?」
「嫌なゴシップ根性だな。そんなのいいじゃねえか、別に。」
百鬼はもうこの話を切り上げたがっている。
「気になるのよ。勝手知ったる相手がすぐ側にやってきて___利用されるかも知れないでしょ?あたしみたいに。」
確かに立場は似ているのかも知れない。アレックスにとってハウンゼンは初めから好ましくない相手のようだが、ともかく、彼にとって状況は思わしくない方向に進んでいる。ダビリスに目の敵にされていることを含めてもそうだ。
「直接聴きに行ってみようかしら。」
「待てよ、俺も行く。」
「なんだ、あんたも興味あるんじゃん。」
コンコン。
ハウンゼンとフュミレイをトルストイに預け、自室に戻ってダビリスへの対策を思案していたアレックス。彼の思考を断ちきるようにして鳴ったささやかなノックに、アレックスは外していた眼鏡を取って立ち上がった。
「ソアラ・バイオレットです。」
「どうぞ。」
ソアラは遠慮がちに扉を開けた。アレックスは変わらない笑顔で彼女を迎えてくれた。
「おやおや、随分一杯いますね。」
ソアラに続いて百鬼、ライ、フローラと、行列して入ってきた面々を見てアレックスは思わず失笑した。
「私のことが知りたい?」
さすがに多少気が引けた。しかしここまで押し掛けておいてやっぱりやめたなんて言えるものか。ソアラはアレックスに笑わせないくらい厳しい顔つきで尋ねようと考えた。
「ふむ、気になりますか?私のこと。」
だがアレックスは笑顔を崩さなかった。
「知っておきたいんです。将軍の敵はみんなケルベロスのことを持ち出します。将軍はケルベロス出身というだけじゃないんですか?」
「聞いたところで大して面白い話ではないと思いますが___」
「暗黙のままであなたの側にはいたくありません。」
ソアラは睨むような目つきで、ただ真っ直ぐアレックスを見つめた。百鬼は平常心でアレックスを見やり、ライとフローラは少し困惑している。
「いいでしょう、お教えしましょう。まあ立ち話もなんですから、適当に座って下さい。」
それから、アレックスはゆっくりと話し出した。隠し立てを感じさせない内容、話しぶり。彼の誠意に、ソアラたちは話を途中で遮ることなどできなかった。
___
私はケルベロス国の東側に位置する、小さな街で生まれました。父はこの街の領主で、世界の東北端に位置する島、セルセリアの出身者でした。母はケルベロス人です。フレイザー家はケルベロス国にありながら、レサの世界侵略の思想に反目していた、いわば異端でした。
セルセリアの人というのは、聖域と呼ばれる土地柄もあってか、どこか神秘性を持ち、目に見えない崇高さと、学者にも負けない知識を持っています。全てがとは言いませんがそういう人が多いのです。ケルベロスにその度量を認められ、領主にまでなった私の父はまさにセルセリア人らしい特徴を持っていました。
父は私に様々なことを教えてくれましたし、私も父を尊敬し、成長するに連れて彼の助けになろうと色々なことを勉強したものです。父は思想にはあまり公平な人ではなかったので私もケルベロスの世界征服を忌み嫌っていました。ですが、父に比べれば多角的にケルベロスを見ることができたとも思っています。
ケルベロスが積極的に動き出したのは私が十五の頃。そのころは私もケルベロス城に通って、幾らか国家についての勉強をすることが許されていました。そして私にも徴兵の任が下ったのです。ですが、世界征服の思想に異を唱えていた父はそれを破り捨て、私と母にセルセリアへの逃亡を指示しました。
父は私や母の身を案じてくれたのでしょう。戦争が本格化すればするほど、彼の身に及ぶ危険は大きくなる。それならば、なるだけ早く、せめて息子が最前線に送られる前に、愛する家族だけはケルベロスの手から守ってやりたかったのでしょう。
私と母は船でセルセリアへ向かいました。しかし父の策を読んだシャツキフ・リドン、フュミレイの父ですが、彼は船員を買収していました。船員は我々の身柄を拘束し、その場で処刑を執行しようとしました。しかし母は身を挺して私を海原へと逃がし、自分は狂弾に倒れたのです。私は冬のケルベロスの氷るような海に投げ出され、喘ぎました。このままなら命はないと考えたのでしょう、船員たちはとどめを刺すことはせずに本土へと帰っていきました。ですが両親の命に守られた私は死ななかった。後で聞いた話ですが父は反逆罪として祭り上げられ、レサの権力の見せしめに処刑されたそうです。
私は、暖炉の効いた石造りの家で目を覚ましました。体中が痛くて、起きあがることはできませんでしたが、自分が生きているという実感は、人間味のある天井を見てすぐに得ることができました。私は幸運にもセルセリアへと流れ着いたのです。私が投げ出された海から、潮流の流れに乗ればかなりの確率でこの島へ流されるとある地学者は言いましたが、私はこれを奇跡の巡り合わせだと信じたかったですね。
聖域セルセリアの人々は知的で高尚ですが、内向的で地元意識の強い人々です。更に、女性、子供、老人が島民の大半を占め、男性は概ねケルベロスに働きに出ているのです。島が私を受け入れることで、彼らの平穏が乱されかねない。そんな声に反発して、邪魔者の私を献身的に看病してくれたのは一人の女性でした。彼女の名前はニーサ。年の頃は私よりほんの一つ下でしかありませんでした。
セルセリアの人々は、私の父の名を聞いて多少態度を軟化させてくれました。それでも私とニーサの距離が縮まっていくことにはあからさまに嫌悪を示していたものです。私はなるべく早くここを出ていこうと心に決めていました。ニーサとは互いの証を交換し、再会を約束しました。
今まさにケルベロスが世界侵攻を始めようとしている。私が大陸に戻ったのはそう言うときでした。私は父の思想を敬っていましたから、ケルベロスと戦おうと考えたものです。ケルベロスはこれまでもこれからも、レサ主動で成功してきた国家です。ケルベロスに住む人々はレサのやり方に表立って反抗しようとはしません。しかしケルベロスによって貶められた人々もいます。白竜軍の基礎は私と彼らが出会ったことから始まりました。
私は暇を見てはセルセリアに戻り、それでいてケルベロスに対する反抗活動を続けました。その当時の反抗活動は、単純なゲリラです。あまり誉められたものではありませんね。ですから結局私と彼らは仲違いしてしまいました。それに連れて私がセルセリアにいる時間も長くなってきたものです。セルセリアの人々も、本土の男たちとのつてが途絶えたことに不安を抱いており、私から情報を得るようになっていました。
そのころ私の年齢は十九になっていました。そして一つの転機が訪れます。ニーサが妊娠したのです。彼女は必死に隠していたようで、結局お腹が大きくなってはじめて発覚しました。セルセリアの人々に非難されることを覚悟で私は島に居着きました。そして結婚しました。結婚を、セルセリアの人々が認めてくれたから、私がセルセリアにいることを認めてくれたからできたのです。ケルベロス打倒の意志は私の心から消えかけ、この聖域で世界に関わらずニーサと共に暮らそうかと考えるようになっていました。しかし___ケルベロスは世界侵略の意志を示すために、聖域に手を掛けたのです。
セルセリアの人々は戦う術を知りません。しかし彼らはこの土地の特徴を知り尽くしており、私は本で学んだ軍策の知恵を持っていました。私たちはケルベロスと戦いました。私は知恵を振り絞り、力のない者が強者に立ち向かう戦いを経験しました。ですがそれも長続きはしなかった。ケルベロスの工作員が密かにニーサと我が子を捕らえたのです。人質を前にして戦えるものでしょうか?私は死を覚悟しました。しかしここに現れたのが、我が父を葬り去った男、シャツキフ・リドンです。
シャツキフは才知あるリドンの一族の中でも、特に策と話術に優れた男でした。狡猾な彼はレサの操舵士とも呼ばれていたほどですから。シャツキフは私にケルベロス兵になることを命じたのです。ケルベロスの世界侵略に尽力しろと。そうすればセルセリアの人々を傷つけることはない。そう言ったのです。こうして私はケルベロスの兵となりました。剣術を会得し、ケルベロスを内側から見ることができたのは大きな経験です。そして、巨大な組織ほど内側から崩すべきだと私は思いました。しかし先手はいつもシャツキフが打つのです。
「ようこそ、アレックス・フレイザー。」
「よろしくお願いします、シャツキフ様。」
「姉のレミウィスのようにならぬよう、親身の教育を頼むぞ。この子は、フュミレイは素晴らしい可能性を秘めた娘だ。」
「心得ております。」
私はフュミレイ・リドンの教育係になりました。シャツキフの目の届く場所で仕事をすることになったのです。彼自身が私を睨み、そして束縛することで、私を動けなくした。獅子身中の虫とは言いますが、虫がいることを獅子が知っていたならば、結局獅子は虫を飼い殺しにしているに過ぎない。そういうことですよ。口惜しかった、しかし与えられた仕事には誠意を持って答えるのが私流です。しかし、図らずとも私は、幼いフュミレイ・リドンの明晰さに心をときめかせ、シャツキフの色に固められかけている彼女の未熟な思想を変えなければという使命感にかられました。
結局私は、五年ほどフュミレイの家庭教師をし、その間にケルベロスも私を信頼するようになりました。シャツキフが体調を崩し、一線から離れたこともあって、私はケルベロス城へと異動になり、戦争の事後処理を行うことになりました。そこで各国の元首と出合う機会を得て、また同時期にニーサと我が子が消息を絶ったことを聞かされ、もはや世界侵略を終えようとしていたケルベロスを覆す思いが再燃したのです。
交渉の席を利用して、私はゴルガ国王ポロ・シルバ、ソードルセイド国王ライオネル・ホープ、クーザー女王ナターシャ・ミゲル、カルラーン国王ラッセル・ケリーとケルベロス転覆を画策したのです。我々はこれを秘密結社の義勇軍として「白竜軍」と名付けました。世界を統べる光の神は竜の姿をしていると言いますし、白は正義の象徴ですからね。
ポロ、ライオネル、ナターシャは私と手を結ぶ前から既に反撃の準備を進め、同胞を蓄えていました。戦力の整わなかったカルラーンには私自らが、魔法使いアモン・ダグを連れて赴きました。彼はセルセリア人なんですよ、ああ見えて。
___
「それからは史実の通り、我々は同時に内乱を勃発させることで国家を転覆させることに成功しました。シャツキフが病床に伏したことも功を奏し、ケルベロスは崩れたのです。」
アレックスはそこでひとまずの話を終えた。のほほんとしていて、どこかつかみ所がないような眼鏡の将軍の昔話に、ソアラ達は完全に聞き入っていた。
「壮絶ですね___」
フローラが思わずそうこぼした。
「そうですか?あなたたちの方がよほど壮絶ではないかと思いますよ。何せ私は、一度はケルベロス打倒の思いを捨てましたから。」
アレックスはからからと笑った。まるで自分の重みを軽くするように。
「重いですね、白竜軍。」
ソアラは真摯な面持ちで呟いた。
「?」
「将軍、あなたが白竜軍の基礎を築いた。そして、その思想の発端は、あなたがセルセリアを守ろうと策を振り絞ったときに始まっている。」
白竜軍の防衛の思想。ソアラはセルセリアでの昔話にそれを重ねた。そして続ける。
「あなたは___とんでもない人ですよ。あなたが世界をここまで導いてきたんじゃないですか___なのにそれをこれっぽっちも感じさせない___」
アレックスは小さな息をこぼしてソアラに微笑む。
「一人の人の力では世界を導くことなんてできないんですよ。」
アレックスは立ち上がるとソアラ前へと跪き、椅子に座る彼女と同じ目の高さで、真っ直ぐと見つめ合って続けた。眼鏡も外していた。
「私一人では何もできません。シャツキフの策に填ったときに生き延びることだってできてはいません。ニーサが私をかくまってくれなかったら私は生きてはいません。ケルベロスに反抗する人々がいなければ、私はそれこそ野垂れ死にしていましたよ。たった一人が世界を動かし、変えるのではないんです。たくさんの人の思いが、一人一人の思いが重なって、はじめて世界は動くんですよ。そして、同じ思いを抱く人々というのは、図らずともどこかで影響しあうのです。」
ソアラは何も言わなかった。
「全てを一人のものに背負ってはいけませんよソアラ。それは例えあなたが紫色であったとしてもです。たくさんの人との出会いと別れによって人生は築き上げられていきます、人は成長していきます、動いていきます。あなたはもっとたくさんの経験をしてください。そしてその出会いの一つ一つに一喜一憂するのも良いでしょう。それがあなたの進む道を増やしてくれるはずです。そして世界を動かすと言うのは、そう言うところから始まるんですよ。」
アレックスはニッコリと笑って立ち上がり、ソアラの前から離れた。
「なんだか説教臭くなりましたね。とりあえず満足していただけましたか?私は実際に元々ケルベロスの兵でしたし、フュミレイとは先生と生徒の関係だったから仲がいいんです。」
コンコン。
「将軍、ダビリス様の秘書がお出でです、アイザック総帥と共に謁見室でお待ちになられています。」
サラの声だ。
「分かりました、すぐに行きます。」
アレックスは一通り身だしなみを確認する。
「さあ皆さん、すみませんが部屋を空けなければなりません。」
「忙しいところを邪魔してすみませんでした。」
百鬼が丁寧に頭を下げて謝り、ライとフローラもそれに習った。アレックスよりも先に部屋を出て、彼が厳しいであろう会議に臨むのを見送った。
「確かに___人一人の力で世界を動かすことはできないと思う___」
「ん?何か言ったか?」
「なんにも。」
ソアラの呟きを気にした百鬼が尋ねたが、彼女は首を横に振った。
(ただ___あなたの調和の力が多くの人たちを結びつけている___それは間違いない。あなたは一人一人の思いを集めることができる人___私はそう思う。)
だってそうだろう。誇大勢力に立ち向かう調和の象徴「白竜軍」。その礎を作ったのは、あなたなのだから。
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