2 ベル・グランの脅威

 「なに、ドルゲルドがやられただと!?」
 アンデイロに移動してきたポポトルの本隊。時を同じくしてエンドイロから逃れてきた兵士が状況をギャロップに伝えた。
 「夜襲を受けエンドイロは再奪還されました。生き残った兵はごく僅かです___」
 「なんたることだ!」
 重装兵部隊と言えば、大部隊並の力を持つポポトル最強部隊だ。それをこうも簡単に打破できるとは___
 「エンドイロを仕切っているのはケルベロスだな?」
 「はい。」
 ガルシェルは納得したような顔をした。
 「ケルベロスの力はやはり脅威だったな。」
 「鉄機船を出すか!?エンドイロも海沿いの都市だ!」
 「整備に時間が掛かる。明後日までは無理だ。」
 いきり立つギャロップを制するようにシークが言った。
 「ケルベロス本国から増援部隊が来るという話もある。これ以上の進軍は身を滅ぼすな。」 「だがしかし!」
 「焦ることはない。鉄機船があればアンデイロは何度でも奪還できる。一度本土に帰るべきだと思うぞ。うるさいのもいるからな。」
 ガルシェル、シークは口々にギャロップに意見し、ギャロップは腕組みをして悩み混んだ。
 「やむを得んな。ビードッグの部隊を残して本隊はゴルガと本国まで退く!」
 ギャロップは妥協してこの意見を飲んだ。ポポトルは最強という自負に反する行為で、彼は口惜しがったが、これが実に賢明な判断だった。
 「おいおまえ!今日はそれくらいにして眠ったらどうだ!?」
 鉄機船の旗艦、すなわちビードッグの乗る船の機関部で、技術者の兵服を纏った男が深めに帽子をかぶって作業に励んでいた。夜も更けてきた。彼の身を気遣った士官がたまらず声を掛けたところだ。
 「はい、ここのネジだけやって切り上げます。」
 士官がいなくなるのを見送ってから、男は工具を使ってネジを回していく。但し、緩める方向に。結局そのネジを取り外してポケットにしまい込むと男は速やかに機関部から、そして鉄機船からの脱出を図った。
 「まあ、どこのネジだかも良くわからねえが、多少の影響は出るだろう。」
 その男デイルは帽子の鍔をピッと指で弾き上げ。逆の手ではポケットの中でたくさんのネジを遊ばせていた。

 アドルフ・レサは弱冠、十三歳。彼はまだケルベロス国の王ではなく、王子という立場にある。それでも最高権力者には違いないが、自立をはじめているとは言ってもまだ国政に進言することはできない。ただ、今回のように、完成した秘密兵器「ベル・グラン」に乗りたいなどと言いだして家臣を困らせることは多々ある。
 そう言う立場なのだから、国には摂政が必要となる。彼の代役として政治を取り仕切る者だ。この役目に最も近いのは参謀であるリドン家の人物だが、今回ばかりは選定当時まだ十代前半だったフュミレイの年齢が問題となり、こちらも長くレサ家に信服してきたグロース家の雄、ハウンゼン・グロースがその大役についた。
 「約束で御座いましょう。殿下には船で本国へとお戻り頂きます。」
 エンドイロにはケルベロスの要人が集結していた。新兵器ベル・グランでエンドイロにやってきたアドルフ・レサをはじめ、ここを制圧したフュミレイ・リドン。さらには遅れて船団で到着したハウンゼン・グロース。
 「ベル・グランなら安心なのだろう?」
 予定ではアドルフはエンドイロまでベル・グランに乗船し、別ルートでやってくるハウンゼンと入れ替わり、本国へと帰還する予定であった。しかしベル・グランの素晴らしさに惹かれた彼は残りたいとだだをこねていた。
 「確かにベル・グランは素晴らしい船です。ですが、殿下に戦争の最前線に立っていただくことなどできません。ケルベロスの国民は殿下が危険に直面されることを望んではおりません。ご容赦下さい。」
 フュミレイはいつにも増して優しい口調で諭すように話した。アドルフは暫く腕組みをして、一つ目を閉じた。
 「分かった。以降は作戦の総司令をハウンゼンに任せる。良いね、フュミレイ。」
 まだ子供っぽさが残る顔で、それでも自分の意志で語ろうとする努力には感服させられる。
 「はっ。ケルベロスが再び全世界を掌握し、アドルフ様が世界の王となるその時まで、国家のために尽力いたします。」
 フュミレイはアドルフの手を取って口づけした。
 「リドン家の者は策に優れると聞く。ハウンゼンも、彼女の意見は十分に尊重するように。」
 「心得ております。」
 そろそろ老齢に達しようかというハウンゼンだが、背丈が高く、体躯もがっしりとしていて若々しい。だが顔には深い皺が畳まれ、いかにも策謀の中で揉まれてきた年季が滲む、そんな表情をする男だ。
 「護衛にザイル・クーパーをつけましょう。」
 フュミレイにはザイルとバンディモという二人の側近がいる。彼女は状況によってこの二人を使い分けている。ザイルは洞察に長け、隠密での諜報活動などを得意とする行動的な側近だが、野心家でもあり、フュミレイはそこまで彼を信頼してはいない。対するバンディモは古くからリドン家に使える人物で、温柔だが確固たる意志の持ち主。不言実行を地でいく人物でフュミレイの信頼も厚い。
 今回、彼女は自分の側にバンディモを選んだ。その訳はハウンゼンの存在にある。ケルベロス国内でも始終話題に上ることだが、このハウンゼンの評判は本国ではあまり思わしくない。もとより、国家の参謀役、すなわち今で言うなら摂政、アドルフが国王に即位したならば宰相の役目を担うのはリドンの人物。世襲国家のケルベロスにあって、これは一つの伝統とも言える「形」だ。この布陣で一度は世界を手にしただけに、右派の面々はすぐにでも国家が本来の形を取り戻すことを望んでいる。つまり彼らは、フュミレイがそれなりの年齢に達し、更に政策面でいわずもなが功績を挙げていながら未だに、ハウンゼンが摂政の座に居座っていることが不満なのだ。
 フュミレイは個人的にハウンゼンを意識することなく、上官に対する態度で接しているが、ハウンゼンの心中が穏やかでないことは感じていた。だからこそ、ここはバンディモを側に置き、己の身の回りを固めておきたかったのだ。
 「それではリドンよ。君の遂行してきた作戦、順調のようだが、次の一手はどうするのだ?」
 作戦の指揮権はフュミレイからハウンゼンに移る。だが、ここまでの一連の流れはフュミレイが作り出したもの。ハウンゼンも彼女の説明を受け、それをそのまま実行することになるだろう。
 「次はアンデイロを襲撃します。」
 「ベル・グランでか。」
 ベル・グラン。アドルフを運ぶことさえ厭わない、それほどケルベロスが自信を持つ船。
 「はい。アンデイロには恐らくポポトル海軍、すなわち鉄機船の部隊が停泊しています。これを壊滅させます。」
 「白竜に恩が売れるな。」
 「はい。しかし、それだけではありませんが。」
 「なんだと?」
 フュミレイはハウンゼンの側によってこっそりと耳打ちした。
 「ほほう、さすがはリドンの娘。策略家の父によく似ている。」
 ハウンゼンはフュミレイの父、シャツキフとも面識がある。彼はフュミレイと対話する際よく彼の名前を出してきた。多少恩着せがましく感じるほどに。
 「この作戦、了承していただけますか?」
 「無論だ。作戦の事後、忙しくなりそうだな。」
 ベル・グランはエンドイロを出発予定時刻は翌早朝。この日、前線に姿を現すケルベロスの秘密兵器に、世界は震撼することとなる。

 その日の朝、デイルは技術者の姿でアンデイロの埠頭に潜んでいた。早朝のうちにカルラーンから合流した木造船の本隊が出航していった。夕べの食糧の搬入量や、武装準備の不十分を考えると作戦行動ではない。恐らくゴルガなりなんなりに退き、体勢を立て直すのだろうとデイルは考えた。現時点で白竜軍の主要戦力はカルラーンに集結している。カーウェンやポーリースの戦力は気にするまでもなく、ポポトルが焦る必要は全くない。あるとすればこのアンデイロを守り通して、前線基地として確立させることだ。だからこそ鉄機船はここに残った。
 「さて、白竜軍はどうする___ケルベロスでもこの鉄機船を沈めるのは難しいぞ。」
 埠頭は隠れるところがたくさんあって便利だ。食料の保存倉庫もあって事欠かない。そればかりか敵が海軍であるだけに、埠頭にいれば伝令を盗み聞きできる。
 そして埠頭にいたからこそ、デイルも遠からず距離で、その姿をしっかりと見ることができたのだ。
 ゴオオオオオォォォォ___
 「?」
 最初は風が少し強いだけだと考えた。だが風のうなり声にしては少し不自然だ。
 「何だこの音は___?」
 潮の音でもない。空耳とも違う。近くで談笑していた兵士たちも奇妙に思って周囲を見回している。
 「ん?」
 鉄機船の中にも震動が伝わってきていた。音が導き出す震動。波に特殊な波長が加わった震動。大気の移動が鉄の壁を打ち鳴らす震動。
 「何だ?」
 ビードックは感じたことのない揺れ方に、思わず眉間の皺を深くした。ビードックほどの人物になれば、船に伝わる衝撃で状況を察知することもできる。別の船舶の接近はわずがだが波の形を変える。そして船が震える。だがしかし___この震え方というのはこれまで感じたことのないものだった。しかし何かが接近している。
 「これは限りなく巨大な船___いやしかし___」
 危険な震えであることには違いない。波から船に伝わる揺れ、すなわちなだらかな揺れが徐々に大きくなる。近づいてきているのだ。
 「全軍に告ぐ!鉄機船稼働!戦闘配備に付き索敵行動をとれ!」
 突然の指令に海軍兵たちは当惑したが、かつて何度かビードックの早い判断によって奏効した場合も多い。だから海軍兵はいつもと変わらずに司令の指示に従って動き始めた。だが、鉄機船からの策敵は、概ね海上方面、もしくは陸上に向けての潜望鏡を通して行われる。だから、大きくなる震動に焦りばかりを助長され、いつまでたっても敵の姿は見えない。
 最初に見つけたのはデイルだった。
 「ん___」
 彼は波の異常よりもとにかくこの音と、急に強くなってきた風が気になった。だから回りを、潜望鏡で見るよりも遙かに広く、「高い」視野で見ることができた。
 「な、なんだあれは___」
 だから東の空に気が付いた。東の空を割って、何かが飛んでいる。鳥?いや、そんな大きさじゃない。この距離感でこれだけ大きく見えるのだから___鳥だとしたらとてつもなく巨大だ。
 「船が___空を飛んでいる!まさかあれがケルベロスの秘密兵器!?」
 東の空に、真っ赤な鉄の塊が飛んでいた。先鋭的な鋭いデザインで巧みに空気を切り裂き、巨大な駆動機関を駆使して船は空を飛んでいた。
 「とんでもないものを作りやがる___フランチェスコ・パガニンの作品か!?」
 あの船がどんな行動をとるか、デイルには予想できた。港は危ない。そう感じたから彼は隠れるのをやめて街へと走った。
 「か、艦長!」
 海軍兵は悲鳴にも似た声を上げた。
 「何事だ!?」
 「海に巨大な影が!」
 「影!?」
 すぐに兵士が鉄機船から顔を出して空を見上げる。真っ赤な鉄の船は、その全貌がはっきりと目に届く位置にまで近づいてきていた。見る者を威圧し圧倒する赤き船。その船首には黄金の三首犬の紋章がしっかりと施されていた。
 「ベル・グランはじめての戦闘か___」
 フュミレイは徐に手を差し伸べた。
 「爆撃開始!狙うは鉄機船だ!街には被害を与えるな!」
 そして指令を下した。それは神の鉄槌に等しい。鉄機船には空爆を阻止する術などないのだから。
 「鉄機船稼働せよ!全速で敵進路より離脱する!」
 立ち向かいようがないことは分かっている。ビードックは舌打ちの後そう命じた。動かす用意はしていたのだ、まだ離脱はできる。
 「キャプテン!駄目です!」
 「!?」
 「機関部の蒸気誘導パイプのネジが外されていて___すぐには稼働できません!」
 「___なんだと!」
 赤い船は埠頭を目指して飛んでくる。そしてその船底より無数の鉄の塊を漫ろに落下させていった。
 ゴッ!
 「くっ!」
 後方で巻き起こった輝きと爆音にデイルは急ブレーキを掛けて振り返った。遅れてやってきた爆風に顔をしかめる。
 「とんでもない破壊力___!」
 次々と爆発が巻き起こっていく。そしてついには一際大きい爆発と共に、炎と黒煙が噴き上がった。
 「鉄機船を沈めたのか!」
 デイルは寒気を感じた。白竜軍が手に負えなかった鉄機船をこうも簡単に破壊したケルベロスの赤い悪魔!こいつがいればカルラーンさえあっという間に火の海にできる。こんな究極の兵器を手の内に入れて、ケルベロスがいつまでも協力などしてくれるのだろうか?実に厳しい現実だ。
 「くっ!」
 二つ目の爆発。
 「そうか___そういうことか!」
 瓦礫や鉄クズが宙を舞っている。デイルは口惜しそうに唇を噛んだ。
 「ケルベロスは鉄機船を沈めるついでに港をブッ壊している___いや違う!鉄機船を沈めることで港を封じたんだ!」
 してやられた。アンデイロの港は海底が深いことが特徴。大型船でも容易く侵入できる地形がアンデイロを大きくした。しかし、アンデイロ港の海底には取り除けない大量の鉄塊が居座ることになった。これでアンデイロは魅力の一つを失った。港の再編にも時間が掛かるだろう。そして、ここの守護を広言したアレックスの立場は悪くなる。ダビリスを勢いづける結果にならなければいいが___
 カルラーンに急ごう。あの船はそのままカルラーンに向かうのかも知れないが、できればそれよりも早く。
 ベルグランは鉄機船部隊を容易く一掃した。ポポトル富国の象徴ともいえた鉄機船は全滅。海軍の長ビードックも海の藻屑と消えた。




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