1 ケルベロスの影

 「なあ、おまえらそう沈むなってば。」
 給仕場でテーブルを囲み食事をとっていたのは百鬼、そしてソアラにライ。他の兵士たちもたくさんいるが、大体が勝利を喜ぶか、一仕事終えた充足感に溢れた顔で食事に貪りついている。その中で、一際どんよりと沈んだこの食卓は、異様な雰囲気だった。
 「少しは食べねえと力が出ねえぞ?」
 百鬼はデモンストレーションと言わんばかりに、ソアラとライに見せつけるようにして鶏肉を頬張った。二人は目の前の食事にほとんど手をつけず俯いている。フローラは___魔力の浪費で倒れ、医務室で眠っている。
 「おまえらなぁっ!」
 「うるさいわね、食欲がないだけよ。」
 「ショックを振り切れないで引きずってるだけだろ!?」
 「それで励ましているつもり!?こんな所に引っぱり出して___ほっといてよ!」
 ソアラはテーブルを叩いて立ち上がり、潤んだ目で百鬼を睨み付けた。
 「泣いたってラドは帰ってこねえんだぞ!?」
 百鬼も立ち上がった。
 「そんなの問題じゃない!分かってたって悲しいものは悲しいのよ!」
 「やめなよ二人とも。」
 ライがいつもとは比べ者にならないほど弱い声で言った。
 「___そうだな。」
 回りもこちらを気にしている。百鬼は気を落ち着けて腰を下ろした。
 「___」
 ソアラも椅子に戻り、また無言になった。
 「お腹が減ったから食べるよ、僕は。ウジウジしてたらダグラスさんに怒られそうだ。」
 ライが食事に手を着けはじめた。ソアラには彼の頑張りが痛いほど分かったが、自分に関しては食事が喉を通るとも思えなかった。
 ___
 「らしくねえなぁソアラ。」
 「___何でついてくるの。」
 「部屋まで見送っていこうと思ってな。」
 結局水を一杯飲んだだけのソアラ。彼女を心配して、百鬼は連れ添うように歩いた。
 「いいよ___そんなの。」
 「そう言うなって。俺は、おまえに命を救ってもらったんだから。」
 そう言って胸を張ってみせる百鬼の姿を見ても、ソアラは小さな溜息をこぼすだけだった。
 「ごめんね、あんたが頑張ってくれてるのは分かるけど___やっぱり明るくなれる気分じゃない。」
 「ソアラ___」
 微笑みにも影がある。百鬼はソアラの傷の深さを思い知らされた気がした。
 「さっきは怒ってごめん。おかげで怒鳴れるくらいには回復したよ。」
 「早く元気になってくれよ、なんか俺たちまで調子くるっちまう。」
 「ありがとう。」
 一方そのころ___
 「結局フュミレイの読み通りになってしまいましたね___」
 「まったくだ。」
 アレックスとトルストイは浮かない顔でテーブルを囲んでいた。
 「ア、アンデイロは白竜の手に戻るのか!?このままではダビリスが離れてしまう!」
 アイザックの慌てふためく理由は二人とは違う。アレックスとトルストイはダビリスのことなどさほど考えてはいない。実はこの戦いの前に、フュミレイからこう告げられていた。
 「無理だと思ったならば速やかに引くことだ。カルラーンはともかく、アンデイロとエンドイロは我々の手で容易く奪還してみせる。」
 二人はこの言葉を気にしていた。
 「彼女にあそこまで自信を持たせる理由とは何だ?アレックス。」
 「私にも分かりませんが___ケルベロスは切り札を持っているのでしょう。それを出してくる可能性が高い。」
 「うむ、確かに___」
 アイザックは自分が話題に乗れずに苛立っている様子だった。それに気づいたアレックスが笑顔を見せる。
 「ご心配なく総帥。アンデイロの奪還はフュミレイが約束しました。」
 「守ってくれるのか!?ケルベロスだぞ、奴等は!」
 「義理は果たす女です。」
 「詳しいな___」
 トルストイは嫌みを込めていった。
 「ケルベロス人ですから。彼女のことは昔から知っている。」
 アレックスはきっぱりと切り返した。
 「ダビリスに申し開きが立たん、なんとしてもアンデイロだけは取り返してくれ。」
 とうのダビリスは、金獅子作戦の噂がのぼるとすぐに、法王のお膝元、永世中立国クーザーへと逃げていった。まあそのうち帰ってくるだろう。
 さてこの戦局の鍵を握る、フュミレイ・リドンとケルベロス兵はエンドイロの北の森林にキャンプを張り、時を待っていた。
 「フュミレイ様!フュミレイ様〜!」
 若々しい爽やかな声。紅顔の新兵は森林の奥に踏み込んで、指揮官の名を呼んだ。
 「こっちだ。」
 森の奥から声が聞こえた。人目を避けているかのような場所へ、新兵は草葉を踏み分けて進み、思わず「あっ」と声を上げた。
 「フュ、フュミレイ様!?」
 新兵は突然のことに思わず掌で目を隠した。しかし指の隙間からついその姿を覗き見た。彼女は草葉の陰で、その白い柔肌を露わにしていた。背中とはいえ無駄のない、均整の取れた美しさは格別。むしろ背中だからこそこれほど気持ちが高ぶる気がした。
 「用件を言え。」
 「あっ、はっ!」
 新兵はフュミレイの背中を直視しないようにと深く頭を下げた。
 「民間人のキャンプへの収容が完了しました。兵の出撃準備は夜には完了すると思われます。」
 「了解だ。」
 「失礼しました!」
 「待て。」
 伝令を終えて帰ろうとした新兵をフュミレイが止めた。突然のことに驚いて顔を上げた新兵は、また彼女の背を目の当たりにして顔を下げた。
 「顔を上げろ。確認したい。」
 「し、しかし___」
 「背中くらいなら、パーティーの席で幾らでも見せている。」
 「___はぁ___しかしその___何か纏っていただけませんか?」
 フュミレイは膝の上にかけて置いた上衣を軽く背中に被せた。
 「なかなか大したものだな、上官に命ずるとは。」
 「そ、そんなつもりじゃ!」
 フュミレイと目があった。新兵はドキン!と射抜かれたように胸に強い衝撃を感じた。一目惚れ?というやつだろうか。
 「名は?」
 「クルグ!クルグ・ノウです!」
 クルグと名乗った新兵はビシッと背筋を伸ばして気をつけし、初々しいことこの上ない敬礼をして見せた。
 「年は十五だな?」
 「当たってます___どうして?」
 「分かるよ。年少者の態度だ。」
 フュミレイは右肩からずれかけた衣服を抑えた。その時左手を伸ばしたために左肩に痛みが走る。傷を治療していないのには訳があった。
 「どうかなさったんですか?」
 「なにもなくて裸になると思うか?肩に弾丸が残っているんだ。思いの外深くてここでは取ることができなくてね、医療班もいなければ兵は男ばかり。だからここで包帯を巻こうと腐心していたが思うようにいかないんだ。」
 「はぁ___そうだったんですか。」
 「手伝え。背中を眺めたついでだ。」
 「ええっ!?」
 だが新兵クルグには断ることなどできはしない。緊張で生唾を飲み込みながら、彼はすぐ間近でフュミレイの背中を見られる場所まで近づいた。
 「初陣か?」
 包帯を手渡して、フュミレイが尋ねた。前だけは見ないようにしようとクルグは用心して受け取る。もはや耳まで真っ赤だ。
 「おい、答えろ。」
 「は、はい!エンドイロの使節団に同行して、今回が初陣です!」
 「固くなっていると早死にするぞ。」
 「肝に銘じておきます!」
 クルグはフュミレイから見えはしないのに逐一敬礼で答えていた。おかげで作業が遅い。
 「えーっと___」
 さてどうしたものか、包帯をとりあえず背中に乗せてはみたが___あっ、そうだ。
 「えいっ。」
 クルグは包帯をフュミレイの肩越しに長く伸ばして垂らし、腰の辺りまでたらりと落ちた先端をフュミレイの肌に触れないように気をつけてつまみ上げた。
 「馬鹿かおまえは。」
 フュミレイは呆れた横顔でクルグを睨んだ。
 「肌に触らずに包帯が巻けるのか?私が許しているんだ。素早くやれ。」
 「も、申し訳御座いません!そ、その、神々しくって___」
 「おまえが言うと尤もらしく聞こえるよ。」
 正直な男だ。人を騙したり、漁夫の利や役得を得る事なんて考えもしない。ライとは少しタイプが違うが、とにかく生真面目な男だ。そうフュミレイは感じた。
 「あ。」
 彼女の美しく、抜けるように白い肌も、人と何ら変わらない暖かな温もりを持っていることに、当たり前のことなのだがクルグは共感を覚えた。ただ、その肌触りには感激する。とても戦いをこなせる女の肌に思えなかった。それほど瑞々しく柔らかで繊細だった。
 「おわりました!」
 まだ胸がドキドキしている。
 「ご苦労。助かったよ。」
 フュミレイは肩の感触を確かめると漸くまともに服を着始めた。クルグもこれでやっと落ち着ける。
 「それではこれで失礼します!」
 「ああ。また何かの機会に会えると良いな。私はおまえを気に入ったよ。」
 笑顔でそんな優しい言葉を掛けられて、クルグは感情が顔に現れるのを抑えられるような男じゃない。蒸気でも噴くかのように真っ赤になって、笑顔を必死で殺しながら深々と、勢い良く礼をした。
 「も、勿体ないお言葉です!失礼します!」
 そして慌てて自分の居場所へと帰っていった。
 「面白い奴。ケルベロスにもあんな男がいるとは。」
 フュミレイにとってもほんの一時の休息になったようだ。彼女はリフレッシュした面持ちで立ち上がり、次の行動に備えた。
 「夜のうちにエンドイロを我らの場所にする!住民はケルベロス兵の素早く、そして紳士的な行動に大変深い感銘を覚えた!ましてやノヴェスクに取って代わるのだ。我らを拒絶する者はない___敵はポポトルの最強部隊。しかし指揮官を失っている!その上重装であるがため、長時間に渡る行動は難しい。まして奇襲にはめっぽう弱い。勝機は我らの手にあるのだ。今夜のうちにエンドイロを掃除する!そしてアドルフ様をお迎えするのだ!」
 フュミレイの演説を受け、ケルベロス兵たちは高らかに声を上げた。
 ケルベロスの行動の俊敏さには逐一目を見張る。それはこのフュミレイの手腕によるのだが、まずカルラーンと協力体制を取り、大陸への足がかりとして白竜と一線を画しているエンドイロに駐屯する。ノヴェスクが白竜兵を拒否したため、手薄になるエンドイロがポポトルに狙われるのは白竜軍にとって気がかりだ。ケルベロスで守ると言われて断る理由はない。案の定、鉄機船に屈してアンデイロはポポトルの手へ。逆にエンドイロでは住民の避難を優先して支持を得る。ノヴェスクは放っておいても兵隊が始末すると予想されたが、やってきた将軍はなるべくなら速めに倒しておきたかった。その点、行動の読みやすいドルゲルドだったことは幸運で、作戦は順調に進んだ。左肩の弾丸も良い示しになる。エンドイロの住民は、傷ついた指揮官の姿を見て、前線に立つ指導者の魅力というものを口々に囃した。次はエンドイロを取り返す。そして作戦を進めるための足がかりを作る。
 キーワードは、アドルフ・レサ。
 「あれがカルラーンか!?」
 少年は小さな窓から外の景色を覗いていた。外は夜、窓は密閉されていてはっきりとした景色は見えないが、それでも新しいものに彼は興味津々だった。城くらいは、人々の作り出す明かりで浮き上がり、はっきりとした形が分かる。
 「いいえ殿下、あちらはエンドイロの城で御座います。」
 彼の背後から同じ景色を覗き込み、ザイル・クーパーが答えた。
 「エンドイロか!知っている!かつては国家だったと聞いた。」
 「その通りです。ご覧下さい、城の頂点には我らケルベロスの旗が掲げられております。」
 既にフュミレイの手によって奪還されたエンドイロ。ケルベロス兵たちはまず、城の頂点に巨大な国旗を立て、それを篝火で照らす作業に取りかからねばならなかった。
 「我らが土地となったのか。誰の功績だ?」
 十三才とは思えないほど、子供らしさに欠けた口調と、内容を口にするその少年。子供らしくないのは見た目も同じで、身長や顔の形までも、既に大人の域に入りかけているほどはっきりとした、端整な、気品有る顔立ちをしている。いわゆる貴族の顔だ。
 「フュミレイ・リドンです。」
 「そうか!フュミレイは良くやってくれる!」
 「アドルフ様、そろそろ到着いたします。座席にお戻り下さい。」
 ケルベロスの王子、アドルフ・レサを乗せた代物は、周囲の目から逃れるように、夜のエンドイロへと近づいていった。行く先々に、ケルベロスの影を残して。




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