3 ソアラの涙

 ドォォォォンッ!!ドドドドドド!
 突如カルラーン中に響き渡った激震と轟音。サラを探して城へと駆けていたソアラ、百鬼は突然の事態に思わず足を止めた。
 「な___なんだあれは!?」
 カルラーン城の一角で、とつてもない粉塵が吹き上がり、黒い雲を空へと立ち上らせている。
 「あそこは技術倉庫の辺りだぞ!?」
 ソアラには何が起こっているか分かっていた。あれは爆破行為だ。爆弾がカルラーンの___恐らくは技術倉庫を倒壊させたと思われる。
 「城壁は守った___でもそれだけじゃなかったのか!」
 サラは口惜しげに壁の向こうに見える煙を睨み付け、舌打ちした。まずはこの堀から出なければ___そしてあのラドウィンを捕らえなければならない!
 「何だ、何事だ!?」
 キャンプで疲れを癒していたトルストイは大いに慌てた。飛び跳ねるとまではいかなかったが、彼はテントから飛び出してさすがに愕然とした。
 「な、なんたることだ___何が起こった?」
 その時である。トルストイを更にどん底に陥れる鐘の音が耳に割り込んできた。見上げれば物見台の兵士が爆発の轟音にかき消されないようにと必死になって鐘を打ちならしている。
 「敵襲!敵襲ーっ!!」
 「数は!?」
 「二千は下りません!!」
 「___なんだと___」
 トルストイは己の耳を疑った。そして痛感したのだ。
 我々は金獅子作戦にまんまと填められた!___と。
 ドガァァン!
 「クッ!街の中でも爆発か!」
 横顔に突風が吹きつけ百鬼は顔をしかめた。
 「うわああ!」
 突然降りかかってきた爆発の嵐に住民たちは混乱し、逃げ惑った。
 「大丈夫か!?」
 吹き飛んできた瓦礫を喰らって負傷し、人が倒れる。百鬼はそんな人たちを助けようと駆け寄っていった。だがソアラはただ、呆然と街の喧噪に立ちつくしていた。
 「嘘でしょ___?」
 気の抜けてしまったような顔のソアラ、だが彼女が一言ぽつりと呟いた次の瞬間から、徐々に瞳に炎が宿り、怒りはその拳をわなわなと震わせていた。
 「ラド___!」
 「ソアラ!?おい、待て!」
 そして走り出した。目指す場所などない。とにかくまだこの街にいるであろう恋人を探すため、百鬼の止める声すら耳になく、彼女は走った。
 「くっ!!」
 ラドを探して走るソアラに、横殴りの爆風が吹きつける。彼女は顔をしかめて一度踏みとどまった。飛んできた何かの欠片がリボンをかすめ取り、紫色の髪が一挙に流れた。その広がった髪が目に留まったのか、粉塵の間を突き抜けて彼は走ってきた。
 「ソアラ!」
 「___ラド!」
 ソアラは一瞬笑顔になりかけて、すぐに顔つきを引き締めた。それは憂いの差し込んだ独特の、不本意に打ち克とうとする顔だった。
 「こっちに来ていたのか?さっき鐘が聞こえた___」
 「どういうことなのラド。」
 ソアラは言葉に詰まらないように気をつけた。一度詰まってしまったら最後、彼に優しい顔でもされれば自分なんてすぐに挫けてしまうだろう。優しくされたことが少ないから、ソアラにとっての優しく甘い思い出は鮮烈だ。そしてその大半をもたらしてくれたラドを疑えなくなってしまうだろう。
 「ああ、この爆発か___僕も驚いているよ。」
 「?」
 ラドは辛辣な表情で、方々に上がる煙や炎を見渡した。
 「逃走兵の中に内通者がいたんだ。大量の爆弾を作っていた___」
 あなたじゃないの?その一言が言えなかった。先を越されてしまった感じだが___そう言われると安心して受け入れてしまう。
 「そうだったの___?」
 「とりあえず逃げることしか考えられなかった___」
 「そりゃ___これだけのことになっていれば。」
 ラドの言うことが正しいはずだ。彼は私たちと一緒にポポトルと戦ってくれたではないか。
 「え___」
 だが、一つおかしな事に気が付いた。
 「ラド、外では戦いが起こっているの?」
 ソアラは髪に手櫛を通してラドを見据えた。ラドは彼女の癖を知っている。苛ついたとき、煩わしいときに彼女は髪に手を掛ける。
 「なに___」
 「戦いが起こっているの?ラド。」
 「起こっているじゃないか___さっき鐘が___」
 「聞こえなかったわ。」
 ソアラの声に示威の念が混じりはじめたとラドは感じた。
 「そんなことは___」
 「いいえ聞こえなかったわ。少なくともこの街の中では聞こえなかった。爆発の音が立て続けだったもの、みんな叫び回っているし___鐘の音が付け入る隙なんて無かったはずよ。それにあなたは城の方から逃げ出してきたじゃない!」
 そう問いつめていくうちにソアラの語気が強くなっていく。疑いが確信に変わりかけているのだろう、口を動かすごとに眉が引き締まり、目つきが鋭くなっていった。
 「酷い言い方だな___何でそんなことを言うんだ?」
 「疑いたくないけどしょうがないからよ!そうだ___サラは!?サラさんがあなたを追いかけていたはずよ!」
 潮時だな。
 「始末する予定だったが、生き延びたようだ。城壁は爆破されなかったからね。」
 「___!」
 ソアラが凍り付くのが目に見えて分かった。心のどこかに抱いていた希望までかき消されたのだろう。その瞬間の彼女の表情は、怒りや驚きと言うよりは絶望に等しかった。
そしてラドウィンはニヤリと笑った。
 「ラドあなたは___!」
 ガスッ!掴みかかろうとしたソアラの手は、辛うじてラドの服に引っかかった。
 「どこで道草食ってんのかと思ったら、いい土産を見つけましたね。」
 ソアラの背後にはラドの仲間の逃走兵が、爆破で吹っ飛ばされたものだろう、角材を握りしめて余裕の笑みを浮かべていた。
 「持ち帰っても殺されるか自殺すると思うがな___」
 「ちげえねえや___」
 頭が痛い___血が出ているんだ、生ぬるい感触がある。でも___正気でいなくては。ここで私がラドを止めないと___
 「ラド___」
 ソアラは小さな声を絞り出し、膝を折れながらもそれでもラドにしがみつくようにして意識を保っていた。
 「どうしてよラド___」
 それでも抑えることのできないものがある。私は昔から弱虫だ___辛いことがあると勝手に溢れてくる涙を、いつも止めることができない。
 「惨めな女だな、おまえは。」
 ラドは乱暴にソアラの血にまみれた前髪を掴んだ、そして。
 「おまえは俺が本当におまえを愛していたとでも思っているのかよっ!?」
 激しく揺さぶった。頭の傷がガンガンと呻りを上げてソアラの意識を掻き乱す。必死の掌からスッと力が抜けて、ソアラはラドに振り回されるまま大地に顔から突っ伏した。
 「___ラ___ド___」
 ソアラは譫言のように呟いた。とろりとした紫色の目で彼を見る。
 「馬鹿な女ですね、どうやらあなたに騙されていたことが信じられないらしい。」
 「だ___ました?」
 ソアラは小さく痙攣した。
 「冥土のみやげに教えてやろう。良く聞けよ、この馬鹿が。」
 ラドはしゃがみ込むとまたもソアラの髪を掴んで無理矢理顔を上げさせた。
 「おまえの反逆、何で失敗したか知ってるか?」
 ソアラは声にはならなかったが口を動かした。「知らない」と言っているのがラドには分かった。彼はできるだけ憎らしい笑みを見せ、続けた。
 「俺がギャロップ司令直属の部下だからさ。」
 顔が間近だったからソアラの瞳孔が一瞬だけ広がったのが見えた。
 「ギャロップ指令は前からおまえのことをマークしていたんだよ、俺がおまえに接点を持っていたから指令は俺に目を付けた。それから、俺は司令の指示に従っておまえを適度にコントロールする役目を得たというわけさ。処刑が失敗して逃げられたのは誤算だったが___今の俺の階級が知りたいか?おまえが知っているラドウィンよりも四階級も上がっている。ラドウィン特殊工作部長様だよ。」
 悲しかった___ただそれ以上に哀れだった。自分も、ラドも。愛を信じ裏切られた___思い出を覆された___でも___私の中では認めていない。認められない自分が、認めさせることができないラドが、哀れだった。
 「部長、指令がこいつを犯りたかったから生け捕りにしたって言うのは本当なんですか?」
 角材を手に遊ばせて逃走兵が尋ねた。
 「ギャロップ指令は好きもののサディストだからな。こいつの気の強さがたまらなかったらしいんだ___たまに俺に、あいつの肉の味はどうだった?なんて聞いてきやがる。」
 ソアラの心はまだここにいる。でも、耳は彼の言葉を閉ざしていたかも知れない。ソアラの前髪を掴んで、辱めの言葉を投げつけているこいつは、ラドじゃない。そう思えるように。
 「へっへっ、で、実際のところどうだったんです?そりゃ、随分やったんでしょ?」
 「最高だぜ、抜群にいい!本当、この任務の役得って言ったらそれに尽きるな。」
 「あ〜、俺もやりてぇ!」
 男は角材を捨ててしゃがみ込み、意識朦朧としているソアラの胸を後ろから鷲掴みにした。ソアラはただ一度ビクリと身体を震わせただけだった。
 「ここじゃやめとけ。ポポトルのキャンプに戻ってからだ。他にもやりたい奴が一杯いるだろうしな。」
 「へへ、いいですね!処理班って奴ですか?」
 「そう言うことだ、惨めな女の末路にはお似合いだろう!はっはっはがぁっ!?」
 ラドの顎が歪んでいく。彼の顎に力強い拳が食い込んで、横へとずらしていくその様が、ソアラの目にはスローモーションで焼き付いた。
 「な、なんだてめえ!」
 逃走兵はソアラから手を離し、角材を取り上げて殴りかかった。男は屈強な腕を横にして角材を喰らう。
 バギッ!
 だが折れたのは角材の方だった。
 「うせろ!」
 そして渾身の拳を逃走兵の顔面にたたき込んだ。鼻をへし曲げながら、男の身体は後方へと吹っ飛んだ。
 「おいソアラ!しっかりしろ!」
 ソアラはバンダナの救世主の登場にも顔色を変えなかった。それが百鬼を心配させる。
 「おい、気をしっかり持て!おまえは紫の牙だろ!」
 すぐに百鬼の顔つきが変わった。目を見開いたかと思うと歯を食いしばり、彼女の肩を掴む指が食い込んだ。ソアラはその時何が起こったのかも分からない状態だったが、血が彼女に覚醒を促した。
 「くそ___こんな事で___!がはっ___」
 何だろう、なま暖かい感触。
 あ。
 血だ___
 百鬼のお腹から血が溢れている。
 百鬼の吐き出した血が私の顔にも掛かった。
 大変___
 あたしを守りに来たから___彼が!
 「百鬼!」
 急激だった。ソアラの意識を朦朧とさせていたのは頭の傷ではなく、ラドに裏切られたというショックだったのかも知れない。そして彼女は、もう一人、好きになりかけている男が身を挺して守ってくれたがために傷ついた姿を見て、危機感がショックをかき消した。
 「危ない!」
 ソアラは必死の思いで百鬼に身体を預け、押し倒した。弾丸は百鬼に重なったソアラの頭上を越えていく。
 「目が覚めたか?良かった___」
 「しっかりして百鬼、すぐにフローラを!」
 「行かせると思うのか!?ソアラ!」
 キッ!ソアラは今までにない、紫の牙の気丈さでラドを睨み付けた。
 「好きだったのよ、ラド___あたしはずっと!」
 「だから俺はそれを利用した!」
 「私にはあなたは殺せないわ!」
 ソアラは強く言い放った。
 「俺はおまえを殺せる!」
 「その気になればいつでも殺せたじゃない!あたしが生死を彷徨いかけたとき、生きることの大切さを諭してくれたのは何だったの!?」
 「おまえに死なれたら俺の任務は失敗も同然だ!」
 ラドの言葉が一々ソアラの心を抉っていく。だが彼女は諦めない。
 「___処刑の妨害だって、フローラに協力したじゃない!」
 「価値とタイミングの問題だ!おまえみたいないい女、俺にへばりついているうちにもっと楽しみたいじゃないか!あのギャロップのはらぼてに好き放題やられてるのを見てると腹が立ってな、取り返したかっただけだ!」
 「___そう。でも、あたしは嬉しかったんだよ。」
 ソアラは微笑んだ。焦燥の笑みではあったが、確かに笑顔を見せた。ラドにはそれが信じられなかった。ここまでされて笑えるソアラの心境が。
 「あなたといた間は私の青春だったのよ。とても楽しかった。いい思い出___それは、どんなに時間が経っても、あなたに裏切られたとしても変わらないわ。」
 反吐が出る!殉教者の心地とでも言うのか?ソアラの善人ぶりがラドに悪寒を与え、銃口を彼女へと向けさせた。
 「地獄で言ってろ!馬鹿女!」
 だがソアラはこの時、何が起こるのか分かっていた。彼の運命を握っているのはソアラだった。ただ自分には言葉しか許されない。そういう位置関係だったのだ。
 「伏せなさい!!ラド!!」
 「黙れ!」
 ラドはソアラの言葉を聞いてくれなかった。そして彼女に向かって引き金を引いた。ソアラは弾丸を避けようとはしなかった。弾は___彼女の頬の横を、幾らか紫の髪を焼き切りながら虚空へと抜けていった。
 そしてもう一つの弾は、ラドの斜め後ろから放たれた。ソアラには見えていた。
 だから___伏せてと叫んだ。
 「___!」
 ラドは言葉を発することもできなかった。ただ左胸を鉛の塊に貫かれ、崩れ落ちて行くだけだった。
 「こうするしかなかったのよ。」
 渾身の一弾を放った銃を下ろし、彼を後ろから狙撃したサラは言った。
 「恨むのならあたしを恨みなさい。」
 ソアラはただ首を横に振った。
 「何故あいつの弾を避けなかったの?動けたはずよ、余裕もあった。」
 「最後に信じてみたかったんです。」
 それは切実な一言だった。サラは改めて彼女の思いの深さを思い知らされる。
 動けなかったんじゃない、動かなかったんだ。
 ラドが外してくれると信じて。
 そして偶然かも知れないが、弾はソアラには当たらなかった。
 「あなたって子は___!」
 サラはソアラを抱きしめた。そうするとソアラはたがが外れたように声を上げて泣きじゃくり、サラはこんな結末にしか導けなかったことを強く後悔していた。




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