2 適応者
ソアラの傷も酷いものだ、しかしより重傷だったのはフュミレイ・リドンの方である。脇腹を弾丸に打ち抜かれた彼女は、それでも傷の治癒ではなく攻撃に魔力を裂いた。そのうえ慣れないフローラの呪文は、あの集中に乏しい環境では満足な効果を上げることがままならなかった。酷い失血で蒼白になった彼女は、アモンの所に辿り着く前に意識を失い、皆を酷く心配させた。
だが、彼らはこの時はじめてアモンの実力を知ることとなる。
「魔法を、教えて下さい。」
ソアラはアモンの前に改まり、はっきりと言った。
「やる気になったみてえだな。」
「能ある鷹は爪を隠すという言葉を思い知らされました。」
アモンに対するソアラの態度をこれほどまでに変えた、それほどアモンの魔法は衝撃的だった。彼はほんの小さな呟きと共に手を翳し、一刻を争う状態だったフュミレイの傷をたちどころに癒したのだ。フュミレイも驚いていた。彼はこれほどの魔法を使うのに魔力の蓄積を必要としていない。それがいかに凄いことか分かっているから、彼女はアモンの実力を認めた。ソアラの傷も簡単に塞がった。回復力、心地よさはフローラの呪文の比ではなかった。
「だろ?」
アモンはからからと笑った。彼が住む洞窟の中は思ったよりも広く、呪文で加工したのだろうか足下は平らで壁も滑らかである。まるでアリの巣のようにしっかりといくつかの部屋が拵えられていて、五人で押し掛けても窮屈な思いをするようなことはなかった。
「ほれ。」
アモンは自分のデスクの引き出しから何か小さなものを取り出すと徐にソアラに放り投げた。ソアラは受け取ろうと手を伸ばしたが___
ヒョイッ。
「え?」
ソアラの手元に近づいたところで、突然小さな何かはアモンの手元へと引っ張られてしまった。
「なぁんてな。」
「どういうことです?」
「こいつぁ炎のリングだ。」
「炎のリング___それが。」
アレックスの言っていた代物で、フローラの水のリングと同類の指輪。形は水のリングと同様シンプルで、飾り気が少ない。色は朱色からオレンジに近いもので力強い光沢を持っている。ただ、リングには糸がついていた。
「こいつは俺の宝物でね、簡単にはやれねえよ。こいつを俺から奪ってみろ。そうしたらくれてやる。それまではなにも教えてはやれねえし、炊事洗濯といったことをやって貰う。」
「___」
さすがに偏屈魔法使いは一筋縄ではいきそうにない。
「分かりました。やりましょう。」
「いい度胸だ。なら早速今晩の飯でも作ってもらうか、食糧は奥の倉庫にあるぜ。」
「了解。」
早速奪ってみようかとも思ったが今は隙がない。恐らく力技では通用しないのだろうから___
「えーっ!ソアラが御飯作ってんの!?」
「なぁに、馬鹿にしてんじゃないわよ。こう見えても文武両道がモットーなんだからね。」 薪を運んできたライに馬鹿にされ、ソアラは怒ったような顔をして答えた。
「魔法はどうだったのさ。」
「色々あってまだ教えてもらってないわ。フローラはさっきから瞑想してる。フュミレイは魔道書に夢中よ。あ、薪少し足してもらえる?」
「あ〜い。」
フローラは別室で瞑想に耽っていた。アモンが魔力を高め、集中に用いる部屋。洋燈で明るさを保っている洞窟の中で、ここでは部屋の奥手に一本の蝋燭が立てられているだけ。床には魔法陣が描かれ、その中央にフローラが座する。彼女は目を閉じ、吐息さえ感じさせない静寂を作り出す。アモンは部屋の隅でその様子を眺めていた。
(なかなかいい集中力だ、持続力もありそうだな___こいつぁ好素材だぞ___)
ただじっと精神の静寂を保ち続けるフローラを見つめ、アモンは期待を膨らませていた。
(現時点でとれほどかな___)
アモンが静寂を断って指を動かした。
「フローラ。」
「はい。」
返事はしっかりとしたものだった。それは彼女が高い集中を保ち続けていた何よりの証。
「瞑想を続けながら聞け。今から俺がおまえの手の届く範囲に小さな炎を飛ばす。おまえは瞑想したままそれを手に取れ。心配すんな、熱くはないから。」
「目を閉じたままですね___」
「まあそう言うことになる。あまり深く考えるなよ、感じたらつかめ。」
「はい___」
目を閉じたまま感じる___難しい話だ。
言葉の余韻が残っていた部屋は三分ほどでもとの澄み切った静寂を取り戻した。この集中の速さには本当に感心させられる。アモンはその静寂を断ちきらないように、慎重に空間に一つ小さな炎の玉を放った。それはゆっくりと、フローラの目の高さを漂いながら、彼女に近づいていく。
(___)
フローラはただ無心でいようと努力する。彼女には部屋の隅に炎が現れたことなど分からない。だが、いつ炎が放たれたのだろうなどと思いを抱いてしまうと、それだけで集中が掻き乱されるのが分かった。無心への心がけが無心から彼女をより遠くする。
(!)
その瞬間は突然訪れた、左目の瞼の向こうに何かの輝きを感じ、フローラは素早く目の高さに手を伸ばし、空間を掴んだ。手応えは___空気を掴んだ感触に過ぎない。だが熱さのない炎の感触だってそれと変わりはないはずだ。
「掴んだか?」
「___はい。」
アモンの問いに彼女はしっかりと頷いた。
「よし、目を開けてみろ。」
フローラは目を開けてすぐに自分の失敗に気が付く。顔のすぐ横辺りで炎の玉が小さく燃えさかっていたのだ。
「駄目だな、おまえは炎の明るさで探そうとした。それじゃ駄目だ。存在感でさがさなけりゃ。」
アモンは手に小さな鏡を持っていた。蝋燭を映し、フローラの左目辺りに照射していた。そして彼女の手は、何の変哲もない空間を掴んでいたに過ぎなかった。
「すみません___」
「謝るな。最初のうちからできるとは思っちゃいねえ。」
「___はい。」
「よし、今日はこれくらいにするぞ。そろそろソアラの飯ができる頃だろ。」
アモンは鏡を懐にしまって立ち上がった。
「はい。ありがとうございました!」
フローラも立ち上がって深々と礼をする。彼女は実に充実した顔をしていた、このアモンの修行は彼の風体とは裏腹に実に身が詰まっていた。
「まぁ、じっくりがんばろうな。」
「きゃっ!」
油断をしたらすぐこれだ、フローラはお尻をまさぐられて悲鳴を上げた。
ゴガッ!
「心配したとーりだわまったく。」
「いってぇぇ!」
アモンは脳天をフライパンで叩かれて叫んだ。勿論ソアラだ。
「いきなりなにしやがる!」
「食事ができました。いこっ、フローラ。」
「え、ええ。」
フローラは少し心配そうにアモンのことを振り返りながら部屋を出ていった。
「ったく___じゃじゃ馬め。」
アモンは脳天をさすりながら呟いた。しかしローブのポケットに手を突っ込んで思わず笑顔になった。
「やりやがる___あの小さな隙にポケットを探っていきやがった。」
そのころソアラは___
「チッ、外れだわ。」
アモンのポケットの中で掴んだしけた金属の輪を、舌打ちしながらテーブルの上に放り投げていた。
「へぇ、おまえって意外だなぁ。」
ソアラの料理が思いの外上手なのに百鬼も感心の様子だ。
「なめちゃ駄目よん、これでも女なんだから。」
見た目も味も庶民的で高級感には欠ける。ソアラらしい料理だったが確かに味は充分。珍しく腕を振るったソアラはこれからもリングを手にするまで食事作りを担当することになりそうだ。
「アモンさん、お部屋掃除しましょうか?」
それからもソアラはアモンの隙を伺い続けている。彼の部屋を訪れては彼がリングをどこに持っているか探り、取り上げに掛かるがどうにもうまくいかない。アモンは懐、ローブの内ポケットにリングを入れていることが多いようだ。一度アモンが尻を触っている間にポケットに手を突っ込むことができたが、彼は逆の手を袖の中に回しており、炎でポケットの内側に穴を開けてソアラから守って見せた。
「私お風呂に入ってきます。」
「おう。」
あえてアモンに一言告げてから風呂に向かい、実際はライが入っているのをアモンが勘違いして覗いている隙に探ったこともあった。だが彼はリングを肌身離さず持っていてうまくいかない。
そしてソアラも食事作りが様になってきた三日目の深夜。
「___」
ソアラはこっそりとアモンの部屋を訪れていた。こういう場面でできる限り音を殺し、そして素早く動くこつは訓練で修得済みだ。ソアラは手っ取り早くアモンのベッドに近づき、そっと毛布の中に手を忍ばせていく。が。
ぐいっ!
「えっ!?」
突然毛布の中で腕を掴まれ、ソアラは勢いのままにベッドの上に引っ張り込まれた。老人とは思えない腕力と身のこなしで、仰向けにベッドに滑り込んだソアラにアモンが覆い被さる。
「驚き___あんたホントにただの爺さんじゃないわ。」
ソアラは唖然とした様子で、うっすらと笑みさえ浮かべてすぐ目の前のアモンを見つめた。
「にっひっひっ。そっちじゃねえぜ、ソアラ。」
撫でるようにローブの中に手を忍ばせようとしたソアラに対し、アモンはニッコリと笑って前歯に挟み込んだリングを見せつけた。
「あら___そっちでしたか___そりゃ好都合。」
「なに?」
ソアラは勢い良くアモンの首に腕を回し、自分の側へと引きつけた。そして一気に口づけを交わしてみせたのだ。
(こ、こりゃいかん___こいつ思った以上の手練れだ___!)
慣れた様子で舌を操り、危うくアモンの口元が緩みかける。
ガチッ。
アモンは歯を食いしばり、好機と見たソアラもまた、歯を食いしばった。小さなリングを唇が触れ合うことも躊躇わずにお互いに前歯でかじりつく。実に異様な光景が展開されている。
「放ひなはいよ、歯が折れるあよ。」
「俺は歯らっれ頑丈だ。」
二人はたどたどしいやり取りを交わし、至近距離で伏し目がちににらみ合った。ソアラは彼の首に手を回すのをやめ、思い切ってアモンの額に片手を押し当て突っぱねはじめた。 「うぎぎぎ___」
必死で堪えるアモンはソアラを怯ませようと片手で彼女の乳房を強く握った。ソアラは顔をしかめる。アモンはリングをくわえたままニヤリと笑って、いつになく淫靡な手つきでソアラの胸を蹂躙しはじめた。ソアラは必死に堪えながら彼の身体を突き放そうとする。それはまるで師匠が無理矢理若い弟子を手込めにしているようにしかみえない。その時だった。
ガチャッ___
「なに夜中にどたばたやって___」
物音が気になってしまった目が覚めたのだろう。眠い目を擦りながらあいつがいきなりアモンの部屋のドアを開けたのだ。相も変わらずノック無しで。
「あああ!?何やってんだこのエロじじい!」
ソアラにだって否はあるが、この状況を目の当たりにしての百鬼の誤解は実に正しいものである。彼は怒りに任せてダッシュし、元気が取り柄の老人の後頭部を、拳で力任せに殴った。
「ンガッ!」
目から火が飛び出しそうなくらいの衝撃に、アモンの口が開いた。ソアラの口に掛かる力が急に軽くなり、遂にリングは彼女の前歯に捉えられたのだ。
「やった!」
「てめえこのエロじじい!ソアラになにしやがる!」
「や、やめろ誤解だ!」
取り乱すアモンと百鬼を後目に、ソアラは落ち着いて口からリングを放し、指へと通した。
ゾクゾクッ!
「!!」
突然身体に走った鋭気にソアラは肩を竦ませた。
これだ、この感触が!
指先から全身を巡り、脳髄にまで何かが走り抜けるような感触。実に素早い適応の証と言えた。彼女はうれしさのあまり笑顔になって、今にもまたアモンに殴りかからんばかりの百鬼に飛びついた。
「ナイスタイミングよ百鬼!あんたのデリカシーのなさもたまには役に立つじゃない!」
「___はぁ?」
何はともあれソアラは炎のリングを手に入れ、アモンの誤解も解けた?はずである。
「フローラには言ってあることだが、俺はおまえらに改めて呪文そのものを教えることはしねえ。呪文なんてのは魔力さえ操れりゃ、書物に習ってやりゃあ誰にだってできる。勿論魔力の量と、引き出す技術がなけりゃ強力な奴は出来ねえがな。」
ソアラも晴れてアモン道場に仲間入り。ライと百鬼に関しては、炎のリングを持たせても何の反応もなかったために見込み無しだ。一方でソアラはものの見事にリングの力を借りて指先から炎を放ち出すことに成功した。
「俺はおまえたちに、最低限魔法を自分で操れるようになるために、基礎の基礎を徹底的に教え込む。」
フュミレイはここに来てからアモンの直接指導を何一つ受けていない。彼はただ一言「技術面で俺からおまえに教えることはない。」と告げ、後は彼の蔵書を自由に読むことを許しただけである。そしてフュミレイは時間の許す限りアモンの蔵書を読み続けている。今も、屋外で鍛錬に励むソアラとフローラの姿を見ることができる場所に腰掛け、書物を開いていた。勿論ライと百鬼ものうのうとしているわけではない。彼らは剣を交え、徹底して対人戦闘の鍛錬に励んでいた。ドルゲルド率いる重装部隊に敗戦を喫したことが、彼らを本気にさせていた。
「まずは十分間の瞑想を行い精神と集中力を高める。自然の音を頑なに拒むのではなく、自然の中に溶け込むことを忘れるな。魔力とはそもそも自然の力だ。呪文で体現するのは自然現象であることを忘れるな。」
このアモンという男、助平であることを除けば実に良い指導者である。彼の指導に甘さはないが、ソアラたちは確実に毎日得るものがあった。それがたまらなく嬉しいのだ。自分たちの前進が分かる鍛錬ほど楽しいものはない。
「今日は徹底しておまえたちの得意魔法を伸ばす。おまえたちにいち早く魔力の感触を確かめてもらうために、徹底して同じ魔法を繰り返してもらうぞ。」
「はいっ。」
こうして修行生活は続いていく。一方そのころ___
「ローザブルグを攻撃したのは良い布石だ。いよいよポポトルが動き出すっていう示しになるだろ。」
ドルゲルドはゴルガ城の会議室で鼻を高くして語った。ソアラにやられた傷などもはや跡形もない。
「確かに白竜に敢えて警戒を促すような行動は悪くない、しかしローザブルグは良くなかったな。永世中立都市を攻撃したのはポポトル内でも物議を醸している。テンペストのような奴等に背を向かれてはな___色々面倒だ。」
厳つい面々が取りそろった会議室の中で、一際二枚目を気取った男、彼が近衛将軍シークだ。彼は気障で二枚目、その上軽薄。女をはべらかすことに絶対の自信を持つ男だ。
「シークの言うとおりだ!これでケルベロスの奴等が白竜と結託しても国民を納得させるだけの言い分ができたことになる。ローザブルグを攻撃したのはケルベロスにも宣戦布告したのと同然だぞ!」
会議室に集まった五人の中では唯一、腹回りがぼてっとしていて武闘派に見えない男、こいつがギャロップだ。ポポトル時代、ソアラが最も嫌っていた人物で、なにかにつけて彼女を虐げては喜んでいたサディストでもある。反乱に失敗して捉えられたときなど、それはもう酷いものだった。
「いいじゃねえか!どのみちケルベロスだって潰すんだ!」
ドルゲルドは片方の目をつり上げて声高に言った。
「だがその時は今ではない。」
一際落ち着いた男がガルシェル。細身で長身、身体の全てが筋肉で構成されているかと思うほど戦闘的な体型をしている。
「その話はどうでも良い。今は金獅子作戦の話だ。」
片目を眼帯で塞いだ丸坊主の男、ドルゲルドの次に体格の良い風格あるこの男がビードッグだ。
「そうだ、カルラーンを落とす。そのために我々はここに結集したのだ。」
「向こうにはこちらの手の内を知っている人間がいる、多少は策を練るか。」
「利用するまでよ。内外から攻めればいちころだ。」
ギャロップの言葉が今後訪れる大きな動きを暗示していた。
アモンの元を訪れてから十日。修行のために与えられた時間は終わりを迎えようとしていた。
「今回はおまえらに基本をたたき込んだ。これからは自分たちで腕を磨け。次に俺がおまえらに修行つけてやるのは___そうだな、フュミレイのようにリング無しで呪文を操れるようになったらだな。」
アモンは別れ際までソアラの尻ばかり追いかけていたが、結局フュミレイには一度も触ることができなかったようである。
まあ、そんなくだらない話はさておき、あらかじめ期日を決めてシィットにやってきていたケルベロスの船舶で再びバンバナバに戻り、フュミレイとはそこで別れた。再会を誓うでもなくまた会えるのは確かに思えたので、別れ際に皆は彼女とほんの一言二言語り合ったに過ぎなかった。それから小さいが高性能のあの船で、ポーリースへ。迎えの馬車でもあるのかと思えば、なんだかポーリースの港町でさえ落ち着かない雰囲気。理由はカルラーンに帰ってすぐに分かった。
数日の内にカルラーン本土にもその旨が伝わっていたのだ。
ポポトルに動き有り。
作戦名は『金獅子』___
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