2 フュミレイと過ごす海 

 アレックスの仕掛けとは他でもない、大胆にもケルベロスの船を使うことである、しかもフュミレイ付き。ケルベロスの船だぞ!という強い自己主張が感ぜられる船首の犬。そして側面にこれでもかと掲げられている犬の紋章。犬と言っても三首の犬だが、この犬にはとても大きな威厳があって、迂闊に触ると火傷する。
 「なるほど、だからポポトルも手を出しにくいって訳か。」
 百鬼は納得した様子で船内を眺めていた。
 「結局総帥はこの船のキャプテン以外、誰にもこのことを教えてなかったんでしょ?」
 ソアラの問い掛けにフローラとライも頷く。
 「あの男はつまらないことをして喜ぶタイプだからな。今頃カルラーンで含み笑いでもしてるだろう。」
 とフュミレイ。そのころカルラーンのアレックスは。
 「くすっ。」
 「何ですか?気持ち悪い。」
 「いえいえこっちの話です。」
 含み笑いをしてサラに嫌われていた。
 「ところで、ケルベロスの船ってところまでは納得できるけど___何であなたまで来てるの?」
 「ソ、ソアラ!」
 百鬼の話し方が移ったか、ソアラはフュミレイに対して敬語を忘れた。
 「あっ!す、すみません、つい。」
 フローラに注意されて彼女は慌てて口元に手をやった。
 「気にするな。今更おまえに敬語を使われても調子が狂う。だいたい、この前の騒動以来だというのに遠慮の一つもないんだ、気にしてはいないさ。」
 「あう___あれはその___」
 「まあ私もおまえが無事でホッとしていたところだ。アレックスとも話したが、ノヴェスクは私も嫌いだからな、あれはなかったことにしよう。」
 ソアラにしてみれば、フュミレイがこれほどあっさり許してくれると言うのは実に有り難いことだ。
 「それで質問の答えだが、私の同行が船を貸す条件なのだ。」
 「?」
 「私もアモンに興味がある。一魔法使いとしてな。」
 それからフュミレイは皆を船室に案内する。豪華な船室を皆は素直に喜んでいた。
 ゴルガのシィット港に到着するまでまだ一週間はかかる。その間、この狭い空間でフュミレイと過ごすというのも、魅力的なことだった。

 船室はやや豪華でも、客船ではなく軍艦なので、バーだのテラスだの気の利いた施設はない。余った時間は暑さに負けず体を動かして訓練するか、フュミレイが持ち込んだ書棚の本を借りて読むか、ひなたぼっこするか、トランプでもやるかだった。
 「暑いな___」
 「白も似合いますね。」
 白いシャツとスカート姿のフュミレイというのもなんだか初々しかった。
 「白は黒髪の女によく似合う。フローラの方が似合うよ。」
 フローラはフュミレイの部屋を訪れていた。暇だったフュミレイも歓迎の様子だ。
 「で?なにをしに来たんだ?」
 「あの___聞きたいことがあって。」
 フローラはまだフュミレイの前で萎縮してしまう。特に一対一で話すとなると否応にも緊張が高まった。あのライでさえ緊張すると言っていたのだから、ソアラと百鬼が馴れ馴れしすぎるのかもしれない。
 「魔法のこと?」
 「そうです。」
 「とりあえず椅子に座ったらどうだ?」
 「あ、はい___」
 そしてフローラとフュミレイはテーブルを挟んで向かい合うように座った。
 「あの___まずこのリングなんですけど___」
 「そのリングは何のリングだ?」
 「え?あ、水のリングです。」
 「そうか、水のリングか。ケルベロスからノヴェスクに送られたものかな?まあそれはノヴェスクから白竜に没収されたそうだから、白竜の兵士が持っているのならさほど不思議はない。そうであろう?」
 フュミレイはそう言ってフローラに微笑みかけた。フローラは彼女の優しい計らいに思わず笑顔をこぼした。
 「それはおまえが持っているべきだ、フローラ。リングがおまえを持ち主に選んだのだからな。」
 「いいんですか?」
 「くどい。」
 「ありがとうございます___!」
 フローラはリングを所有できることを素直に喜んだ。フュミレイが認めてくれれば、このリングは正式に自分のものになる気がしただけに嬉しかった。
 「呪文はどうだ?魔力の感覚は掴んでいるのか?」
 フュミレイも身近に生まれた魔法使いと話がしたかったのだろう。いつになく彼女から始まる会話が多い。
 「まだリングに祈ってやっと初歩的な呪文ができるだけです。」
 「初めのうちはそれでもいい。だがいずれ自分で感覚を知り、リングが無くとも、魔力を使いこなせる必要があるだろう。」
 「私でも使えるようになるのでしょうか___?」
 フュミレイは少し厳しい目つきになってフローラの瞳を見つめた。
 「おまえ、リングに適応できた人物が自分だけだとは思っていまい?」
 「いえ___そんなことは___」
 「リングには私の知っているだけで、炎、水、風、命の四つがある。伝説では六つあるといわれているがな。この中でも風のリングは代々のクーザー女王に適応を示し、我々が訪れようとしているアモン・ダグは炎のリングの適応者だ。このほかにも多くの適応者がいる。だが彼らの内、リングによって魔力を引き出されたのはアモンをはじめ数人しかいない。」
 それは初耳だった。アレックスはリングに適応さえすれば魔力を操れると名言はしなかったが、そんなニュアンスのことを言っていた。恐らく彼なりのフローラに対するプレッシャー除去法だろう。
 「おまえはリングで呪文を操った。アレックスもそれがとんでもないことだと分かっていたから、おまえをアモンの所にやったのさ。要するに、おまえは大魔法使いになる素質を持っている。」
 「___そうなんですか?ちょっと信じられません___」
 ようやく自分の手が光って、それで傷口が塞がる事実を飲み込めたところだ。
 「信じるのだな。自分に大いなる魔力を発揮する素養があると信じねば、進歩が後れる。呪文の使い手であるという認識を深め、とにかく何度も使ってみることだ。初めのうちはそれでいい。」
 フローラは何度も頷いて納得した様子だった。アモンという人のところまで行かなくても、こんなに良い指導者がいるじゃないか、と思いながら。
 「あのフュミレイさん。」
 一つ気になっていたことがあった。
 「なんだ?」
 「フュミレイさんもリングの適応者なんですか?」
 あれだけ魔法を操るのだから当然そうなのだろうと思った。しかしフュミレイは少し顔色を変え、やや怒ったように言った。
 「私は産声を上げたその時から魔法の使い手だ。」
 「そうなんですか___!?」
 天は二物を与えぬと言うが、彼女を見る限りそれは嘘だとフローラは思った。
 「だが魔力は持っているだけでは駄目だ。鍛錬し、より強く、より深くしていかねばならない。私も、長い鍛練を重ねたアモンの魔力には及ばないだろう。だがいずれ私は誰よりも強靱な魔力を手にし、最高の魔法の使い手になる。誰よりも恵まれた資質、それが分かっているのなら、それをできるところまで追求するのも義務だ。そのためにはアモンから学び、彼を超えることが必要なのだ。」
 フローラは思った。彼女は想像以上に努力することを惜しまない人だと。今回の出張は明らかに一国の幹部としての立場を逸した行動だというのに、立場の束縛を擲ってまで彼女は自らの追求をする。
 「話しすぎたな。」
 「今回の同行は、ケルベロス本国も了承済みなんですか?」
 「いいや。」
 やっぱり。
 「私はある程度自由を許されている。問題ないよ。」
 天才にそこまで努力をされると手に負えない。フローラはいつの間にか緊張もなくフュミレイと話せるようになっていたが、彼女を知るほど、彼女が自分とは違う次元に住んでいるような気がしてならなかった。
 だが一方で、彼女をより自分の近くに感じることのできた人間もいた。
 「こんにちわ、フュミレイさん。」
 フローラがいなくなって大した時間もなく、今度はソアラがやってきた。
 「さんが余計だ。」
 余計なはずはないのだが___
 「んじゃフュミレイ。」
 フュミレイはソアラにからかわれていたと知って苦笑いする。
 「フローラからあなたが生まれつき魔法の使い手だって聞いて、思わず来ちゃったわ。」
 「それがどうした?」
 「髪と瞳の色よ。あなたはその色と魔力に繋がりがあると考えたことはない?」
 結局ソアラがいつも一番思考力を裂いているのはそこだ。フュミレイが魔力の鍛錬に努力を惜しまないのと同じで、ソアラも自分の真実を知るためにはどんな努力も惜しまない。
 「考えたことはあるし、実際その可能性が強いとも思っている。ただ証明はできない。」
 「お姉さんは?あなたのお姉さんは魔法を使えたの?」
 「さあ___どうだったかな。何しろ私は姉とあまり面識がないから。」
 彼女と随分年の離れた姉は、彼女がまだ物心付く前に消えてしまった。
 「それよりもソアラ、私の色と魔力に因果関係があるというなら、おまえはどうだ?」
 「あたし?あたしは魔法なんて全然できないと思うけど___なにしろ今までも体で戦ってきたから。」
 「そんなことは関係ない。そうだな___」
 フュミレイは何か考えるような仕草をして、こう続けた。
 「予言しよう。おまえは必ず魔法の使い手になる。」
 ソアラはキョトンとしてフュミレイのことを見ていた。
 「何か言え、私が馬鹿みたいじゃないか。」
 「あ、ごめんね、ちょっと驚いちゃってさ。でも何でそんなに言い切れるの?あなた、今の本気で言ったでしょ?」
 「私とおまえが出会い、私はおまえを気に入った。おまえはフローラと共にエンドイロへ行き、どういう訳かフローラは水のリングと出会った。不思議な偶然だな。」
 ソアラは頷いた。
 「ソアラ、何かの歯車が一つずつかみ合い、回り始めている気がしないか?おまえはポポトルから白竜へ、そこで私やアレックスと知り合い、フローラは魔力を使えるようになった。なんのために?フローラの呪文は癒しの色が強い、だが呪文とは本来武器の一つだ。うまれながらに魔力を操る私と、紫のおまえが同世代であること、これこそ何か大きなことの前触れのような気がしないか?」
 フュミレイの鋭く冷たい眼光。だがその奥には情熱を秘めている。ソアラは彼女の瞳には憧れたが、傲慢な飛躍した発想にはうんざりしていた。
 「やめてよ、そんな空想めいた話は。あたしは自分が何かのために、何か決められた運命のために生まれたとは思いたくないのよ。紫だから何かをしなければならないとか、そんなのって無いはずでしょ?」
 「だがおまえは真実を知りたがっている。」
 「そんなの関係ないわ___ただあたしは普通でいたいだけ。あたしが知りたい真実は、私は、ソアラ・バイオレットはごく普通の女だったってことなのよ。」
 特別と異常は似たようなものだ。ソアラは普通でいたいから、紫だから特別だなどと言われたくなかった。
 「分かった。それならばなにも言うまい___」
 「ええ、そうして。」
 やや雰囲気が悪くなった。ソアラが部屋を出るまでもうそれほど時間は掛からなかった。勿論これをきっかけに二人のつきあいが変わるわけではない。ただ___
 「自分の価値を認めない___紫であることを引け目に感じては惨めなだけだぞ___」 少し失望しただけだ。




前へ / 次へ