3 波乱の船出

 「ふう___」
 部屋に戻ったソアラは冷たいシャワーで体の汗を洗い落とし、下着姿のままでベッドに腰を下ろした。
 「ラド___」
 ベッドの脇にあるテーブル、その上に置いてあった写真立てを手に取る。ポポトルからここまで一緒に逃げてきた写真は、少し滲んでしまっているがソアラと、もう一人男が写っていた。細身で、控えめな、それでも芯はしっかりしていそうな男。
 「___」
 彼こそソアラがポポトルに残してきた恋人。ラドウィン・キールベク、通称ラド。
 「もうバラバラになって随分になるな___」
 別れの言葉もないまま、二人は離れ離れになった。ポポトル脱走を企てた三人というのが、ソアラ、フローラ、そしてこのラドである。結局ソアラが捕らえられて計画は失敗。フローラとラドは上層部から恩情を告げられたそうだが、フローラは突っぱねて、処刑の決まっていた首謀者ソアラを助けた。ラドはどうしたのか分からないが、多分彼は生きていてくれるはずだとソアラは信じていた。
 「別にラドがポポトルにいたってあたしは構わない。彼はまた再会できるその日のために生きていてくれているんだ___そう思っている。」
 実際ラドはポポトル軍にいるだろうとソアラは思っていた。彼は生きることの重要性をソアラに諭してくれた人でもあったから。
 「会いたいな___百鬼のおかげで昔を思い出しちゃったよ___」
 ラドとは軍に入ってすぐに知り合った。孤児院では苛められっ子で、フローラしか友達のいなかったソアラにできた二人目の友達が彼だった。そして彼がソアラに気を許し、接してくれたおかげで、ソアラには友達が増えていった。やがてラドとの関係は友達から恋人へと変わり、彼と一緒にいた時間は、戦いに疲れたソアラを癒してくれた。
 「懐かしいな___」
 ソアラが重い病気にかかって苦しんでいたときも、ラドとフローラは毎日のようにお見舞いに来ては優しく励ましてくれた。脱走計画実行の前夜には、何度も何度も互いの体を確かめ合った。
 「ラド___」
 ソアラはギュッと写真立てを抱きしめた。柔らかな胸に埋めるようにして。その時。
 「お〜いソアラいるか?入るぞ〜。」
 「えっ!?ちょっ!」
 百鬼だ。ソアラは写真立てをベッドに寝かせ、慌てて浴室へと駆け込んだ。
 ガチャ。躊躇いもなくドアが開いて、百鬼が部屋へと入ってきた。
 「あれ?いねえの?」
 「いないのじゃないわよ!なにズカズカと入り込んでるの!」
 ソアラは浴室のドアから顔だけ覗かせて百鬼に怒鳴りつけた。百鬼は漸く状況を理解して慌てた顔になる。
 「わっ、わりい、ついつい他の奴等の部屋に入る気分で___」
 「ノックもしない、返事も待たないで、いきなりドアノブ捻る奴なんて聞いたこと無いわよ!」
 「すまねえ___」
 百鬼は申し訳なさそうにソアラに頭を下げた。
 「んで、何の用よ。」
 「ああ、将軍を通しておまえに命令が下ったぜ。こんど兵士を交えた軍部の集会でポポトルの内部構造について発表してほしいんだとさ。そのことで話があるから後できてくれって。あと、この前のエンドイロの任務、あれの手当が出たんだ。」
 「テーブルの上に置いておいて。」
 「ああ。」
 ソアラは機嫌がすぐに話し方に出る。不機嫌になればなるほどぶっきらぼうになるのだ。
 「?」
 ベッドの上に無造作に倒れている写真立てが気になった。あまり深く考えないで百鬼はそれを手に取ってしまう。その瞬間ソアラは浴室から飛び出していた。
 パンッ!!
 加減のない平手が百鬼の頬を激しく打った。写真にソアラと知らない男が写っていたのを百鬼も見た。だから彼にもソアラが怒った理由は理解できた。
 「馬鹿!無神経!」
 ソアラは彼の手から写真立てを奪い取った。が、その時に手をすっぽ抜けて写真立ては壁へと勢い良く飛ばされる。
 木が割れる音がした。ポポトルからそのまま持ってきた写真と木製の写真立て。中身だけに思い入れがあるわけではない。ソアラはほんの短い間だが、唖然として砕けた写真立てを見ていた。怒りはすぐに彼女を百鬼に向き直らせる。
 「出てって!出てってよ!二度とあたしの部屋に入らないで!」
 ソアラは泣きながら、百鬼の胸を両手で何度も何度も突いた。百鬼は謝ることさえできずに部屋から追い出され、ソアラは力任せにドアを閉め、鍵をかけた。
 「ご___」
 声を張り上げて謝ろうかと思ったが、ソアラの必死に泣き声を押さえようとする呻きが聞こえ、彼は思いとどまった。
 「そっとしておいた方がいいんだ、きっと___」
 百鬼は自分の無神経を悔やみながら、ソアラの部屋から離れていった。そして___
 「___なんと言うことでしょう___二人がどれくらい仲良しなのか確かめようと思って百鬼に頼んだのに___これは大変なことになってしまいました___」
 百鬼を「差し向けた」張本人アレックスは、廊下の角からその様子を見て青ざめていた。

 「別に将軍が謝ることなんてないじゃないですか。」
 「いえ、ですが私が世話を焼いたばっかりに___」
 アレックスはソアラに話があった。だがまずその前に自分が二人の仲を見て百鬼を差し向けたことを謝っていた。が、ソアラにとってそれは筋違いなことだ。
 「将軍が頼んだとか、そんなの関係ないんです。」
 (うわぁ、怒ってますねぇ___)
 平静を装っていても沸々と怒りの滲むソアラ。アレックスは対応に困った。何しろあれほど笑顔を振りまいてくれる彼女が先程からちっとも笑わない。
 「あたしは百鬼に怒ってるんですよ。あんなデリカシーのない男見たことない___」
 「彼も悪気があってやったわけでは___」
 「悪気?それがあったらまだ可愛げありますよ。悪気がない、当然のようにやるから腹が立つんじゃないですか。あたしの裸が見たくて部屋に入った、昔の彼の顔を見ようとして写真立てを拾った、そのほうがまだ___!」
 ソアラは熱くなっている自分に気付き、一度だけ首を横に振った。
 「すみません。で、話って何でしたっけ?」
 「ああ、そうですね、話をしなければ。」
 アレックスは少しホッとして、本題に入った。
 「次の集会でポポトルの詳細を発表してほしいんです。向こうではどんな人物がいて、どんな設備で、どんな訓練をしているとか、あなたの知っていることで伝えておくべきだと思うことをできるだけたくさん。」
 「上の人からの命令___ですね。」
 「はい。」
 「分かりました、やりますよ。将軍の内なる敵も見ておきたい。」
 「そういうことを言ってはいけません。あなたは自棄になると口が悪くなる。」
 「___自嘲します。」
 確かにその通りだ、もう少し落ち着こう。ただ、それで許せるわけじゃないが。

 軍事集会の当日、発表の場に立つことになったのはソアラ、そしてフローラの二人だ。軍部についてはソアラが、民間や、医療などの技術に関してはフローラが説明することとなった。
 「それでは早速、はじめたいと思います。」
 まずはソアラが軍部の構成を説明する。興ざめだったのは、この命令を下したという上の人間が誰も出席しなかったことだ。壇上からは知った顔の姿も見えたが、ソアラはなるだけ意識せず、特に百鬼とは目を会わさないように心がけた。
 では、暫くソアラの発表をどうぞ___
 「ポポトルは国そのものが軍事国家であるため、国家の構成がそのまま軍部の構成に繋がると言っても過言ではありません。すなわち、国家形成を担う幹部たちが、そのまま軍部の役職を占め、同時に彼らは前線に部隊を率いて出陣することさえあるのです。ただ、総帥であるデュレン・ブロンズはこのどれにも大きく関わる存在ではありません。私はポポトルの作戦会議に招集されたこともありますが、このデュレン・ブロンズという男が姿を見せたことはありません。例え現れたにしても、発言することはないでしょう。そもそもデュレン・ブロンズにはポポトルに由来するものが何一つないのです。彼はプロパガンダとして総帥に担ぎ上げられ、実際はポポトルの要塞の別塔で軟禁されています。では事実上、組織の長となっているのは誰か?それがギャロップ・グレイドーンです。この男は名目上はデュレンの補佐となっていますが、実質のポポトルの総元締めと言えるでしょう。残忍な虐待思想の持ち主で、人格者ではありませんが、国の運営には優れた部分を見せています。ですが彼はむしろ国家の枠組みを築いている人物でして、実際、軍部の礎となっているのは彼の下に位置する四人の大幹部、通称四天王の面々です。ポポトル近衛将軍シーク・ミュゼット。陸将軍ガルシェル・ハサ。重装将軍ドルゲルド・メドッソ。海将軍ファン・ボーデ・ビードッグ。以上の四人です。シークは近衛将軍の名の通り、ポポトル国内の守衛部隊を率いています。ですが、機と見れば島外へ出てその優れた実力を発揮することもあるでしょう。ポポトルの前線部隊で脅威となるのが重装兵部隊です。ドルゲルド率いる重装兵部隊は頻繁にポポトルの最前線に立ち、驚異的な戦績を上げている部隊です。皆さんも名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう?凶悪で、勝利のためには手段を選ばないドルゲルド指揮のもと、この部隊は血も涙もない殺戮を繰り返します。ポポトルで最も気をつけなければならない部隊と言えるでしょう。それ以外の陸軍、いわば一般兵を総括しているのがガルシェル将軍です。この部隊がポポトルの中核を成すと考えれば、ガルシェル将軍の実力は推して知ることができます。ガルシェルは育成部の長もしています、その意味ではこのガルシェルこそがポポトル軍部の中心者であるとも言えるでしょう。陸軍の構成は彼ら三人の将軍の下に小隊長が属し各部隊を率いています。しかし白竜軍と異なるのは、彼ら自身が前線に立ち刃を振るうところにあるでしょう。さて次に海軍ですが、ポポトルがこれほどまでに勢力を拡大できた要因の一つは、この海軍の強さにあります。ポポトルでは新兵器の開発も日夜行われており、島国であることもあって海洋兵器、すなわち戦艦の開発には特に力が入れられています。そして開発されたのが鉄機船です。鉄の船体に無数の砲塔を備え、そして船体の三分の二以上を海中に忍ばせる、まさに戦闘のための船と言えるでしょう。この兵器の力で各地の港湾都市を難なく占拠することができたのです。」
 更に訓練内容の詳細に至るまでソアラは隠し立て無く語っていく。ポポトルの訓練がいかに実践的であるか___広場で剣をぶつけ合うだけでは剣の駆け引きしか学べない。戦場がいつも平坦だとは限らないし、敵がどんな武器や戦術を使うかも分からない。様々な戦場に適応できる力と、それを利用する力、すなわち場の駆け引きがポポトルでは重要視されているとも告げた。世界を手にするにはあらゆる戦闘に対応できる「適応力」が必要なのだと。
 「ポポトルでは発起当初に各国から新しい地を求めてやってきた優れた指導者たちが幽閉されています。しかし彼らに対する投資を怠らないことで彼らに充分な活動の場を与え、結果としてポポトルの技術革新のスピードは飛躍を極めています。そして戦闘に向かない者たちには彼らが指導者となって優れた技術を伝承しているのです。それは優れた兵器を生む技術だけではありません。乏しい土地で効率よく作物を得、加工する技術であったり、地脈を知り水を得る技術であったり___中でも優れているのはアーロン・リー・テンペストを要する医療技術です。ポポトルでは各小隊に二人、医療に精通した人間を配属しても人員に困ることはないのです。それほど、兵士の間に医療技術は浸透しています。それは注射器やメスを使うことに限らず、山菜から薬草を見いだす能力、身体の構造を知り負傷時に適切な処置を行う能力をも含みます。以上まとめますと、ポポトルでは一人の人間が戦闘のみならずいくつかの技術を習得することで、より多様な働きを行えるだけでなく、優れた医療技術の伝承によって、兵士一人一人の生存能力が向上しているのです。」
 次にフローラがポポトルの知的戦術の一端を語る。ポポトルの強さの秘密、とでも題を打ちたくなるような内容に、居合わせた兵士たちも真摯に耳を傾けていた。やがて拍手を以て二人の発表は無事終了した。
 「いや素晴らしい、私も含め良い勉強になりましたよ。」
 アレックスは緊張から解放された二人を賞賛の言葉で出迎えた。
 「でも___白竜には白竜の風がありますから、それは大事にして欲しいんです。それを言うのを忘れちゃったのが残念で___」
 ソアラは少し心残りがある様子だ。
 「いえ十分ですよ。それはそうとフローラ、あの件は考えてくれましたか?」
 突然話の矛先がフローラへと変わる。
 「ええ、是非お願いします。」
 フローラは一つの大仕事をやり終えた、さっぱりした顔つきのまま頷いて答えた。話が見えないソアラはただ成り行きを見ていた。
 「いい返事です。お疲れさま、先にゆっくり休んでいてください。」
 「はい。じゃあ、またねソアラ。」
 「うん。」
 フローラはソアラに手を振って、先に広場を後にした。ライが彼女を出迎えてなにやら楽しそうに話し合いながら城内へと消えていってしまった。
 「さて、ソアラ、あなたに話があります。」
 広場では既に発表のために拵えられた舞台の解体が始まっている。そんな落ち着かない中でアレックスは言った。
 「折り入って___といった感じですね?」
 アレックスは一つ頷き、ソアラも高ぶった気持ちをそのままに耳を傾けた。
 「実はフローラにゴルガに行ってもらうことにしたんです。」
 「ゴルガ!?ゴルガ城ですか!?」
 ソアラが驚くのも無理はない。ゴルガは今やポポトル最大の前線基地だ。そして、それを制圧にまで導いた殊勲者こそソアラ・バイオレットだ。
 「いえ、そんな危ないところには行かせられませんよ。ゴルガよりやや西にあるローザブルグをご存じですか?」
 「はい。確か永世中立都市を名乗っているところですね。」
 聞いたことがある。この世界で法王堂を除けば、一切の戦争に関わらない永世中立が承認されている唯一の都市だ。
 「そうです。戦争に巻き込まれたくないお金持ちたちが数多く住んでいます。実はそこに、アモンという人物が住んでいるんです。」
 「アモンですか?」
 ソアラには聞き覚えのない名前だった。
 「アモン・ダグ。私の古くからの友人でしてね、自称世界一の魔法使いですよ。」
 「魔法使い___」
 「フローラにはせっかくですから彼の元で魔法のイロハを学んでいただくことにしました。」
 それは良いことだと思う。それにフローラの性格なら、せっかく手に入れた魔力を無駄にしたりはしないだろう。
 「で、私は何を?」
 「フローラの護衛はライに頼みました。で、あなたはアモンの元で魔法の修得にチャレンジする気はあるかなと思いまして。」
 「私がですか___?」
 体を動かす戦いには自信があるが___
 「アモンは炎のリングを持っています。フローラの持つものと同じですね。私はどうもあなたには炎の気質があるような気がするんですよ。せっかくの機会ですから試してみてはくれませんか?」
 炎ねぇ___ソアラは思った。炎って破壊とかのイメージかな?と。
 「ライにも試して貰いますし、百鬼も___」
 「やめます。」
 百鬼の名を出した途端にソアラは言った。
 「なら百鬼は省きます。彼よりあなたの方が魔法は期待できそうですし___」
 「将軍がそこまでおっしゃるんでしたら私は行きます。でも百鬼はやめてください。」
 「わ、分かりました___では五日後に西岸のポーリースの港から出航ですから。」
 その港の名はあまり聞き慣れない。カルラーン国で港と言えばアンデイロが定番だ。
 「アンデイロじゃないんですか?」
 「あそこは目を付けられてますからね、周辺海域にポポトルの巡視艇がいるでしょう。ですからあえて小さな漁港から出発してもらうんですよ。ただ小さな港ですし、船も小さくなってしまいます。食料も十分に積めませんし、武装も貧弱です。」
 「どうするんです?この辺りの海域はどこも安心できませんよ。」
 「ええ。ですから立派な船を別ルートで動かすことにしました。しかもそれにはポポトルの海軍が攻撃しづらい仕掛けが付いてます。」
 「?」
 「あなたたちはポーリースとゴルガのシィット港のほぼ中間地点、経済保護地区であるバンバナバ島で立派な船に乗り換えていただきます。後はゴルガに一直線です。よろしいですか?」
 「分かりましたけど___仕掛けって言うのが気になりますね。」
 「お楽しみです。」
 何はともあれ、ソアラもこの旅に同行することになった。アレックスはホッとしたと同時にしてやったりの顔だった。何しろ彼は既に百鬼に声をかけてある。少々面倒だが、百鬼には別ルートで港に行ってもらおうと企んでいた。

 五日後。
 「フローラ、もう魔法は使えるようになったの?」
 「え?ええまあ、でも初歩的な呪文をリングの力を借りてやっと使える程度だけど。」
 ポーリースの港で出航の準備をするソアラたち。小型船では白竜の水兵たちが積み荷の確認をしていた。
 「どうしたの?キョロキョロして。」
 「え!?いえ、何でもないの。」
 ライもフローラもなんだかそわそわした感じで辺りを見回している。ソアラは気になって尋ねたが、フローラの返事は曖昧だった。
 「そうだよ、別に誰か待ってるわけでもないし。」
 「待つ?」
 「ライッ!」
 フローラはこっそりライの背中を抓った。
 「待つって何?誰か来るの?」
 「え、いえ、だから___」
 実はあの日以来ソアラは百鬼と口をきいていない。五日の内に仲直りして欲しかったフローラだが、それは叶わなかったのである。
 「よお、待ったか?」
 「げ。」
 明るい男の声を聞いて、ソアラの顔が引きつった。
 「騙したわね___」
 ソアラは呟いた。その言葉は恐らくアレックスに向けられている。
 「ソ、ソアラ、今更帰るなんて言わないでよ。もう君の分も食料積んじゃったし。」
 実はライとフローラはアレックスから、現地での仲裁と説得を頼まれていた。だがライではやや役不足___
 「この前は悪かった、ソアラ。」
 「そんな言葉に何の意味があるのよ。」
 ソアラはまったく彼のことを許してはいなかったが、さすがに「帰る」とは言わなかった。ただ、この船旅はどうも荒れそうだ。




前へ / 次へ