3 証拠品を捜せ!
「白竜の方がなぜここに?」
素性を知って警戒心が解けたか、ドアの側にいたフローラも彼の方へと近づいた。
「スパイ?」
「まあそれが俺の専売特許だからな。」
彼の汚れた服、専用の灰皿、落ち着いた物腰、場慣れした態度を見れ想像するのは容易だ。
「今回の俺の任務はケルベロス使節団の監視が目的さ。」
「監視ですか___」
「おいおい、いきなり言葉遣いを変えるなよ。俺はさっきまでの方が有り難いぜ。」
「でもなぜ監視なんて___」
砕けたつき合いを期待するデイルに対し、あっさりと態度を変えられるソアラのこれも適応力と言えばそうなるだろう。
「会談のためだけなら、エンドイロにこれだけの兵力を持ち込む必要はないはずだ。向こうは兵にもこちらの空気に慣れて貰うためだと言っていたらしいが、まさかなぁ。元々ノヴェスクがエンドイロは白竜から治外法権だとか抜かしているし、それにしたって白竜の今の立場を考えたら、多少無理な申し出でも断れないって分かってんだよ。」
「でも将軍とフュミレイには信頼関係があるように思えたわ___」
「そうはいっても二人は軍人だ。それに組織のトップじゃない。」
つまり私情と公務は別物、二人はそれをまったく切り離して考えているということ。好機と見れば信頼の決裂さえあり得るというのだ。
「白竜にとっては、ポポトルを倒すのにケルベロスの力が欲しい。ケルベロスは白竜に借りを作っておきたい。同盟って言うのはたいてい毒々しいんだ、だから俺みたいな奴は仕事がある。」
「なるほど___ケルベロスがこのエンドイロをいずれ目論むカルラーン侵攻への足がかりにしかねないから、気が気でないって訳ね。」
「それだけじゃないさ、一番大事なのは奴らがポポトルと接触しやしないかだ。」
「なるほど___」
「このエンドイロのノヴェスクはただでさえ白竜と距離を取りたがっている男だ。ポポトルにしても、この大陸につけ込むならここが一番だろうからな。」
「確かにそうね___まともに攻めるなら港湾都市アンデイロだけど___内側から食って行くならここがいいわ。ノヴェスクも騙しやすそうな男だし。」
ソアラは確かに武芸で優れた才を発揮する。だが彼女は戦術的思考でもまた高い水準と評価されていた。その能力はポポトルのゴルガ侵攻の際に存分に生かされた。
「君たちもただフュミレイの護衛のためだけにやってきた訳じゃないんだろ?」
「ええ、ノヴェスクの弱みを握るのが目的よ。」
「なるほど、必要だな。白竜にとってノヴェスクはただそこにいるだけならいいが、何をやらかすか分からない危険をはらんでいる。」
「将軍からは彼とケルベロスの間の癒着を暴いて、その証拠になるものを手に入れて欲しいと言われたわ。なにかないかしら?」
デイルは髭で汚れた口元をニヤリと歪めて、一つ手を叩いた。
「あるぜいいのが、実際に癒着はあったんだ。ケルベロスからいいものを貰って、あいつは兵の駐屯を許した。」
「なに?」
「そこまでは分からないさ。ただ、何か奴等の間にものの受け渡しがあったことだけは確かだ。フュミレイが来る前さ、先行してきたザイルだったかな、そいつがノヴェスクと接触したのは分かっている。」
「それはノヴェスクの部屋にあるの?」
「あると思うぜ。」
「チャンスよ。あのスケベの腹を明かしてやる!」
ソアラはフローラの方を振り返って今にも飛び出しそうな顔で言った。
「待ってよ、どうやってノヴェスクの部屋に入るの?」
ただフローラは無鉄砲ソアラほど楽観的ではない。
「天井は駄目だ、あいつの所の通気口は一体型の石造りさ。ここみたいに簡単には開かない。」
「そうしたらドアか窓しかないわね___」
「いい方法があるぜ、あいつは毎晩自分の部屋に女を連れ込んでる。」
「何でそんなこと知ってんのよ。」
「まあ良いじゃないの、俺は独身貴族だし。」
デイルはそう言ってケラケラと笑った。呆れ顔のソアラに対し、うぶなフローラは困り顔だ。
「んで?と言うことはあたしたちが娼婦のまねごとをすれば部屋に入れるってこと?」
「それも良いが、君たちが可哀想だからな。あいつは自分のハーレムを持っていてそこから女を連れて来るんだ、大体短くても吟味に30分はかかる。その隙を狙うんだ。ポポトルで訓練された君たちなら簡単だろ?」
「知ってたの?」
「スパイの情報は速いぜ。」
なるほど、スパイ専門と自負している彼が大尉にまでなれるのも頷ける。彼はポポトルやケルベロスにいたとしても一つの存在感を示せる人材だ。
「いいわ、その作戦に乗る。」
ソアラはやる気満々な様子で胸を張ってみせるが、フローラは迷っている様子だ。
「何ならあたしだけでやっても良いけど?」
ソアラはフローラのことを気遣って尋ねる。彼女はポポトルでもあまりこの手の任務はやらなかったし、慎重派なので付け焼き刃の侵入に不安を感ぜずにはいられないのだ。
「いいわ、私もやる。」
「よし早速頼む。それらしいものを見つけたらここまで帰ってくればいい。でも、いざとなったら力ずくで脱出しても構わないぜ。俺もそろそろここを離れるつもりでいるから、逃げ道は作る。そのために馬車の底に一人隠してきたんだろ?」
本当に色々と詳しいこと。二人はデイルのはしっこさにつくづく感心させられた。
「___あ、でもあたしの髪の毛どうしよう___」
「ああそれならこいつで___」
デイルは足下に置いていた汚い袋を開いた。
一方そのころ。
久しぶりのエンドイロのベット。その上に横になったフュミレイの手には、薄っぺらい紙があった。
「___馬鹿な、なにもこんなものを贈ることも無かろうに___」
これはザイルがまとめたノヴェスクとの交渉に関する報告書だ。フュミレイはその中に記された、ケルベロスからノヴェスクに贈られた品、すなわち癒着の証拠品に憮然とした。
「確かにあれは商人からの貢ぎ物だ___レサ家にもケルベロスにも面白味のないものなのだろうが、私にはまだ調べたいところがある。」
そして徐にベッドから身を起こした。
さてソアラとフローラの二人だが___
「ノヴェスク様に、こちらで待つようにと仰せつかりました。」
ソアラは黒い長髪になっていた。元々髪が長めのソアラがさらに鬘をかぶっているのだから、どことなく不自然だ。
「うむ、通れ。」
侵入はことのほか簡単だった。番人は二人の姿に目をやっただけで、何を調べようともせずに部屋の扉を開いてしまう。
「うっひゃ〜。」
その悪趣味な部屋にソアラは思わず声を上げた。勿論扉が閉じられてからだが。
「なんてベッド___気色悪ぅ。」
円形のベッドは一際豪華で、ちょっとした細工も付いてそうないかがわしさだった。
「ソアラ、早く探しましょう。」
部屋の悪趣味さに気を取られていたソアラをフローラが急がせる。ソアラは思い出したように何かありそうな戸棚の前へと向かった。一方のフローラはまず彼のデスクから調べはじめる。
暫く時間が経過した。
「どう?何かあった?」
戸棚の捜索を終え、軽い溜息混じりにソアラが尋ねた。
「大したものは___この拳銃もケルベロスモデルではないようだし___」
デスクの引き出しに入っていた拳銃。軍事的な贈答品として武器が贈られるのは良くあること。フローラは拳銃を見つけたときにしめたと思ったのだが、当てが外れた様子だ。
「ん?」
「なにかあったの?」
「ええ、なんだかここには似つかわしくないものが。」
フローラはある引き出しから、小さな箱を取り出した。ソアラも駆け寄ってみる。
「指輪___」
箱の中に入っていたのは、澄んだ青色の指輪だ。派手で煌びやかなものが多い中、古びた小箱は異質で、その中に入っていた指輪も清楚で上品。とても彼の趣味とは思えない。
「これが当たりなんじゃない?」
「女物みたいだけど___」
フローラは半信半疑で自分の右手の人差し指に指輪をつけてみる。それは思いの外しっくりとはまった。
「え?」
ふと彼女の体になにやら謎めいた感覚が走る。背筋を撫でられたような、しかし悪寒とは違う。
「どうしたの?」
「うん、ちょっとこの指輪変わってるかも___」
「はい?」
二人は互いに指輪を覗き込んで不思議な顔をしていた。部屋の前に、こちらもこっそり贈答品を取り返しに来たフュミレイがいるとも知らずに。
「これはフュミレイ様。」
「貸しているものを取りに来た、入れてもらえるか?」
「はっ。ですが___今、娼婦を二人入れております。」
「娼婦?ノヴェスク無しでか?」
フュミレイは訝しげな顔で聞き返した。兵の戸惑いをよそに、彼女は二人と言うところで早くもピンと来た。少しいやらしい笑顔を作ってから、すぐに真顔で兵に向き直った。
「構わぬ。入れてくれ。」
「はっ。」
ガチャ、番人が扉のノブに手をかけた。
「!?」
ノヴェスクのデスクで指輪に見入っていた二人は、驚きを通り越して寒気を感じる。誰かが中に入ってくる!?切羽詰まったときの判断なら元軍人の二人は冴えている。咄嗟の行動は早かったが___
「どうぞ。」
「うむ。」
軽い足音でフュミレイが入ってきた。彼女が番人に「うむ」と答えたのは、二人に声を聞かせるためだ。
ガチャ。
扉が完全に閉じられてからも彼女は暫くそこに立っていた。視線だけを部屋の隅々に巡らせる。ただ、今の場所から戸棚は見えてもデスクは部屋を少し奥に入らなければ見ることができない。また風呂場は、デスクのある場所からも、部屋の入り口からも、行き来できるようになっている。
「番人はこの部屋に二人の娼婦を入れたという。誰もいないのはおかしいと思わないか?ソアラ、フローラ。」
彼女の芯のある、やや低めの声色が緊張を助長する。二人が隠れている場所は風呂場。
「___」
ここでばれること___自分たちにとっては勿論、白竜のためにもそれだけは避けたい。フュミレイが奥の部屋の散らかったデスクに気を取られているうちに、窓を破って逃げるしかない。
「何をしにここに来た?貴様らアレックスに何か任務をもらっていたのか?」
優しさなど無い、冷たく、刺すようなフュミレイの声色。誠意の感じられない行為に怒りを感じ、彼女はクッと奥歯を噛みしめた。
「出てこないと言うならばこちらもそれなりの措置は執らせてもらうぞ。」
彼女は一度自分の右手に目をやって、小さな笑みを作ってからデスクの方へと歩き出した。その笑みは、何かを企むようなほくそ笑みではない。銀色の魔女の嘲笑だった。
「いまだ!」
フュミレイがデスクの側に立った音を聞き、ソアラが、やや遅れてフローラも飛び出した。このタイミングならば確実に逃げ切れる。ソアラはそう確信していたが、フュミレイも彼女たちのこの行動は充分に予測していた。そして彼女ならば走り出して追いかけずとも、ほんの片手を突き出して、念を集中し、唱えるだけで良かったのだ!
「焼き尽くせ!ドラゴンブレス!!」
フュミレイの異質な瞳が輝いたように見えた。すぐに彼女の体が赤い輝きで照らされる。照らしているのは一筋の炎。
「!!??」
あり得ない!?ソアラは現実を疑った。窓に向かって駆けた彼女を真横から炎が襲う。突っ切ることも逃げることもできない、絶妙なタイミングだった。一瞬の間に見た炎の向こうの銀髪は、冷笑を浮かべていた。
ゴッ!
ソアラの体に炎が燃え移る。彼女の悲痛は叫びにならず、ただ苦悶の表情で勢いのまま床に倒れ込んだ。
「ソアラ!?」
「うあああっ!!」
漸く声が付いてくる。ソアラは火を消すためか、それともただ苦しくてか、とにかく床をのたうち回った。
「ソアラ!ソアラッ!!」
フローラは暴れるソアラに近づいて、服に燃え移った火を消そうと必死に叩くが思うようにいかない。水、水があれば___彼女は強く望んだ。命の水を。
「___なんだ?」
フュミレイはこの部屋に生じた違和感に目をしばたかせた。違和感の原因はすぐに形となって部屋に現れた。
「え?」
キィィィィィン!!
甲高い音とともに、フローラの右手で何かが輝いていた。フローラ本人もその光がなんなのか分からずに、驚いて右手を上げた。
「指輪!?」
「なにっ___」
フュミレイはフローラの右手で輝くリングに目を奪われる。だが輝きが強くなって、すぐに目を逸らさざるを得なくなった。
「きゃあっ!」
突然だ。青いリングから巨大な水柱が吹き出した。それは緩やかな弧を描いてソアラへと降り注ぎ、あっという間に魔力の灯火を消していく。
「水のリングが呼応した___だと?」
フュミレイは驚いた面持ちでフローラを睨み付ける。フローラは意識を失って動かないソアラを案じて、駆け寄っていた。もうリングは光っていない。
「フローラ!今貴様何をした!?」
フュミレイがフローラに迫ろうかというその時!
「!?」
突如部屋の入り口付近の天井で爆発が巻き起こった。進行方向からの爆風にフュミレイは押し戻されて身を屈める。すぐに息苦しさが襲ってきた。決して強力ではないが恐らくは催涙ガスだ。
「くっ、姑息な!うぐっ、ごほっごほっ!」
「フュミレイ様!?ご無事ですか!?」
取り乱した様子の番人が彼女を見つけて、勇んで部屋から連れ出す。すぐに数人のケルベロス兵が駆けつけてきた。
「フュミレイ様!」
兵は壁により掛かって苦しそうな顔をしている憧れの上司の身を案じた。だがそれは彼女の怒りを買う。
「愚か者___!早く賊を追え!」
「あっ!は、はいっ!!」
すぐさま城の外へと駆け出す兵士たち。入れ替わりで怒り心頭のノヴェスクが肩をゆすってやってきた。
「フュミレイ!!これはどういうことだ!?」
ガスが沸き立つ部屋の前で大声を張り上げ、ノヴェスクは少し噎せていた。
さて、突如として慌ただしくなったエンドイロ城。当の「賊」はというと___
「いやあ、念のため天井裏にいて良かったよ。まさかフュミレイが来るとは思わなかったからなぁ。」
慌ただしく外やら城内やらを駆けずり回る兵士を後目に、天井裏の逃亡ルートをせっせと進んでいた。天井裏には網の目のように通気口が広がっている。大人が腰を屈めて歩けるほどの、細くて狭い廊下が入り組んでいると思っていただければいい。
「このこ大丈夫なのか?」
「今のところ___でも体温には注意しないと。」
「おいおい〜。」
デイルがソアラを背に乗せて四つん這いで進み、その後ろをフローラが中腰で進む。目指すは通気口の出口だ。
「しかしまあ何でこんなに濡れて___炎を喰らったんだろ?」
「それが私にも良く分からないんです___」
「はぁ?」
「とにかく急ぎましょう。」
「ああ、そうだな。」
フローラは時折右手のリングに目をやりながら、暗い通気口を進んだ。
「デイルさん、これを進むといったいどこに出るんですか?」
「兵舎の側だ。」
「!?」
よりによって兵舎の側とは___フローラはデイルの余裕を疑った。
「まあそう心配するなよ、兵は俺たちを探し回っていて兵舎になんていられないはずだ。それに仲間が待ってるから大丈夫だぜ。」
だがとにかく彼の言動、態度は自信に満ちあふれている。よほどこの道のプロフェッショナルなのだろう、ノヴェスクの部屋でもあの爆煙の中、すぐにフローラを屋根裏に導いてくれた。
「分かりました___信じます。」
「いいね、女の子にそう言われると嬉しいもんだ。」
通気口の出口は、城の壁にぽっかりと口を開けている。ここにはデイルが城の出入りを簡単にするために、縄ばしごがかけてあった。月に照らされた横穴を、下の茂みから二人の男が見上げていた。
「随分喧しいことになってんなぁ___派手にやってくれちゃって。」
「ソアラがいるからだよきっと。」
一人はライだ。彼は茂みの下草に夢中になっている馬を撫でながら言った。
「そんな女なのか?紫の牙は。」
「なんていうか楽しいよ、ソアラは。もう一人のフローラはとっても優しいよ。」
「ソアラなぁ。」
もう一人はあのバンダナの若い男だ。
「百鬼はソアラのことが気になってるみたいだねぇ。」
名を百鬼という。
「そりゃおまえ、紫色だし、美人だっていうしさ。興味はあるぜ。」
彼、百鬼は白竜の一般兵。剣術を得意とし、優れた身体能力の持ち主であり、アレックス麾下である。概ね戦闘を得意とする彼だが、今回はアレックスの指名もあってデイルの補佐としてエンドイロに潜入したのである。百鬼というのは変わった名前だが、地方によってはこういった名を付けるところもあり、そう珍しいことではなかった。
「あ、百鬼、上!」
「おっ!」
丁度その時、穴から出てきたデイルと目があった。
「よう馬はいるか?」
「大丈夫、気付かれないうちに早く。」
遠い距離で、ギリギリの声量の会話。デイルは後ろから来るフローラに先に行くと告げてから、一端ソアラを下ろし、ゆっくりと体を入れ替えて梯子に足をかけた。
「彼女を肩に乗せてくれ。」
「はいっ。」
フローラは背の立たない通路で、意識の戻らないソアラの上半身を持ち上げ、デイルの肩まで引っ張っていく。
「オーケーオーケー、ゆっくりな、落ちたらしまいだぞ。」
デイルの肩に丁度ソアラの柔らかな胸が乗っかった。
「あ、ナイスナイス。」
「なに言ってるんですか!」
「冗談だって。」
ソアラの体をもう少しデイルの背中へと進め、デイルは片手を放してソアラの体を支えた。
「お?何だ?あっ!」
下から見ていた百鬼は、デイルの背中で風に揺らめく紫色の髪を見て思わず笑顔になる。
「あれが噂の紫の牙か___!」
「なんだか気を失ってるみたいだね___」
ライは心配そうな顔になって見上げていた。一方百鬼は初めてみるソアラに期待の眼差し。だがしかし___
ブチッ!
「いっ!?」
古びた縄ばしごが一挙に掛かった二人分の重みに耐えかねたのだ。デイルが手をかけていた縄が突然音を立てて契れてしまった。
「あっ!」
「しまった!」
何とかすぐ下のロープを掴んで難を逃れたデイルだが、その時の衝撃でソアラの体がずり落ちてしまった。咄嗟に伸ばした手も虚しく、ソアラは真っ逆様に落ちていく。
「ソアラッ!」
フローラが悲痛の叫びを上げる。
「よっ!!」
しかしソアラの体は、下で彼女を待ちかまえていた百鬼によってしっかりと受け止められた。それを見てデイル、フローラともにホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ今の声は!?」
「こっちだ!」
しかしそれも束の間、すぐに兵士たちの慌ただしい声がする。
「やばい!急げフローラ!」
「はいっ!」
フローラはスカートであることも忘れて、デイルの後からさっさと梯子を下っていく。
「おい、生きてんのか?」
俯せで受け止めたソアラを仰向けにし、百鬼は初めて彼女の顔を目の当たりにする。
ドキッ!
その寝顔は決して安らかではなかったが、百鬼ポーッと暫く見とれてしまった。
「なにやってんだよ百鬼!はやく馬に乗って!」
「あっ、お、おうっ!」
ライが馬を繋いでいたロープをほどき、デイルが、フローラが、百鬼が跨る。ソアラは百鬼の懐に凭れるような形で、彼の心拍数を上げていた。
「いくぞっ!!」
四人は一気に馬の横腹を蹴飛ばす。嘶きが夜の兵舎に木霊した。
___
「フュミレイ様!?そのお顔は___」
騒動の後、野暮用でフュミレイの部屋にやってきたザイルは、彼女の顔を見て目を丸くした。
「皆まで言うな。」
彼女の左頬に赤く痛々しい跡が付いていた。殴られた跡である。
「ノヴェスクにやられたのですか___?」
「まあな、だが私の連れてきた二人だ。奴がこれで収まるならそれでいいさ。」
フュミレイは頬を隠すこともせず、いつもの毅然とした顔でザイルに答えた。機嫌の読めないところも十八の小娘とは思えないな___とザイルは改めて彼女の資質を感じる。
「今は我慢の時ですな。」
「そう言うことだ、いずれ機は熟す。」
まだ少し痛みが残るのか、言葉を口にした後彼女は少しだけ顔をしかめた。
「そう、喜ばしい報告があります。先程本土より連絡が入りました。」
彼女はザイルの顔を見やった。
「ベルグランが完成いたしました。」
その一言。ザイルはどんな顔をしてくれるかと期待していたが、フュミレイは相変わらずいつもの顔だった。
「ほう。」
そして暫く思いめぐらせるように、黙り込んでしまった。
「あの___」
「ザイル。」
不愉快に思って言葉をかけようとしたザイルの声がかき消される。
「おまえとバンディモは本国に帰れ。」
「は?」
漸くフュミレイが笑った。
「私はもう暫く働いていくよ。勿論、重要なことだ。殿下にもそう伝えてくれ。」
それは野心に溢れたレサ家の腹心、リドン家の血を継ぐ者に相応しい、策士の笑顔だった。
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