1 エンドイロまでの道
「はいっ!」
ソアラが馬の尻を一つ手綱で叩くと、馬車はゆっくりと動き出した。車内の窓から顔を覗かせ、盛んに手を振っているアレックスに小さく手を振り返すのは銀色の薔薇ことフュミレイ・リドン。アレックスの側にはダグラスやアルベルトといった面々、彼らから少し離れた場所に上層部のお偉方がいた。フュミレイはそちらには一瞥をくれるだけ、一列に並んで敬礼をしている兵士たちの横を通り過ぎる頃にはカーテンを下ろし、椅子にゆったりともたれかかっていた。
「おかしいだろう?」
ソアラは馬を操っている。車内にいるのは向かい合わせに座るフュミレイとフローラ二人だけ。緊張で姿勢が固まっているフローラにフュミレイが突然問いかけた。
「え?」
返事も曖昧なら、緊張で声も出ない。ただ、自然と彼女の目を見られたのは良かった。
「戦争というのは面白い。白竜とケルベロスは友好的な関係を結ぼうとはしているが、お互いの中にある根強い敵対意識は決して薄らいではいない。ただ、ポポトルというより驚異的な存在が現れた。それだけで、白竜の兵士は私に敬礼をしてくれる。だが心では誰も私に敬意を表してなどいない。」
返答に困る。はいともいいえとも言うことはできない。
「フフ___こんなことを君に話しても仕方がないか。」
「___申し訳ありません、なんてお答えてしたらよろしいのか分からなくて___」
フローラは少し俯いて答えた。
「固いな___もっとリラックスしてくれないと私が話しづらい。」
フュミレイはクスクスと笑いながらフローラのことを見ている。思ったよりも壁を感じさせない高貴な美女に、フローラも漸く声を絞り出した。
「あの___お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「何故私たちを護衛に___?」
「護衛というのは建前さ。旅の共には同性で同年代の人物が良いと思った、それだけだよ。その方が楽しいじゃないか。屈強なだけで頭の固い男じゃ、面白くない。」
緊張が解けてくる。そうさせてくれているのだろうが、フュミレイの答えがとてもわかりやすいことがフローラをリラックスさせていった。
「フュミレイ様は___」
「さんの方が落ち着く。」
「フュミレイさんはおいくつなんですか?」
「十八。」
「!それじゃあソアラと同い年___」
「意外かな?」
「ええだって___ソアラとは全然雰囲気というか___風格が違いますもの___」
「ハハハッ。」
フュミレイは形の良い口を開けて笑う。普段では見られない姿だ。
「彼女と一緒にされてもな___ただ、ああいうのは好きだ。だからこうして誘った。」
フュミレイの言葉、話し方、眼差し、物腰、銀色の頭髪から指先まで、彼女のどこを見ていても飽きることがない。それだけ、彼女は魅力的で、何故か引きつけられるものがある。そしていつの間にか自然に話しかけられるようになっていた。
「君は弓術が得意なようだけれど___ポポトルで学んだのか?」
「はい。何か自分の形みたいなものがあるわけじゃないんですけど、身体が自然に狙いを定めてくれます。」
「それは素晴らしい。そういうセンスは大事にすることだ。」
「フュミレイさんも戦闘訓練のご経験はあるんですか?」
「あるとも。私も前線が好きな気性だからな。その点では彼女とも似ているかも知れない。」
フュミレイはそう言って、御者席の方を指さした。
「随分話が弾んでるわね___」
ソアラは退屈そうに馬車を進めている。心ではフローラと変わりたくてうずうずしていることだろう。そのせいか、街道に飛びだしていた石を見落として、馬車の片輪を乗り上げさせてしまった。
「おっと。」
「きゃっ。」
「いてっ。」
突然の震動で車内の会話も一時中断。
「?」
それどころか、妙な声が聞こえた気がしてフュミレイが小首を傾げた。
「何か今、男の声が聞こえなかったか?」
「え?そうですか?きっとソアラですよ。」
フローラは取り繕うように微笑んだ。
「御免なさい、石に乗り上げちゃって、大丈夫ですか?」
御者席の方から小窓を開けてソアラが顔を覗かせる。
「ああ。それよりも前を向いていないとまた乗り上げるぞ。」
「は〜い。」
何はともあれ、馬車は順調に進んでいる。
目標となる場所は大陸北東の海岸に位置するエンドイロの街。かつて、このカルラーンが位置する大陸に、カルラーン、アンデイロ、エンドイロの三国が乱立していた頃から続く歴史ある街だ。壮大な古城を抱えるこの街には今、ケルベロスの使節団が駐留している。ケルベロスとの会見など過去に例を見ないことから、受け入れ先の検討には十分の時間を要したが、ここがケルベロスから最も近い都市であったことが大きな要因となった。
しかしそれとは別にアレックスを含む白竜軍幹部にはある思惑もあった。
「あなた達にフュミレイを送ってもらうエンドイロ、ここの領主をしているのはノヴェスク・ギルダールという男です。ギルダール家はエンドイロの名家でして、ノヴェスクはその繋がりから領主になった男です。年もまだ三十過ぎと若い。ただ、この男が酷く自己中心的な男でして、白竜軍には荷担せず、それでいて金と権力に飽かして不穏な動きを見せているというのです。」
「独立とか___」
「ずばりそうですよ。彼は私兵を抱えて、いずれはエンドイロを一つの国にするつもりのようなのです。そればかりか無類の女好きでもあるノヴェスクは、奴隷の売買にも手を出しているという話です。白竜軍の一員でないとはいえ、プラスになる人物ではありませんからね、白竜は彼を逮捕するか監視下におけるだけの証拠が欲しいんですよ。」
「それを私たちで掴んでくると。」
「そう。ケルベロスの使節団駐屯を彼は進んで引き受けました。これは彼がケルベロスと接触して何か利を得ようとしているからだと思われます。密約があれば十分取り締まることができますから、その証を狙ってみるのがよいかも知れません。でも無理はしないでください。」
これがアレックスから命ぜられた二つ目の任務だ。
「ソアラ、少し馬を休ませましょう。」
カルラーンの気候は年間を通じて温暖で、寒暖の変化も少ない。朝の霞も消えていき日が射してくると実に気分がいい。城を出てから2時間も進んだ頃、街道を少しはずれて茂みに入り小さな泉を見つけ、そこで休みを取る。馬は足下の草をはみ、三人は手頃な岩に腰を下ろして遅い朝食をとることにした。
「あの、フュミレイさん良いですか?」
「?___」
馬車を降りて鉢合わせるなりそう言いだしたソアラを見て、フュミレイは不可解な笑顔になる。
「何だ?何かの質問か?」
「ああ、色々あるんです。戦争のこともそうですし、あなた個人のことも。」
「ソアラ、もう少し落ち着いてからにしなさいよ。」
フローラは荷台から袋を持って降りてきた。
「そうだな、せめてどこかに座ってからにしようじゃないか。」
「はぁい。」
適当な岩場に腰を落ち着け、フローラが袋から取りだしたパンを二人に配る。
「さて、私個人のことは答えられる範囲であれば全て答えよう。その代わり私からも質問させてもらうがな。しかし戦争のこと___内政干渉は不可だ。」
フュミレイはソアラに一つ念を押し、彼女も頷いた。馬車の中である程度フュミレイと話すことができたフローラは、会話はソアラに任せて聞き手に回るつもりのようだ。
「そうだな、いきなり質問を出し合うのもおかしい。尋問ではないのだから、まずは改めて各々自己紹介といこうじゃないか。」
「あ、なら私から___ソアラ・バイオレット、年は___」
「十八だろう?同い年だと彼女から聞いたよ。」
フュミレイは淡々と言うが、ソアラは驚いて自己紹介を中断してしまった。
「じゅ、十八!?」
思わず指を差して訊ねてしまったソアラ。すぐに自分の失敬に気づいて手を引っ込める。
「老けて見えるか?」
「い、いえいえ!幹部なのに若いなぁと思っていたんですけど___まさか同い年だなんて___」
ソアラは感嘆の様子で言うが、フュミレイはさめている。それからフュミレイに促され、自己紹介が再開された。
「なるほど、二人ともポポトルの孤児院出身か。色々苦労もあったようだな。」
フュミレイは一つ息を入れる。
「さて、次は私か。」
なぜここまで期待するのかはソアラたちにもよく分からない。ただ、フュミレイ・リドンという魅力的な人物と情報を交換できることは確かに悦びだった。二人はまるで母の読む物語を聞く子供のように、耳をそばだてていた。
「名前はフュミレイ・リドン。今年十八になった。父はシャツキフ・リドン、母はアナスタシア・リドン。レミウィスという十以上、年の離れた姉が一人。が、今リドンの姓を名乗る者は私ただ一人。」
「それって___」
「皆天に召されたのだ。」
亡くなった家族のことを思い出せば、大抵の人は当時の悲しみが顔色に出るもの。フュミレイはその色どころか、強がっている風もまるで見えない。
「リドン家は代々ケルベロスの盟主であるレサ家の腹心として、その地位を確実なものとしてきた。父は先代の王、ベイオーフ・レサ閣下の宰相を務めていた。」
彼女の性格だ、親の七光りと呼ばれることは絶対に許さないはず。きっと、現在の地位をつかみ取るために多大な努力をしてきたに違いないとソアラは思った。
「髪の色については生まれつきで、これについての特別な知識は得ていない。父の話では姉も同様の色だということであったし、私も確かにそうだった記憶がある。実際これで不自由した経験もないし、体は今のところ健康だ。」
今のところというのが少し気になった。ソアラはあえて訊ねてみる。
「お姉さんは___どうして亡くなられたんですか?」
はじめてフュミレイが少し逡巡した。躊躇いか、思考か、とにかく答えに間が空いた。
「私は父から病気と聞かされている。流行病だったそうだ。だが仕えて長い召使いが言うには父を嫌っていて駆け落ちしたとか、自殺したとか、まあどれが確かかは分からない。私の父は嘘をつくのが上手いことで評判だったらしいからな。」
「もし病気で亡くなられていたとしたら、不安になりませんか?」
「ソアラ___」
ソアラはつまり、姉の死と彼女の色とに因果関係があったとしたら___と、無礼を承知でそう言ったのだが、フローラが険しい表情でそれ以上の質問をやめさせようとする。
「不安など無いな。」
しかしフュミレイは、怪訝そうな顔一つせず淡々と質問に答えた。
「姉と私は決してイコールではない。例えこの髪や瞳が何らかの異常を引き起こしたとしても、私は屈したりはしないよ。もうどうにもできなければ覚悟を決めるがね。」
正直ゾッとした。言うだけなら簡単だが、彼女の言葉には軽薄さがない。ソアラは肌で彼女のカリスマを感じていた。
「まあ暇ができたならいずれ調べてみるつもりさ。私だってソアラ、おまえと同じように自分のことを知りたいと思っているのだから。」
ソアラは少しホッとして、フュミレイに好感を持った。
彼女だって自分のことに不安がないわけではないんだ。だから真実を求めている。ただ、私ほど悲観的ではないだけなんだ。そう思うと安心できた。
突然フュミレイが立ち上がり、自分の腰掛けていた岩の上に立つと木立を見上げた。二人もそちらに視線を移すと、そこには芳醇な果実が連なっている。
「あれはこのあたりで評判の果実なんだが___届きそうにないな。」
手を伸ばしてジャンプしても及ばない高さだった。
「ああ、あたしならとれます。」
ソアラは果実の木に駆け寄り、ざらついた幹の表面に手をかける。そして巧みに、しかも数度のステップであっという間に木に登ってしまった。
「随分と身軽だな。」
「猿みたいだって言うと怒りますから。」
そういってフローラは苦笑い。すぐにソアラは果実を三つほど手にして降りてきた。熟れていて、実に美味しそうだ。
「ソアラ、まるで猿のようだった。」
フュミレイに言われてソアラは笑いながらもフローラに目線を送っていた。フローラは謝るようなジェスチャーをする。
「フュミレイさんはこのあたりに詳しいんですか?」
まるで小動物のように両手で果物を持っているフローラが、不意に訊ねた。
「なぜだ?」
「私たちはこんな美味しい果物のことは知りません。」
「なるほど、確かにケルベロスにもない。この地方の特産物だな。だが私はここ数週ずっとエンドイロにいたんだ、こいつはよく晩餐に現れたよ。」
「ああ、それもそうですね。」
ソアラは黙って果実を口にしていたが、フローラの質問の意図はよく分かっていた。彼女も気にはなっていたのだ。実のところアレックスとフュミレイの噂話はサラから何度か聞かされている。フュミレイはアレックスと深く接しているから、自然にカルラーンの見聞に詳しくなったのではと勝手な憶測をしてみたりする。
「食べ終えたら出発するぞ。ポポトルがいつ動き出すかも分からない戦局だ。あまり無駄な時間は過ごしたくない。」
「はい。」
「途中でお腹が空くような気がするから、もう一つパン頂戴。」
「いいよ。」
ソアラは二つ目のパンを受け取った。何気ないやり取りだが、フュミレイはその二人の行動にちょっとした違和感を感じていた。ただ詮索したりはしない。彼女にはもうある程度の推察はできていたから。
そして出発直前。二人が馬車に乗り込むのを確認してから、ソアラは御者席に座る前に、馬車底にある小さなドアからパンを投げ入れた。恐らく一番苦しい思いをしているであろう新兵の空腹を満たすために。
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