2 白竜の中に

 「いやぁお待たせしました皆さん、長旅ご苦労様。」
 アレックス・フレイザーは将軍と呼ばれるに相応しくない風体の持ち主だった。穏やかな顔つきに眼鏡を掛け、柔らかそうな髪に優しい物腰。白を基調とした服装もまるで学者のよう。裾が長くて活動的ではない。
 ただ、彼から沸き上がる「和」のオーラ。それは全てを受け入れる包容力を感じさせる。この内面のカリスマを感じ取ったソアラたちは、こんな外見であろうとも彼がアレックスであることをこれっぽっちも疑いはしなかった。
 「自己紹介は結構ですよ。もう名乗るのもうんざりしている頃でしょう。」
 彼はこれと言った応接室を用意するでもなく、自室に二人を招き入れた。まだ検討もすんでいない元敵兵に対するには、少々寛容すぎる。
 「さ、遠慮せずに座ってください。」
 促されるままにソアラ、フローラ、ライは絨毯のようなクッションが着いた椅子に腰を下ろした。木製のテーブルをアレックスと共に囲むことになったのだ。
 「あなたたちの陳情はマイア老師の書状で概ね把握したつもりです。まず、私はあなたたちを歓迎しますよ。」
 「それでは受け入れて下さるんですか?」
 「ええ、白竜軍に入っていただくことになるでしょう。」
 ソアラの念押しにアレックスは笑顔で答えた。
 「ただ、白竜軍に加わるということはあなたたちはポポトルと戦わねばなりません。ポポトル軍はあなたたちがこちらにいることを知れば執拗に付け狙ってくるでしょう。」
 「覚悟の上です。」
 「よろしい___ではあなたたちには積極的に働いていただきます。」
 さすがに将軍。優しいばかりではない。ソアラは少し身が疼くのを感じた。
 「今の停滞する戦局を動かすにはあなたたちのような新しい力が必要です。白竜軍の将軍として、あなたたちには充分な働きを期待します。」
 「ご期待に添えるよう精進します。」
 ソアラとフローラは表情を引き締めて声をそろえた。この言葉はポポトルで一つの決まりになっている返答の仕方だ。
 「変わりに、余暇は充分に楽しんで下さい。兵士たちには個室を与えています。趣味を見つけて下さい。恋人を作るのも良いでしょう。余暇には戦いのことを忘れて楽しむこと、これが一番です。白竜軍は義勇軍。戦いだけで人生の大事な一時を無駄にすることはない。それが私の持論です。」
 「___素敵ですね。」
 聞いてみよう。強気に。この人なら殴られることはない。
 「ただ、それで戦いに勝てますか?ポポトルでは兵士たちは戦いのために日々苦しい特訓を積み、己を鍛え上げています。ポポトルで己の評価を決めるのは戦果だけです。だからこそ、私やフローラのような若輩者がそれなりの地位を得ることもできます。ポポトルでは戦いのために日々を生き、戦果を向上心にして暮らします。この戦いのプロフェッショナルたちに白竜軍の兵は勝てますか?」
 アレックスは凛々しい笑顔で聞いている。眼差しはソアラに向けられ、彼女は少し照れた。
 「勝てないでしょう。」
 そして彼はずれかけた眼鏡を整え、あっさりと言った。
 「ではなぜ?」
 「ですが負けることもありません。ポポトルがある限り、白竜軍もあります。そして白竜軍に侵略の精神はありません。戦果を上げるよりもまず、生き残ることを重きとします。責める心理と守る心理の差異ですよ。ポポトルと同じやり方では責めてしまうでしょう。」
 とんでもない理屈だが、どうにもこの人には食ってかかる気になれない。話しているだけで自然と心が癒されているのだろうか?だとしたら彼は天賦の才の持ち主だ。
 「こんなに楽しい人生があるのだから、ポポトルに負けてはいけない。未来に希望がなかったら今必死になることなんてできませんよ。」
 「理想論ですねぇ将軍___」
 紅茶を運んできたサラが苦笑いしながら横やりを入れた。ポポトルではあり得ない光景だ。まるで教師と生徒のような関係がアレックスの回りには見え隠れする。
 「そう、確かに全ての人に受け入れられる話じゃない。ですが、少なくとも私や、このサラや、あなたたちにはこの精神を持っていただきたい。命あっての物種ですよ。」
 それから少々白竜軍のことについて話し合った。紅茶の匂いが部屋に広がっていく。
 アレックスは戦う姿勢を持っている。しかしそれを前面に出そうとはしない。
 ポポトルは虚構の組織だ。そして戦いを求め彷徨う。
 ソアラは思った。
 ポポトルとぶつかっていくには、彼の側が最も優れた環境である___と。

 カルラーンの不思議なところは、ケルベロスのフュミレイ・リドンを簡単に招き入れた上に、彼女を城の中に幾日も滞在させているところにある。彼女との交渉はアレックス・フレイザーの仕事であるのだが、これを白竜上層部が望んでいるわけではない。当のフュミレイ・リドンが、アレックスでなければ交渉には応じないと言うのだ。
 何の交渉か?
 「ケルベロスは変わらないよ。いつだって冷静さ___虎視眈々と狙いを定めている。」
 フュミレイ・リドンはたった一人でアレックスの部屋にいた。銀髪の彼女はケルベロス出身。ケルベロスは一年のうち多くの時期を雪と共にする土地。彼女は時に雪を連想させると言われることがある。雪の白さ、美しさ、冷たさ、厳しさ、彼女の冷徹な気性と際立った容姿はまさに雪の二面性を垣間見せる。ただそれ以上に、彼女の柔らかさ、彼女の輝き、彼女の繊細さこそ雪の名に相応しいと、彼女を良く知るほんの一握りの人間は言う。その一握りの一人がアレックス・フレイザーだ。
 「フュミレイ___君は幾つになりました?」
 「説教はやめて欲しいな___こうやってまた会いに来たのだから。」
 形のしっかりとしたソファに座るアレックス。フュミレイは柔らかな物腰でその隣に腰を下ろした。
 「どうしてレサの一員になったのです?幾らでも逃げることはできたはず。」
 アレックスはさして躊躇うこともなく、身を寄せてきたフュミレイの肩を抱いた。ソアラ達に向かい合っていたときとはまた別のアレックスがそこにはいる。
 「できるものか。私ではどこに行っても浮いてしまう。」
 「___天才ですものねぇ、あなたは。」
 「あなたほどじゃない___」
 フュミレイはアレックスの胸へと身体を埋めていく。しかしアレックスは彼女の頬に軽く唇を寄せ、その身を起こさせた。
 「私に媚びを売るのはやめて下さい。私はそんな気はないんですから。」
 「酷い言い方だな。甘えていただけなのに。」
 フュミレイは悪戯っぽく笑った。
 「そう、そうやって可愛らしくしている方が似合いますよ。そうだ、養子に貰ってあげましょうか。それならケルベロスを離れられる。」
 だがすぐに凛とした顔つきに戻る。
 「離れるつもりはない。あたしはアレックス、あなたのことは好きだ。あたしの師であり、恋人だと思いたい人だ。だが白竜が好きだと言った覚えはない。私は故郷が好きだし、今の自分には満足している。」
 「あなたの力をレサに利用されているのですよ。」
 「構うものか___どこに行ったって変わらない。」
 フュミレイはソファから立ち上がった。
 「もう行くよ、ゴシップの種にでもされたら大変だ。」
 「そうですね。」
 「あと三日滞在したい。もう少し軍事協力の話を詰めよう。だが明日、兵たちは先にエンドイロへ戻して私一人で残る。」
 アレックスは一度だけ深く頷いた。
 「任せます。あなたにはあなたなりの考えがあるのでしょう。ただ、帰りは護衛をつけさせて下さい。」
 「ああ___あれがいい。面白いのがいただろう?」
 「ああ。やっぱり気になりますか。」
 「気になるさ。似てるところがあるからな。」
 フュミレイの脳裏に浮かんだ人物は___勿論あいつだ。彼女も感じていたのだ。「あいつ」が必要以上に彼女を気にし、微動だにできなくなってしまうほどその視線を預けていたのだから。
 
 「おはよう御座います!」
 快活な挨拶を響かせて、ソアラは元気よく朝の体操に励んでいた。自由が多いと言っても日頃の鍛錬無くして戦いは乗り切れない。朝一番には兵のランクに応じた訓練が待っており、この初っぱなが朝礼と体操である。格を持たない兵士たちはこのカルラーンにいる間は毎朝、これを行うことになっている。その中でも新兵は集合した兵士たちの前に立って、さらし者的に体操の先導をするという伝統があるらしい。これが白竜に溶け込む第一歩なのだ。
 「昨日付けでアレックス麾下の一般兵となりました、ソアラ・バイオレットです!今日はアルベルト上官の命を受け、体操の先導をやらせていただきます!」
 眠気の残っていた白竜軍兵士たちも変わった風貌の美女が現れて色めきだつ。ソアラという名を聞いてますます場がざわついた。噂にはなっていたのだろうが、改めてみるとやっぱり紫だなぁ。と、そんな会話が聞こえてきそうだ。
 「一生懸命やりますので、よろしくお願いします!」
 とにかくはきはきと元気良く喋ることだけを心がけていたソアラ。兵士たちの中から歓声や、頑張れよ!と言った応援の声が聞こえて勝手に笑みがこみ上げてきた。屈託のない白竜の風に触れ、ソアラはますますここを気に入ったようである。何しろ、ポポトルにいたときは人前に出て嬉しかったり楽しかったりしたことなんて一度もなかったのだから。
 「あ。」
 城の一角には兵士たちが体操している広場を覗けるテラスがある。たまたまそちらを見たソアラは、テラスの端からあの銀髪の女がこちらを見ていることに気が付いた。向こうも明らかにこちらを見ていて確実に目があった。何しろフュミレイはソアラに軽く手まで振ってくれたのだから。
 「___」
 ソアラは何故か分からないが少し照れて視線を逸らした。
 「おい、段取りまちがってんぞ!」
 「え!?あ、御免なさい!」
 新人らしいミスをして笑いを誘ったソアラ。どさくさに紛れてもう一度見たテラスには、もう彼女はいなくなっていた。
 「これより戦闘訓練に入る。各チームに別れて訓練に励め!」
 「チーム?」
 ライが首を傾げて言った。独り言も平気で言えるライのこと、決して騒がしいとはいえなかった訓練場では監督に筒抜けだった。
 「何だ質問か!?」
 髭の訓練監督のノビット・ファルシは老齢の兵卒。年のせいで実戦は辛いが熱血指導で人気の名監督だ。
 「あ、はい!」
 「あ、はいらんぞ!」
 「は、はい!」
 「は、も余計だ!」
 ライのどもり癖は今に始まったことではない、近くにいたソアラとフローラは互いに目を合わせて笑いを堪えた。
 「名は何という!」
 「えっと、ライと言います。」
 「えっと、もいらん!___で、ライ将校か、質問を言ってみろ。」
 ノビットは立派な顎髭を扱きながら尋ねた。
 「今日こちらに配属されたばかりなので良く分からないです。」
 「ほう左様か、それにしてもおまえの喋り方は間が抜けているな、もっときびきびせい。さて、するとそこの娘二人も同じか!?」
 「はいっ!」
 ライとは対照的に、はきはきとした二人の返事が見事に融和した。
 「よろしい。説明しよう!ここ白竜軍では、兵士の戦闘における個性、秀でた技能を優先して育てる方針を取っておる。すなわちスペシャリストを作るのだ!」
 ポポトルはそれに加えて様々な技能をたたき込んでいる。ソアラはその言葉を飲み込んだ。
 「大きく分けて、剣術、槍術、格闘術、弓術。この4つのグループに分かれて訓練を行うのがここ白竜のスタイルじゃ!」
 新人が入るたびにこの説明をしているのだろうか、回りの兵士たちは心ここにあらずのように見えた。
 「この方法はわしが白竜軍に入隊して___」
 あ、なるほど、こっから先が長いからみんなうんざりしてんのね。納得。
 さて、20分にも及ぶノビットの説明が終わるとようやく訓練が再開された。今まで勝手知ったる三人組で行動していたソアラたちもここからは別々になる。ライは剣術、フローラは弓術、ソアラは格闘術のグループを選んだ。
 「剣の基本は素振りからじゃ!まずは素振り1000本!」
 「うひぇ〜。」
 自分が剣術の使い手だったこともあり、剣術チームはノビット自らが先頭に立って指導する。ただそのため訓練内容は血と汗とど根性の世界だった。
 一方、弓術チームは他のチームから少し離れた場所で道具と的を使って訓練を行っていた。
 「ねえねえ、フローラさんはいつ頃から弓術をやってるんだい?」
 「そんなくだらないこと聞かれても困っちゃいますよねぇ。それよりもこの俺の腕前を見て下さいよ!」
 「俺この前給料叩いて特注のボウガン作ってもらったんです!よかったら使ってみます?」
 「フローラさんの好みのタイプってどんな男?」
 元々ほとんど女性兵士がいないカルラーン。女は家で留守を守るという習わしか?いかにも歴史と伝統の国らしい。そんなこともあって、清楚でお淑やかでとびっきりに可愛らしいフローラの回りは男で一杯だ。
 「練習したいんですけど___」
 「あ、俺が教えて上げるよ!」
 「いや、俺!」
 「なに言ってんだ!俺が一番うまいだろ!」
 男たちの言い争いを後目に、30メートルほど離れた的に向かって洋弓の狙いを定めるフローラ。己の中で静寂を勝ち取ると彼女はまったく指先も呼吸も乱れることなく、引き金を引いた。
 ビュッ___ドンッ!
 矢は正確に的の中心付近に突き刺さった。角度スピードとも申し分のない一撃だ。
 「はは___」
 「さぁて、練習練習___!」
 軽薄な男たちの呪縛も絶ちきり、フローラは練習に集中できる環境を手に入れたようだ。
 「やぁっ!」
 ソアラの拳が男性兵士のガードの隙間を潜り抜け、彼の顔面すれすれで止まった。
 「アウトよ。これが決まったら波状攻撃に移れるわ。」
 「うひゃあ、さすがに紫の牙___」
 白竜軍の兵士たちはソアラの鋭い攻撃センスにすっかり脱帽の様子だった。しかしただ一人、練習もせずに彼女の動きを見つめ続け、小さな笑みを浮かべている男がいる。
 「おい女!」
 彼は不意に声を張り上げた。
 「?」
 ソアラは振り向く。彼の挑戦的な顔を見ればこの後の展開はおおよそ察しが付いた。
 「俺はクァン・ツィエニィ。この白竜軍の中でも最も格闘技術が優れていると認められている男だ。」
 「初めまして。」
 ソアラは軽く会釈する。
 「君はポポトルの中でもかなり優れた格闘技術を持っているか?」
 「そのつもりよ。」
 ソアラは凛とした面持ちで応えた。
 「いいね。その強気こそ格闘家に必要な要素だ。」
 クァンは日に焼けた肌をしていて、真っ黒な髪を後ろにまとめて縛っている。顔つきは精悍で、鋭い目つきがいかにも攻撃的な印象を与える。服の隙から覗く筋肉質な身体は、格闘術のセンスを感じさせるものだった。
 「どうだい?俺と実戦で勝負してみないか?」
 指の関節をならしてクァンは挑発的な態度をとってくる。回りで訓練に励んでいた兵士たちも状況に気づいたのか集まってきた。
 「断る理由は無いわね。このところ実戦から離れていたし___丁度良いわ。」
 「よし決まった。」
 二人を取り囲むように兵士が輪を作り、ざわつきはじめる。訓練中断で白竜と元ポポトル、二人の凄腕の戦いを見ようと言うのだ。
 「勝負のスタイルはどうする?」
 「任せるわ。」
 ソアラは軽く準備体操をしながら答えた。
 「顔への打撃は無しにするかい?」
 「無かったらあたしをノックアウトできないと思う。」
 「いい度胸だな。俺は手加減無しだぜ___」
 クァンが身構える。身体を深く下げて片足を前に突き出し、軸足は屈伸状態で腰を乗せる。重心は低く、後方に取られている。彼の構えにはしっかりとした一つの形があった。
 「流派とか詳しくないけど___名のあるところで修行しているね___」
 「おまえは違うのか?」
 「あたしに格闘を教えてくれたのは剣の達人さ___」
 ソアラも身構える。自分の構えを確認するようにゆっくりと、少し昔を思い出しながら。
 「___剣術の構えを体得するのは非常に重要なことだ。人はより効率的に、そして強さを発揮するために剣を扱うようになった。おまえが格闘を志すのはよい。現におまえには優れた資質を感じる。だが、例え武器を持たぬにしても、おまえの拳が、足が、剣の一撃を持つつもりでかかれ。すなわち剣術の構えを体得し、それを拳に応用するのだ。」
 ソアラの師匠でもある、あの誉れ高き男の低く、落ち着いた声色を思い出す。彼女の構えはごく普通の立ち位置に、腰元で二つの拳を会わせるような、剣術の構えに似たものだった。
 「そんな構えじゃ、隙だらけだぜ!」
 クァンは重心を低くしたまま、風のように突進してくる。
 「!」
 クァンは半身の姿勢で迫る。下から伸びてくる拳をソアラは仰け反ってやり過ごしたが、後方からすぐに逆の手が伸びてきた。掌底が顎を捉える直前に腕を交差させてこれを防ぐ。しかしその衝撃で彼女の身体は数歩後ろに持っていかれた。
 「はぁっ!」
 チャンスと見たクァンは一気に間合いを詰めてくるが、ソアラは逆に前へと飛び出し、拳を放つよりも早く彼の頭に手を付いてひらりと飛び越えて見せた。ここで一つ間が空く。ソアラはクァンとの距離を取った。
 「やりづらいな___」
 概ね自分よりも高い位置の相手と対峙してきたソアラにとって、あの低い構えには戸惑いがある。ましてや隙が少ない。重心が後ろにある分、クァンの攻撃は多段になる。後ろの状態で一撃、重心が前に来たところでもう一撃だ。つまりこちらの攻撃を防御された場合、後方からの二撃目が反撃としてくるということ。
 「攻めてきたらどうだ?」
 「そうね、それが良さそう。」
 ソアラは一気に地を蹴った。
 (速い!)
 そのスピードにさしものクァンも顔つきが変わる。ソアラはクァンの顔面に向かって、真正直に右の拳で襲い掛かった。ツァンはこれを左腕で受け止め、重心を一気に前へと傾けて右の拳を放ち出す。しかしソアラは拳を必要以上に外側から巻いたことで、反発力を利用して身体を右側へと流しクァンの拳は空を切る。そのまま勢いに任せて身体を回転させ、後ろ回し蹴りを放った。
 「ぐっ!」
 クァンは身体を捻って、背後から首元にピタリと照準を合わせてきた鋭いキックを左腕でガードする。しかし想像以上の威力にバランスを失った彼は尻餅を付いた。
 「チャンス!」
 ソアラは一気に畳みかけようと突撃するが、クァンは素早い身のこなしと類い希な筋力で仰向けから飛び上がって起きあがり、二人の拳が交わった。
 「やるね___」
 「おまえもな!」
 クァンの膝蹴りが浅いながらもソアラの脇腹に打ち付けた。一瞬力の緩んだ所を腕力で彼女の拳をはじき飛ばし、高い姿勢のままでソアラの顎先目がけてハイキックを放つ。
 「ちっ!」
 だが鋭い蹴りは身体を仰け反らせたソアラの目前を切り裂く。逆に体勢を崩しながらのソアラのミドルキックがクァンの腹にめり込んだ。しかし不十分な姿勢では威力に乏しい。持ちこたえたクァンに足を抱え込まれてしまった。それでもソアラはすぐさま片足で跳躍し、彼の胸を蹴りつけて脱出する。
 ここで再び間が生じた。めまぐるしい展開と白熱した戦いに兵士たちも沸き上がる。
 (こいつは思った以上に実力派だ___ここで勝っておけば俺の株も上がるってもんだぜ___)
 (白竜に溶け込むためにこの勝負は負けられない___)
 二人の思惑が交錯する。だが勝機を感じていたのはクァンの方だった。
 (あいつの弱点ははっきりした。一気に勝負だ!)
 クァンが再びソアラに向かって駆けだした。今までの低い重心とは違う、一気に前掛かりになってきた。
 (やっぱり力任せに来るか!)
 先程ガードをはじき飛ばされた時点で腕力の差は歴然。クァンが攻勢に出るのはソアラも充分に分かっていた。
 「うぉりゃ!」
 最初は左の拳。ソアラは仰け反ってこれを回避すると同時にカウンター気味に左足のキックを放つ。だがその時、彼女の横顔近くまで、クァンが流れに任せてで放った左のハイキックが迫っていた。
 「ぐっ!!」
 二つのキックが交錯する。観衆が大歓声を上げた。クァンの威力あるハイキックとソアラの横顔の間には彼女の右腕が割り込んでいたが、ソアラのキックは正確に足の甲でクァンの鼻っ面を捉えていた。
 「!」
 ソアラは勢いに負けて尻餅を付き、クァンは鼻を押さえてよろめきながら後ずさった。
 「こらぁ!貴様ら何をやっている!!」
 重量感のある男の声が場の喧噪をかき消した。
 「やべっ!ダグラス中尉だ!」
 兵士の一人が慌てた様子で口走る。みんな蜘蛛の子を散らすように輪が解かれていった。そして変わってソアラとクァンの前に現れたのが、厳格そうな、体格のいい中年の男。
 ___
 「馬鹿もんがぁ!」
 経緯を知ったダグラスは二人の前に仁王立ちになり、激しく一喝した。
 「ちょっと様子を見に来てみれば___実戦練習だと!?」
 背も高く、立派な体躯の持ち主であるダグラスは、そこにいるだけで人を圧倒する威圧感がある。他の兵士たちは真面目に練習に取り組みはじめ、二人だけがダグラスのお説教を喰らうこととなった。
 「新入りの力を計るには丁度良いかと___」
 「偉そうな口を利くな!それは貴様がやることではないだろう!怪我をしたらどうするつもりだったのだ!現に貴様は鼻血をたらしているではないか!」
 そう言われるとクァンはただ黙って俯くしかない。
 「誘ったおまえも悪いが、誘いに乗ったおまえもおまえだ!」
 「___すみません、ちょっとやってみたかったんです___」
 ソアラは素直に謝った。こうなる前に掌で叩かれた頭がまだじんじんしている。
 「いいか、おまえたちは自意識に欠けている。自分が貴重な人材の一人だという自覚を持て!実戦練習も良かろう、だが負傷しないことが前提だ!相手の実力を見定めたいからとか、そんな短絡的な気持ちで拳を合わせることは断じて許さん!わかったか!」
 「はいっ!」
 二人はビシッと気をつけを決めて敬礼した。
 「ふふ、早速怒られたんですか?」
 「これは将軍。」
 ダグラスの後ろから眼鏡の男がやってきた。ダグラスの怒鳴り声が聞こえて様子を見に来てみたら___と言わんばかりのおかしそうな顔で、アレックスはソアラを見ていた。
 「よしおまえら、罰として兵舎の回りを10週回ってこい!」
 「は〜い___」
 さすがにこの返事は冴えなかった。
 「最初からなかなか目立ってくれますねぇ、あの子は。」
 走り去っていくソアラの後ろ姿を見つめ、アレックスは言った。
 「しかしいい目をしている。面白い人材を見つけましたな。」
 「本当に、素敵な目をしてますよ。一目見てそう思いました。色のせいなのかも知れませんが、あの子の瞳は純粋で神秘的でとても深い。目線の作りは勝ち気ですけど、本当はもっと繊細な子のような気がします___」
 「気に入られておるようですな。」
 ダグラスはフフンと鼻で笑った。
 「気に入ってますよ。あの子にフローラ、それにライ。みんなね。」
 そう言ってアレックスも穏やかな笑顔を見せた。
 怒られはしたものの、白竜軍の下部層にソアラ・バイオレットの名は知れ渡った。一方でフローラ・ハイラルドもその抜群の弓術で同僚たちを驚かせ、ライも相変わらずの間抜けキャラで人気を集めていた。
 上層部の人間は、翌日になって彼らの詳しい資料を見るに至り、会議ではソアラとフローラについて元ポポトルであることから幾らかの議論が交わされたが、アレックスの後押しもあってめでたく白竜軍の一員として承認されるに至り、ライもカルラーンへの異動を正式に認められた。
 そして彼らの白竜軍本部の兵士として最初の任務は、それからたった二日後に告げられることとなる___




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