2 サザビー・シルバ現る

 「駄目真っ直ぐ向かっていっては!」
 フローラの声も聞かず、百鬼は片刃の剣を振りかざしてガルシェルに斬りかかった。だがガルシェルは身体を開いて右手に握った長剣でこの攻撃を受ける。剣を縦に近い状態で受けることにより、百鬼の剣は勢いのままガルシェルの剣の根元へとスライドし、特別反り返った鍔にぶつかって食い止められた。
 「あがっ!?」
 この時百鬼の腹はがら空き。ガルシェルは容易く左手に握った短剣で百鬼の腹を切り裂いた。
 「百鬼!」
 「!」
 フローラがボウガンを放ちガルシェルを牽制する。ガルシェルは百鬼にとどめを刺せずに飛び退いて、ボウガンをやり過ごした。
 「左からならどうだ!」
 続けざまにライの剣が横薙ぎにガルシェルを襲う。だが彼はまるで慌てなかった。
 ガギッ!
 瞬時にして短刀を逆手に持ち替え、確実に身体の横で剣を受け止める。ライに対して身体は正面を向き、右の長剣は充分に彼を射程に捕らえた。
 「!」
 ライが天性の勘で身を引いていなければ、頸動脈を断ち切られていたかもしれない。ガルシェルの長剣、その切っ先はライの喉元を掠め、彼は首の根元から血を弾き出しながら後方に倒れた。
 「あっけない。」
 二人に致命傷を負わせたと感じたのだろう。ガルシェルはそう呟いた。
 「まだまだ!」
 「なに?」
 先程腹に深手を負わせたはずの百鬼が何事もなかったようにガルシェルを襲った。咄嗟だったこともあり、ガルシェルは百鬼の鋭い太刀筋を剣の交差で受け止めた。
 「力だったら負けねえぞ!」
 ガルシェルは顔の前で剣を交差させ、その×の中心で百鬼の剣を受け止めている。二つの剣を封じたのを良いことに百鬼は力任せに押し込んだ。
 「ほぅ___特殊な力___」
 だがガルシェルは彼の大きく開いた脇の狭間から、フローラがライの傷口を呪文で塞いでいく様を見ていた。冷静でいられるのは、力任せの百鬼の攻撃に彼が危機感を覚えていないから。
 「ぬおおおお!」
 「邪魔だ。」
 ガルシェルは剣の交差を力任せに右に捻りはじめた。
 「ぐっ!」
 百鬼は負けまいと刀を絞る。しかしそれを見透かして、ガルシェルは素早く左に交差を捻った。
 「うわっ!?」
 百鬼はバランスを崩してよろめき、その瞬間にガルシェルは交差した剣を捻りながら強くかち上げた。百鬼の剣はあっさりと彼の手から跳ね上げられてしまった。
 「やばっ!」
 やはり容赦ない。ガルシェルは無防備の百鬼に躊躇わず長剣を振り下ろした。
 「なにっ。」
 だが百鬼は素早く立て膝になると、鋭い軌跡を描く長剣の横腹を両手で挟み込んで押さえつけた。白刃取りだ。
 「間一髪!」
 「そのまま放すなよ百鬼!」
 二刀流を封じた!まだ喉元に傷跡を残しながらも、千載一遇のチャンスをものにしようと、ライが剣を振りかざして突っ込んできた。
 「回復したというのか!」
 食い止めるのは容易い。しかし我が生徒は、強敵を追い込むときの鉄則をしっかりと守っている。
 「リスクを恐れるな!」
 フローラはライと百鬼の狭間を狙ってボウガンを放っていた。少しでも的を逸れれば、或いは予想外の動きがあれば、鋭い矢は百鬼かライに突き刺さるかも知れない。だが彼女は持ち前の強心臓で正確に狙いを定めていた。
 「ちっ!」
 フローラの勝負度胸の強さをガルシェルは知っている。だから、矢をたたき落とすために右手が必要だった。
 ギンッ!
 短刀とライの剣が交錯する。そして同時に、右手で剣の鞘を腰から引き剥がし、迫り来るボウガンを打ち払った。
 「うがっ!」
 勢いのある矢は、ガルシェルの腕を掠めて後方の人壁に突き刺さる。全ての回避に成功したガルシェルは、流れるように長剣の鞘でライの鳩尾を一突きした。
 「んにゃろ!」
 百鬼はガルシェルから奪い取った剣ですぐさま彼に斬りかかる。ガルシェルは後ろに下がることでこれをやり過ごそうとした。
 「なに!?」
 血だ。人壁の骸から、押し出されるようにして浸みだしてきた血が彼の足を滑らせた。ガルシェルは尻餅を付くようにして人壁に倒れ込んだ。
 「もらった!」
 百鬼は剣を大地に水平に構え、ガルシェルに向かって突き出した。これを短刀で完璧にガードすることはまず不可能。百鬼は勝利を、ガルシェルは手痛い傷を覚悟した。しかし。
 「やめて!」
 「くっ___!」
 フローラの一声で百鬼は動きを止めた。剣の切っ先はガルシェルの鼻先近くにまで迫っていた。
 「命まで奪う必要はないわ。」
 「フローラ___」
 フローラは既にボウガンをベルトのフックへと戻していた。
 「さすがだな___奥の手があったか。」
 「あなたの生徒ですから。」
 ガルシェルは骸に凭れたまま、動こうとはせずにただ笑みを浮かべた。状況を飲み込めずにいた百鬼は近づいてきたフローラに諭されるように剣を下ろした。
 「矢が掠るところまで追いつめることができれば___そう思っていました。」
 「どういうことだフローラ?」
 「鏃に毒を塗ったのだろう?おまえの剣を腕で食い止めるつもりだったが、腕が上がらなかった。」
 ガルシェルは今も体を動かそうとしているがうまくいかない様子だ。
 「一種の痺れ薬です。三分もすれば動けるようになりますよ。」
 「してやられたというわけだな。」
 フローラはガルシェルに小さく敬礼した。
 「今までお世話になりました。私たちは先に進みます。」
 「ああ___そう言えば、ソアラはどうした?」
 やっと聞いてくれたか。
 「死にました。」
 ガルシェルも驚いたのだろうか?顔色は変わらなかったが、答えには合間があった。
 「そうか、残念だ。」
 「行きましょう、ライ、百鬼。」
 「ああ。」
 百鬼は転がっていた自分の剣を拾い上げて答えた。
 「フローラ、別塔にいるデュレンに会え。あいつはおまえたちのような奴らを待っている。力になるはずだ。」
 ガルシェルからアドバイスを貰えるとは。フローラは驚いた顔をするが、漸く力強い微笑を浮かべた。
 「はい。お心遣い感謝いたします。」
 「健闘を祈る。」
 フローラは敬礼で答え、人壁の裏側へと進んでいった。
 「強くなったものだ。」
 残されたガルシェルはゆっくりと足に力を込め、立ち上がった。この勝負を決したのは気持ちの差なのかも知れない。ソアラを失い、ポポトルの裏を暴こうとする彼女たちの気迫が、我が剣に勝ったと言うこと___
 「強い魂を持て___とは、私の言葉だったな。」
 まだ仕事はある。最後までポポトルのガルシェルでいるために、人壁をさらに分厚くするために、彼は剣を取った。

 「こいつは___凄いな___」
 百鬼はゾッとして思わず生唾を飲んだ。ポポトル本部は大門から長い上りの階段を経た所にある。大きく口を開いた入り口を抜けて少し進んだ所に、早くも目を疑うような凄惨な情景が広がっていた。
 「ケルベロス兵___」
 廊下を埋め尽くすようにして倒れている人々は、装備からケルベロス兵と推察できた。だがどうやらそれだけではない。
 「ポポトルの近衛兵もいるわ___」
 血を見ること自体に恐怖感はない。しかし、ここに転がる人々の有様はそれは一言では形容しきれないものがある。さしものフローラも、声を発するのに手間取った。
 「なにもこんなになるまで戦い合うことねえのに___」
 「いえ___普通じゃないわ。人間業じゃないっていうか___」
 その通り。倒れている兵士の中には、首を切り飛ばされているもの、内蔵が飛び出るほど深く広く腹を切り裂かれているもの、中でも酷いのは肉も骨も構わずに、縦横に両断されている骸だ。まるでパズルのように、大量の兵士の身体がそれぞれバラバラになって廊下に散らばっているのだ。
 「魔族___って奴か?」
 これが魔族の仕業だとすると、先程のガルシェルどころの騒ぎではない強敵になりそうだ。
 「とにかく___慎重に別塔に向かいましょう。デュレン・ブロンズに会うのが先決よ。」
 「サザビー・シルバって人はどうするの?」
 そう、魔族のことを知るにはその人物に会わなければならない。
 「デュレンに聞いてみましょう。」
 「その必要はないぜ。」
 フローラの声に被せるように、彼らの背後から男の声がした。
 「魔族か!?」
 百鬼とライは剣を構えて素早く振り返った。
 「うわっ!待て待て!」
 そこにいたのは若い、と言っても百鬼たちよりは年上であろう男がいた。身なりが良く、高価そうなマントも身につけている。無精な感じに伸ばした黒髪は若干の癖毛で、顔立ちは実にはっきりとした作り。肌の色もライや百鬼に比べて先天的に色黒で、南方の生まれであることを想像させる。男前であることに異論はないが、豊かな表情は二枚目と呼ぶには相応しくなかった。
 そしてフローラは彼が何者か知っていた。
 「デュレン・ブロンズ!」
 ポポトルの総帥であることも忘れて、フローラはその名を呼んだ。
 「デュレン?それじゃあこいつが?」
 「そう言うこと。俺が別塔に閉じこめられていた見せかけの総帥ってわけさ。」
 彼は自分でそう言いきって、カラカラと笑った。この状況にしては陽気な男だ。
 「別塔から___出て来られたんですか?」
 「俺だってあんな場所でなにもせずに死にたくはないからな。こういうときのために抜け道を造っておいたのさ。」
 それがどんな抜け道かは触れないでおこう。
 「そうだ、サザビー・シルバって言う方をご存じ有りませんか?」
 「知ってるよ。」
 フローラの問いにデュレンは軽く答えた。
 「俺。」
 デュレンはニヤリと笑って自分を指さした。
 「やっぱり!」
 「そう言う展開だと思ったぜ。」
 うるせえぞ、ライと百鬼。
 「本当ですか?」
 「ああ。アモンのじじいとはちょっとした知り合いでね。超龍神のことを何とかして伝えなくちゃならなかったからな___本名を使ったのさ。」
 訝しげに問うたフローラに、デュレンは淡々と答えた。どうやらこの男にはまだ裏がありそうだ。
 「本名?」
 「サザビー・シルバの方が本名なのさ。ポポトルも滅びることだし、この名前で呼んでくれ。」
 「滅びるって?戦争で負けるって言うこと?」
 にしても滅びると言い切るのは?だがこのライの疑問を納得させるだけの答えをサザビーは持っていた。
 「超龍神をぶっつぶすための大がかりな仕掛けを作ったんだ。はっきり言ってポポトルも潰れる可能性が高い。こいつを作りたくてアモンのじじいと接触したんだ。」
 「仕掛け?」
 「とにかく話は後だ。このままここにいたら俺たちも巻き込まれる。バルバロッサとリュキアが本部の兵士を片っ端から殺しまくってるからな、とにかく早くここから逃げるんだ。」
 サザビーはそう言ったものの、動き出そうとはしなかった。逆に顔をしかめて舌打ちし、額に手を当てた。サザビーの方を見ていた三人は振り返り、そこにいた人物を目の当たりにする。
 「興味深いな。その仕掛けとやら___」
 黒い長髪に黒いマント。黒い女、漆黒の魔女とでも呼ばれそうな彼女の名はミロルグ。
 「よりによって一番会いたくねえ奴に___」
 「サザビー___こいつは?」
 ミロルグの姿を見ただけで、触れてはいけない、警戒心と恐怖心が沸き上がってくる。サザビーの答えを待つまでもなく、百鬼は彼女の暗黒を感じていた。それはライとフローラも同じ。
 「魔族。超龍神つきの魔術師だ。名前はミロルグ・ヴィンスキー。」
 「後ろの名前までよく言えたものだ。」
 「女の名前は忘れねえ。」
 サザビーはニヤリと笑い、ミロルグはまだ冗談の言える彼を鼻で笑った。
 「その仕掛けが何かは敢えて聞かぬが___逃がすわけにはいかないな。」
 ミロルグはマントの下から両手を出すことさえしない。だが彼女の、深淵まで続きそうなほど無限に黒い瞳は、何か波動めいたものを醸し出していた。自然と生じた敵対心に駆られ、ライが、百鬼が剣を抜く。だが___
 「やめとけ。戦って勝てる相手じゃねえ。」
 サザビーが二人の前へと歩み出て、その手を制する。
 「やってみなきゃわかんねえだろ___」
 だが百鬼は頑なだ。
 「わかるさ。現におまえらはもう足を掴まれている。」
 「え!?」
 まったく気づかなかった。しかしミロルグの影は不規則に伸び、真っ当に伸びる三人の影に重なっていた。慌てて足を動かそうとするがピクリとも動かない。
 「本気で魔族とやり合うなら、人間と戦うときの常識は通用しないぜ。こいつは影を地面に縛り付けることだってできる。ま___」
 サザビーはお気楽にミロルグに近づいていくと、彼女の隣に立って馴れ馴れしく肩を抱いた。ミロルグから発せられる、目に見えないどす黒い気配に気圧されている三人には、サザビーの行動が信じられなかった。
 「俺のことはこいつはよぉく知ってるから、自由にさせてくれたけどね。」
 そう言ってなんとミロルグの頬にキス。その瞬間。
 「あちあちあちあち!」
 サザビーの髪に火が付いて燃え上がった。ミロルグは無表情。いつものことなのだろうか?だとしたらこのサザビーという男はなかなかの強者だ。
 「水のリング!」
 助けなければ!その気持ちがフローラにリングを使わせた。輝いたリングが水柱をサザビーに向けて吹きつけ、頭の火事を鎮火させる。
 「サンキュー、フローラ___」
 ずぶ濡れになったサザビーは苦笑いでフローラに手を振った。一方でミロルグはフローラを、水のリングを観察するように見ていた。視線に気が付いたフローラは思わず右手で左手のリングを隠した。何故そうしたかは分からないが、直感的にリングを見せてはいけないと感じたのかもしれない。
 「サザビー、その仕掛けとやらを超龍神様の側で見ぬか?」
 「断れねえのは分かってら。」
 サザビーはずぶ濡れの髪をかき回し、水がミロルグにも弾いたが彼女の身体に触れる前に消滅した。
 「おまえたちも招待しよう。」
 そのミロルグの発言に一番驚いたのはサザビーだった。
 「珍しいな、超龍神の側に招き入れるのか?」
 「そう言うときもある。」
 ミロルグは一つ指をスナップし、彼女の影が本来の形に戻る。途端に三人の足も動きを取り戻した。
 「判断はおまえたちに任せよう。我々の領域に踏み込み殺されまいと抗うか、人間の域に止まり何もできず死ぬのを待つか___好きな道を選べ。」
 ミロルグはゆっくりと三人に背を向けた。
 「行くぞ、サザビー___だったな?」
 「おう、これからはそう呼んでくれ。」
 ミロルグは歩き出した。
 「待ってるぜ。」
 そしてサザビーも彼女の後に続く。
 「___」
 厳しいだけだ。不可能じゃない。
 三人は一度アイコンタクトを取っただけ。意思の確認はそれだけで充分だ。暗黒の親玉に対面するためにここに来たのだから、迷う必要などなかった。
 そしてこの瞬間、彼らは人としての域を超えた永き戦いへの扉を開けたのである。




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