3 覚悟
ゴルガがポポトルに渡って以来、ゴルガとの国境へと続く街道に人気はなく、三人は誰にも邪魔されずにカーウェンを目指すことができた。ごく他愛もない会話を繰り返し、いわば語りぐさになっているエピソードなどを交わすことで、三人の友達意識はより強いものとなっていった。そして翌日の昼前には、商業都市カーウェンへと辿り着くことに成功したのだ。
「あれがカーウェンだよ。」
ライの指さした先には、草原の切れ目にどっしりと腰を据えている街があった。それなりの背丈の外壁で囲まれ、街道の終点に大きな門が口を開けているのが遠くからも見えた。このカーウェンは首都クーザーの北に位置し、北岸に港を開いている港湾都市でもある。クーザー国では最大の街であり、蛇の道に最も近い街でもある。海洋貿易だけでなく、蛇の道が現れる季節は陸路でも商人の出入りが盛んになり、国の経済の片棒を担いでいると言えよう。
「大きくて、堅牢な外見ね。」
「外だけじゃないよ。カーウェンは独立したってやっていけるって言われているらしいからね。」
現在カーウェンには、カルラーンから派遣された白竜軍が駐留し、クーザーの警護と周辺警戒に当たっている。ゴルガからの侵攻が陸路を辿るので有ればここは最前線基地となる場所なのだ。
「ライ、あなたの階級は?」
「軍曹。」
「わかったわ。」
短いやり取りを終え、ソアラは数回小さく頷いた。
「心配いらないよ。小隊長のドラルはともかく、マイア大隊長は良識ある軍人として有名なんだから。それに僕からちゃんと説明するし。」
「あまり期待しないでおくわ。あたしの罪の意識ってものもあるしね___多少の覚悟はさせて頂戴。それと___あなたが自分に不利になることは何一つしないでいいわ。」
ソアラのみならずフローラも、顔色に影が差す。
「そんなのやめてよ。僕は君たちを信用しているからここまで連れてきたんじゃない。だったらソアラだって僕らのことを信じて欲しい!」
力強く胸を張って言うライの姿に、ソアラは改めて彼の生真面目さと正義感に感心した。
「信じているわよ。だからこうしてここまでやってきたんじゃない。ねえ、フローラ。」
「ええ。ライさんが所属する隊ですもの、安心していますわ。」
「えへへ、照れるなぁ。」
「あんたフローラの時は明らかに態度が違うわね。」
「だってぇ、女の子と話すのって照れるじゃん。」
「あたしは!?」
「ああ、そうか。」
そうかって!?また和やかな雰囲気に戻った三人は、各々の思いを胸に白竜軍の街へと向かっていった。
白竜軍の駐屯地とはいえ、カルラーンは法王のお膝元クーザーに属する街だ。おおっぴらに軍人は街を歩くことをしない。よって、軍部も街の外れに別の入り口を構えて居していた。
「カーウェン第二小隊のライです!」
「ライ?ああ!あのライか!やっぱり戻ってくると思ったぜ!」
門番はこれ見よがしの笑顔で出迎えるが、どうにも捜索隊を出す様子はなかったらしい。それもそのはず、ライのはぐれ癖は今始まったことではないのだ。
「それで?今回はどうやって帰ってきたんだ?」
「山狩りの途中で彼女たちと知り合ったんだ。」
門番の死角で待機していたソアラとフローラは、ライに促されて馬をそちらへと導く。
「!?」
ソアラの髪の色を目の当たりにして門番の顔が凍り付く。
「ら、ライこいつは!」
「元ポポトル軍のソアラとフローラだよ。」
「だよって___ちょっと___おい誰かここ代わってくれ!」
門番は持ち場を別の兵士に託し、走り去っていった。上官に指示を仰ぐのだろう。ライはその間ちらりと二人の顔色を見やった。殺伐としたほど、平常心でいるソアラに対し、フローラは少し不安げだった。
「ギュッター・マイア大隊長直々に話を聞くそうだ。」
ライはホッとした笑顔を見せた。馬を兵士に預け、三人は大隊長のいる煉瓦造りの駐屯本部へ。本部はかつて宿屋だった建物を再利用したもので、古びてはいるが頑強な作りだった。
「おっと、ライ、おまえはここまでだ。」
「え!?」
「大隊長の命令だ。悪く思うな。それから、念のためだ、手を出してくれ。」
兵士が手枷を取り出すと、二人は特に抵抗することもなく、素直に両手を差し出した。
「それじゃあライ、また会いましょう。」
「う、うん___」
二人が建物の中に消えると、木の扉は固く閉ざされ、彼の前には扉番が立ちはだかった。ライは数歩後ずさって、不安そうな顔で建物を見つめる。
「ライ!」
そんな彼を陽気な声が呼びつけた。
「ワット!」
振り向けば、そこにはカーウェン小隊の中でライと最も仲がよい青年兵士、ワット・トラザルディがこちらへとやってきていた。
「失礼致します。」
建物内で、軽装ではあるがしっかり武装した兵士二人にピッタリと密着され、ソアラとフローラは大隊長の部屋へと通された。
「うむ。」
ギュッター・マイアは白髪が目立つ初老の男だった。ただそれでも身体は屈強そうで、口ひげは好ましい威厳を漂わせている。
「なるほど、紛れもなく紫の牙だ。」
ソアラは特に言葉を返さなかった。感心したように、或いは虚仮にするように、自分の色を眺める男の視線はもう飽きるほど浴びてきた。
「いや失礼、自己紹介が先でしたな。私はギュッター・マイア。この白竜軍カルラーン駐屯地の総括を任されている者です。白竜軍には結成当初からいる、まあ有る意味で厄介者ですな。」
マイアは立ち上がって丁寧な自己紹介をする。フローラは肩の力がすっと抜ける気がした。マイアの優しげな物言いに緊張を解されたのだ。
「お二人のことは存じているつもりだが、名乗っていただけますかな?」
「ソアラ・バイオレットです。」
「フローラ・ハイラルドです。」
「肩書きは?」
「元ポポトル軍先行突撃隊隊長。」
「元ポポトル軍特殊部隊医療班長。」
「ふむ___」
二人の落ち着きぶりにマイアは小さな笑みを見せて椅子に深く腰を下ろした。
「まず、お二人の経緯を聞かせていただきたい。ライは確かに優秀な兵士だが、お二人にも分かるとおり単純で人を疑うということをしない。どんな経緯で彼と知り合い、ここまでやってきたのかも十分にお話しいただきたい。」
「分かりました___」
それについてはソアラが説明をした。山狩りのことや、ライと出会った偶然など、話していくうちにマイアは満足げに何度も頷いていた。
「なるほど、すると君たちはポポトルの本性を暴くために対抗組織である白竜軍に投降したいというのですな。」
「はい。」
マイアは細い目を更に細くして、ソアラを見つめ、続いてフローラを見つめた。
「本当にそれだけか?」
「え?」
「自由を求めてはいないか?」
さすが___ソアラはマイアの洞察力に素直に敬服した。彼に指摘されるまでもなく、小さな島の中でポポトルの束縛に捕らわれ続けた自分には、自由に対する強い憧れがあった。
「確かに私は自由を求めています。」
「白竜にも自由はない。軍は規律と束縛の組織だ。」
「ただ、心にうやむやなものを潜ませたままで本当の自由なんて味わえません。だから、ポポトルの裏を暴きたい。それに___」
マイアはソアラの言葉が続くのを黙って待つ。
「個人的な恨みもありますから。」
「ソアラ___」
「白竜にいたいのならそう言う気持ちは捨てるべきですな。白竜の理念はあくまで守勢の心。侵略ではない。恨みは攻勢へと導く心ですぞ。」
年を経た人格者の助言は素直に聞くべきだ、ソアラは畏まった敬礼で答えた。
「私の経験上、君たちは素直で実直な少女だ。白竜軍にむしろいて欲しい人材であると思うよ。」
「光栄です。」
「だが、だからこそ君たちを受け入れたいとも思わない。」
ソアラは眉をひそめた。
「君たちには軍などと言うところに籍を置くのではなく___」
「受け入れていただけないので有れば、私は独自に戦う道を見いだすまでです。」
ソアラは頑なに、まるで戦いを求めるようなことを言う。マイアは口元を引き締めソアラを睨み付けるような顔になった。
「何故平穏を受け入れない?」
「あり得ないからです。あたしの色では。私には特殊なことしか起こり得ません。」
ソアラの真っ直ぐすぎる視線にマイアは不愉快さを感じた。彼女の境遇を思えば難しいことなのかも知れないが、彼女は色について思い詰め、厳しい現実ばかり受け入れようとしていることがありありだった。色のせいで苦しめられた、そんな経験が過去に有ればこそなのかも知れないが___
「君はどうかな?フローラ・ハイラルド。」
フローラは実直な少女だ。まだ子供っぽさの残る顔立ちだがあまりにも真面目に、臆することなくマイアを見つめ返している。
「私はできるだけ人に優しい場所を選びます。でも戦争から逃げたりはしません。それに、ソアラを一人にしたくはないから___」
マイアは何度か頷き、またも髭に手を当てた。
「ソアラ・バイオレット___」
「はい。」
「君は有言実行の女だと私は思っている。だからこそ、君の言う『特殊なことが起こる』という言葉には非常に引きつけられるものがあるのだよ。」
なぜ?ソアラはマイアの答えに興味を掻き立てられた。
「君たちも知っての通り残念ながら戦局はポポトル優性のまま膠着状態に入った。こうなってしまっては、戦争を終結させるには、白竜が勝利するためには大いなる変革が必要だと私は考えておる。君の回りに『特殊なこと』ばかりが起こるのであれば、君は常に変革の嵐を生きていると言うこと。それは君だけでなく、周囲にも目覚ましい変革を巻き起こす力だと、私はそう考えますな。」
「それは___」
ソアラは当惑気味に呟いた。
「それは喜ぶべき事ですか?」
「誇るべき事だと思いますぞ。革命の資質を持った人なのですよ君は。現にこうしてポポトルから我々の元へとやってきた。ただ、それだけに君の行く先には過酷な現実が待ち受けているかも知れない。」
「それは覚悟の上です。負けませんよ、私は。」
ソアラは力強い笑みを見せ、マイアに握り拳を示してみせる。それを見たマイアは年寄りらしい笑い声を上げた。
「君の髪の毛を一本頂きたい。君が名を挙げたその時、私の宝物になるようにの。」
「それは構いませんが___私たちの受け入れの件は?」
「おお、そうでしたな___」
マイアの笑顔が答えを物語っていた。
「しかしまあそいつはお手柄だったなぁ。」
ワットは厩舎でライたちが連れてきた軍馬の身体を洗い流しながら言った。
「迷った先で遭遇したポポトルの軍人を二人もこっちに引き込むなんて、おまえにしかできない芸当だぜ。」
「迷う時点で?」
「そう、そのとおり。」
ワットが陽気に笑うと、馬がうるさそうに耳を寝かせていた。
「でも心配なんだよ___二人は自分たちがポポトルだってことを酷く気にしていて、白竜でもまともに受け入れてもらえないと思っている。そう言われると僕もなんだか不安になって来ちゃって___」
ライは慣れた手つきで馬にブラッシングを施していく。
「何でおまえが不安になるんだよ。」
「だってさぁ、もしこれで二人が投獄でもされて、折角やっとの思いでポポトルから抜け出してきたのを不意にしちゃったら可哀想じゃない。」
「おまえらしいなぁ。まあ心配すんなよ、紫の牙のことを恨みに思っている奴は幾らでもいるだろうが、ギュッター・マイア大隊長なら正しい判断を下してくれるさ。」
あ。落ち着いた様子で語るワットの顔に走った不意な焦燥。ライはあることを思い出した。
「そういえば___あいててて!」
馬の身体にもたれかかって喋っていたライの髪に馬が食らいついてきた。
「ハハッ!さぼるなってよ。」
ライは髪をむしり取られた痛みに目を潤ませたが、すぐに陽気に笑うワットの姿に気を引かれた。実際のところ彼の心中は穏やかでないはずなのだ。
ライの親友であるワット・トラザルディはゴルガ出身で、彼はソアラがその牙城を崩したと言われるゴルガ制圧戦の際に、一家全滅の旨をここカーウェンで聞いたのだから。
「私は断固として反対です!」
ドラルはマイアのデスクへと歩み寄り、平手で上質な木造のテーブルを叩いた。
「なぜだね?」
「信用できません!」
「それについては私が太鼓判を押しているじゃないか。」
「紫の牙ですぞ!?」
ドラルは小柄だが恰幅のいい男だ。ただ、その容姿に反して気性の小ささと、性格の悪さで有名な男である。見せかけだけの髭を蓄え、実力以外の力で小隊長になったと陰口をたたかれることも少なくない。
「そんな通り名は回りが付けるものだ。とにかく、これは君が気にすることではないのだよ、ドラル小隊長。」
「___くっ!」
温厚なマイアが時折見せる鋭い眼光をあてられると、気弱なドラルはそれ以上何も言うことができない。ほんの些細な舌打ちでさえ、できたのはマイアの部屋から出た後だった。
「簡単にはすませんぞ___ライの奴、余計なものを連れ込みやがって!」
ドラルには大きな思惑があった。彼はこのところ手紙をたしなめ、それをカーウェンの街である男に渡しては、金を受け取っていた。その男は、ドラルが偶然知り合ったポポトル最前線基地の兵士。すなわちグイドリンの部下である。
「あの基地の男をぶっつぶしただと!?俺の思惑はどうなる!」
グイドリンにカーウェンの攻略を手引きし、それでもカーウェンを明け渡しはせず、ギュッター・マイアだけを仕留める術を彼は模索していた。グイドリンは、できる限りの少ないリスクで栄転する術を模索していた。それには白竜の要人を仕留めるのが手っ取り早い。偶然とはいえ、二人の利害一致故の出会いだった。
「まてよ___」
ドラルは妙案を閃いた。
「ポポトルにとって紫の牙の裏切りは大きな痛手のはず。白竜の内情を知る人物が欲しいはずだ___そして戦局はポポトル優性で停滞期に入った___鞍替えするなら今か。」
苛立って紅潮していた顔色も元に戻り、ドラルはすぐさま作戦を実行に移すべく動き出した。
「良かったねえ、二人とも。」
「ええ、マイア隊長はとっても素敵な方ね。」
再会を果たした三人は、緊張で渇いたのどを潤すためにやってきた水飲み場で語らっていた。
「でしょ?しかも二人の監視役に僕を選んでくれるなんてさすがだよねぇ。」
さすがにすぐさま自由とはいかない。暫くは監察期間として監視がつくが、マイアはその監視役にライを選んだ。要するに、二人に全幅の信頼を置いている形だ。
「早く白竜になれるといいね。」
「まだ正式に承認されたわけじゃないんでしょ?本部に承認をとらなきゃいけないらしいから___」
と、ソアラは言うがライはにこにこ顔で首を横に振る。
「そんなの形だけだよ。」
「でも、私たちの気分が違うわ。ねえフローラ。」
「え?___ええ。」
フローラは落ち着かない様子で、時折長い髪で視線を消すようにして辺りの様子を気にしている。
「気にしちゃ駄目、あたしたちが早く白竜の水になれるためにも。」
監視ではないが、自ずと二人の姿は兵士たちの目線を集める。憧れや期待も中にはあるが、警戒や敵意を感じさせるものがほとんど、それはソアラも分かっていた。
「わかってはいるけど___」
「ライ!」
ワットだ。
「ああ、ワット!」
ワットは少々硬い面もちでこちらへと走ってきた。ソアラとフローラの姿を確認し、軽く礼をする。
「初めまして。」
「こいつはワット・トラザル___」
「おっと俺のことはどうでもいい。急ぎのようなんだ、えっとソアラさん?」
「はい。」
「マイア隊長がお呼びなんだ、来てくれるかい?」
「ええ。」
怪しむことはあるまい。ソアラはすんなりと頷いた。
「なら僕も___」
「彼女の監視役は俺が代わる。おまえはそっちの子を見ていろよ。」
「あ___うん。」
「そうそう、二人で楽しい話でもしてなさい。」
「ソアラ___!」
フローラは叱責するような口調で言った。
「ワットさんはライとはお友達?」
できる限りコミニュケーションを取るべきだと考えていたソアラは、自らワットに話しかけた。
「ああ、三年前くらいから一緒にいることが多いね。」
日射しはもう西に傾いていた。
「ライのことをどう思う?」
兵士たちもこの時間は部屋でリラックスしていることが多い。
「素直だと思うわ。自分の信じる道、正道にまっしぐらで、あんな真っ直ぐな人少なくともポポトルにはいなかった。」
「それはポポトルが侵略国家だからじゃないのか?」
「そうかもしれないわね。」
そこで若干の空白が生じた。
「何で白竜に鞍替えしようと思ったんだい?」
「ポポトルに対抗できるならなんでも良かったわ。受け入れてもらえなければ一人ででも動いていこうと思っていた。」
先程から二人は一時として目を合わせない。並んで歩いてはいるが、ワットはソアラの方をちらりとも振り向いてはくれなかった。
「なんでそこまで?志があってポポトルにいたんだろ?」
「そんなものないわ。命が惜しくてポポトルに縋り付いていたのよ。刃向かう力と勇気を手に入れるまで時間が掛かりすぎたの。結局何度も戦場に立って、馬鹿なことを繰り返していた。」
「___そっか。」
ワットは言いかけた言葉を飲み込んで、ぽつりと一言だけ答えた。
「暖かくされるのは嬉しい。でもそれだけじゃ、心が収まらないのよ___」
そう言って、ふとソアラは神妙になりすぎていた自分に気が付き、失笑する。
「ごめん、こんなこと話しても仕方ないわね。」
「いや___あ、こっちだ。」
ワットは本部とは異なる方へとソアラを導いた。
「本部じゃないの?」
「見せたいものがあるらしいんだ。」
「___そう。」
否定することは簡単だ。だが今は何であれ受け入れなければならない。ソアラは表情を引き締め、ワットの示す方へと歩みを進めていった。
「こんな所に何かあるって言うの?」
そこは夕刻にもなればすっかり人気が無くなる厩舎裏。訝しげに辺りを見渡し、ソアラはワットに尋ねた。
「あるとも。こっちだよ、紫の牙。」
「!?」
ひげ面の小柄だが太った男が茂みの影から姿を現した。ワットは彼女の後方に立って退路を塞ぎ、ひげ面が指をスナップすると遅れて数人の兵士が茂みから姿を現した。
「みんな___白竜の人ね___階級はあなたが上位か。」
一通り自分を取り囲む奴等を確認し、ソアラはドラルを睨み付けた。
「俺の名前はドラル・ケンドール。」
ドラル?ライの上官___こんな男がね。
「これはどういうつもりかしら?マイア大隊長の差し金とも思えないけど___」
ソアラは両手の革手袋をきゅっと引き締めなおす。
「なぁに、分かりやすく言うならば恨みはらさでおくべきかってことだ。」
「!」
だがドラルのその一言はソアラから闘志を消し去った。
「もう分かったみたいだな。ここにいる奴等はゴルガ出身の奴ばかりだ。友人、恋人、家族、失ったものは人それぞれだがな___」
「く___」
ソアラはもう一度自分を取り囲む兵士の顔を見回した。だがその視線は先程までの強気とは違う。罪の意識に捕らわれた瞳だった。
「安心しな、何も殺そうなんて思っちゃいない。ちょっと憂さ晴らしにつきあってもらえばいいだけだ。」
ドラルは拳を握ると見せつけるように指の関節をならした。サディスティックな笑みはポポトル時代に良く目の当たりにしたものだ。
「申し訳ないと思うんなら大人しくしてろよ。てめえは人殺しなんだからな!」
「!」
人殺しという言葉がソアラに重くのし掛かる。多くの人々が死ぬと分かっていながら、戦いの中で自らの価値を示すことしか頭になかったソアラは、ゴルガ侵攻の際の特攻隊長を務めた。少しでも多くの戦果を上げようと働いた。略奪行為はしなかったが、たとえ軍人を除いたとしても自らが引き金となって殺めた命は数知れない。
(なにより___あの戦いで立ち上がる自信を得た自分が情けない。)
ドラルが拳を振りかぶって突進してくる。だがソアラは避けようともせず、ただ歯を食いしばりドラルの血の気に満ちた顔をじっと見据えていた。
バヂッ!
殴る直前に拳を開き、ドラルはソアラの柔らかな頬に思いっきり平手を打ち付けた。何かが弾けるような渇いた音と共に、無抵抗でいたソアラの身体は背後に流れ本部の外壁に激突した。
「う___」
口元から弾けた唾液を拭い、ソアラは壁に肘を張って姿勢を戻す。
「ほほう。さすがにしぶとい。こいつはいたぶり甲斐があるよなあ。ほら、おまえらもかからんか!こいつが故郷を滅茶苦茶にし、おまえたちの親類の命を奪った大悪党だぞ!」
ソアラの無抵抗に呆気にとられていた兵士たちにドラルが怒鳴りつける。一人目が駆け出すまでそう時間は掛からなかった。
「うおお!」
怒りに満ち足りた顔つき。殴りかかってきた兵士の鬼気迫る顔を一心に見つめ、ソアラはまた微動だにしなかった。恨みの顔を目に焼き付け、まさに覚悟を決めた顔でいた。
ドッ!
今度は腹部に。固い拳がソアラのしなやかな腹をねじ曲げる。嗚咽が走るがグッと堪え、ただ身体を支えるために足はしっかりと保つ。
「うああ!」
一人目が動き出せばその後は早かった。一人が横から殴りかかり、飛ばされたソアラをまた別の誰かが蹴り倒す。倒れてしまってからは酷いものだった。
「___いや、こいつのせいで俺の家族は___」
そんななかワットは立ちつくし、その様子を眺めているだけだった。残虐な行為に良心の呵責に苛まれるが、それでも首を振り、彼らの行為を肯定しようと心に決める。
「よし、やめろ。」
ドラルの指示も聞く耳持たず、我を忘れた兵士たちはソアラを蹴飛ばし続けた。
「やめろ!殺すなと言ったはずだぞ!」
一喝が飛んでようやく兵士たちは我に返った。見つめるしかできなかったワットは、残虐なリンチの終わりにホッと胸を撫で下ろした。
「大部みすぼらしくなったな。」
ソアラは地べたに横たわっている。荒い息を付き、破けたりすり切れたりしている服にはたくさんの血染みが付いていた。うっすらと目を開けたかと思うと、また痛みが襲ったのだろう、目を閉じて身体を縮こまらせていた。
「折角だからなあ、別の楽しみもしようじゃねえか。おい、おまえら仰向けにして押さえつけろ。」
兵士たちもすっかり吹っ切れたのだろう、ドラルの指示にあっさりと従い、ソアラを無理矢理仰向けにして、一人一人その四肢を押さえつけた。
「そ、それくらいにして___」
ドラルの意図が分かったのだろう、ワットは思わずそう口走ったが、小隊長に睨み付けられるとそれ以上の口出しができない。都合のいい軍人気質に歯がゆさを覚えた。
「おまえはこの後いいところに売ってやる。おまえが奪った命の分も過酷な人生を歩んでくれよ。」
「___好きにしなさいよ___どこからだってはい上がってやる___」
こんな状況にあっても果敢な言葉が言えるソアラの強気に、ドラルは己のサディズムを刺激された。
「ならお言葉に甘えて。」
ドラルはソアラの腰の辺りに馬乗りになる。ワットは忌々しい今の状況と、どうすることもできないでいる自分のふがいなさに唇を噛む。
「思ったよりいい身体してんなぁ。」
ドラルは乱暴にソアラの服を胸元から引き裂いた。アンダーシャツの上から粗暴にソアラの胸を鷲掴みにし、強く握ってみる。
「こりゃいい。ポポトルで育ててもらったのか?」
ドラルは一度舌なめずりをすると徐にソアラのアンダーシャツの襟元を掴んだ。そして一気に破ろうかというその時___!
ドガッ!!
「ぐああっ!!」
ドラルが悲鳴を上げ、もんどり打って転げ回った。そしてワットは、転がっていた角材を握りしめ、肩で荒い息をしていた。
「おまえらもそいつを放してやれよ!俺たちにだってこんなことをする権利はないはずだぞ!何が恨みだ!こんなのドラルの欲求不満の解消につきあってるだけじゃないか!だいたい、こいつはゴルガ出身なんかじゃなかったはずだ!」
「___この青二才が!」
ドラルが背後からワットに殴りかかってきた。ワットは為す術なく殴り倒されると、ドラルは容赦なく彼のことを蹴飛ばしはじめた。すっかり気が動転した兵士たちはソアラから手を放していた。そしてソアラは___
「やめなさいよ___」
よろめきながらも立ち上がり、ドラルの肩を女の細い腕とは思えない力で掴んでいた。
「この___紫女!」
ドラルはソアラの手をはね除けて、彼女に殴りかかろうとする。だがソアラは腕を弾かれた勢いのまま身体を回転させる。
ドガッ!!
上体を屈めて拳をやり過ごし、振り向きざまの後ろ回し蹴り!
「あ___がっ!」
踵を突き出すようなトルネードキックは見事にドラルの股間を捕らえた。その瞬間ドラルは目を見開き、悲痛の面持ちで舌を突き出して喘いでいた。
「___幾ら弱ってたって___あんたなにかにゃ負けないよ___」
疲れた顔で笑顔を見せたソアラだが、フッと意識が消え、その場に崩れ落ちた。その背中が見る見るうちに血で染まっていく。
「ソアラ!」
女の甲高い声が歯痒い空気を立ちきった。
「ワット!?これは一体どういうことだよ!」
不審を感じていたのだろう。ライとフローラが慌てて駆けてきた。
「大変___古傷が開いたんだわ!」
フローラはソアラの元に跪き、自らの上着を脱ぎ捨てると背中に開いた傷口を締め付けるように上着を巻き付けた。
「あなたたち何してるの、運ぶのを手伝って!」
「僕がやる!」
ライは悲しげな目でワットを一瞥し、ソアラの元へと駆け寄っていった。ワットは___ソアラを運ぶのを手伝うことさえできなかった。身体がこれっぽっちも動いてくれなかったのだ。
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