20 絶命
淳はまるで、砂地獄に足を取られたようでした。
「たすけて〜〜」と、ゆっくりと沈んで行く淳。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、いくら手を伸ばしても、掴むことができません。
そしてみんなが手を伸ばしている前で、下半身が沈み、上半身が沈み、顔が見えなくなり、
ついには伸ばした手のひらまで沈み、消えてしまったのです。
淳の最後の1週間は、痛みとの壮絶な戦いだったようです。
おむつではなく、導尿しましたが、その尿は血の色をしていたそうです。
普通だとすくんでしまい、救急車を呼んでしまう場面が何度もあったでしょう。
そこを冷静にドクターの指示を仰ぎ、パニックにならなかった淳の御両親は、
本当にすごい。愛のなせるワザです。
淳は安心して、痛みを訴えることができたでしょう。
死の前日に淳は「おかあさん、みつけられるかなあ。」と、言ったそうです。
「なにを?」とお母さんが聞くと、「あっちで私をみつけられるかなあ」
と、言ったそうです。
3月25日。
淳は痛みに耐えられず、再度モルヒネを要求しました。
これ以上与えると危険だ、と電話でドクターに言われましたが、
痛みに苦しむ淳を放っておくことはできませんでした。
淳は、最期だと覚悟した上で、薬を飲みました。
淳は一瞬、痛みから逃れられましたが、気道が狭窄し、
呼吸困難に陥ってしまいました。
救急車を呼んで、気道を挿管すれば延命はできます。
でも、そうしないと決めた御両親は
「じゅんこ、いかないで!」と叫ぶことしかできませんでした。
そして、夜9時。御両親の見守る中、
呼吸困難で苦しんだのちに、淳は息絶えたのです。
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