19 最後の電話
「こんにゃく療法はどうやってするの?」
と、淳から電話がありました。ネットで調べると、
温めたこんにゃくを枇杷の葉の上に置き患部に当てる、とありました。
淳のお父さんは、枇杷の葉を求めて、歩き回ったそうです。
「もうメールの返事はできない」と、夫Tにメールが届きました。
もちろん、「返事はいらん」と、夫Tは送り続けましたが、淳は読んでなかったでしょう。
読んでなくてもいいのです。
淳のそばにある携帯にメールが届く、それだけで満足でした。
まだ淳が生きている。だから送ることができたのです。
今となってはもう、それさえ叶いません。
3月8日に「お風呂に入りたいから調べて」と、電話がありました。
それは、淳がとうとう、
お風呂場で座ることもできなくなってしまっていることを意味しました。
出張お風呂サービスを調べて、折り返し電話しましたが、
淳はもう、その電話番号をメモできないほど衰弱していたので、
お母さんに代わってメモしてもらいました。
淳の電話の声は、ささやくような声で、
もうすでに世間話をできるような状態ではありませんでした。
「痛くて薬が増えているけど、こんなに飲んでだいじょうぶかなあ。」と言うので、
「いいんだよ。だいじょうぶだよ。」と、無責任な返事をしました。
話したいことはいっぱいあったのに、瀕死の淳に語る話題はなく、
「じゃあ、そのうち行くから」と電話を切りました。
結局、南共済病院のドクターと看護士が隔日で来てくれ、身体を拭いてくれたので、
私が調べた在宅お風呂サービスは、利用しなかったそうです。
在宅末期医療を見守るための特別なターミナル医療制度があるので、
最後はその恩恵に浴したようです。
もうこのころからお母さんは、淳のベッドの横の隙間で寝起きし、
淳を抱き上げてトイレに行ったり、
淳の痛い所をさすったりしていたようです。
淳のお母さんは、か細い方なので、重労働だったでしょう。
淳を支えたまま倒れ、肋骨にひびが入りましたが、
もう淳のタイムアウトが近付いていたので、がんばり抜いたようです。
「あれ以上だったら、お母さんがもたなかったかも」と、お父さんが言っていました。
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