18 限られた時間
淳の引っ越しは、家族の立ち会いで、無事終わりました。
淳がもう、東京にいないなんて、信じられません。
21年前、私が上京した時、知っている人は、淳1人だったのですから。
今でも電車で桜上水を通過する時、淳が住んでいるような気がします。
淳は、横須賀に落ち着いてから、病状がさらに悪化し、
転院の手続きをすることもできなくなってしまいました。
「Nクリにまだ紹介状を書いてもらっていないのに、こんなんじゃ取りに行けない。」
と、電話してきたので、そんなもん要らんから、ぶっつけで南共済病院に行け、
と指示しました。
あとでお父さんの言うことには、初めて病院に行ったのは、1月25日。
この時「あと2ヶ月です。」と宣告され、きっちり3月25日に息をひきとったそうです。
淳はそのまま入院しましたが、1週間ほどで出て来ました。
このあとホスピスを見に行ったそうです。
「いいところだね」と帰って来て、それから誰も話題にしなかったそうです。
最後にホスピスに行くこともなく、自宅で御両親に見取られました。
それは淳の意志でも御両親の希望でもなく、自然なことだったでしょう。
愛する娘が、死への旅立ちの前に、自分達の元に帰って来たのです。
限られた時間のひとときも離れる気持ちにはならなかったでしょう。
淳はお母さんの元で、赤ちゃんとなり、全身全霊を委ねて最後の日々を送りました。
それは、淳に与えられた最後のご褒美だったでしょう。
親より先に死ぬなんて、親不孝の極みですが、
同時にこの世で、絶対の愛情で守ってくれるのは親だけです。
老人になって、ホームに閉じ込められ、誰にも見舞ってももらえない可能性を考えると、
淳は幸せもんです。
夫Tのメールには、ほとんど返事が来なくなってしまいました。
たまに返事が来ると、私達は共有し、安堵しました。
「気分が悪くて騒いだ。ダメなやつ。反省」
というメールが、最後のメールです。3月1日でした。
淳と繋がっているのはメールだけだったので、
淳へのメールは、日に何十通も来ていたそうです。
次々に届くメールを読むのが、楽しみでもあり、苦痛でもあったでしょう。
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