12 QOL
肝臓のがんが星のように散らばっている。
どんな本を読んでも、ネットを検索しても、それは100%の死を約束しました。
そして淳は、そのことを知っていました。
肩に埋め込んだチューブから抗がん剤を投入しました。
抗がん剤を投入する前に何度も検査され、血を抜かれ、
「あの大量の採血は、現代の医学をもってして、どうにかならないの?」
と、怒っていました。
抗がん剤投与は、想像以上の苦しみで、投与後3日間は吐き気と熱で苦しみました。
抗がん剤のあと1週間は、仕事どころか何の予定も入れれません。
見た目にはわかりませんでしたが、指が開かないほど髪も抜けたようです。
結局淳は、5月の抗がん剤治療の予約を断わってしまい、
余生を有意義に生きることを選びました。
淳の最後の夏は、淳の命を削って手に入れた夏です。
抗がん剤投与を止めてからの淳は、みるみる回復し、
何でも食べれるようになりました。
集英社にも行き、週に3本くらいの仕事を復活しました。
淳の知り合いが「淳に会いたいが、会って良いのかどうか?」
と、時々相談してきました。
「淳は、あなたに会いたいとは思っていない。
重要なのは、あなたが会いたいかどうかです。」と私は言いました。
それで、会うことを選択した人もいるし、会わないことを選択した人もいます。
淳は、私を含め、会いたい人などいませんでした。
会いたい人がいたら、旅立てません。
ただ、自分がいなくなることで悲しませたくない、それだけでした。
最後に会いたい、と言う望みを叶えてあげたかっただけなのです。
しばらくはどんなことでも出来る気がしました。
5月の連休は、いつものようにうちに来て、バーベキューをしました。
8月には3人で神宮外苑の花火に行きました。
もともとは夏に長女とパリに行く約束でしたが、長女は諦めていました。
それを聞いて淳は「なんだよ、行くのに〜」と言うので、
そんなに回復していたのか、と嬉しくなりました。
最後の旅行になるなら、どんな困難でも乗り越えれます。
「世界の中心で愛を叫ぶ」の世界です。
長女に「淳は行けるらしいよ」と告げると、長女もその気になり、淳を誘いました。
ところが2日待って「今年は無理」と返事がきました。
やはり夢物語だったのです。
淳に現実を直視させて、悲しい思いをさせてしまいました。
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