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 肝臓のがんが星のように散らばっている。
 
 どんな本を読んでも、ネットを検索しても、それは100%の死を約束しました。
 そして淳は、そのことを知っていました。

 肩に埋め込んだチューブから抗がん剤を投入しました。
 抗がん剤を投入する前に何度も検査され、血を抜かれ、
 「あの大量の採血は、現代の医学をもってして、どうにかならないの?」
 と、怒っていました。

 抗がん剤投与は、想像以上の苦しみで、投与後3日間は吐き気と熱で苦しみました。
 抗がん剤のあと1週間は、仕事どころか何の予定も入れれません。
 見た目にはわかりませんでしたが、指が開かないほど髪も抜けたようです。

 結局淳は、5月の抗がん剤治療の予約を断わってしまい、
 余生を有意義に生きることを選びました。
 淳の最後の夏は、淳の命を削って手に入れた夏です。

 抗がん剤投与を止めてからの淳は、みるみる回復し、
 何でも食べれるようになりました。
 集英社にも行き、週に3本くらいの仕事を復活しました。

 淳の知り合いが「淳に会いたいが、会って良いのかどうか?」
 と、時々相談してきました。
 「淳は、あなたに会いたいとは思っていない。
  重要なのは、あなたが会いたいかどうかです。」と私は言いました。
 それで、会うことを選択した人もいるし、会わないことを選択した人もいます。

 淳は、私を含め、会いたい人などいませんでした。
 会いたい人がいたら、旅立てません。
 ただ、自分がいなくなることで悲しませたくない、それだけでした。
 最後に会いたい、と言う望みを叶えてあげたかっただけなのです。

 しばらくはどんなことでも出来る気がしました。
 5月の連休は、いつものようにうちに来て、バーベキューをしました。
 8月には3人で神宮外苑の花火に行きました。

 もともとは夏に長女とパリに行く約束でしたが、長女は諦めていました。
 それを聞いて淳は「なんだよ、行くのに〜」と言うので、
 そんなに回復していたのか、と嬉しくなりました。
 最後の旅行になるなら、どんな困難でも乗り越えれます。
 「世界の中心で愛を叫ぶ」の世界です。
 長女に「淳は行けるらしいよ」と告げると、長女もその気になり、淳を誘いました。

 ところが2日待って「今年は無理」と返事がきました。
 やはり夢物語だったのです。
 淳に現実を直視させて、悲しい思いをさせてしまいました。

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