11  姉の死   
 

 淳は退院後は、横須賀の実家には戻らず、世田谷の自分の部屋に落ち着きました。
 見舞いに行くと、淳のマンションの中庭にコブシが咲き誇っていて、
 「あ〜〜やばいな〜〜。
  もし淳が死んじまったら、コブシを見たら、きっと淳のことを思い出すぞ〜〜。」
 とイヤな予感がしたのですが、まさしくそのとおりになってしまいました。

 コブシは淳の花です。
 白い花びらが毅然と開いて、力強く現実を見つめています。
 私はこれから毎年、3月のコブシの花を見たら、淳を思って涙することでしょう。

 淳の部屋は、入院前と同じように、きちんとかたづいていました。
 居心地いい空間で、実家に帰らなかった気持ちが解りました。
 家族がいなくても、あそこが淳の築いたお城で、淳の居場所なのです。
 「これからは食べることがじゅんの仕事だからね」と言って、
 私のぶんまで料理してくれました。

 姉が入院した話をすると、「大丈夫だよ。同じ病室にいた人も同じ症状だったけど、
 今は退院して、家にいるんだよ。」と勇気づけてくれました。
 (その方も翌月には亡くなりました。)
 自分のことと重なって、落ち込むと思いきや、正反対のリアクションです。

 しかしながら、その後すぐに姉が逝ってしまった時は、
 さすがに淳には連絡できませんでした。
 淳は、つの日記で姉の死を知り、長女にメールで式場を聞き、
 関西在住のTに頼んで、式場に参列してもらったそうです。
 (Tが来ていたことを知ったのは、夏になってからでした。)
 淳は、自分のことは密葬にしたくせに、他人の時はじっとしていれなかったのです。

 その後、つの日記に姉のことを綴ったのは、
 淳には酷なことだったでしょう。
 「ひろちゃん、読むの辛すぎる。いつも泣いてしまう。」と言っていました。

 退院してからの淳は、泣きミソになってしまいました。
 「どうしてこんなにすぐに涙が出るのかな?」
 と言っていましたが、あたりまえです。
 死が目前に迫っているのですから。
 普通なら、鬱になってしまったり、叫んだりするところです。
 淳は1人で泣くだけで、一度も恨みごとを言ったり、嘆いたりしませんでした。


 

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