7  化学療法

  
 姉は胃を全摘したあと、病人になってしまいました。
 胃が全く無いのですから、日々の食事にも支障があります。
 食べたものは食道からストンと腸に行くのですが、
 遅れてインシュリンが出るので、たびたび低血糖を起こしました。
 食事は一度に食べれないので、体力は落ち、痩せてしまいました。

 TS−1の抗がん剤治療を始めましたが、下痢が続き、継続できませんでした。
 術後1年経ち、「がんはないかもしれんのに、続けなあかんの?」
 と相談してきたので、
 「定期的にPET検査をして、反応してからでもええんちゃう?」
 とアドバイスしました。
 でも実は、もうオペ後の不吉な予感を私は忘れていたのです。
 もう姉のがんは大丈夫だ、と思っていました。

 その後姉は、抗がん剤治療をやめました。
 1年に一度のPET検査の度に「大丈夫だった」と喜びのメールをくれました。
 でも実際は、PETで反応してからでは手遅れでした。
 今思えば、あの時、抗がん剤治療を続けるべきだったのかもしれません。

 2006年1月。姉が「車をゆずる」というので、大阪に取りに行きました。
 あれが家にいる姉を見た最後です。
 結局、あの車が姉の形見になってしまいました。
 あの時、ありがたく受け取りに行って良かったな、と思います。
 「乗りやすいよ」「機嫌良く乗っているよ」と言うたびに、
 「売らずにひろちゃんに乗ってもらって良かったわ〜」と喜んでいました。

 姉は本当は、私が貧乏なのが、いつも気がかりだったのです。
 昔もボルボをゆずってもらったことがあります。
 姉と食事をして、私が払ったことは一度もありません。
 姉とショーを見るのに、私がチケットを手配したことは一度もありません。
 姉と旅行に行って、私が財布を開けたことも一度もありません。
 宅急便には、姪からのお下がりとともに、
 いつもうちの姉妹用の新しい服が入れてありました。
 商品券が入っていたのに、気付かずに捨ててしまったこともあります。

 でも、母が言うには、姉は決して自由にお金を使える身ではなかったようです。
 姉はいつもスッピンで着飾らず、家族のためにお金を使いました。 

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