6  大学病院

  
 胃がんは、自覚症状もなく、ごく初期の段階と思われました。
 検査入院は、今度は義兄の母校を選びました。
 ここなら、知り合いに特別待遇で診てもらえます。

 ところが精密検査の結果、
 初期の胃がんにもかかわらず、胃の全摘手術をする治療が下されました。
 がんは胃の幽門部というところにあり、
 ここを除去するなら、機能的には全摘と同じ、という所見でした。

 オペ後、私たちは主治医の所見を聞いて青ざめ、言葉も出ませんでした。
 「がんは深部にまで到達して、リンパを越えています。」
 摘出した胃は、病巣が黄変していました。
 この病巣が、検査で解らなかったなんて、信じられませんでした。
 現代の医学がどんなに進んでも、やはり摘出するまで全貌は見えないのです。

 あの時、私たちは本当はこの運命を予感していたのかもしれません。
 そのまま東京に帰って「ねえちゃん、あかんかもしれへん。」と呆然として夫Tに言うと
 「言霊/コトダマ って知ってるか?
  口に出すと言葉が魂を持って本当になるから、もう言うな」
 と言われ、泣きました。
 以後、不安を言葉にすることはやめようと、肝に命じました。

 実は、コトダマのことも、すっかり忘れていました。
 先日、本部の資料を探して、古いパソを開いて、古いメールを捜索していたら、
 その時のつのマガが残っていたので、めずらしく読み返したのです。
 夫Tが言うように、言葉にしないうちに、その時のことは忘れていました。
 それどころか、もう姉は完治したような錯覚に陥っていました。

 でも結局は、この胃がんが命取りとなってしまいました。
 あれから3年5ヶ月の命でした。
 実は私たちは、あの時に不吉な予感はあったのです。
 なのに私たちは、いや、私は姉に対して何も変わりませんでした。
 与えられた日が限られた日だと知りながら、姉に何も返していません。
 考えないようにして、無為に過ごしただけです。

 たまに関西に帰って、忙しそうに大阪の家に寄っただけです。
 そして、いつものように姉の話に批判的な言葉を浴びせただけです。
 2年後のうちの長女の受験の時も姉は、
 「AOを受けろ」とか「推薦を受けろ」とか「神戸大にしろ」とか、
 長女に直接メールしてきました。
 私は怒り、「放っといて!」と叫びましたが、
 「心配してくれてんのよ。」と長女にたしなめられました。
 どうしてこっちから相談する気持ちになれなかったのか??
 今でも自分が情けないです。


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