5  胸部疾患センター

  
 2001年12月。姉は、極度の疲労につづき、背中の痛みを訴えました。
 9月に義母を送り出したあとで、
 長女の高校受験と最愛の長男の大学入試の年だったので、
 心労が重なっていただけだと思っていました。
 ところが、義兄にレントゲンを撮ってもらうと、怪しい影がありました。

 医療機関は、年末の慌ただしい時期で、精密検査もままなりません。
 姉は煙草も吸いませんし、咳もしていませんでした。
 別の何か疑わしい影が映っただけだ、と信じていました。
 けれども、精密検査を待つ2002年のお正月は、なんとも重苦しい空気でした。
 それでもまさか、こんな運命が待っているなんて、思っていませんでした。

 精密検査には、関西で一番肺手術の症例が多い、近畿中央病院を選びました。
 お正月休みが明けて精密検査入院の末、下された診断は、初期の肺がんでした。
 最悪のシナリオを容易に受け入れることは出来ませんでしたが、
 急いで手術するしかありません。

 センター試験の翌日、姉は手術しました。(長男は撃沈し、浪人しました)
 朝9時に手術室に運ばれて行って、夕方4時に終わりました。
 手術は無事成功し、肺を片方の3分の1切除しました。
 悪性腫瘍は2センチほどの大きさでした。

 どこも悪い所はないのに、肺を切り刻まれ、
 傷跡が残ってしまい、姉がかわいそうでした。
 姉は私と違って運動神経がよく、走るのが速かったのに、
 もうテニスも出来ないかもしれないし、
 ビーチにも行けないかも、とかそんな心配をしていました。

 肺の術後は驚くほど回復が早く、検査も良好で、日常を滞りなく過ごしていました。
 でも、肺の専門病院を選んだことが、結果的に命取りとなりました。
 実は、姉は肺がんで命を失ったのではありません。肺がんは完治したのです。

 術後1年半が経過した2003年9月。
 「たまには胃のレントゲンを撮ろうか」と、義兄が撮ったレントゲンで、
 あろうことか、胃がんが見つかりました。
 病院に報告すると「うちでは胃は診てないから」と言われました。
 術後検診に行っている、という安心感から、胃は片手落ちになっていたのです。
 この病院は、皮肉にも胸部しか見れない病院でした。

 肺がんは、胃には転移しません。
 原発生のがんが2つ出現した、ということです。
 我が家は、ばりばりのがん家系ですが、2種のがんが発生するなんて、
 死神はほんと、情け容赦ない奴です。

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