4  演出家

  
 姉の人生は、どうだったんだろう?

 私は、自分の本能に欲張りで、かなり妥協しません。
 自分はどうしたいか?本当に欲しいのか?愛しているか?
 常に「自分が」が、最重要課題です。
 反対に姉は、「自分」のない人でした。

 そんな姉がよりどころとしたのは、世間のものさしです。
 偏差値やお金を基準にしました。本当に欲しかったのではありません。
 世間的にステータスなことに満足していただけです。

 姉も薬剤師でしたが、一度も薬剤師として働きませんでした。
 「薬学部がよい」と言う風評だったから、薬学部に行っただけです。
 卒業後は、H医大で3年間、教授秘書みたいな仕事をし、
 そこで知り合った義兄と結婚しました。
 義兄は、しばらくは大学に残っていましたが、
 後に大阪に帰って、親の医院を継ぎました。

 姉は義兄の両親と同居はせず、近所に住み、3人の子どもを育てました。
 3人の子ども全員を小学受験をさせ、3人全員私立の小学校に入れました。
 その小学受験もかなりすごかったけど、
 上の子の中学受験は、一生のうちで最も姉が燃えたイベントです。
 自分の人生でも、あんなに真剣に取り組んだことなどありません。

 姉は、主役になったことはありません。常に演出家です。
 実家でも婚家でも、姉は家族のために生きました。
 一見可哀想にも見えますが、そうしか生きることができない人でした。
 自分より大切だった家族の誰よりも先に逝った姉は、
 ある意味、幸せだったかもしれません。

 上の子は男の子で、東大寺学園を出て、W県立医大医学部5年。
 中の子は女の子で、天王寺高校を出て、N県立医大看護学科3年。
 どちらも本命の相手がいて、お葬式に連れてきていました。
 上2人は、もう家を出て、巣立っています。

 下の子は女の子で、帝塚◯高校1年です。
 この子は、幼稚園から同じ学校なので、生粋の温泉育ちです。
 小4で母親が発病したので、最期まで姉の心配の種でしたが、
 下の子こそが家族の要で、姉の癒しでした。

 姉の子ども達は、叔母の私が驚くほど、3人ともいい子ばかりです。
 明るいし、思いやりもあるし、気が利きます。
 5年の闘病が、子ども達を成長させたのでしょう。

 姉の人生はどうだったのか?
 それは疑問ですが、姉の生きた証しは、あの子達です。
 姉の闘病も、あの子達の肥やしとなっています。
 姉の死に顔は、笑顔でした。


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