19  告別式

  
 3月31日土曜日午前11時。快晴。桜が満開でした。
 年度替わりで、子ども達は受験も部活もなく、全員が無理なく出席できました。
 さすが姉、日を選んだな、と思いました。

 姉は地味な人生でしたが、告別式は盛大なものでした。
 49歳で亡くなった上、地元の開業医の妻ですから、当然と言えば当然です。
 地元の人や医師会の人が大勢来ました。
 また、子どもが3人いますから、それぞれの同級生、父兄、と
 300人くらいの人が来ていました。
 姉はセレモニー好きだったので、さぞ満足でしょう。

 しかしながら、父は来ませんでした。
 「かわいそうすぎて、よう行かん。」と言ったそうです。
 うちの両親は、退職後熟年離婚しました。
 それ以後、父とは17年間会っていません。
 姉の親戚衆の前に、今さら合わせる顔がなかったのかもしれません。
 これで会えないなら、父とも生涯、もう会えないでしょう。

 思えば、うちら4人で過ごした日々は、マボロシのようです。
 80坪の一軒家を神戸に構え、両親は県立高校教師。
 母は人望の厚い教師で、父は教頭でした。
 子どもはふたりとも薬学部を卒業し、長女は開業医に嫁ぎました。
 世間的にはちゃんとした家庭でしたが、
 あっというまに家庭崩壊し、バラバラになってしまいました。

 年収や学歴や地位など、人生のほんの一部です。
 両親は、退職してからやっと、自分らしい生き方を手にしました。
 姉の人生は、初めから49年でプログラムされていたのでしょうか?
 これ以上の幸せも不幸も用意されていなかったのでしょうか?

 告別式など、みすぼらしくていいのです。
 誰にも知られないうちに、家族だけで密葬してしまってもいいのです。
 やはり姉にも、生を全うしてもらいたかった。
 そして、今まで同様、私の一歩先を歩き、
 その生きざまを学習させて欲しかった、と無念でなりません。



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