18  歓喜院釈尼法順

  
 歓喜院釈尼法順 と、戒名が書かれていました。
 姉家は、最寄りのお寺の檀家で、和尚さんとは懇意でした。
 ちょっと変わった戒名ですが、
 5年間の闘病を見てきた和尚さんにいただいた戒名です。
 生前の5年間は、さぞ生きる喜びに満ちていたのでしょう。
 見知らぬお坊さんからつけてもらった戒名と違って、
 姉は喜んでいるでしょう。

 お通夜の後、身内だけでお寺の2 階で食事をしました。
 通夜から告別式〜初7日まで姉の親戚と同席しましたが、
 心ない親戚達で、姉の苦労が伺われました。
 姉を懐かしむ話など皆無です。
 あんな親戚が来るくらいなら、財産がないのも悪くないな、と思いました。

 食事会が終わったあとは、家まで徒歩10分なので、
 義兄、母、私、夫Tは、帰ることにしました。
 夜中のお線香は子ども達に任せ、お風呂に入り、布団でゆっくり寝ました。

 遺体のそばに残った子ども達は、5人。
 医大5年23歳、看護大3年20歳、工大2年19歳、
 都立高3年17歳、女子高1年15歳です。
 小さい時は、集まると大騒ぎで、どこへ行ってもひんしゅくものでしたが、
 みんな立派に成長しました。
 こうなると、やはり「子は宝」です。選手交代。もうこの子達の時代です。

 5人は、お膳の残り物を食べながら、ほぼ徹夜で、
 焼香順位を決め、弔電の順番を決め、供花の位置を決め、
 告別式後の挨拶を考えました。
 挨拶は、義兄ではなく、長男がすることになっていました。
 でも、葬儀に出たことない若者達で、告別式の挨拶を考えるのは、
 なかなかたいへんだったそうです。
 パソコンもないので、携帯で例文を探し、みんなで小論文気分で作成したそうです。
 字が汚くて本番に読めないので、直前まで清書していました。

 これがよくできた挨拶文で、私は事前に見せられましたが、
 涙で最後まで読めなかったほどです。
 本番では、長男が涙声になったのもあって、参列者全滅で涙でした。

     NEXT→ 

 もどる