15  千の風になって

  
 土曜日に家族へのドクターの話があり、
 日曜日に私が行き、
 月曜日に「ステント」たらいう処置をしました。
 鼻から腸に向かってチューブを入れ、腹部に溜まった水分を抜く処置です。

 結果からみるとたぶん、もう麻酔ができない状態だったのでしょう。
 肋骨を折っても人工呼吸するような、そんな荒々しい処置でした。
 処置後、姉は放心状態で「地獄を見た」と言ったそうです。
 けれども、全く効果はありませんでした。
 あと3日しか生きなかった姉に、生き地獄を見せる必要があったのでしょうか?
 医学部5年の長男は、「原始的な処置」と、今でも主治医を恨んでいます。

 火曜日に長女が結婚するつもりの彼を連れて行き、お別れを言い、
 水曜日に長男が結婚するつもりの彼女を連れて行き、お別れを言いました。
 その夜、4時頃、姉は脳内出血を起こしました。

 29日木曜日の朝7時に母から電話がありました。
 電話の鳴る音で、姉のことだと察しがつきました。
 母はまた例のごとく「ようわからんけど病院に向かう」と言いました。
 ひょっとして危ないのか?意識は戻るのか?というかんじでした。
 けれども、30分ほどして、長男から直接電話があり、
 「もう挿管している。全員揃ったら、管をはずす。」と言われました。

 そういうことなのか。と、がっくりしました。
 では、段取りをして今日中に帰るのが私の仕事です。
 どうやって段取りをしようか、と思いましたが、もう8時だったので、
 とりあえず仕事に行くほうが早い、と思い直し、仕事に行きました。

 9時前に家族と母が揃いましたが、姉は何の反応もないまま、
 みんなが見守るなかで、静かに旅立ちました。
 死亡時刻9時32分。享年49歳でした。

 実は、母の母も49歳で亡くなっています。
 母の叔母も49歳で亡くなっています。
 母も49歳で子宮がんを患い、3ヶ月入院しました。
 母は49歳の時「うちの女子は49歳以上生きられへんのや」と、
 病室で泣き暮らしていました。

 母は大病を乗り越え、76歳の今もピンピンしているのに、
 姉は連れて行かれました。
 私はどうなんでしょうか?
 あと2年です。

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