14 携帯写真
姉の目が開いたので「ほな、ぼちぼち帰るわ。」
と言うと、姉はちょっとほっとしたように見えました。
帰る前に、最後に携帯で写真を撮ることを思いつきました。
「ほれ、笑って。」と言って、こっちを向かせましたが、
ただ向いただけで、笑顔になっていませんでした。
「ほれ、もっと作り笑顔して!」と、最後の力を振り絞らせて笑顔を作らせ、
シャッターを押しました。
他界後、その時に撮った写メを「そういえば、こんなん撮った」と、
子ども達に見せると、全員が感動し、欲しいと言いました。
入院中は、みんなさすがに写真を撮る気持ちにはなれなかったようです。
化粧っ気もなく、ぼろぼろに痩せこけた姉の作り笑顔です。
他人が見たら、不気味な笑顔にしか見えないでしょう。
でも私達にとっては、どんな着飾った写真よりも、大切な1枚になりました。
それは唯一、病院での姉をみんなの心に留める写真でした。
携帯の中のその笑顔こそが、生きていた時の姉です。
携帯で写真を撮って、
「じゃ、ゴールデンウイークにまた来るから。」と言って、手を振りました。
私達は、もう2度と会えない気がしていたので、そのことを否定するために、
引き止めることもなく、振り返ることもなく別れました。
姉の病室を出てからは、腹が立って、もう泣く気にもなりませんでした。
実際私は、それからあまり泣きませんでした。
現実がばかばかしすぎて、笑って受け入れるしか仕様がありません。
次は長女が4月7日に行くことになっていましたが、
「もう、まにあわんわ。」と、止めさせました。
姉も長女だったので、うちの長女は特別の寵愛を受けました。
にもかかわらず、お別れは言えないままでした。
こういうことは、迅速に行かないと手遅れです。
いや、その時は万が一、小康状態になって、体力が戻ったら、
長女にもお別れを言いに行かせようと思っていました。
でも今回思いましたが、本人にとっては、お別れは必要ありません。
生きている細胞が減ってくると、浮き世に未練などなくなります。
「あんたら勝手にやってって。」という境地に達していました。
そんな思考は全て排除して、生存することだけに集中するようになります。
それが動物の本能なのでしょう。
残されるものにとってこそ、お別れが必要なのです。
あのとき、駆けつけて、ありがとうが言えて良かった。
がんというやつは、ほんと憎い病気ですが、カウントダウンが許されています。
それだけは、感謝です。
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