11 2人部屋
25日に病院に行きました。
病院は、次女が言ったように、暗くて昭和な病院でした。
いや、病院とは本来、こういうかんじです。
南部病院や築地のがんセンターなどが、特殊なのです。
姉の家から歩いて15分というのが、そこを選んだ理由です。
今度はオペもしないし、長引きそうなので、どこでも良かったのです。
姉は、そこで息をひきとるつもりだったのでしょうか?
最期を迎えるには、あまりにもみすぼらしい場所でした。
たった13日しか入院していませんでしたが、
有効な処置は、何ひとつしてもらえませんでした。
義父が亡くなった病院もそうでしたが、ただ点滴をして、
おむつを換えてもらっただけです。
叔母(母の妹)は、清瀬にある東京病院の緩和ケア病棟で最期を迎えました。
母はお見舞いに行って、その快適さに感動していました。
病院に入っても、何も治療してもらえないなら、
私はやはり、自然に囲まれた病院の緩和ケア病棟で死にたいです。
もちろん、自宅で死ねたらそれが最高ですが、
家族の生活を巻き込んでしまうので、やはりそれは無理でしょう。
13日前まで家で粘って、家から最短距離の病院に入院した姉の選択も、
それはそれで尊重できます。
病室に行くと、姉は寝ていました。
病室は狭い2人部屋で、窓からは錆びた非常階段だけが見えていました。
おむつをしているからか、異臭がたちこめていました。
カーテン越しに、同室の人の息づかいが聞こえ、
なんともいたたまれない病室でした。
姉が起きるまで、病院をぶらぶらしました。
廊下の突き当たりの窓から、咲きかけの桜が見えました。
ここまで歩いて来たら、桜が見えるのだから、ここから見ればいいっか、
と思いました。
でも姉はもうすでに、自力で起き上がることも、
車椅子に座ることもできなくなっていました。
結局姉は、桜を見ずに亡くなってしまいました。
あの時、桜を折って見せてあげれば良かったな、と悔やまれます。
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