23 釋尼淳照
これで、淳の話は終わりにします。
淳としたこと、淳と話したこと、おかしかったこと、みっともなかったこと、
もっともっとありましたが、さすがに長くなるので、
これでも、先を急いで書きました。
途中で何度も、書きながら泣いてしまいました。
でも不思議と、淳の最後のことは、泣きませんでした。
たぶん自分の中で、リアリティーがないのです。
自分で見たこと違って、人から聞いたことは、全然理解度が違います。
まだ自分の中で、淳がいなくなってしまったことは理解していません。
私の中の淳は、世田谷のマンションで壁を向いて寝ているままなのです。
同様に、ジャニーズの少年達と仕事していた淳、集英社で笑っていた淳から
一歩も前に進めていない人が大勢いるのだろうと思います。
それはきっと、淳がお葬式をしなかったからです。
淳は自分勝手に密葬にしてしまったので、
私達はおいてきぼりで、ここに立ちすくんだままです。
「淳はみんなの中で生きている」って?そんなの大きな迷惑です。
いつまでも生きているから、苦しいのです。
ひょっとして、それが淳の狙いだったかも知れません。
いつもホスト役で、決して自分の存在をアピールしなかった淳。
最後に、とんだどんでんがえしをしてくれました。
今回は、夫T、長女、次女に助けられています。
淳のことを想い、落ち込んで、「淳はいないんだな」と口に出すと、
「そうだね。ここに座っていたのにね。」と、その喪失感を共有してくれます。
それで少し、気が紛れるのでした。
血の繋がっていない淳がいなくなっただけで、これだけ面食らうのですから、
一緒に暮らしている家族が亡くなってしまったら、喪失感から脱出できないでしょう。
がんでもうだめだと解っていても、これだけ納得できないのですから、
突然の事故や犯罪でいなくなってしまったら、加害者を許せないでしょう。
でも、そういうこともあるのです。
これからの人生、何があっても受け入れて、
いつもしなやかに生きていないとなあ、
そして、私と縁のある人と、ちゃんと交わっていきたいなあ、
と思うのです。
淳よ、去年の夏は神宮の花火に行ったね。
あんなに元気で楽しかったのに。
今年はもう、いないのか。