21 南無阿弥陀仏
そうして姉は、小さな骨壺に入れられてしまいました。
義兄はその骨壺を、まだお墓には入れていません。
姉が母屋のお墓に入りたがっていなかったからか?
まだリビングにいて欲しいからか?
敢えて理由は聞いていません。
私の知る限り、姉はあっけないほどあっさりと逝ってしまいました。
姉は、闘病の間、一度も精神的に病んだりしませんでした。
また、肉体的にも、ぶざまな姿を一度も見せませんでした。
若いだけあって、誰からも疎まれることなく、惜しまれて亡くなりました。
人は誰でも死にます。
しかも、その死に方を演出することはできません。
姉は、美しい死にざまだったと証言します。
私達は、生きていく喜びとひきかえに、
痴呆や闘病など、老いへの無限の恐怖も背負っています。
一度も老いなかった姉は、それはそれで幸せかもしれません。
いえ、死に方は演出できませんが、生き方は演出できます。
自分の人生の主役は、ほかならぬ自分です。
主演女優にふさわしい人生が展開できるよう、努力をするべきでしょう。
そしてできれば、助演男優賞も助演女優賞も総ナメできるスタッフで固めましょう。
へっぽこ出演者がいたら、その人のよさを発揮できる役を探してあげましょう。
自分の人生にとって必要ない人なんて、1人もいないのです。
色んな人に出演してもらって、自分の人生劇場を彩ってもらって、
「まあ、よかったんじゃない?」と思える幕引きを迎えたいものです。
さて、追悼姉シリーズは全21話になってしまいましたが、これで終わりにします。
ながながと、姉の思い出話におつきあいいただいて、ありがとうございました。
どうしてこんなに懸命に書いてしまったのか、自分でも解りません。
ただ、聞いてもらいたかったんだと思います。
姉のことは、冷静には話せないので、書くことでしか伝達できません。
ここに書いた細かい話は、誰にも話していませんが、
ここに書いたことによって、誰にも言わないで済みそうです。
私は忘れるイキモノなので、そのうちにきっと詳細は忘れてしまうでしょう。
でも、もう姉はいないので、潔く忘れようと思います。
忘れることで、姉がいない世界に慣れることができるのだと思います。
「姉と妹」
私の人生に、確かにそんなページが存在しましたが、
もうこれからは姉も妹もありません。これで閉じることにします。
姉よ、安らかに眠りたまえ。