春日感傷

投稿子(仮名)

 

 「この頃のお父さん、ちょっと変じゃない」

 妻の煎れたコーヒーを私の前に寄せて娘のサチ子が言った。食卓に向かい合っている私に問いかけるのではなく、サチ子の隣にかけている妻に同意を求める語調である。

「そうか?」私は曖昧に答え、休日の朝食後のコーヒーを口にした。

サチ子はこの春大学の一年になった。彼女が大学で国文を勉強したいと言ったとき、妻は文科へいくのならつぶしの効く英文科を薦めたが、私は即座に了承した。私にはサチ子の上に男二人の子供がいる。いずれも理系で妻方の血を濃く受け継いでいる。私が独身時代に買い求めた文学書に息子二人はまるで関心を示さない。末子のサチ子だけが中学に入学した頃から私の蔵書に興味を示していた。文を綴ることも好きで、サチ子には私の血を強く感じている。

サチ子の勘は外れていない。

私は気づいている。このひと月ほど家庭でくつろぐ時、リビング越しに見える僅かばかりの庭に注ぐ陽射しに春を感じながらソファに沈み、視線を(くう)に置くことがある。駈け足で過ぎ去った遠い青春を見ているのだ。そんな青春をまさぐる私の風情を娘のサチ子は感じとっている。

私は大学を卒業し、人口二十万ほどの地方都市の役所に入庁し、三十四年、堅実に務めてきた。現職は議会事務局長、大過なく過ぎれば四年後に定年である。私の定年と娘の卒業が重なる。二十八になる長男は自動車メーカーの技術家。婚約者があり、今秋には挙式が控えている。次男は来春に大学卒業。私の人生にもようやく先が見えて来た。安堵感が漂う。家族を支えなければの三十代、四十代に背負った気負いは薄らいでいる。

「灰皿」コーヒーを飲み終えると妻に言って、ポロシャツの胸ポケットに手をやった。

「止めて!」サチ子は食卓に身を乗り出し、強い語調で言った。似ている。私は胸のうちで呟くと、かすかな笑みがもれた。

「ホラ!おかしいよ」左手を伸ばし、人さし指を私に突き出した。私に示すサチ子の仕種。似ている。私はそう思うとまた笑みがもれた。

「お父さん、サチ子が夏のスーツを欲しがっているんですけど・・・」妻がサチ子の言葉に頓着しないで言った。

「カードで、夏のボーナス払いにしておいてくれ」私は言い残し、ダイニングから灰皿が置かれているリビングに移った。

サチ子の物言いや何気ない振る舞いに思いをめぐらし始めたのは、高校の卒業式が終り、制服姿のサチ子を目にしなくなってからのことだ。彼女は左利きで、私に新聞などちょっとした物を手渡すとき左手が中心に動く。「記憶にある身のこなしだ」私はそんな思いに駆られていた。大人になってきた娘の何気ない振る舞いが何故、私を擽るのかしばらく解けないでいた。

 

私が所属する議会事務局の歓送迎会の帰りである。たまの宴席でしか口にしないアルコールが入り、私は郊外電車のつり革に体を支えていた。車窓の奥の闇の中に家々の灯りが流れていく。月明かりに朧に映える桜の薄紅が一瞬目に写る。見慣れた車窓である。が、アルコールの酔いはそれらを妙に懐かしく感じさせる。

「紀子だ、紀子なんだ」そんな想いが闇に浮かぶ薄紅の桜に誘発されたように、一瞬過ぎった。「お父さん!」私を咎めるときのサチ子の語調が「タカオさん!」私に呼びかける紀子の声に変った。キリリと結んだ口もと、鋭くない容のよい鼻立ち、弧を描く眉。娘と紀子がかわるがわる車窓に流れる闇の灯りに浮かんだ。

 

抱擁の記憶ひとつない、うたかたの恋であった。

名を紀子といった。彼女は私と同じ大学で、私は法科、彼女は国文科であった。彼女と親しくなったのはその大学のサークル活動である。

私はもともと文科志望であった。子供の頃から文を書くことが好きで、高校に入学すると高校生対象の雑誌に短文や詩を投稿し、時には活字になることもあった。できるなら将来は文筆で身を立てたい。高校時代は考えていた。法科に入学したのは「文学?そんなものは与太者のすることだ。月謝の面倒はみない」と父親が許さなかったからだ。しかし、大学に入学しても文筆への思いは止まず、サークル活動に文芸研究会を選んだ。

「あなたがY校のワタナベくんね」

 新入生が始めてサークル室に集った日、会員の自己紹介が終わると紀子が私に近づいて来た。同じ県内の高校である私の掲載作品に興味を持ち、どのような人か考えていた、というのである。紀子はよく手紙を書いてくれた。サークル室で一緒になるときに手渡しであったり、自宅への郵送であったりした。

「直接には言えないから、お手紙にしたの」こう言って、最初に手紙を手渡してくれたのは紀子だった。

 大学での文芸研究会。私が期待したものではなかった。文学部の女子学生が大半を占めている。月に一度、短文や詩、短歌をガリ板印刷した冊子を作り合評会をもっていたが、所詮お嬢さん芸を超えるものではない。秋に大学祭に協賛して学生自治会から予算をとり、活版刷りの冊子を出すのが外に向けての唯一の活動だった。

 一年生の秋から冬にかけてが私と紀子の最も親しい時だった。

他の女子学生なら気障になるだろう合評会で発言する時の紀子のいくらか大袈裟な仕種や、メリハリのある語調に魅かれていった。私は文芸活動というより、紀子の姿を求めサークル室へ足を運ぶといった方がよくなっていた。秋が過ぎる頃、私たちはサークル室に集まった仲間から離れ二人だけの行動が多くなった。

 合評会の冊子作りのために蝋原紙を切るのは一年生の役目である。冬休みが開けて間もない日であった。一年生、数名が鉄筆を握っていた。

「こういうの苦手、字が下手だから」肩を並べている私に紀子が呟いた。彼女は利き手が左で、幼児の頃は左手でクレヨンなどを使っていた、と続けた。

「私、左でも書けるの。借りるわ」紀子は学生服の私の胸ポケットから万年筆を抜くとイスを立った。半紙が乱雑に置かれている机に歩み寄ると、中腰のまま左手で何かをしたためた。紀子は半紙の一部を丁寧に破り取ると、それを小さくたたみ「後で見て下さいね」と言って、紙片と万年筆を私の胸ポッケトに納めた。

 紙片を目にしたのは、その日サークル室を出て紀子と帰る途中に寄ったティールームであった。テーブルに着くと私はすぐに紀子が納めた紙片を取り出した。

『スキデス』、これだけがしたためられていた。私は頷きながら言葉のかわりに微笑を紀子の瞳に返した。

 

 二年生になった。サークル室の四月は新入の学生で賑わい見せていたが、紀子の姿はなかった。私が気をもんでいた五月の連休、彼女から封書が届いた。大学に出る日と彼女が待つ場所が記された簡単な文面であった。

 裸木になっていた何本かのイチョウの木にはいつの間にか緑がつき、キャンパスも、そこを行き来する学生の装いも初夏である。私は詰襟を脱ぎワイシャツ姿で、紀子は萌黄のワンピースで一本のイチョウの木の下のベンチに腰をおろしていた。

「大学やめるの。渡辺さんとはいいお友達だったわ」

いつもの紀子とは違った語調である。彼女の深い息づかいが隣の私にも感じられた。

「どうして?」間髪をいれず訊ねた。

「あなたにお話ししても、どうにもならないわ。私が惨めになるだけ」

「大学に来なくても、ときどき会えるじゃない」私の言葉に紀子は首をふった。

 私と友達でいることは迷惑をかけるだけであり、いずれ私が紀子のもとを去るのはわかっている。私との一年をわずかな大学生活の大切な思い出にしておきたい。私にはいい作品を書いて将来本を出して欲しい。必ず読むから。こんな事を彼女は一語一語を五月の空に埋め込むように話した。

この時私は、紀子の言葉を退学しなければならない彼女の一時の思い込みとしてしか受け止めていなかった。

紀子の決意は固かった。私の翻意を促す封書にも、近況を尋ねる夏休みの封書にも彼女の返信は来なかった。文芸研究会のサークル室に私は次第に遠のいていった。しかし、やがては私の著作が書店に並び紀子の目に留まる日があって欲しい。そんな夢想が広がり、私は三年生になるとある同人誌の会員に加わった。

 

「ワタナベくん!」紀子が大きく手を振ってキャンパスの一角で私を迎えてくれるのではないか。そんな幻想も勤めを始めると抱かなくなっていた。

入庁して半年ほど経過した昼食の休憩時であった。何気なく開いている新聞の家庭欄の一隅に、私は目を留めた。紀子、私が親しんだ名が目に入ったからである。女性を対象にした投稿欄で、投稿者の名が他の名であれば私は見過ごしていたに違いない。

『父娘旅行』とタイトルが付けられた一文であった。嫁いだ娘と父親との一泊旅行の感慨が綴られていた。

父親が倒産に会い、自分は大学生活を断念せざるを得なかった。父を随分恨んだ。今回、父と旅に出て、温泉に浸かり、美味しいお酒を呑み、父と同じ床で語り合った。父へのわだかまりはすっかり解けた。この旅行を提案してくれた夫に感謝の気持ちでいっぱいだ。

こんな内容であった。姓は違っていたが、紀子、ありふれた名であるが年齢が一致する。大学を中退している。私が親しかった紀子に違いない。彼女は結婚し幸せに家庭生活を営んでいる。胸のうちにある彼女への燻ぶりが消えるのを感じた。

 

私は二十七歳で平凡な見合い結婚をした。翌年には長男が誕生し、十年の間に二男一女に恵まれた。青春時代の夢は子供たちの成長に置き換わっていった。

妻はまるで文学に縁遠い女で、私が大学時代に収集した箱入りの文学全集を子供の節句飾りの土台代わりに使ったりしていた。だが、妻に不足はなかった。世間でよく言われる嫁・姑の関係もうまく繕っていてくれた。母が胸痛の発作を起こして苦しむ冬の夜半、おろおろする私を尻目にかかりつけの医者に電話連絡し、湯を沸かす周到さをそなえている。私は家族を支えるため、朝、家庭を後にし、定められた勤めを終え、帰宅のために少々混雑した郊外電車に乗ればよい。子供たちが長じたとき、私や妻を思い起こしてくれる縁にと、ときには家族旅行に出かける。子供の入学、卒業。慌ただしく歳月は過ぎていった。

 

日々の家庭の営みのなかで、私は一度だけ若かった頃に思いを寄せた女性を訪ねたことがある。

休日であった。テレビが昭和天皇の病状を朝から細かに報じていた記憶がある。昭和六十三年の初冬である。私は四十二歳になっていた。朝食をすませリビングでテレビをつけたまま朝刊に目をとおしていた。地方版を広げると『文学ママ、同人誌発行』三段抜きの見出しが目に飛び込んだ。

文学少女だったスナックのママが文学への想いを捨てきれず、文章好きの客の作品を集めて同人誌を発行した。同人は広告代理店の社員、国家公務員、パチンコ屋の経営者、画家、新聞記者等多士済々。編集責任者のママは自らも小説を発表している。要約、このような記事である。

私は年甲斐も無く胸の高鳴りを抑え、読み進んだ。

ママの懐かしい苗字と名、年齢、二十余年前が甦る顔写真。旧姓の苗字が特別に私の衝動を駆り立てた。

次の朝、私は地方版を抜き取り通勤カバンに忍ばせて家を出た。

勤務時間が終わると普段のように役所のある駅から郊外電車に乗ったが、帰宅のために下りる駅をいくつか通り越した。紀子のスナックに向うには県庁のある市のターミナル駅まで足を運ばなければならない。

ターミナルから十分ほど市内バスに乗り、繁華街の飲食店が雑居するビルの前に私は立った。スナック、カラオケバー、小料理屋などの名を示す色艶やかなネオンが、二十二年前に去った初恋の人に会いに来た私には眩い。

紀子のスナックは二階にあった。

私は入り口の前でひとつ深い息をして扉を押した。店の奥で先客の二人と話し込んでいた紀子は来客の気配に扉に視線を向けた。私を視線に入れた彼女は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、直ぐ思い出したようだった。カウンターの中に紀子の他にグラスを拭いている二十歳前後の女性がいる。店内は五、六坪で、十数人が掛けられるL字型のカウンター席だけの店である。

「読んだよ、新聞」

先客の二人と距離を取り、出入り口に近い所で私は紀子の目を見て言った。

「ワタナベさんね、タカオさんね」

紀子は立ったままの私に手ふきを渡し、確かめるような語調で言った。手ふきを受け取ると私はようやくイスにかけた。私には言葉にならない思いが胸に溢れる。ややあって紀子が言葉を継いだ。

「昔、一度あなたを見かけたことがあるのよ。でも恋人らしき人とご一緒で声かけなかったけど・・・」

紀子は左手でビールビンの栓を勢いよく抜いた。懐かしい仕種だ。

「読んだよ、『父娘旅行』」私は二十年前の記憶を言った。

「あれね、あれも昔ね」

「君は立派だよ、昔からの情熱を持ち続けている」私も紀子につられるように昔が口をついて出た。

「ちょっと失礼」

彼女は言い残すと扉を開けた客の応対に移った。

紀子との会話は客の応対で途切れ勝ちであった。甲斐々々しくカウンターの中を行き来する現実の紀子と脳裏に残る紀子とは繋がらない。彼女と客の些か人品を疑う会話が耳に入る。酒場に親しみのない私はその場の雰囲気に馴染めない。かって私の心を掴んだ紀子の仕種すらが客への媚とうつる。二十二年振りに初恋の女を近くに見て、私の瞼に蘇るのは化粧のない涼しげな紀子である。来ない方がよかったかも知れない。訪ねる時の私の昂揚は静まっていた。

スナックでの再会は短い時間であった。

数日経って勤務先に同人誌が送られて来た。私の近況を訊ねた紀子に渡した名刺を頼りに送って来たのだ。私は形式ばかりの礼状を書き送った。

 

私は半年もすれば五十七歳を迎える。我が娘にうたかたの恋の相手を偲ぶのは、最初で最後の恋の女性と娘が同じ歳に成長した感傷に違いない。

「サチ子、今日、お父さんと出かけるか、スーツ見に!」

私は一服を吸い終えると、ダイニングで妻と話し込んでいる娘に声をかけた。

「私もお願いしていいかしら?」

妻の弾んだ声が返ってきた。リビングから見るプランターには、妻の丹精した三色すみれの赤・黄・紫が心和む春の陽を浴びている。

(了)



管理人からのメールによるコメント。20071121日付けで全員に送付。

だいぶ前にお預かりした素晴らしい原稿、下記にアップロードしました。

http://www.geocities.jp/rikwhi/

にある「文学エクビジション」です。
タイトルは、

投稿子「春日感傷」

となっています。
いままで、Wordでいただいた原稿をどのようにしてホームページにリンクするかがよくわからなかったために、そのままになっていました。しかし、このたびWordの仕組みが次第にわかってきましたので、上記にアップロードをさせていただきました。

なお、重大なお詫び。
グループのメールに添付ファイルしていただいたので、あなたのお名前を忘れてしまったのです。作品自体には、お名前がないので申し訳ありません。そこで、仮に「投稿子」としたんです。

もしも、お名前が差し支えなかったらグループのメールで教えてください。むろん、ペンネームでもかまいません。
よろしく。