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イスカリオト・ジューダスの福音書。
歴史から、すでに葬られてしまった事実。そして、隠された事件。それをまず明らかにしましょう。
なぜならば、それらの事実や事件をこの福音書の編集者である私は、幼いころから何度となく母から聞いて、知ってしまったこのなのです。そのことが不思議ないきさつなので、あなたは信じてくれないかもしれません。しかし、母が言ったとおりマリハムも夢の中で私に告げたのです。それらが、あまりにも現実的であったので、私はその通りが実際にあったことのように思う。
だから、他の弟子たちをピーターとかジョバンニと言わなくても、この人だけは正式の名前で記述をしておきたいの。
私は、歴史の事実を曲げたりしようとは考えていません。そんな大それた考えは、まったくないのです。ただ、夢で告げられたことを自分の理性と感性で考えて、整理をしてみました。だから、それをあなたにも知ってもらいたかったのです。
私がいま、あなたに打ち明けようとしている驚くべき事実。しかし、驚いてはいけないのです。なぜならば、よく考えてみると正しいことを知らせるために、母が聞き伝えてくれたことのほかにも、わざわざマリハムが私を選んで現れたのではないかと思うからです。
また私は、むろん「神の摂理」を信じるものです。しかし、ここの打ち明ける私の秘密は、神の存在という基本的なことよりも、むしろ福音書に書かれている内容に関する個人的な疑問なのです。ですから、そのことを誤解しないように最初に言って、お断りをしておかなければならないのです。つまり、福音書の記述に関する解釈の相違が、私の場合にも大幅にあるということなのです。
だから、正直にそのことをあなたにお話して、聞いていただきたいのです。
それでも、あなたはなかなか信じないかもしれません。
しかし、冷静になって考えていただきたい。あなたの理性と感性でわかることが、すべてなのですから。そして、今は信じてくださらなくても、いつかきっと私の言ったことがおわかりになると思います。
そんなことを母が言い残してくれたこととマリハムが告げた一連のお話の前に、あなたに理解しておいていただきたいのです。
だって、神の前に誓って言いますが、すべて私がその夢の暗示にもとづいて理性と感性で正しいと感じたことだけを言うのですから、……
あなたは、ダヴィンチの描いた『最後の晩餐』をご覧になったことがありますか?
そして、その十二使徒の中に、女性が一人だけ描かれているのをご存知でしょうか。その人物はイエスの右隣にいて、イエスにしなだれかかっているのです。
ふつう、それをヨハネと解釈をする人も多いのですが、実際にそうでしょうか?
十二使徒とは、
ペテロ(本名シモン、アンデレの兄)
アンデレ(ペテロの弟)
ヤコブ(イエスのいとこ、ヨハネの兄)
ヨハネ(ヤコブの弟)
ピリポ
パルトロマイ(本名ナタナエル)
マタイ(本名レビ)
トマス(本名ユダ)
ヤコブ(マタイの弟)
タダイ(本名ユダ、ヤコブの弟かあるいは息子)
シモン
ジューダス(イスカリオテのユダ)
の十二人を言います。
ダヴィンチは、1500年前後に活躍をしたイタリアの画家・建築家・彫刻家です。そして、詩人・思想家としても多くの業績があります。そんな人が、モデルを誤ったりするのでしょうか。おそらく、そのころまではそのことが周知の事実ではなかったのでしょうか?
あなたは、イスカリオト・ジューダスが深くイエスを愛していたのをご存知でしょうか?
そして、イエスもジューダスを頼りにしていたのです。だから、グループの経済などをすべて、彼に任せていたのです。お金を扱うのなら、マタイも得意です。なぜならば、イエスの弟子になるまでは、両替の仕事をしていたからです。それでも、イエスはジューダスを選んだのです。
さらに、ジューダスはローマの衛兵とともに来て、別な男に接吻をしたのをご存知でしょうか?
イスカリオト・ジューダスは、イエスを愛するあまり、別な男に接吻をしたのです。別な男はイスキリという名で、あらかじめそれを了承していたのです。そして、イエスとイスキリとジューダスの間で、綿密な計画が立てられていました。
それは、ペテロなど他の弟子たちの預かり知らないところでした。
あなたは、ペテロがどんな人だと思いますか? 正直なほど頑固で、嘘などは言えないタイプの男だったのです。しかし、そのペテロが捕縛されていくイエスを見て「知らない」などというでしょうか?
ペテロは事の始終について何が何だか解らず、実際に何も知らなかったのです。だから、彼は頑なに「知らない」と否定をしたのです。剣をもって師とともに死のうとしたペテロですから、いまさら躊躇はしていませんでした。
あなたも、そのようにお考えにはなりませでしょうか?
そんなわけで、ペテロは他人が牽かれていく事の始終や顛末を彼なりに確かめたかったのです。だから、危険を犯して城内にまで入っていったのです。むろん、ジューダスの計画など知るよしもありません。だから、一連の奇妙な成り行きについて、不思議でならなかったのです。
鶏の挿話などは、ペテロの性格を考えると、後の時代に作成されたカモフラージュでしかありません。
どうぞ冷静になって、よく考えてみてください。
いつも思うのですが、いったい「福音書」って何でしょうか?
これはあくまでも私の想像ですから、神学的に間違っていたらご免なさい。
「福音書」は、もともと「幸福の音信」という意味じゃないかしら。「音信」を「いんしん」と読んでいますが、「おんしん」と同じことなんでしょう。
それは「便り」や「おとずれ」のことなんです。
そして「便り」は「風の便り」などというように、「消息などを知らせてくるもの」をいいます。具体的には手紙や電子メールなどのことでしょう。つまり、ふつう紙に書いた文書で届けられるものなのです。当時は、電子メールなどがなかった時代ですから、実際の文書だったのです。
いっぽう「音信」は、曽我物語に「したしき方より面々に音信どもありけるに……」とあるように、古くから使われた言葉なのです。
そこで、私は「共観福音書」が物語のような形をしているのが、とても不思議なのです。おそらく、最初は手紙などのような簡単なものではなかったのかしら? それが、次々と内容の補完や追加があって、今日のような形になったのではないかと思うのです。
『ヨハネの福音書』の場合は、もしかしたら「福音書」という言葉が、最初は付いていなかったのかもしれません。だって、よく読んでみると、かなり神学的な意味合いの濃い内容なんですから。「福音」というよりも、むしろ「啓示」などと言える内容なのじゃないでしょうか?
もしかしたら「共観福音書」のプロトタイプは、『クー』(Q資料)のようなものだったのじゃないかしら? それは手紙自体というよりも、弟子が師の教えを伝えるために、書き残した一連のメモではないかと思うんです。そして、その語録の前後を補ってわかりやすくするために、ストーリ化していったようにも、私には考えられてなりません。
それはちょうど、『歎異抄』がそうであったように、先生の教えを正しい形で後々までに伝えるために、どうしても必要だった『クー』があったのかもしれません。
いずれにしても「幸福の音信」ですから、私たちの生活に「幸せ」をもたらしてくれます。
それは、「パウロの手紙」の場合とよく似ているでしょう。まれに「パウロは手紙で福音書を書いた」という学者がいます。しかし、それは逆であってパウロの書いた手紙が、本来の「福音書」なのです。
そして、現在の三つある「共観福音書」と『使徒行伝』とが、いわゆる「福音書から発展をした文書」なのではないでしょうか。
私には、そんなふうに思えてならないのですが、……
さらに、私には新約聖書の冒頭にある三つの「共観福音書」と『ヨハネの福音書』との関係が、あまりよくわかりません。また、『使徒のはたらき』とか『使徒行伝』と呼ばれる章が、なぜ『ルカの福音書』の後に置いていないかも、何とも不思議なのです。つまり、本来ならば「ルカ」の上巻と下巻である章の間に、『ヨハネの福音書』が入ってしまっているのです。
あなたは、そのことをどのようにお考えでしょうか?
いつも考えていたことです。
それは、「人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?」というテーマなんです。そして私は、それをあくまでも自分自身の知性と理性と感性とで考えてみたいのです。なぜならば、いくら力強く説得をされても、その人が実際に経験をしてもいないことには、納得ができないからです。
例えば、見てもいない天国の光景とか、経験もしていないゲヘナの苦しみなどは、いくら精力的に力強く説明をされても、なかなか理解ができません。そして、さらに大きな問題である自分自身が「生まれる前のこと」や「死後のこと」などが、次々と私を悩ませるのです。
このマリハムから聞いたストーリをまとめていくと、私はそんなことも解決できるのじゃないかと思うんです。いったい人間の脳は高度に発達をしたというものの、まだ肝腎のことがわからなければ、悩みが大きくなるばかりなのです。そして、悲しみも増すのです。
それは、旧約の『コヘレットの書』に、
<知恵が多くなれば、悩みも多くなる。知識を増すものは、悲しみも増す。>
とあるとおりなのです。
実際に、私はこの身体から抜け出してしまいたくなる感情が湧き上がってくることがあるので、いつも困っています。つまり、「自分であって自分でない立場」、それを平易に言うと「客観の自分」と「主観の自分」が、どちらがどちらであることさえも迷ってしまうということなのです。
パウロの手紙に、そんなことが書いてありましたが、私自身も狂わしいほど身が苛(さいな)まれるのです。
もしかしたら、私はすでに精神に異常があるのかもしれません、……
こんなことを聞いたことがあるの。本当かしら?
まだ、イエスの生まれる前のことでした。マリアと夫ヨセフが桜の園を歩いているときのことです。マリアはヨセフにサクランボを取って欲しいと頼んだのです。とてもそれが食べたかったからです。
しかし、ヨセフはその頼みをなぜか拒(こば)みました。いったいどうしてでしょうか? それでもマリアがもう一度ヨセフに頼むと、桜の木の枝が自然にたわんで、マリアはサクランボを自分で取ることができたのです。
頑(かたく)なにサクランボを取らなかったヨセフは、いったい何を考えていたのでしょうか。無口なヨセフは何も言わなかったので、いまだに理由がわかりません。しかし、マリアは自分でサクランボを取って食べたのです。きっと、おいしかったことでしょう。
だから、桜の木は「聖母マリアの木」と言われ、サクランボは「天国の果実」と呼ぶようになったのです。
イエスの回りには、いつも女性の取り巻きがいました。そして、その女性の取り巻きが、すべてを取り仕切っていたのです。ただ、お金の出し入れはジューダスにお願いをしたのです。だって、私たちはお財布をもっていなかったからです。物を買ったり、施しをするのでお金が必要になると、いつもジューダスのところへ行って、革袋から金貨を出してもらうのです。
ジューダスは、いつもニコニコ笑って気持ちよくお金を出してくれました。何に使うのかなどと聞いたことは、一度もありませんでした。
それはともかくイエスの取り巻きの中で、私はいちばんイエスから愛されていたと思います。いつも何かあるとイエスは
「マリハム、どう思う?」
とお聞きになったからです。
イエスや他の人は私を「マリハム」と呼びましたが、十字架の事件があった後は「マグダラのマリア」と言われるようになりました。
イエスとジューダスの友情は、イスキリの死後も続いたのです。したがって、回りの者は身代わりになったイスキリの死後、つまりイエスの死後もジューダスの友情が続いていたと考えたようだ。ジューダスは、実際には数百年を生きたのではないでしょうか?
イスキリは胸を病んでいて、長くはないと自分でも知っていたのでしょう。いさぎよく身代わりになったのです。しかし、「イスキリ」と言わずに「イスカリ」と呼ぶ人のほうが多かったようです。だから、イスカリオト・ジューダスと間違って思われたりするんです。
ヨルダン川でヨハネが洗礼を授(さず)けていました。そこへ、イエスは私たちを連れて行ったのです。彼からバブテスマを受けるためにです。
ヨハネは言ったのです。
「……」
イエスの弟子は、……
まだ、若いヨハネはイエスから愛されていましたが、中心だった十二人の弟子には入っていませんでした。むろん、洗礼者ヨハネとは違う人なのです。ヨハネは若かったので、あまり世間のことは知らなかったのです。そんな無邪気な性格の彼を「子どものようになれ」と教えていたイエスは、当然の成り行きから愛したようです。
ジューダスはイエスを愛するあまり、別の男に接吻をしました。その男の名はイスキリといって、イエスの血縁だったのです。イスキリはイスカリとも呼ばれ、人々から信頼されていました。しかし、性格が地味なためにあまり目立ちませんでした。だから、イエスを取り巻く私たちの中にも、彼をよく知らなかった人がいたのです。
イスキリは無口で、とてもおとなしい性格でした。しかし、信念は強かったのでしょう。今回のことを後になって考えてみると、よほどの決心がないとできないことだったからです。私は、いつも憂愁を帯びた面持ちで笑っていたイスキリのことを忘れられません。
ペテロは「あの人を知らない」と頑なに否定をしました。なぜかというと、実際に知らなかったのです。だから、危険をおかしてまでも、牽かれたイエスの後に、三度までも確認のために付いていったのです。
顔かたちは似ていますが、いつもの先生とはちょっと違うような気がしてならなかったのです。だから、これから死刑になるのがほんとうの先生かどうかを確かめたかったのです。
実際には、別の人間が処刑をされたのです。
こんなことを言うと、大変なことになるかとも心配ですが、マリハムは「ジューダスが考えた計画ですから、そうに違いありません」と言っていました。そんなわけで、私も恐る恐るこの事実をあなたにお話するのです。もしかしたら、私が神を冒涜(ぼうとく)したと指弾されるかもしれませんが、……
何故だろうか?
イスキリが二人の罪人とともに処刑をされた十字架は、ハナミズキの木から作られたということです。もともとハナミズキの木は頑丈で大きかったのです。しかし、この磔(はりつけ)の処刑の後で、ハナミズキはとても悔やんだということです。
そして、幹から水を流したのです。さらに、それまでは太くて真っ直ぐだった幹も、細くなって曲がってしまったのです。それは、二度と十字架に使われたくないとハナミズキが言っているようにも私には感じられるのです。
むろん、イエスは生きていたのであるから、復活をしたわけではありません。しかし、彼が現れたときに復活をしたと誰もが考えた。ジューダスの計画が、見事に実現をしたのです。
逃れていた○○○から、密かに戻ってきたのです。
ジューダスも自殺をしていなかったのです。おそらく聖書編集者が裏切りの事実を捏造して、そのように記述を改竄(かいざん)したのであると私は思います。ジューダスのようにイエスからも愛され、また他の弟子たちからも尊敬をされていた人が、いつのまにか大悪人になっているのが私は残念でなりません。
いろいろな説があるようですが、正直なところ、そのことについて私は何も知らないのです。
ただ、噂によると外国に逃れたということです。本当でしょうか?
信頼の出来る筋から、聞くところによると……
私には、ただなつかしいジューダスやイエスの思い出だけが残っていて、それらがいまでも鮮やかに甦ってくるのです。だから、あなたに伝えたい一心で、この物語を再構築したのです。
また、いつか会いましょう。
お元気で、さようなら。
(おわり)
(2004.07.01/2004.11.20)
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