ディヴァインライト
−フランスで輝いた神の光−


 2007年はダイワスカーレットやウオッカなど、若い牝馬の活躍が目立った一年だった。そんな中で、一部の競馬ファンには注目されていただろう牡馬がいる。それがすでに引退して種牡馬生活を送っていたディヴァインライトだ。

 ディヴァインライトは1995年生まれ。父サンデーサイレンス、母メルドスポート、姉には重賞勝ちのカッティングエッジがおり、なかなかの家柄の出である。同世代にはスペシャルウイーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、エルコンドルパサー、グラスワンダー・・・黄金世代と言いたくなりそうな蒼々たる面々だ。短距離路線ではアグネスワールドやマイネルラヴといったところも同世代である。
 この面々の中で、私はディヴァインライトを追いかけていた。きっかけはPOGである。当時は自分のなかで競馬熱が最も盛り上がっていた時期であり、POGもこの頃から話題になり始めた気がする。
 当時、愛読していたクリゲという雑誌のごくごく簡単なPOGゲーム(牡雌1頭ずつ指名するだけ)で、数ある馬の中から私が選んだのがディヴァインライトだった。資料は馬名と父母と短いコメントしかない。だからディヴァインライトを選んだ理由も、当時全盛のサンデーサイレンス産駒だったから、活躍した姉がいたから、そしてなにより名前の響きが気に入ったからということでしかない。ちなみに雌はオメガストーリー(後に準オープンクラスの1800m巧者になる)という馬を選んだのだが、そちらも似たような理由である。

 さて、前述したような強豪世代の中で、ディヴァインライトはデビュー戦で勝利を飾る。2戦目の500万下ではエアスマップ、アメリカンボス、ゲイリーセイヴァーらを撃破して、デビュー連勝。中堅クラスの有望株としてクラシックに参戦した。結果はもう一つだったが、弥生賞と皐月賞で一流どころから一歩退いた5着というのが、当時のこの馬の立ち位置を素直に表していた着順ではないかと思う。そして私自身、そういう立ち位置の馬が大好きなこともあって、より一層彼の動向を追いかけるようになった。
 続くダービーは7着で初めて掲示板を外す。このレースに関しては、4角であれだけ外を回しては勝負にならないよ!と鞍上の橋本(広)に恨み節を抱いたものだ。ただ彼が後に短距離馬になったことを思うと、ダービーで終始外をまわらされながら7着というのは非常に立派な成績とも取れるのかもしれない。
 ちなみに皐月賞は鞍上岡部。その岡部をダービーではタイキブライドルに持っていかれた。このタイキブライドル、ディヴァインライトとは同厩の僚馬なのだが、後に同じ短距離路線を歩むことになり、また互いに勝ちきれない境遇からして、身近なライバル、あるいは親しき友と勝手に想像していたりする。

 その後、ラジオたんぱ杯で一番人気に推されながら、さえない弟ことビワタケヒデに敗れる屈辱。ダービーでの疲労が出たのだろう、故障も発生して1年以上の長期休養に入る。長い充電期間を経て、900万条件は叩き2戦目で軽々クリア、1600万条件も武豊の力を借りて余裕のクリア、実力の片鱗を見せ始める。それまでは中距離の差し、追い込み馬といった印象だったが、この条件戦の間に短距離適正を見いだされ、また先行で勝負する競馬も身につけるなど、大きく成長した時期であった。もともと上がり3Fのタイムからして、33秒台でビュンと切れるタイプではなく、ジワジワと確実に伸びるタイプ。先行ないし前目の中段から差す競馬は合っていたようにも思う。ただ総じて見れば、彼が武豊鞍上のテレビ山梨杯以来勝てなかったのは、この切れ味の不足によるところが大きいとも思う。

 この後、ディヴァインライトは最大の充実期を迎える。久々の挑戦となった重賞阪急杯では、時のマイル短距離路線のエース、ブラックホークに肉薄する2着。このときの競馬は実に力強く、ファンであることも相まって次走の高松宮記念では迷わず本命に推したほどであった。
 そして、ディヴァインライトの名を全国に知らしめたのが5歳で迎えた高松宮記念。アグネスワールド、ブラックホーク、並み居る強敵の直後に付け、直線でその間を分け入ってグイッと力強い伸び!一気に先頭ゴールか!?と思ったところで奴である。誰しもがノーマークだったキングヘイローの決め打ち的な追い込み。ある意味でディヴァインライトに無いものを見せつけられた形だったが、あのレースで一番強い走りを見せたのはディヴァインライトだったと今でも思っている。そしてこのとき、今の状態で得意の東京に移れば誰にも負けない!安田記念は勝つ!と本気で思っていたものである。

 結果として、京王杯SC参戦後の故障(疲労だったかな?)により、またもや1年以上の休養に入る。その後、得意の条件だった東京新聞杯、久方ぶりに実力を発揮したマイラーズカップで2着に入るも、高松宮記念当時の勢いはなく、重賞勝利は果たせなかった。ただそれでも生涯通じて二桁着順が最後のレースとなったマイルCSだけというのは、この馬の力量、そして万能戦士ならではの成せる技だったと感じている。また勝負弱いと言われたサンデーサイレンス×ノーザンテーストの組合せに、思わぬ短距離適正があることを示した最初の馬でもあり、サンデーが唯一苦手としていた短距離GTであわやという場面を作ったことは大きく評価できる。大袈裟に言えば、後のデュランダル誕生への布石となった馬といえるかもしれない。

 ディヴァインライトはその後、社台ファーム荻伏に種牡馬入り。しかし種付け数には恵まれず、現役世代(3歳)ではディヴァインシチーが唯一の競走馬として頑張っている(もう一頭登録されているようだがいまだ未出走)。ディヴァインシチーは準オープンのダートの逃げ馬という立ち位置だが、成長とともに新たな一面を見せてくれるのではないかと期待している。父と同じく屈腱炎で長期休養を強いられており、復帰後の活躍を期待したい。
 さて、日本にいても仕事のないディヴァインライトは、その後、ローゼンカバリー、アグネスカミカゼとともにフランスへ移籍。種付け量は3000ユーロ、日本円にすれば50万円程度だが、それでも種付け頭数に恵まれたわけではなかった。
 しかし昨年、見事にその中から、現在フランスの2歳戦線でトップに立つ牝馬、ナタゴラ(Natagora)が誕生したのである。定期的にインターネットでディヴァインライトのその後を調べていた私にとって、ナタゴラ重賞制覇のニュースは、もう一頭の追いかけ馬、ステイゴールドの香港ヴァース勝利に負けず劣らずのめでたいニュースだった。ちなみにこれは日本馬(日本での産駒がマル父に相当する種牡馬)の産駒として初めてのフランス重賞制覇だったそうである。

 ナタゴラは初挑戦のGTモルニ賞で2着に入った後、イギリスのGTチェヴァリーパークステークスを制して、フランスの最優秀2歳牝馬に選出された。ディヴァインライト自身にはいわゆる素軽い切れ味はない。だが坂を苦にしないパワーはあったと思う。そのあたりがうまく欧州の競馬にマッチしたのかな?と勝手に想像を巡らせた。ナタゴラが強烈な切れ味の持ち主だと知って、なんだかおかしくもなったし、親父も脚が悪くなけりゃ安田記念の一つも勝てたろうに!などと今更ながら思ってみたりした。
ともかく、日本ではその名も忘れられようとしていただろうディヴァインライトが、フランスの競馬史に名を刻んだ。そのヨーロピアンドリーム的なストーリーにファンとして大いに興奮させてもらった。これで来年は種付け数アップ!いずれは、マル外、カク外のディヴァインライト産駒が日本に殴り込みだ!と意気込んだものである。

 ところが、昨年の冬、ディヴァインライトがトルコに売却されたというニュースを発見した。「優秀な研究者の海外流出を嘆く声は多いが、競馬の世界でもそれは同じである」として、フランスの競馬サークルとしても決して本意ではなかったような記述に救われた思いだったが、正直ガッカリした。
 ただ良い意味で捉えれば、今後はディヴァインライト以上の成績を残したサンデーサイレンスの系統馬たちがヨーロッパに輸出されていくだろうし、ナタゴラの活躍を受けて必ずしもディヴァインライトが重宝されるとは限らない。トルコの競馬サークルが彼の能力を評価してお金を払ったのだから、それは名誉なことでもある。日本で知られていないだけで、トルコにはマニラやシーヘイローといった海外の名馬たちが種牡馬として繋養されており、また(マイル以上の距離で)欧州最高賞金額のレースもあるらしい。いわばこれから発展を遂げていく国なのだろう。
 フランスの競馬史に名を刻んだ開拓者ディヴァインライトである。新開地のトルコは相応しい舞台といえるかもしれない。種牡馬として、数少ないチャンスでしっかりと結果を出してきた彼だから、トルコ発でヨーロッパを席巻する名馬を生み出してくれることを期待しよう。マル外、カク外としてディヴァインライト産駒が日本に凱旋する。その希望を捨てるのは、きっとまだ早いはずだ。