告白




 「久しぶりだな。いや、大学を卒業して以来だから一年ぶりか。」

 「すまなかった、いきなり呼びつけたりして。」

 「なに、大学時代の親友と一年ぶりに会えるんだ、むしろ嬉しく思うよ。何しろ君は卒業してすぐに結婚してしまったからね、僕から会おうとは声を掛けづらかった。」

 「ああ、そうだ___それなんだ。」

 「なんだい?落ち着かないな。それにこんな喫茶店で待ち合わせなんて。」

 「ここで話がしたかった、ここは客の少ないことで有名な店だ。」

 「まずいサンドイウィッチでも食べさせてくれるのかい?」

 「まずい話しさ。とにかくまあ、座ってくれたまえ。」

 「まずい話と言うのは?人に聞かれちゃまずいことを僕には教えてくれるのかい?」

 「君だから話すんだ。君は昔から私のくだらない話に耳を傾け、真摯に聞いてくれていた。だから私は君を信頼し、今こうして重大なことを告白しようとしている。」

 「ふむ___」

 「いいかい、落ち着いて聞いてくれ。決して声を上げたりはしないでくれ。」

 「わかった。」

 「私は昨日、家内を殺した。」

 「___」

 「うん、ありがとう、君は冷静だ。」

 「冗談ではなく?」

 「そうとも、冗談じゃない。」

 「君はあの奥さんと愛し合っていたじゃないか。それをなぜ___」

 「それは彼女の異常な心がそうさせた。」

 「どういうことだ?」

 「君は異常性癖というものについて知っているかい?」

 「詳しくはない。」

 「彼女はマゾッホだったのだ。」

 「マゾッホ___被虐色情者。」

 「そう、肉体的な虐待を受けることにより、性的な興奮を得る。私も知らなかったことだ、我々はお見合い結婚だった。」

 「気付いたのは?」

 「彼女が求めるようになってからだった。最初のうちは私は男の嗜みとして知りうる範囲のやり方で、彼女を愛した。彼女も口を出しはしなかった。貞淑な女だったから、自ら求めることはなかった。」

 「我慢していた。」

 「そう、気がついたのは、会社から家に戻ると、彼女が傷を作っていることが多くなってからだ。ある時は釘を打ち損ねたと言って指を紫色に腫らし、ある時は箪笥にぶつけてしまったと言って足の爪を割り、食器を落とした破片で身体に切り傷を作るのはしょっちゅうのことだった。」

 「だがそれでは物足りなかった。」

 「そうとも。物足りなかった。一人では欲情が鬱積するばかりだったのだろう。ある時ふと見ると、私の寝床に荒縄が置いてあった。家内が置いたものだった。」

 「君は気が付いた。」

 「私も信じられなかった。だが布石はあったのだ。だからもしやと勘繰るようになった。その晩、家内に夜伽の約束し、私は彼女を待たせた部屋に荒縄を手にして向かった。私が手にした荒縄を見た彼女の顔と言ったら___貞淑な女だ。恥じらいもあろう。だがそれでも彼女は沸き返る情欲に、笑みを殺すことはできなかった。恍惚な微笑みでいつになく甘酸っぱい口づけを私に要求した。」

 「君もその気になったようだね。」

 「家内はあまりに活き活きとしていて、あまりに妖艶だった。それこそ別の女を抱いているような新鮮さだった。私は家内の用意した荒縄で彼女を縛り上げた。彼女の態度が豹変した。私を主人様と呼ぶようになり、酷く身もだえして求めはじめた。私は彼女の要求に応えるため、横柄に振る舞い、詰りながら彼女をいたぶり、そして愛した。それはただ抱き合うことしか知らなかった私にとって斬新な愛の形だったんだ。」

 「それでそれからどうなったんだい?」

 「それからというもの、家内は夜になれば自ずと私に求めるようになった。たがが外れたのさ。本性を見せたならば恥じらう意味などなにもないとね。私もそれにつきあっていた。はじめのうちは面白かった。ただマゾッホというのは、いやそれに限らずとも、人は一つの刺激を受け続けるとそれに慣れて、なにも感じ得なくなる。」

 「そうだね。慣れは恐ろしいものさ。」

 「まったく。家内の要求は徐々にエスカレートしていった。次に彼女が私の床に置いたのは蝋燭だった。そのころには私も、サディズムとマゾッホの性について多少窘めるようにしていたから、それの使い道も知ることができた。家内はいたく喜んでいた。次は針だった。家内の身体に針を刺すなど、私も震えが走った。しかし私が躊躇うと家内は自らの身体に針を刺しはじめ、私も覚悟を決めた。それから家内は次々と責め苦の道具を用意するようになっていった。だが私はそのころにはもう、家内の異常性癖に疲れはじめていた。」

 「マルキド・サドであることに疲れはじめた。」

 「そうとも。だが家内もそれを悟ったのやも知れない、私に極めつけを用意した。」

 「なに?」

 「ナイフだ。」

 「身体を切れと___」

 「血染めの性虐だ。私は怯んだ。」

 「それで、君はやったのかい?」

 「やったさ___家内をそのままにするわけにもいかない。致命傷にならないように、彼女の身体に浅い切り傷をつけ、血塗れの彼女を抱いた。壮絶だった。ただその時はそれで事が済んだんだ。」

 「奥さんを医者に診せようとは思わなかったのかい?今の時代、精神科だっていい医者がいる。」

 「診せられなかったさ。異常性癖者にだって外向的な奴と内向的な奴がいる。家内は内向的な異常性癖者だ。本当に気を許した人間にしか本性を見せない。それ以外は普通の、貞淑な素敵な女性だ。私は彼女の性癖につきあってしまった。今更彼女を医者に診せるというのは裏切りだ。彼女は悲しみ、私から離れようとするだろう。」

 「ただ彼女は死んでしまった。なら、それは後悔すべき事だね。」

 「___ああ、確かにそうだ。医者に診せるべきだった。」

 「核心を聞こう。君は何故彼女を殺してしまったんだ?」

 「それは、次に彼女が私の寝床に置いたものがそうさせた。」

 「なに?」

 「彼女が私の寝床に置いたのは柳刃包丁だった。私は怖くなった。それを持って彼女の部屋へ行くことはできなかった。私は代わりに一つの決意を持って彼女の部屋に向かった。今日こそは言おう。これ以上、君の性癖が進むと私にはついていくことはできないと。裏切りだとは思わなかった。第三者を挟む卑怯なやり方じゃない、私と彼女の間だけで決着をつけようと思った。勿論、彼女の性癖も尊重した。だから全てを否定した訳じゃない。縄や蝋燭でいたぶるくらいなら私にもつきあえる。そう言う意味を込めたつもりだった。」

 「甘かった。」

 「そう、甘かった。彼女は私の言葉を聞くと走り出し、一目散に私の部屋に向かった。私は最悪の展開を想像した。そして事実そうなった。」

 「___」

 「彼女は私の部屋で腹を切り開き、悶死していた。部屋中に血が飛び散り、異様な臭気が漂っていた。私は言葉を失い、その場へと立ちつくした。私が家内を殺してしまった___私が彼女の性癖に中途半端につきあい、そして彼女を裏切って死に追いやった。」

 「___そうか。ただ、それは君、自殺だよ。」

 「え?」

 「君が殺した訳じゃない。自殺だ。引き金は君が握っていたというよりも、彼女が体内に爆弾を抱えていたんだ。弁護士を雇えば君は無実になるだろう。」

 「本当かい___?」

 「ただ、それが本当のことならばね。」

 「___」

 「僕はこの一年、人の心理について勉強をしている。人の心の真相を読みとるというのは実に面白いものだよ。例えば君は、奥さんを殺してしまった悲しみよりも、僕に免罪符を与えられた喜びのほうが大きいようだ。」

 「そんなことは___」

 「無いはずはないよ。だから君は僕を選んだ。僕は君の話をよく、素直に聞く友人だった。君の話を簡単に信用する人間だった。本当なら、君はこの話をまず警察にするべきだった。でも君はそうしなかった。それは君が打ちのめすことは得意でも、打ちのめされることに弱い人間だからだ。僕に共に警察に赴き、戦って欲しいと感じたからだ。」

 「___」

 「君の奥さんはマゾッホじゃない。君がマルキド・サドの流れをくむ人間、つまり残虐色情者だった。奥さんが君に求めたんじゃない。君が奥さんに強要したんだ。荒縄で縛り、針を刺し、蝋燭で責めた。」

 「何故そう思う?」

 「大学時代に君は良く女の子に偶然を装って傷みを与えていただろう。それは小さなものだったよ。座席にガラスの破片を落としたり、鞄の中に針を入れたり、女の子が傷つくと君は酷く嬉しそうだったと、僕には見えた。」

 「___」

 「ただ君だって我慢していたんだろう。君は普通の女性に惚れたんだ。君は自分の性癖を殺して、彼女と平穏な家庭を築くことを望んだ。ただ、偶然が君の眠れる心を呼び覚ましたんだ。彼女は酷くおっちょこちょいな女で、家事が下手だった。それでも一生懸命だから、空回りしていつも失敗する。身体には生傷が絶えなかった。それを見て、君は欲情してしまったんだ。無理もない、人は自分にとって都合の良い解釈をするものさ。しょっちゅう身体を傷つけている彼女に君は、彼女も異常性癖の持ち主なのではと勘繰るようになった。荒縄を置いたのは君の方だ。君が彼女の寝床に荒縄を置いた。だが彼女はそれを気にも留めなかった。だから君は強行して、彼女を縛った。彼女は優しい人だから、君の異常性癖についても理解しようと努めた。苦痛ではあったが耐えることを選んだ。だが君が柳刃包丁を持ち出すと、彼女はさすがに恐怖し、我を忘れて逃げ惑った。君は欲望に任せて彼女を追い回し、ついにはその腹を切り裂いてサディストとして至福の喜びを味わった。違うかい?」

 「___君はそれを警察に伝えるか?」

 「いや、僕と君との仲だ。そんなことはしない。」

 「そうか___見たまえあのウェイトレス。綺麗な娘だろう。」

 「だが時折君を怯えた目で見ているな。」

 「フフフ。この前コーヒーをかけてやった。だが謝ったのはあいつの方さ。彼女が運んだコーヒーを受け取り損ねたふりをしたからね。熱さを堪えて、顔を真っ赤にして必死に詫びた。いい気分だった。」

 「そうかい。」

 「それにしても君は凄い男だな。特に君が言う家内の行動は、実に的を射ている。」

 「ああ、それは無理もない。」

 「なぜ?」

 「君は知らないだろうが、あれは僕の昔の女だ。結婚まで考えたが結局破談になった。」

 「そう言えば___あのお見合いを提案してくれたのは君だったな。」

 「そうとも。是非サディストの君に貰ってほしかった。君は知らないかもしれないが、あのおっちょこちょいの女は君に惚れて僕を振ったんだ。」

 「___私は警察へ行こうと思うが、君は?」

 「行こう。君を弁護させて貰うよ。」

 「お互いのためにかい?」

 「そうとも。僕たちは親友だ。」






(C)丸太坊(2001年執筆)







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