日生劇場

                        
 15日(水)雨。6年生と一緒に日比谷の日生劇場に行く。
 6年生になってから2ヶ月半、先の運動会を成功させたこの子どもたちが、6年生として学校から都心に出かけ、南大沢駅まで帰ってくるまで、今その日のことを少し回想してみたいと思う。
 教育的一般的に言って、学校から外に子どもたちを連れて出たときに、その子どもたちの身に付いている力の一端を否応なく見ることができる。学校の外は、子どもたちが身につけた力の「発揮」の場であり「確かめ・鍛え」の場であり、指導者にとっては、自らの指導力を「試される場」(鍛えられる場)でもある。
 9時半、雨の中を出発した。出発前の集合で、指導者はこれからの注意を「簡潔」に確認する。この「簡潔」がすばらしい。このような「雨の」状況下では「全ては簡潔に」が原則である。
 時折、このような状況下(雨の中とか)にもかかわらず、これからのことを改めて確認したり、注意を繰り返したりすることがあるが、これは子どものこれから先の興味を削ぐことになる場合が多い。いかなる状況下においても子どもへの指導をきちんとしておこうという指導者としての気持ちは理解できるが、状況に応じて素早く指導の手順を変更、簡潔化する、あるいは、このような状況を既に予測しておいて、事前の指導を徹底しておく、これが指導力の応用というものであろう。繰り返しになるが、不良な状況下での集団指導は、「全てを簡潔に」が原則である。本校の指導者にはこれができるのである。
 さて、雨の中を歩いて南大沢駅に向かう。この時の「集団歩行の原則」は、片側「縦列」での整列行進である。バラバラ、横に広がって歩くような歩行では、多くの人に迷惑をかける。歩道、駅構内、ホーム、いずれもこの原則を守っていかにスムーズに片側縦列歩行をさせるか。ここに指導者としての力量が試される。この時の本校の子どもたちの歩行は、実に見事な集団歩行であった。
 ついで指導者は、駅構内では他の乗客の迷惑にならないように整列場所を限定(比較的混まない場所)し、また、スムーズな乗降をするために乗車口へ適切に分散させた。この指導も見事である。あまり広く分散して乗車すると収拾がつななくなることがあるので、どうしてもまとめて乗り込まそうとするのであるが、この時は、指導者たちが適切に分散し、子どもたちの乗車がスムーズにいくように瞬時に少人数に分けたのである。見事な采配、連携である。
 また乗車中での態度については、乗客の一人としての態度(乗客マナー)への指導が事前になされていたようであった。子どもたちは文庫本サイズの本を携帯し、乗車するとそれを読んだ。つまり指導者は、ただでさえ難しい電車内指導を読書指導の場に転じたのである。これは、すばらしい指導発想である。子どもたちは席が空いたら座って読み、年配の人が前に立ったら席を譲り、さらに本を読み続けた。電車の中のわずかな空間を、目的駅までの長い時間を「読書(指導)の好機」と捉えた指導者と子どもたちであった。
 普通、電車の中は子どもたちの自由なおしゃべりの時間とすることもあるが、狭い電車内、大人数で子どもたちが思い思いにお喋りに興ずると、それは周りの人にとって耐え難き騒音となることさえある。
 だいたいこのようなとき、はじめは「こどものお喋り」という感じから、最後は「子どもの大騒ぎ」のようなことになり、ついには他の乗客から「静かにせんかっ!」と怒鳴られたり、「おまえたちはどこの学校もんやっ」とか、「先生はなにをしとるんや」とか、「校長、出てこいっ」とか、カンカンに怒られることになるのである。時には投書されたりね。だから指導者としては、よほど注意しなければならない。
 しかし、本校の子どもたちは自分のお気に入りの本を取り出して、静かに読み始めたのである。周りの若いビジネスマン風の男は、その横で漫画を読んでいた。なんと言うことであるか。いい若者、いい大人が電車の中で臆面もなく漫画を読みふけり、柏木の子どもたちはしっかりした本を読んでいるのだ。恥ずかしいと思わないのかね。恥を知らない大人(男も女も)が拡大生産されているような今日の社会だから、それも仕方ないのだろうけれど、見ていてなんか変な感じがした。本校の子どもたちは最後まで誰からも一切注意を受けなかった。
 バッグや鞄に本を常に用意し、時間があればそれを読む、これが読書の神髄である。机に座って読むばかりが読書ではない。「手を伸ばせばそこに本がある」、これが子どもの読書習慣形成の基本であることは既に別のところで述べた。このような心構えでいる保護者が果たしてどれくらいいるものであろうか。子どもと一緒に育ってこその保護者であることを忘れてはならない。どうか、保護者の皆さん、子どもと一緒に本を読みましょう。
 次に降車後の集合整列の場所の限定について話そう。電車を使って子どもたちを移動させるとき、当然ながらどうしてもに要所要所での人数確認が重要となる。乗る前に確認、降りて確認、、移動して確認、着いてから確認、という小刻みな確認になりがちになるのはやむを得ないところである。不明者が出ると大変だからね。
 しかし、確認が重要だからと言って、その場所を適切に選ばないと、これまた、周囲の大迷惑になることがある。ホームの真ん中や通路の真ん中、通行量の多い場所、狭いところなどで人数確認をしようものなら、たちどころに「大渋滞」を引き起こすことになったりする。その結果、学校の常識は世間の非常識とばかり批判の全面攻撃を受けることになる。安全確保、人数確認も時と場所を適切に選ぶことが、指導者としての指導責任でもある。
 本校の指導者は、この点においてもきわめて優れた力を発揮した。どこで何をどのようにするべきか、あらかじめ意識化されていたようである。渋滞も混乱もまるで起こすことなく、児童の安全確認、人数確認を的確に行っていた。状況判断が的確なのである。
 そして、日生劇場での観劇態度。言うことがないほどの立派な本校6年生の鑑賞態度であった。(他の学校は、ひどかった。)
 帰りも全く同じで何の心配もなかった。指導者も子どもたちも見事なものだった。6年生は、大きく成長した。


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